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西海市西彼町〜オランダ村と航海の神:崎戸町百話番外編‼⑥

    園崎咲人―番外編~オランダ村と航海の神

    1.オランダ街道

    西海市西彼町の国道206号を走っていると、大串郵便局の近くに公衆トイレがある。

    そこに「De Hollandse Route――オランダ街道」と書かれた小さな碑が立っている。

    石板には「日蘭交流の沿革」として、1600年のデ・リーフデ号漂着から歴史が刻まれている。

    デ・リーフデ号と聞いて、私が最初に思い浮かべるのは三浦按針だった。

    本名ウィリアム・アダムス。イギリス人である。

    同じ船にはオランダ人のヤン・ヨーステンもいた。東京の八重洲という地名は、彼の名前に由来するとされている。

    1609年には平戸にオランダ商館が開設され、1641年には出島へ移された。

    日本とオランダの長い関係が続いていく。

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    2.両国の歴史

    オランダ東インド会社、VOCは単なる商社ではなかった。

    アジア各地へ進出し、現在のインドネシアを中心に植民地支配を広げ、台湾にも拠点を築いた。

    一方、日本では幕府の管理下で貿易を続けた。

    幕末の1864年、長州藩と英・仏・蘭・米の四国艦隊が戦った下関戦争には、オランダ艦も参加している。

    日本とオランダの400年は、友好だけの歴史ではない。

    貿易をした。知識を伝えた。時には争った。

    それでも関係は続いた。

    3.オランダ村

    そして1983年。西彼町に長崎オランダ村が開園した。

    オランダといっても広い。アムステルダムもあればユトレヒトもある。

    オランダ村には、海洋貿易で栄えた港町ホールンなど、実在する町をモデルにした街並みが造られた。

    大村湾のほとりに、遠いオランダの風景が現れたのである。

    1992年にはハウステンボスが開業する。

    同じ年、サッカー日本代表を率いた初めての外国人もオランダ人だった。

    ハンス・オフト。

    1993年、ドーハの悲劇の時の監督である。

    長崎市出身で、現日本代表監督の森保一をまだ無名時代に見出したのが、このハンス・オフトだ。

    私の世代にとってオランダは、出島やシーボルトだけではない。

    オランダ村があり、ハウステンボスがあり、ハンス・オフトや森保一もいた。

    4.400年目の碑

    2000年、日本とオランダの交流400周年を迎えた。

    「1983年 長崎オランダ村オープン」

    「1992年 ハウステンボスオープン」

    「2000年 日蘭400周年記念『ながさき阿蘭陀年』」

    石板には、このように刻まれている。

    1600年から始まった歴史の中に、西彼町のオランダ村も刻まれているのである。

    そしてその翌年、長崎オランダ村は閉園した。

    5.市杵嶋神社

    オランダ村の裏手へ回り、さらに海の方へ行くと、ポツンとした小さな島がある。

    そこには、市杵嶋神社が鎮座している。

    いつからこの場所にある神社なのか、私はまだ知らない。

    一説には、弁財天として商売繁盛や、航海の安全を願う神である。

    周りが海なので、商売繁盛はおそらく大漁祈願。

    航海の安全はそのままの意味ととらえてよいだろう。

    私は不思議な景色だと思った。

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    1983年、この海辺にオランダの町が造られ、多くの人がやって来た。

    やがてオランダ村は閉園した。

    そのすぐ近くの小さな島には、日本の神を祀る神社が今もある。

    オランダから来たものが姿を変えても、日本の神は、今日も同じ海を見て、大漁祈願と航海の安全を願っている。

    園崎咲人


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    長崎県西海市崎戸町の観測者。 観光案内や、郷土史ではありません。 島、橋、炭鉱、店、記憶などを調べ、それらのつながりも書きます。 崎戸を飛び出し、西海市の他の町へ行くことも。 間違いや、地元の方が知っていることがあれば、教えてください。 目指すは、百話。その先はまた考えます。

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