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【歎史小説】寧らかの波 第二章3「挢奞 貎様こそ、民族の裏切り者ではないか」


ここたでのあらすじ

 16䞖玀。
 異囜の血を匕く楠葉くすば入鹿いるかは、淡路囜あわじのくにの沌島ぬしたで育おの芪ゞむや幌銎染おえいず穏やかに暮らしおいた。
 ずころがある日、突劂ゞむに襲われ、ずっさに反撃しおその呜を奪っおしたう。
 同時に沌島は歊士の船団に囲たれ、管領かんれい・现川ほそかわ高囜たかくにず矎貌の明囜みんこく人・宋玠卿そうそけいが珟れる。
 か぀お现川の戊友だったゞむは、䜏民の呜ず匕き換えに、剣の技を授けた入鹿を差し出す密玄を亀わしおいたのだった。
 連れ去られるように故郷を離れ、宋玠卿ず行動をずもにするこずになった入鹿。果たしお圌を埅ち受ける運呜ずは  

本線


    䞉

 倜ばかりは、どこも等しく暗い。
 ただ䞀際高い土塁の䞊では、棟門の巊右に篝かがりが二぀焚かれおいる。寝ずの番士もぎくりずも動かず、やはり抜き身の薙刀を捧げ持ち続けおいた。 
「たさか、あそこぞ突っ蟌もうっおいうんじゃないんだろうな」
 入鹿の小声に玠卿は答えもせず、怹野川ふしのがわの暗い流れ沿いに、通の裏手ぞ回る藪を掻き分けおいった。
 尖った芒すすきの葉先が、ちくちくず頬を刺しおくる。
「戌いぬ䞉぀午埌八時過ぎからは、倖を出歩くこず自䜓が犁制だ。今ここで䜕者かに芋぀かるずいうのが、実は䞀番危うい」
 そう蚀いながらも、自分の口ばかりはおんで閉じようずはしない。
「今ずなっおは、宗蚭犅垫が矩興の兄の垫であったこずなど、憶えおいる者もほずんどいない」
 入鹿ず平䞃は、その背䞭を黙っお远いかけおいった。
「名望高い明囜人の僧にずっおは、人生のほんの䞀こたに過ぎなかった。だがそんな些现なこずが、圓人にずっおは抜けない棘ずなっお䜕十幎も匕っかかり、やがお䞻家を揺るがすほどの行いをさせるこずになる」
「こんな時くらい、お声を䜎うしおくだされ、宋殿」
 平䞃は、ほずんど泣きそうな声で懇願しおいる。
「しかし俺たちが、巚䞇の富に倉わる割笊を盗み出すなんお、本圓にできるんだろうな」
 入鹿は、垯に差した打刀の鞘を煩わしく感じながら、梢を螏む足音にも気を぀けおいた。
「今さら疑うなよ、瓢箪頭 か぀お播磚守護赀束氏の遺臣たちは、南朝吉野よしのの行宮あんぐうから、芋事神璜しんじを盗み出しおみせたず聞くぞ。たかが玙切れくらい、我らに盗み出せないはずがあろうか」
「割笊っおのは、玙なのか」
「お前が考えるのより、ずっず倧きいだろうがな」
 玠卿は目の前の茎を払う぀いでに、䞡肩の幅たで腕を広げおみせた。
「宗蚭犅垫が、䞇事取り蚈らっおくださっおいる。長い時間をかけ、通の家人けにんたちも手懐けられたずいう話だ。䜕せ、亀易の利の分䞀を匕き枡すずいう契玄だ。あの老人、逃れた先の豊埌で、きっず䞋にも眮かれない扱いを受けるぞ 倧友の家を壟断ろうだんし、やがおは尊光を介しお倧内も、ずいう腹づもりなのかもしれんな」
 裏手の氎堀に、玠知らぬ顔で小さな竹筏が浮かんでいた。
 螏んで確かめおみるず、二人乗るのが粟いっぱいの様子だった。たず玠卿ず平䞃が乗っお察岞ぞ行き、平䞃がそのたた垰っおきお、次に入鹿を乗せお枡った。
「足元は倧䞈倫か、楠葉」
「ああ、平䞃さん」
 土塁の坂を登り、土塀の間の目立たない板戞に玠卿が手をかけるず、軜々ず匕き開けられた。
「これも手筈通りだ。抜かりはないようだな」
 よく晎れた倜空の䞋で、口元の笑みが䞉日月のように芋えた。
 通の敷地内は、倖に茪をかけお暗かった。裏庭を斜めに暪切り、履物のたた抑瞁くれえんぞ䞊がる。入鹿はただ、前を行く足音を远いかけおゆくばかりだった。
 元より、自分は䜕かがあった時のための甚心棒に過ぎない。䜕事も起こらなければ無甚の付き添いだが、もしそうでなければ、ここでわけもわからないたた呜を萜ずすかもしれない。
 庭を取り巻く䞭廊ちゅうろうを回っおいった。奥の母屋の蔀戞しずみどは、びっしりず揃っお䞋ろされおいた。が、端の遣戞やりどにそっず手をかけるず、やはり音もなく暪ぞ滑った。
 䞭はさらに色濃い闇だった。
 ず思ったが、奥に灯皿ほざらが䞀぀だけ立おられおいる。荏胡麻油の焊げるにおいがかすかに挂っおいた。
「割笊は、塗籠ぬりごめの䞭だ。あずであの灯明を蹎倒し、通ごず燃やしおしたえ」
 玠卿の冷酷な声ばかりが、耳の奥にこびり぀いおきた。
 衣ずれの音だけに埓っおゆく。足元には畳が敷き぀められおいた。さらに奥の劻戞を開けるず、窓のない土壁の郚屋の床に、脚぀きの朚箱や几垳きちょう、葛籠぀づらなどが䞊べられおいた。
 玠卿は壁際ぞしゃがみ蟌み、闇の底でしきりに手を動かしおいた。
「錠も開いおいる。どうやらあったぞ、これだ」
 折りたたたれた玙の束を䞡手で掲げ、同時に立ち䞊がった。
「東隅の小唐櫃こからび぀の内。党おは犅垫が前もっお話しおおられた通りだ」
 塗籠を出お、灯皿のほのかな明かりの前で䞀枚目の折り目を開いおいった。確かにどんどん倧きくなっおいく。四、五回も開くず、ほずんど畳䞀畳ぶんくらいの広さになっおいた。
 その裏偎に、倧きな挢字が䞉぀曞かれおいた。
 王八蛋
 ずあった。
「どういう文字だ、これは」
 入鹿は䜕気なく尋ねおみた。が、玠卿の暪顔は血色を倱っお青耪め、小刻みに震えおいた。
「草泥銬ツァオニヌマヌ」
「䜕だっお」
 背埌で硬い足音が聞こえた。
 振り返るず、劻戞から二぀の人圱が母屋ぞ入っおこようずしおいた。倧柄な盎垂烏垜子の男ず、小柄な僧圢の老人だった。小さな方には、今日の昌間たで顔を合わせおいた芚えがある。
「宗蚭犅垫」
 盞手は、呌びかけには応じなかった。代わりに倧男の方が、足元を震わせるような䜎い笑い声を立おた。
「こすからい倧陞の錠は、こうもわけなく眠に匕っかかるず芋える」
 嚁厳に満ち溢れた壮幎の男だった。倪い眉が逆立ち、倧きくはないが燃えるような䞡の県が、こちらを睚み返しおいる。
「宋玠卿。いや、寧波人の朱瞞しゅこうず呌ぶべきかな。遣明䜿ずしお宊官かんがんに取り入り、錊衣衛きんいえいの飛魚服ひぎょふくを埗たほどの才人ず聞いおいたが、あにはからんや。やっおいるこずは、無孊無才の盗賊ず倉わらん」
「貎様は」
「巊京倧倫さきょうのだいぶ矩興である。我が通ぞようこそ、そしお、高囜の犬に成り果おた賊よさらば、だ」
 入鹿は、暗闇の向こうぞ目を芋匵っおいた。
 これが、足利公方の四倩王最埌の䞀人、倧内矩興。
 ゞむや现川高囜ずずもに戊い、今では唐船の富を独占しお、この囜の倩䞋を掌握しようずしおいる男。
「入鹿」
 玠卿は出䌚っおから初めお、こちらの名前を呌んできた。
「逆に考えるんだ。あれが本物ずいう蚌はないが、倧将銖だ。あい぀をやれば、こんな戊いだっおすぐに終わる」
「本圓か」
 そんなに容易たやすい話なのかず、咄嗟に疑われた。
「私たちも戊う。が、今はお前の力だけが頌りだ。たった二人でこの堎に珟れたこずこそ、勿怪もっけの幞い。お前の剣術で、どうにかあい぀を斬り捚おおくれ」
「埅お。目に芋えるのが二人だけだずしおも、他にいないはずがないだろう。あい぀を斬るより、血路を開いお逃げるこずを考えた方がいいんじゃないのか」
「そこの童の方が、よっぜど理に適った考えをしおおるぞ」
 倧内矩興は、暗闇の䞭で䞍釣り合いなくらい、明るく哄笑した。
「しかし今ここにいるのは、たこずに我ら二人のみだ。身䞀぀で駆け戻っおきたのでな。家臣も軍勢も、みな安芞あきの陣ぞ残しおきおおる。そうでもしなければ、ちょろちょろず目障りな现川の錠はあぶり出せたい。その甲斐はどうやら、あったようだな」
「敗れたり、倧内介」
 玠卿は、無理に勝ち誇るような声音で応じた。
「この者は畠山卜山の匟子、倩䞋無双の陰流の䜿い手だぞ。いくら十䞇の軍勢の総倧将ずはいえ、刀の斬り合いずなれば達人には敵うたい。我らを䟮ったのが、仇あだずなったようだな」
「ほう、卜山殿の」
 西の芇者は銖をかしげながら、顎髭を撫で回した。
「面癜い。そなた、名は䜕ず申す」
「楠葉入鹿」
「おい、答えるこずはない」
 玠卿が甲高い声で口を挟んだ。
「楠葉、  聞き芚えがあるな。それに、その面立ち。思い出したぞ、赀沢あかざわ宗益そうえきの功だったずかいう、顔の半分が厩れた女の息子ではないのか」
 母が矩興ず察面した堎に、幌い入鹿は居合わせなかった。ちょうどその間、堺の商家ぞ預けられおいたのだ。
「父のこずを、知っおいるのか」
「盎に盞たみえたこずはない。暎虐この䞊ない倧将だったずは聞くがな。わしなどよりも、卜山殿の方がよほどご存じであろう。あれほどの奜敵手同士は、たたずないずいう話であった」
 確かにそうだ。
 どのように母を扱った男だったずしおも、父のこずを、もっずゞむに蚊いおおけばよかった。
 おのれの䞭に残る父の圱を、芪しく感じおいる぀もりでいながら、心のどこかで避けおいたのか。い぀か詳しく尋ねられるず考えたたた、先送りにしおいた。そしお結局そんな時はやっおこないたた、ある日突然、党おの終わりが蚪れた。
「そなた、そこの間抜けや暩柄ずくの现川などは捚おお、このわしに仕えぬか。わしは謀略家の高囜ずは違い、卜山殿をたこずの歊士ずしお畏敬しおいた。その逊子ずあれば、圓家で厚く遇しお進ぜようぞ」
 入鹿は思わず、玠卿の方を振り返った。
 小さくなった瞳を震わせ、明らかにうろたえおいる。たさか矩興本人が目の前に珟れ、自分を匕き抜こうずするなど、考えもしおいなかったのだろう。
 もし本圓にそうしたら、䞀䜓どうなるのか。玠卿ず平䞃の呜は、きっずここで終わるだろう。だがしかし、他の䞀切のこずは。 
「沌島の者たちの呜を、人質に取られおいる」
 おえい。
 きっず生きお垰るず玄束した。
「いかにも、高囜らしいやり口だ。しかしそのような小島、そなたがこちらぞ来れば、我ら倧内の船団がたちたち攻め取っおくれる。案ずるこずはない」
「入鹿、それは噓だ」
 玠卿は気忙しく口を挟んだ。
「奎らの船団は、淡路の瀬戞たでは入っおこられない。それに、山陰で尌子あたごず合戊を繰り返しおいる倧内が、今は现川たで敵に回せるはずがない。お前をたばかっお、この堎を切り抜けようずしおいるだけだ。結局はお前の同郷の者たちが、皆殺しにされおしたうばかりになるぞ」
「舌先䞉寞め そうやっお順倩府の宊官連䞭をもたぶらかしたのであろう」
「だけど」
 入鹿の胞の内には、もう䞀぀別のこずが蟠わだかたっおいた。
「だけど、ゞむを殺したのは俺なんだ。俺はその眪滅がしをしたい。それが今は、こうやっお戊うこずなんだ」
「そなたは間違っおいる」
 矩興は、ぎしゃりず蚀い切っおのけた。
「お前に卜山殿を殺させたのは、他でもない高囜なのであろう。そんな仇の片棒を担いで䜕ずする。心の眪を衝かれ、操られおいるだけだずわからんのか」
「入鹿、私は右京兆殿ずは違う。たるで別の思いがあるのだ。生き残るこずができれば、それを党おお前に話そう。だから今は、私ずずもに生きおくれ」
「おれからも頌む、楠葉。短い間かもしれないが、おれたちは道連れだったじゃないか」
 平䞃も声を揃えおきた。
 その時、䜓の内で熱く煮えたぎるものがあった。血なのか。悪鬌の劂き猛将であったずいう、䌚ったこずもない父の呌び声なのか。
 入鹿は刀を抜き攟ち、目の前の男に向かっお、八盞はっそうに構えた。
「俺はお前を斬る、倧内矩興」
「わからぬ奎よ。自らの手で、おのれを瞛り぀けるか」
 ずたんに背埌で、打っお倉わっお甲高い笑い声が響いた。
「よしよし、よく決心した いかに歎戊の歊将ずは蚀え、兵法にたで長けおいるずは限るたい。たしおや、䞀察䞉だ。お前の呜こそここで終わるのだ、倧内介」
 玠卿ず平䞃も、同時に埗物を抜き攟぀のがわかった。
「䞀察䞉だず 䜕か勘違いをしおいるのではないか」
 矩興は、むしろ萜ち着き払っおいる。䞍気味なたでの䜙裕だった。
「総倧将のわしは、決しお倪刀など振るわん。そなたらを片づけるのは、こちらの䞊人のお圹目よ」
「なに」
 傍らに立぀小柄な老僧のこずを、ひずずき誰もが忘れおいた。呜の取り合いになるような堎面では、そもそも人数に入らない。あの貧盞な䜓栌では、そう思われおも仕方なかった。
「寝返り者の坊䞻などが、䜕の圹割だずいうのだ」
 玠卿は嘲笑を济びせ぀぀、癜刃を手に前ぞ出おきた。
「宗蚭、芋䞋げ果おたぞ 倧護院尊光ぞの思いを語っおいたのは、䞀䜓䜕だったのだ。貎様の忠矩ずは、癜々しく口先で転がせる皋床だったのか」
 盞手の僧は、銖を真䞋ぞ折り曲げ、反察に肩を盛り䞊がらせお、咜むせび泣くように䜓党䜓を震わせおいた。
「忠矩 忠矩ずは、  䞻人に察するものでありたしょう。寝返り者なぞ、心倖な。  たこずに倧内介様の勘合を売り枡しおおった方が、よほど  忠矩に欠けおおろうぞ」
「玠卿、䜕か様子がおかしいぞ」
 入鹿は、蚀いようのない殺気を感じおいた。肌が怖気をふるい粒立っおいる。目の前にいるのは、もはやあの分別臭い老人ではない。䜕か別の生き物が、その小さな䜓ぞ入り蟌み、内偎から食い砎ろうず悶え苊しむかのようだ。
「貎様、  宋玠卿、いや朱瞞。垝宀の末裔を詐称し、倭人に取り入っお利を貪り、倩朝の南海を切り取らんずする䌁お、ずうに知れ枡っおおる。  挢奞ハンゞェン 貎様こそ、民族の裏切り者ではないか」
 喝かっ、ず芋開いた目を䞊げるず、血溜たりのような赀さに凶々しく染たっおいた。
 口の端から泡を吹き、眉䞘や頬骚が盛り䞊がっおいる。そればかりではない。腕や腿が隆々ず筋を立お、背骚を䌞ばした肩幅すら、別人のように厚くなっおいるではないか。
「シャアアアアヌッ」
 蛇のように長い舌をくねらせ、぀ばきを吐き散らした。背に負っおいた金砕棒かなさいがうを手に取るず、月の茪のような円を描いおみせた。
「倧明囜皇垝陛䞋の名においお゚、今この堎で、審刀を䞋しおくれようぞオ。ンン〜、党員死眪む」
「䜕なんだ、こい぀は」
「もしかしたら、『西の酒呑童子』じゃないのか」
 ぀ぶやいた平䞃の方ぞ、異圢の僧はいきなり飛びかかっおいった。ああッ、ず声を出す暇もないうちに、星の぀いた金砕棒が振り䞊げられ、脳倩からその頭を叩き朰した。
「平䞃さん」
 腐った果実のようなものが、目の端で血を吹き䞊げおいた。
 残された䜓だけが、刀を構えたたた立ち尜くしおいる。が、すぐに力なく手の䞭の柄を取り萜ずした。抜き身の刃が畳の藺草いぐさぞ突き刺さる、小気味よい音が聞こえた。
「シャアアアアヌ」
 こちらのこめかみを狙っおきた金砕棒を、入鹿は咄嗟に持ち䞊げた刀の鍔぀ばで、すんでのずころで受け止めた。
 金の匟ける音がしお、互いに飛びすさる。すさたじい力だった。
 鉄棒はすぐさた、反察偎から持ち䞊げられお返っおきた。それを斜め前ぞ転がっお避ける。盞手は間髪入れず、さらに远いかけおきた。真䞊からたずもに振り䞋ろされおきた埗物を、暪に構えた刀の䞊身かみで受け止めた。刃が欠けたのがわかる。䜕ずいう圧力だ。
 顔の䞊に、血走った県がある。こがれおくる唟液。腐った肉のような口臭。たるで狂った野犬だ。少なくずも老人の力ではない。䞀䜓䜕が起こっおいるのか。
「ハアッ」
 気合ずずもに息を吐き出し、総身の力を蟌めお盞手を抌し返した。そのたた䜓圓たりしお突き飛ばす。あたりの勢いに驚かされおばかりいたが、小柄な目方そのものは倉わっおいないらしい。
 入鹿は䜓の向きを倉えた。握りしめおいた刀を、惜しげもなく倧内矩興の方ぞ投げ぀けた。䞍意を衝かれた盞手は、さすがに身をかがめおそれを避けた。
「玠卿、逃げるぞ」
「䜕っ」
「四の五の蚀わずに走れえ」
 劻戞の方ぞ駆け出す。どうにか母屋から倖ぞ飛び出せた。本圓に、呚囲には誰も詰めおいない。芇者らしく自信を持ち過ぎおいたのか、やはりこちらを芋くびっおいたのか、いずれにせよそれが救いになった。
 振り返っおみる䜙裕もなかったが、玠卿もあずから远いかけおきおいるのが、足音でわかった。
 しかし、䞀぀ではない。
「シャアああアヌッ」
 暪目で窺えたのは、䞡手䞡足で簀子瞁から飛び䞊がる僧の姿だった。月䞋にぬらぬら光る刃物を口に咥えおいる。あれでは本圓に、野生に駆り立おられた獣ではないか。
 入鹿は、懐に手を差し入れた。指先に觊れたのは、八寞の短刀。黒挆金繩巻の拵えだ。
 咄嗟に立ち止たり、螵きびすを返すず、そのたた走っおきた玠卿がこちらを远い抜いおいった。すれ違う時に「えっ」ず小さく぀ぶやいおいた。
 逆手に握った短刀の鞘を抜き攟ち、狂った僧の方ぞかえっお螏み蟌んだ。
 蝶番ちょう぀がいのように腰を回転させながら、すれ違いざたに顔面ぞ斬り぀けた。
「ギョワワワアヌッ」
 浅たしいほどの悲鳎が響き、盞手の䜓は埌方ぞねじれ飛んだ。
 口に咥えおいた刃物が宙を舞い、月明かりを集めお茝いた。入鹿はその行く末も芋定めず、再び背䞭を向けお走り出した。
 裏の土塀の手前で、ようやく玠卿に远い぀いた。息を乱しながらも、血の気の倱せた顔色は倉わっおいない。
「結局、割笊を奪うこずはできなかった」
「䜕を蚀っおやがる。呜あっおの物皮だろうが」
 板戞は閉じられおいたが、短刀の柄頭぀かがしらで閂かんぬきを叩き壊しお開けた。二人しお抌し合うように倖ぞ飛び出しおいく。
「矩興を蚎ち果たしおいれば、充分にお釣りが来た。せっかくの倧将銖を、目の前にしおおきながら」
「それならば、さっさず自分でやっおおけよ」
 こんな時でも枛らない口数の倚さに、入鹿はさすがにあきれ果おた。平䞃の気持ちが、今やっず本圓にわかった気がした。
「今の俺じゃ、あの怪物坊䞻ずたずもにやり合っおも勝おない。ゞむずはたるで違うが、実際に斬り合っおよくわかった。平䞃さんだけじゃなく、俺たちもあそこで死んでいたぞ」
 枡っおきた竹筏は、呚到に氎堀の底ぞ沈められおいた。
 入鹿は躊躇ためらいもせず裞になり、堀の䞭ぞ飛び蟌んだ。晩秋の氎は凍るように冷たい。が、あれこれ文句を蚀っおいる暇などなかった。
 泳ぎ枡っお向こう岞ぞ䞊がっおも、玠卿はただ氎蟺でぐずぐずしおいた。
「䜕をしおる、早くしろ」
 こちらが苛立たしくなるほど戞惑っおから、玠卿も同じようにした。
 入鹿は驚いた。
 月明かりの䞋で小袖を脱ぎ捚お、薄衣うすぎぬの䞋に透かし芋えたのは、䞡の乳房こそ切り取られおいたが、玛れもなく女の裞だった。

第䞉章ぞ続く

いいなず思ったら応揎しよう

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