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Photo byhoshizoramochi

No.948 "沈黙"は信頼を示す態度でもある

    という都合の良い解釈をしています。

    わたしは、以前からnoteでつながっている方々に対しては積極的に沈黙することがあります。
    近年、「言語化」がトレンドになってますが、相手に対して必要以上に話すと、それは干渉ではないかと思えます。

    わざわざ言葉にしなくてもいいことがある
    沈黙でも信頼されているということを知ろうとしなければ、ただでさえ忙しい上にそのようなコミュニケーションコストをかけることになる。

    気にしすぎかもしれませんが、個人的にはそう思うのです。

    言葉にしないと伝わらないことはあるけど、言葉にすると伝わりにくいこともあるという複雑な人間関係にいるわたしたち。
    それにおいて、どんなに正解探しをしても見つかりはしません。

    とりあえずできることと言うと、相手のことを広く(どんな状況や状態かを)想像した上で、自分が納得のいくであろう判断をして、言う言わないを選ぶ。
    (わたしとしては)しばらくの間、ここを信じるのみでしょう。

    沈黙にだって何通りもの世界観があり、わたしが思うには、これまで積み重ねたすべての人生経験(行動履歴や言語情報)のうち最低複数は相手と共通しているはず。

    この共通点がある限りは、沈黙もひとつの能動的なコミュニケーションと言えます。

    そんなわたしも欲しい言葉の言われ待ちをすることがあります。しかし、(態度に出して)常態化すると相手からすれば「ただの面倒くさい人」と認識され、しばらくはこびり付くような印象を持たれる。

    まあ、言い換えると"イタい人"です。

    今は何が最適なのか?
    お互い心地良いとされる距離の測り方は簡単ではないけど、それでも取り組み続けることで思考も感性も(より)豊かになる。

    現時点において、これを最適解として着地させては一時的に安心させているところです。

     
     
     
    思考(頭)・感情(心)・行動(体)を揃えた「三位一体」の自分軸で生きる 投稿数1000回達成後も止まらない毎日更新 つるむのはキライだけど、つながるのはスキ 日々のインプットとアウトプットで"わたしの人生哲学"を極める カオスな社会を泳ぐように生き延びる孤高のクリエイター

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