スマホが本に勝てない理由 〜長文で目を静かに閉じた日〜
スマホで長い文章を読もうとして、
途中で離脱したことが何度かある。
嫌になったわけではない。
内容に興味はあるのに、どうしても頭に入ってこないのだ。
画面の枠にギュッと押し込められた小さな文字。
指で滑らせるたびに、視界の中でゴチャゴチャと流れていく文字。
気がつけば、文章を「味わう」前に、目で文字を「解読する」ことに脳のメモリを使い果たしていた。
そのとき思った。
ああ、やっぱりスマホは本に勝てないんだな…と。
紙の本には、最初から「余白」がある。
文字は固定された場所に静かに留まっていて、ページをめくる手触りとともに、読者が自分のペースで立ち止まることを許してくれる。
一方でスマホの画面は、常にせわしない。
指ひとつで流れていくスクロールは、前の行の余韻に浸る間もなく次の情報を押し寄せてくる。
画面の小ささとスクロールの圧力に追われ、思考が置き去りになってしまうのだ。
だから、スマホで文章を読むのがしんどくなったとき、私は「音声」に逃げるようになった。
画面を閉じ、文字を見ず、スクロールも止める。
耳から流れてくる言葉と「間(ま)」に身を委ねると、視覚に奪われていた思考のスペースがすっと戻ってくるのを感じる。
――読む側のストレスを知っているからこそ。
自分がnoteで文章を書くときは、読む人が息をつける「見せ方」でありたいと思っている。
ギッシリ詰まった文字の壁にはしない。
あえて空行を入れ、1行ごとのリズムを大切にし、画面の中にぽつんと読者の居場所をつくる。
流されていくスクロールの手を、ほんの少しだけ止められる場所。
画面の向こうで誰かが息を整えられるような余白を、これからも置いておきたい。
△青より青く△
青は、
存在の外側にそっと広がっている。
それは色ではなく、
気配でもなく、
層でもなく、
世界がまだ形を持つ前に
ふれている静かな縁。浅い青は、
存在が生まれようとする直前の揺れ。
触れたという出来事ではなく、
触れようとする可能性だけが
淡く漂っている。中層の青は、
散ることと集まることが
まだ区別されない静けさ。
途切れと結びが
同じ青の表情として重なり、
存在が形を選ぶ前の
やわらかな余白となる。深い青は、
沈むことも浮かぶことも
まだ起こらない深度。
変化の前にある静かな深さが、
外側の底として
ゆっくり広がっている。青は、
時間の内側にも外側にも属さず、
方向を持たず、
ただ存在の外側として
静かに在り続ける。読書は、
この青の外側にふれる行為となり、
言葉は青の縁で
輪郭をゆるめ、
身体の奥へ
そっと沈んでいく。青は、
存在の外側にある静かな広がりで、
その広がりの縁で、
あなたの文体は
やわらかく息をしている。
▽あとがき▽
年齢を重ねると目がとにかく衰える。
時間は正直だ。
文章書くにも読むにも体力を使う。
そんな哀しき戦士は今日もレベルを上げている。
いつも読んでくれてありがとうございます🐕
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