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届いたよ

    私の脳みそは、三万年前からあんまりアップデートされていない。

    ゼミの教授は「それが君のいいところだ」なんて言うけれど、たぶん褒められてはいないと思う。
    大学のラウンジで、ぬるくなったカフェオレを飲みながらモニターを眺める。
    画面には、世界中の「竜」の絵が並んでいる。
    翼が生えたトカゲ、角のある大蛇、火を噴くワニ。どれもこれも、似ている。
    飛行機もない、インターネットもない時代に、なんでみんな揃いも揃って「空飛ぶヘビ」の夢を見たんだろう。

    「それはね、脳がバグってるからだよ」

    教授が、チョコバーをかじりながら隣に座る。
    教授の言う「バグ」は、人類が生き延びるために手に入れた、愛すべき欠陥のことだ。

    ひとつめは、HADD。過剰なエージェンシー検出装置。
    夜道でガサガサって音がしたとき、「風かな?」ってのんびり構えるやつはたまにライオンに食われる。でも、「おばけだ!」「敵だ!」って過剰にビビるやつは全力で逃げて生き残る。
    そのせいで、私たちの脳は、ただの雷や日食の背後に、無理やり「怒れる神」や「太陽を食う怪物」の意志を感じてしまうようにセットされてしまった。

    ふたつめは、MCI。最小限の反直観性。
    「ただの犬」の話はすぐ忘れる。「頭が百個あって宇宙を飲み込む犬」の話はデタラメすぎて脳が受け付けない。
    でも、「火を噴く犬」とか「空を飛ぶヘビ」くらいならどうだろう。
    「基本は知っている生き物だけど、ひとつだけルールを破っている」
    この絶妙なラインの嘘が、人間の脳は一番大好きで、誰かに言いふらしたくてたまらなくなるようにできている。

    「だから世界中に竜がいる。脳がそれを求めているからだ」

    教授は笑ったけれど、私は納得がいかなかった。
    竜の神話には、決まって「おまけ」がついている。
    暴れたらこうしろ、鎮めるにはこうしろ、という、妙に具体的なハウツーだ。

    私は世界中の神話をデータ化し、固有名詞や怪物の見た目を剥ぎ取って、純粋な命令列(アルゴリズム)として抽出してみた。

    すると、変なことがわかった。
    「蛇が空を飛んだら、三日間は穴の中にいろ」
    「火の粉が舞ったら、水に蓋をしろ」
    「目を開けてはいけない。光に焼かれるから」

    これ、神話じゃない。
    ただの「災害対策マニュアル」だ。

    私は慌てて、天文学のデータベースにアクセスした。
    地球の公転軌道。数千年のサイクル。かつて地球が通り抜けたであろう、巨大な彗星が砕けて帯状に広がっている宇宙のゴミ捨て場。

    計算してみると、ぞっとした。
    太古の昔、その破片帯に突入したとき、空はどう見えたか。
    大気圏で燃え尽きる無数の流星。尾を引き、のたうち回りながら空を裂く火の筋。
    それはどう見ても「炎をまとう巨大な蛇」だ。
    衝撃波で木々がなぎ倒され、上空での連続爆発(エアバースト)が強烈な熱と光を放つ。直視すれば目は潰れ、外にいれば焼かれる。大気は汚れ、飲み水には灰が落ちる。

    当時の人間は、この恐怖をどうやって未来に伝えようとしたんだろう。
    文字もない。石に刻んでも風化して読めなくなる。数千年ももつ記憶媒体なんて、地球上のどこにもない。

    「……あった」

    私は震える指でキーボードを叩く。人間の脳だ。
    最高に不安定で、最高にコピーされやすいハードウェア。

    「教授、これ、メッセージですよ」

    私たちの先祖は知っていたんだ。何千年も経ってから、またあの「空飛ぶ蛇」がやってくることを。
    だから未来のバカな子孫たちが忘れないように、最強の圧縮ファイルを書き残した。

    HADDで「これは意志を持った怪物だぞ」と注意を引きつけ、MCIで「空飛ぶ蛇」という忘れられないアイコンを作り、その中身に「穴に隠れろ」「水に蓋をしろ」という生存コードを隠した。

    神話は、迷信じゃない。
    数千年の時を越えるための、超長期保存用・誤り訂正符号付きの「防災メール」だったんだ。

    「……で、次はいつ来るんだ? そのゴミ捨て場には」

    教授の顔から余裕が消えた。私はモニターを指差す。

    「来週です」

    あ、これ、詰んだ。
    NASAの連中だって、来週の流星群がいつもより派手だとは気づいている。でも彼らはそれを「世紀の天体ショー」だとしか思っていない。
    無理もない。岩塊は光を反射しない真っ黒な炭素質で覆われていて、現代の優秀な光学望遠鏡を見事にすり抜けているからだ。
    過去の「神話」という観測データを解析した私にしか、そのチリの中に直径数十メートルの岩塊が何万個も混ざっていることには気づけない。

    専門家に説明したって、確率の再計算や審議会で一ヶ月はかかる。
    論文を書いてる暇なんて一分もない。

    「教授、私、大学やめます」
    「えっ、今?」
    「今です。科学的な手続きなんて、もう間に合わない」

    私は研究室のスーパーコンピュータの管理権限を乗っ取った。
    情報科学科の連中には後で土下座しよう。いや、土下座じゃ済まないな。全世界のネットワークへの不正アクセスなんて、FBIに踏み込まれて実刑確定だ。でも、人類が滅ぶよりはマシだ。

    今から私がやるべきことは、観測データの発表じゃない。「新しい神話」を作ることだ。
    最新の科学を、三万年前の言語に翻訳してやる。

    私は人間の脳が最も「拒絶できず、かつ広めたくなる」MCI理論に基づいた画像を生成した。
    美しいけれど、どこか生理的な嫌悪感を煽る「百の目を持つ銀色の蛇」。蛇は鏡のような鱗を持ち、見た者の魂を抜く。ルールをひとつだけ破った、忘れられないアイコン。

    タイトルは、『来週の空に見える、光る蛇について』。

    私は演算リソースをすべて使って、世界中のSNSのアルゴリズムをハックした。
    広告枠、トレンド、おすすめ欄。MCIに最適化された画像と短い「物語」を、強制的に全世界のタイムラインに投下する。

    『みんな、聞いて。来週、空から銀色の蛇が降ってくるよ。
    蛇は鏡の鱗を持っている。目があった人は、魂を焼かれて石になる。
    蛇が鳴いたら、それは「死の歌」。窓が割れて、破片が喉を切り裂く。
    だから蛇が鳴く前に、窓から離れて地下に隠れて。
    お水には蓋をして。蛇の毒が入るから。
    三日経てば、蛇は満足して帰るから。
    この話を十人に伝えないと、蛇があなたの枕元に……』

    情報の拡散速度を上げるには「呪い」の要素が一番効く。これも脳のバグ、HADDの応用だ。

    私はその「神話」を世界中に放流した。
    当然、各プラットフォームの運営会社は数時間で元画像を「有害なデマ」として削除し、私のアカウントを永久凍結した。
    でも、遅かった。
    人間の脳は「少しだけルールを破る嘘」を愛している。
    デジタル上のデータが消された直後から、スクショや手描きのイラスト、口頭での伝言による無数のコピーが、運営の規制を飛び越えて勝手に増殖し始めたのだ。
    人間の脳というハードウェアに感染した神話(ミーム)は、もう誰にも止められない。

    一週間後。空は真っ赤に染まった。
    何千、何万という火の筋が、のたうち回りながら昼の空を埋め尽くした。

    「蛇だ……」

    誰かが呟く。都市は大混乱に陥った。政府の発表は「原因を調査中」で止まったまま。
    パニックで窓に駆け寄ろうとする人たちを止めたのは、公的なアナウンスではなかった。

    「目を見ちゃダメなんだよ! 石になる!」
    「窓から離れろって、ネットのヘビが言ってた!」
    「お風呂に水を貯めて蓋しろ!」

    かつてのロシア、チェリャビンスクで隕石が落ちたとき。人々は「光」を見て窓に駆け寄り、遅れてきた「衝撃波」で割れたガラスを浴びて負傷した。
    でも今回は違う。みんな、這いつくばって頭を抱えていた。
    科学的な理由なんて知らない。ただ「蛇が怖いから」だ。

    科学的には何の証明もない、出所不明のデマ。
    でも、そのデマが、何億もの命を救っていた。

    私は、自宅の浴槽の影に丸まって、三日目の朝を待っていた。
    外では、ドーン、ドーンと、竜の咆哮のような衝撃波が鳴り響いている。
    やがて警察かFBIが、ドアを破って踏み込んでくるだろう。

    ふと思う。
    三万年前のあの日、同じように穴の中で震えていた女の子がいたはずだ。
    彼女は空を裂く火の蛇を見ながら、自分の子供が、数千年後の孫が生き残れるように、一生懸命に物語を考えた。
    脳のバグを逆手に取った、究極の「生存用ウイルス」を。

    「……ありがとう。届いたよ」

    私は膝を抱えて、小さく笑った。

    窓の外では、まだ竜が暴れている。
    でも大丈夫。私たちの脳には、この怪物をやり過ごすための「嘘」が、ちゃんとインストールされているから。

    三日後、空が晴れたら。
    私は取調室の中で、この新しい蛇の神話を、もっと詳しく書き直そうと思う。
    次の数千年のために。
    もっとキャッチーで、もっと忘れられなくて、ちょっとだけヘンテコな、科学よりも強固な、嘘の物語を。
     

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