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【エッセイ】新人賞と私〜オール讀物歴史時代小説新人賞 休止によせて

    今週、界隈では衝撃のニュースが流れました。

    「オール讀物歴史時代小説新人賞、今年度の第105回をもって休止」

    歴史時代小説に特化している、ということがまずもって、この時代に希少。
    しかも大メジャー、オール讀物。
    幾多の大作家を生み出してきた伝統を引き継いでいる。
    それが次回の応募も待たずして休止。

    思えば第101回から、「歴史時代小説新人賞」と装いを変えた時、私は怖いもの知らずにも思ったものです。
    「これは自分のための賞だ」と。
    まだ「歴史時代〜」になる前に、他ならない南北朝時代の歴史小説で、最終候補の手前まで通過した経験があったので、なおさらでした。

    しかしもちろん、そうはならなかった。

    最初は確か80枚、最後は100枚。
    この長さで、一本の歴史小説を仕上げることの難しさ。
    しかも体裁の問題で、原稿用紙換算では100枚に収めていても、応募フォームでは実質70枚ほどに減らさなければ収まらない、という問題にも苦しめられました。
    泣く泣く削りたくない部分を削ったり、改行を一つ一つ、血を絞るような思いで修正したり。
    そんなつらい思い出ばかりです。

    かつては朝日時代小説大賞、というものもありましたが、それも廃止されて久しい。
    歴史小説はまさに冬の時代、と言うしかないのでしょう。

    だからこそ、新たな視野、新たな資源が必要だと、私はずっと思っています。
    限られた戦国と幕末、要は司馬遼太郎先生の遺産を食い回しているだけでは、先細りになるのも当然。
    いい加減、飽きが来ます。
    本来、歴史はものすごい未知のエンターテインメントのはずです。
    初めて光栄の歴史シミュレーションゲームに触れた時の感動。
    あの時、一体どれだけの武将のことを詳しく知っていたか。
    それでも、何も知らなくても、とてつもなく胸躍り、わくわくした。
    十時間でもぶっ通しで夢中になった。
    そんな感動は、絶対にまだまだ残っているはずです。
    私、大純はるは、今でもその感動をずっと追いかけ続けている。
    これからもずっと、追いかけ続けるでしょう。
    歴史という未踏の大地を踏みしめる感動を、みなさまと共有できる日まで。

    ノエル・ギャラガーは言いました。
    「結局のところ、自分が奴らのところへ赴くんじゃなく、奴らを自分のところまでファッキン来させるんだよ」

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