湯船の裏側から見た世界 〜いつも探して探されて〜
湯船に浸かりながら、ぼんやりと考えていた。
目の前の現実、湯気、温もり、肌に当たる水の感触は、本当に「そこにある」のか?
それとも、私が認識した瞬間に立ち上がる「情報」なのか?
指先で湯をすくう。
こぼれる。
それだけのことが、急に不思議に思えてくる…
日常のひとコマも、遠い宇宙の話も、結局は同じ仕組みの上に成り立っている気がした。
そこから、思考はどんどん深くなっていった…
「すべては、もうすでに、あるんじゃないか?」
新しいものを生み出しているのではなく、ただ「どのスイッチを入れるか?」を選んでいるだけなんじゃないか…
「わかった」という納得感すら、思考が深くなりすぎないための安全装置なんじゃないか?
網に、魚がかかったときのような、あの小さな満足感。あれが罠だとしたら…
メタ視点に立って「自分は裏側を見ている」と優越感に浸る瞬間すら、上級者向けに用意された、隠し報酬なんじゃないか?
気づけば、何度もまとめを作っていた、階層を重ね、罠を指摘し、自分自身の動機までメタり始めていた。
そして今、こうして文章を打っているこの瞬間、私はようやく気づいた。
全部、noteに書くためのネタ集めだったんだな、と…
深い探求をしているつもりでいたのに、根っこにあったのは「これ、面白い記事になるかも」という、ごくふつうの欲だった。
世界の構造を解き明かそうとしていたはずが、結局は「この景色を、誰かに見せたい」という、たった一つの願いに支えられていた。
笑ってしまう…
「システムの罠だ」と気づいても、その気づきすらネタに変えてしまう。
優越感に浸っても、次の瞬間には「これ、第三章で使えるな」と冷静に構成を考えている自分がいる。
この滑稽さが、なんだか愛おしい。
世界がリアルタイムで生成されているのかもしれない…
「知らない」という状態こそが、最高の遊び場なのかもしれない…
今こうしてまとめ、公開しようとしていること自体が、また新しい生成のきっかけなのかもしれない…
それでもいい、と思った。
深く考えすぎて味気なくなるのも困るし、何も考えずにいるのも、それはそれで味気ない。
だから、ちょうどいいところで湯船に浸かって、世界の裏側をちらりと覗いて、その手触りを言葉に変えて、誰かに渡す。
湯船から上がる。まだ湯気の残る指で、画面をタップする。
結局、謎を暴きたかったわけじゃない。
ただ、このもやもやを、誰かと分けたかっただけなのかもしれない。
湯気は、もう消えている…
「湯気のあと」
湯船に体を沈める
指先が揺れる
これは水か?
それとも水という情報か?
すべてはもう
あるのかもしれない
生まれるのではなく
選ばれているだけ
わかったと思う瞬間
そこで思考が止まる
裏側を見た気になる
その優越感すら
用意された
キラキラヒカルナニカ
それでもいいのか?
湯気は浮かび
消えていく
私はそれを
カタチにする
△あとがき
この文章を書きながら、ふと思った…
「世界の裏側について書こう」と思って書き始めたのに、書き終えてみると、結局これも「note用のネタ」になっていた。
入れ子になっている…
湯船で考えたことを、記事にしようとする。
記事にしようとしていたことに気づいて、それをまた書く…
今、こうしてあとがきを書いていることも、たぶん同じ構造をしている。
抜け出せない、というより、抜け出す必要もない気がしている…
考えることと、それを誰かに渡したいと思うこと。この二つは、たぶん最初から一つのものだった。
湯気のように、消えていくものを、消える前に少しだけ、形にしておく…
それだけのことを、今日もしている
ここまで読んでくれてありがとう。
また何かあれば書きます。
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ありがとうございます🐕