メインコンテンツへスキップ
見出し画像

普通の男

    「結婚するなら、普通の人がいいんです」

    記者会見の壇上で、宮本さくらはそう言った。

    フラッシュが一斉に瞬いた。
    翌朝のワイドショーは、その言葉で持ちきりだった。

    世間はそれをパフォーマンスだと思った。
    マネージャーも、事務所の社長も、苦笑いしながら「まあ話題になるから」と言った。

    でも、さくらは本気だった。

    -----

    母のことを、ずっと考えていた。

    母は若いころ、大財閥の御曹司と結婚した。
    家柄の違い。格の違い。
    そういうものが、じわじわと母を削っていった。
    離婚したとき、母は何も持っていなかった。
    ただ、幼いさくらだけを連れて、アパートに戻った。

    母は何も言わなかった。
    でも、さくらにはわかっていた。

    だから芸能界に入った。
    母を楽にしたかった。
    華やかな世界で、ずっとチヤホヤされてきた。
    でも、それがつらくなった。

    普通でいたかった。
    ただそれだけだった。

    -----

    結婚相談所でのお見合いは、想像と違った。

    相手の男たちは、みな一様に背伸びをしていた。
    高級車の話、海外出張の話、あつらえのスーツ。
    ブランドの紙袋を、さりげなく見えるところに置く。

    さくらはうんざりしていた。
    これは芸能界と何も変わらない、と思った。
    カメラがないだけで、みんな演じている。

    -----

    その男は、普通のジャケットを着ていた。
    髪型も、普通だった。
    腕時計は、デジタルだった。

    椅子に座るとき、紙袋は持っていなかった。

    「ご趣味は?」

    さくらが聞くと、和夫は少し考えてから答えた。

    「陸上トラック競技の、800メートルを観るのが好きです。テレビ中継はビデオに録画して見ます」

    さくらは、顔に出ないように必死だった。
    必死さを隠すために咄嗟に質問した。
    、
    「なぜ、3000メートルではないんですか」

    「3000メートルは長距離種目です。
    800メートルが、中距離の真ん中にあるんです。
    私は何でも、普通や真ん中が好きなんです」

    和夫は、それを自慢げに言うわけでもなく、照れるわけでもなく、ただ静かにそう言った。

    -----

    三度目に会ったとき、携帯電話の話になった。

    「スマホって、多機能すぎると思いませんか」

    さくらが何気なく言うと、和夫は少し目を細めた。

    「そうですね。ポケベル、ピッチ、ガラケー、スマホ。
    携帯にも時代があって。
    ガラケーが、ちょうど真ん中だったと思うんです。
    シンプルで、でも電話もメールもできて」

    「今もガラケー使ってるんですか」

    「いえ」と和夫は言って、少し間を置いた。

    「母のガラケーを、持っています。
    もう使えないんですが」

    さくらは、黙って続きを待った。

    「母が死んで、遺品を整理したときに出てきたんです。
    充電したら、起動したので。
    写真フォルダには、庭のピンぼけの花ばかりで。
    メモ帳には、醤油、猫の餌、和夫の肌着、って書いてあって」

    和夫は、遠くを見るような目をした。

    「捨てられなくて。カバンに入れています。カチッて閉じる音も、なんか好きで」

    -----

    さくらは、その夜、ひとりで泣いた。

    マネージャーは「地味すぎる」と言った。
    友人は「大丈夫?目が覚めてる?」と言った。
    世間が知ったら、また騒ぐだろうと思った。

    でも、さくらの目には、あの男が王子様に見えた。

    普通のジャケット。
    普通の時計。
    お母さんのガラケー。

    母が手に入れられなかったものが、あの男の中にある気がした。

    財閥でも、御曹司でも、高級車でもなく。

    ただ、普通に、静かに、大切なものを持ち続けている人。

    それが、さくらにはまぶしかった。

    -----

    次に会う約束をした。

    待ち合わせの場所は、男が指定した。

    駅前の、普通の喫茶店だった。


    完

     
     

    コウ

     
     
    友人はアマチュア小説家。たぶんそのうち、しれっと本屋に並ぶ人。 母は昔、地元紙の小説賞を受賞。 ――どうやら才能は、きれいに素通りしたらしい。 小6の頃、漢字が壊滅的で通知表は「1」 母親からしこたま叱られた… その記憶だけは今も現役で夢に出てきます。

    あなたへのおすすめ