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Photo bytakirie323

No.963 「本気」になる以前に知ること

    それは「本音」です。
    この両者の違いについて、いつものAIから以下の回答をもらいました。

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    両者にもホンモノとニセモノがある
    この境界線がわからないうちは、直接語っても中身はフワフワなんだろう。

    これも以前から語ってますが、人生はハードモードが当たり前。
    そのグチャグチャな世界に生み落とされた上、本音だとか本気だとか、わざわざ手間のかかる生き方をするのは、誰かから見れば意味がわからないように映るでしょう。

    生き方とか、行動力とか、時間の使い方とか、
    これらの根元に生息する"あり方"という目に見えない抽象概念を知ろうとしないままは、本当に幸せと言えるのだろうか?
    わたしとしては疑問に思えます。

    欲しい情報が拾いやすい今だからこそ、知るチャンスはたくさん転がっています。
    しかしそれを素通りしたままだと、語る本音も示す本気も嘘っぽく見せてしまう。

    生きている間に関わる相手は説明が難しいほど多種多様なので、勘の鋭い人にはすぐに見抜かれ、そのまま距離を置かれるだろう。

    今のわたしの目にはそのように映ります。

    そんなわたし自身(相対的に)考えすぎ、気にしすぎな一面があり、記事にも雰囲気として表れています。
    そして、このような生き方が社会からあまり求められてないというのも既に知っています。

    「知った上でそうするのか?」と言うと、面倒くさいけどそうします。
    なぜなら、本能と理性ともに上手く共存できると思えるから。

    つまり、一生かけて学び、伝え、残す
    それ以上のことはまだ言語化できませんが、ここに生きるにおいての最たる意味や価値があると思えるからです。

    時々こんな意味不明?な自分語りをしてますが、
    当時の自分を記事として残すことは数ヶ月後、数年後も二足歩行の自分軸を支える足場となるはず。

    ちょっぴりそんな期待を抱いて、これまでと変わらずクリエイター魂を燃やし続けてまいります。

     
     
    思考(頭)・感情(心)・行動(体)を揃えた「三位一体」の自分軸で生きる 投稿数1000回達成後も止まらない毎日更新 つるむのはキライだけど、つながるのはスキ 日々のインプットとアウトプットで"わたしの人生哲学"を極める カオスな社会を泳ぐように生き延びる孤高のクリエイター

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