自分のセックスについて考えてみる。
性、性愛、セックスという言葉を見ると、息を飲む。
自分で発する時には一呼吸おいて、丹田にグッと力を込めて発言している。
私にとってセックスって、なんだったのだろう。
生まれて四十三年経つが、一七歳の初体験以降、子供を産む三十五歳までの一八年間、私は何の疑問も持たず、自分が求め、そして相手に求められるがまま、断続的にセックスをしてきた。
しかし、子供を産んで八年が経ち、今はすっかりセックスのない生活が板に付いている。
夫婦間のセックスレス。
これを今、私は心地いいと感じている。
十七歳以降、あれほど重視していたセックスって、なんだったのでしょうか?
恋愛に必要不可欠だと思っていたセックス。では今は誰とも恋愛をしていないということ。
ヘテロセクシャルである私は、物心ついた時から男性を意識し、魅了されたり、魅了したいと思いながら生きてきました。「モテ」や「愛され」という言葉が何かしらの特権・切り札のように振りかざされ、女性の私は「モテ」、「愛され」る存在であるべきだと信じて振る舞ってきた。
そしてそれを分かりやすく、一時的に享受できる(そんな気分になれる)のが、私にとってセックスだった。
昔、あれだけ重要視してきたものが、今の生活に存在しないことを快適だと感じているのはなぜか。
そもそも、私のセックスに対する意識はいつ、どこで培われたのか。
私は誰のセックスをお手本にしてきたのか。
なぜ、今、セックスをしなくなったのか。
またいつかセックスをする時は来るのか。
子供の時の性の目覚めから、セックスに対して躍起になる時期。そしてそれらが手からこぼれ落ちたことで訪れた穏やかな日々。まるで四季(季節に置き換えると、今はまるで秋の黄昏)のようにも思える、私のセックス史について、考えてみたいと思う。