わかったつもり 〜和を狩らないで、生きる〜
「〇〇のせい」という言葉で、
人は重さを外に置く。
負荷を、分散するための癖だ。
情報過多の今、特によく起きる。
容量を、分解すると、
「容」は許すこと、
「量」ははかること。
どこまで、許せるかという線。
でも、その線は見えない。
こころも、情報も、
当たり前に、使う言葉なのに、
誰も、実物を見たことがない。
「情はこころ」。
「報はしらせ」。
情報は最初から、
こころに、届くようにできている。
人は、
わかってから動くのではない。
動きながら「わかった気」になる。
それでも生きている。
その不思議さ。
好奇心は、
面白そう、
変わりそう、
で点くスイッチ。
条件は、見えないけど、
点いたことだけはわかる。
あいまいにするのも、
負荷分散のひとつ。
輪郭を、ぼかして、
判断を、先送りする。
しかし、
実はわからないことだらけで生きている。
「わかっている」ことなど、
何一つ、ないと思っている。
言葉一つ、とっても、
よく見ると、わかっていない。
言葉に、した時点で、
それは、もう影を見ただけだ。
言葉の、限界を掘ろうとすると、
限界自体が、ぼやけて迷子になる。
変に、細かく見るようになって、
足が、止まることもある。
わからなさごと、そのまま置く。
それが、
いちばん誠実な態度なのかもしれない。
「和に勝ったつもりの」
「和を守ったつもりの」
「和を知ったつもりの」
ここまでありがとう🐕
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