
普通の男
「結婚するなら、普通の人がいいんです」
記者会見の壇上で、宮本さくらはそう言った。
フラッシュが一斉に瞬いた。
翌朝のワイドショーは、その言葉で持ちきりだった。
世間はそれをパフォーマンスだと思った。
マネージャーも、事務所の社長も、苦笑いしながら「まあ話題になるから」と言った。
でも、さくらは本気だった。
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母のことを、ずっと考えていた。
母は若いころ、大財閥の御曹司と結婚した。
家柄の違い。格の違い。
そういうものが、じわじわと母を削っていった。
離婚したとき、母は何も持っていなかった。
ただ、幼いさくらだけを連れて、アパートに戻った。
母は何も言わなかった。
でも、さくらにはわかっていた。
だから芸能界に入った。
母を楽にしたかった。
華やかな世界で、ずっとチヤホヤされてきた。
でも、それがつらくなった。
普通でいたかった。
ただそれだけだった。
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結婚相談所でのお見合いは、想像と違った。
相手の男たちは、みな一様に背伸びをしていた。
高級車の話、海外出張の話、あつらえのスーツ。
ブランドの紙袋を、さりげなく見えるところに置く。
さくらはうんざりしていた。
これは芸能界と何も変わらない、と思った。
カメラがないだけで、みんな演じている。
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その男は、普通のジャケットを着ていた。
髪型も、普通だった。
腕時計は、デジタルだった。
椅子に座るとき、紙袋は持っていなかった。
「ご趣味は?」
さくらが聞くと、和夫は少し考えてから答えた。
「陸上トラック競技の、800メートルを観るのが好きです。テレビ中継はビデオに録画して見ます」
さくらは、顔に出ないように必死だった。
必死さを隠すために咄嗟に質問した。
、
「なぜ、3000メートルではないんですか」
「3000メートルは長距離種目です。
800メートルが、中距離の真ん中にあるんです。
私は何でも、普通や真ん中が好きなんです」
和夫は、それを自慢げに言うわけでもなく、照れるわけでもなく、ただ静かにそう言った。
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三度目に会ったとき、携帯電話の話になった。
「スマホって、多機能すぎると思いませんか」
さくらが何気なく言うと、和夫は少し目を細めた。
「そうですね。ポケベル、ピッチ、ガラケー、スマホ。
携帯にも時代があって。
ガラケーが、ちょうど真ん中だったと思うんです。
シンプルで、でも電話もメールもできて」
「今もガラケー使ってるんですか」
「いえ」と和夫は言って、少し間を置いた。
「母のガラケーを、持っています。
もう使えないんですが」
さくらは、黙って続きを待った。
「母が死んで、遺品を整理したときに出てきたんです。
充電したら、起動したので。
写真フォルダには、庭のピンぼけの花ばかりで。
メモ帳には、醤油、猫の餌、和夫の肌着、って書いてあって」
和夫は、遠くを見るような目をした。
「捨てられなくて。カバンに入れています。カチッて閉じる音も、なんか好きで」
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さくらは、その夜、ひとりで泣いた。
マネージャーは「地味すぎる」と言った。
友人は「大丈夫?目が覚めてる?」と言った。
世間が知ったら、また騒ぐだろうと思った。
でも、さくらの目には、あの男が王子様に見えた。
普通のジャケット。
普通の時計。
お母さんのガラケー。
母が手に入れられなかったものが、あの男の中にある気がした。
財閥でも、御曹司でも、高級車でもなく。
ただ、普通に、静かに、大切なものを持ち続けている人。
それが、さくらにはまぶしかった。
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次に会う約束をした。
待ち合わせの場所は、男が指定した。
駅前の、普通の喫茶店だった。
完