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息だけ吸って生きていたい

    最近、違和感を感じる言葉がある。

    「無理しないでね」
    「逃げてもいいんだよ」

    いや、最近というよりも正確には、
    朝井リョウさんの小説、『生殖記』を読んでから。

    「無理しないでね」
    「頑張り過ぎないでね」のような発言って、
    一見相手に寄り添っている優しい言葉に思えるけど、全然そんなことない。
    だって「無理すること」「頑張ること」を前提とした発言だから。

    これ、『生殖記』に何度も出てきた
    「生産性がない人なんていません!」
    という同性愛者を擁護するときの言葉と似ている。
    この発言もまた、異性愛者主軸の資本主義社会に貢献することが前提になっていた。生きていく上で人は、何らかの生産性に寄与することが求められているという証である。

    私たちは「頑張ること」を是とした社会で生きている。
    その証拠に「頑張る」という言葉を聞いたとき、ネガティブなイメージを持つ人はまずいないだろう。
    友人同士「頑張ってね!」と気軽に言うし、決意表明として「頑張る!」と言ってみたり、何となく締めの言葉として「頑張ります」を加えたりする。
    ポジティブな言葉としてしか使われない。

    何かしらの目標に向かって頑張ることは良いことで、素晴らしいことで、何かを成し遂げるためには当たり前。
    そこに疑問を持たせる人はほんの一部、哲学者くらいなものだろう。
    だからこそ、他人に対して何か声がけをする際には「無理しないでね」「休むのも大事だよ」みたいな言葉が出てくるわけだ。
    誰かが頑張りすぎて体を壊したときや、辛そうにしている友人を見たとき、またはSNSで鬱っぽいコメントを目撃したときなど。
    夢や目標のために頑張るのは良いことだし大事だけど、
    「頑張り過ぎちゃだめだよ」「時には逃げてもいいんだよ」という言葉をかけるわけだ。

    え?なんで?
    と私は思う。
    なんでそもそも「頑張る」を根底に生きていかなきゃいけないの?
    どうして頑張らないで生きていくことができない世の中なの?
    それは競争を基本とする資本主義社会だからだよ、と言われてしまえばそれまでなのだが、『生殖記』を読んでからというもの、私の中にはこんな反骨精神がポコポコと煮えくり返っている。

    ここで幼少期の自分自身が思い出される。
    私は物心ついてからというもの、自分の将来のことが不安でたまらなかった。5〜6歳になって母にしきりにしていた質問は、友達のことでも学校のことでもなく、
    「仕事はどうやって手に入れるの?」だった。
    怯える私の目を見た母は、びっくりしつつも真面目に答えてくれた。

    「りれきしょっていうものがあってね、面接をしてその会社に入れてくださいってお願いをするんだよ」

    私はその「履歴書」という単語を聞いて少しだけ、ほんの少しだけ安堵したのを覚えている。なるほど、そういうものを使えば会社に入れるのか、という方法を知ることができたから。

    今思えば、あのときから私は本能で察知していたように思う。
    この世界で生きていくためにはお金が必要で、お金を得るためには仕事が必要で、そのためには何かしら頑張らなくてはいけないのだと。

    学校に入り、将来の夢について答えないといけない場面が多くなった。
    道徳の時間や宿題の作文、みんなの前での発表。
    私は焦った。
    パティシエ、サッカー選手、お花屋さん、絵を描く人、料理人…
    次々に夢を口にするクラスメイトたちをみて、「私も何か言わないと」「夢を早く決めないと」と思った。
    早くなりたい夢を決めて、そこに向かって頑張るんだと。

    私がこれまでに抱いてきた夢は数えきれない。
    弁護士、洋服のデザイナー、学校の先生、ワインソムリエ、映画会社、女優、ピアニスト、大学教授…。実に目まぐるしく変わっていった。
    誰かに聞かれたときに、もしくは自問したときにすぐに答えられるように。
    私は夢を追いかけていて、それになるために頑張るんだ、と言えるように。
    だが、名だたる職業を口にするものの、いつも何かがしっくりこなかった。
    その仕事について調べれば調べるほど、本当に自分がやりたいことではないような気がした。そう思うと不安になって、また別の夢を探し始めた。

    きっと高校生になれば興味のあることが見つかる、大学生になれば目指したい方向性がわかる、留学に行ったら何かが変わる。そう信じて過ごしていたら、あっという間に大学を卒業していた。そして相変わらず、夢なんてものは私の前に現れてくれなかった。

    小さいときの将来に対する不安とは裏腹に、むしろ大きくなればなるほど変な落ち着きが増していったように思う。大学3年生になり、まわりが就活一色に染まっていく中、セミナーもインターンもガイダンスも私には全て他人事だった。焦り始める友人の顔を見ても、一緒になって慌てることはなかったし、むしろ平然としていた。
    だが、やりたい仕事も職種も、行きたい業界も特に何もないのはどうやら私だけではなかった。周囲の就活話を聞く限り、他のみんなもやりたいことが明確に見つかっているわけではないらしかった。私が他の人たちと決定的に違ったのは、「とりあえず就活」というのができなかった一点にある。興味もないような会社のHPを開いて、理念や実績や福利厚生を調べ、エントリーシートと呼ばれる書類を作成し、真っ黒なスーツを着て自分とはこういう者です、と面接に赴く。内定をもらえたらラッキー。落ちたら残念。
    どうしてもそれができなかった。そういうものなのだと割り切ってしまえればよかったのかもしれない。
    この世界には就職活動というものがあって、そこで合格したら仕事をもらえて、お金をもらえて、生きていけるんだと。それでいいんだと。
    みんなが就職先を次々と決めていく中、私は大学で学び、留学に行ってさらに一年勉強し、卒論を書いて卒業した。その後のプランは何も決まっていなかった。

    それでも卒業してから、一度は就職活動を経験した。
    きっかけとなったのは漫画家を目指す母だ。母の夢を応援するにあたり、新人コンテストだの持ち込みだのといった情報を漁っていたら、色々な出版社のHPが出てきた。見ていくうちに、気づいたら採用情報のページにある、編集者の働き方コラムを読んでいた。1日のスケジュール例や担当作品についてのエピソード、その作品の誕生秘話から出版までのドタバタ劇など云々かんぬん。ついには会社ごとのカラーやそれぞれの強みまで見えてきて、私はだんだんと出版社自体に興味を持つようになった。
    世の中に「面白い」を届ける仕事。作家に伴走する編集者。やってみてもいいかもしれない。それにもし私が出版社で働くようになれば、母の漫画家デビューも叶いやすくなるかもしれない。一石二鳥では?と。

    私はとても嬉しかった。やっと自分のやりたいことが見つかったような気がしたし、未来は明るいと思った。ついに追いかけたいものに出会えたんだと、そう思うことで就活のスタートを切ることができた。

    そして3〜4社ほどの某大手出版社にエントリーした。出版社はかなりの倍率だと聞いていたので、やるからには徹底的にやった。第一関門となるエントリーシートにはことさら時間をかけて何度も推敲し、Web能力テスト対策として数学やら漢字やらを練習し、面接で聞かれ得るあらゆる想定問題を作り上げて臨んだ。
    だがその甲斐も虚しく、あっさりと落ちた。本当に一瞬だった。最後に受けた一次面接のお祈りメールを見て、私は実にアンビバレントな感情を抱いた。
    ショックと安堵。悔しさと喜び。
    心の中は狐の嫁入り。さんさんと降る雨にピカピカの太陽が差し込んでいた。

    私は考えた。
    これは一体どういう感情なのだろう、と。
    私はたしかに一生懸命頑張った。その会社に入りたいと願い、あんなに気の進まなかった就活に自ら進んで取り組んだのだ。
    それに落ちてしまったというのに、私はなぜ安堵と喜びのようなものを感じているのだろう。
    私は一体何がしたいのだろう。
    面接に落ちて全てが白紙になったとき、私の中でひとつの恐ろしい答えが浮かんできた。いや、本当はとっくの昔に気づいていたことだったのかもしれない。

    それは、
    「頑張りたくない」だった。

    頑張りたくない。
    別に何もしたくない。
    頭の中に浮かんだのはこの言葉だった。

    ゆっくりと息だけ吸ってのんびりと生きる。それだけでよかった。
    頑張ったり何かを乗り越えたり、達成感を得たりして人生を過ごしたいなんてこれっぽっちも思っていないのだ。「頑張る」ことを肯定する社会やまわりの風潮に踊らされ、口車に乗せられ、夢を持たなければならないという強迫観念に取り憑かれていただけなのではないか。
    やりたいことなんてそもそも最初から何もなかったのかもしれない。そうした考えがすっと自分の中に降りてきた。今まで見て見ぬふりをしていた正直な気持ちを初めて直視したような、そんな感覚だった。
    誰にも何にも憚ることなく自分の気持ちと向き合った瞬間、ふっと肩の力が抜けるのを感じた。小さい頃から抱えていた将来に対するあの漠然とした不安。その正体が、少しわかった気がした。

    この「何もしたくない」という一つの答えは、人間社会で生きていくにはあまりに究極的な欲求だと言える。社会的動物である人間にとって「頑張る」ことはある種必然になっているからだ。小説の『生殖記』にも出てくるように、誰しもが社会や世のため人のために何かしらのことをしなければならない。何かしらの仕事をして、金銭を得て、経済をまわして生きる。そこには大小の差こそあるが、やはり「頑張る」ということがもれなくセットでついてくる。
    となれば、私の欲求「頑張りたくない」は生命維持をも脅かす発言となる。
    だからこそこの世界で生きていくために、私は物心ついて間もなくその原初的欲求に蓋をしたのだろう。きっとこのままではマズイと本能で察知したに違いない。

    通常は、夢を叶えるための手段として「頑張る」という行動を伴う。だが、どうも私の場合、この手段と目的が逆転していたと考えられる。つまり、「頑張る」ための手段として、夢を探していただけだったのではないかということだ。社会の仕組みの一つである「頑張る」ことを遵守し、自分もその型からはみ出ずに生きていかれるように、必死になって将来の夢を定めようとしていたように思う。
    とはいえ本心では何もしたくないのだもの、夢なんて見つからないはずである。夢どころか、とりあえず就活なんて発想にも至らないはずだし、受けた会社に入れなくても、良かったと安堵するはずである。

    何かを叶えるために努力し、学び、経験を積み、未知の世界に飛び込む。夢を叶えた後もまたその中で別の目標を設定し、新たな目標に向かって頑張る。苦しさや辛さを乗り越え、その中に時折のぞく楽しさや達成感のようなものに喜びを見出し、再び壁にぶつかる。人間関係で揉めたり、逆に信頼関係を築いたりしながらも日々自分自身と向き合い、今よりもっと、さらなる「より良い」を目指して頑張る。そういうことを繰り返していくうちにいつしか歳をとり、生涯を終える。

    率直に言って、恐ろしい。そして非常に面倒くさい。
    これは、私が求める「生きる」ことの極地にあると言ってよい。こんな風に体力的にも精神的にも負荷のかかる生き方を死ぬまで続けるだなんて、考えただけで失神してしまいそうだ。
    自分を成長させるだとか、試練を乗り越えるだとか、さらなる向上だとか、ぶっちゃけ本当にどうでもいい。

    だが世間一般の認識は違う。私のように面倒くさいの一言でそれらを片付けはしない。
    上述した一連の生き方を、人の一生としてある種当然のものだとみなしている。それが人間たるものの人生であり歴史であり、文化であり物語である、という風にむしろ美化されているようにも感じられる。いわゆる「人間ドラマ」というやつだ。

    そのような人間賛美社会で、頑張らずに生きていくことは果たして可能なのだろうか。
    一つ考えられるのはお金持ちだ。自分が働かなくとも遺産や不労収入、何らかの財産などでニート生活を送れる人たちが挙げられる。もちろんニートはニートなりの悩みやストレス(家族関係とか?)があるかもしれないが、少なくとも労働という「頑張り」からは逃れられる。
    だが一生働かずに食べていける人などそうそういないだろう。残念ながら、私もそれには該当しない。

    それを踏まえると、やはりこの資本主義社会で生きるには何らかの「頑張り」を要する労働をしなければならない、ということになる。この時代、この地球という惑星の日本という社会で生きていくには、どうしたって頑張ることは避けられない運命にあるようだ。
    ならば、せめてその頑張りを最小限にして生きられる道を探すより他にない。頑張ることを好む社会と頑張ることを好まない私の折衷案、いわゆる落とし所というやつだ。
    一番自分にとって負荷の少ない頑張り方で金銭を得られる道を探す。
    そう、何を隠そう、これこそが今の私の最大にして最小の夢。どうせ何かを頑張らなくてはならないのなら、少しでも自分にとってマシな方法でお金を稼ぎ、生きていく。

    これは今まで私が抱いてきた夢や目標の中で、自分史上最高にしっくりくるスローガンである。23歳になった現在、やっと自分の中で納得のいく答えをつかんだのだ。長くて暗いトンネルの穴からついに抜け出すことができたと感じている。とはいえ今後の生きる指針が定まったというだけで、実際に収入を得るための具体策が見つかったわけではない。そこはまだまだ模索中である。
    だが少なくとも、幼少期から抱えていた「頑張るための夢」という呪縛からは解放された。それだけで十分、今の私は楽に呼吸ができている。

    頑張らずに生きるという私の夢。
    その夢に近づくための小さな「頑張り」を、ここに込める。


    北風アリア






     
     
    23歳 童話やエッセイを書いたり、翻訳コンテストに挑んだりする今日この頃。 ここでは、アルバイト先のことや、漫画家になりたい母との暮らしのことなどをつづっています。 母のPixivはこちらから https://www.pixiv.net/users/75575377

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