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Photo byurbansoulrelax

DJだった父へ

    僕の父はDJだ。

    会社員だったが、一念発起してDJになった。

    僕が小学生の頃、父は会社をやめ
    リビングのとなりにある和室を改造し、そこで働いていた。

    薄いふすまで仕切られた部屋から、父が録音している音が聞こえていた。

    父はラジオのDJだった。

    ターンテーブルを回すタイプではなく、地元の小さなコミュニティfmで地元情報を発信するラジオ番組をやっていた。


    父がラジオDJを始めたのは、東日本大震災のすぐあとだ。
    我が家は震災の被災地だ。

    「地元をもっと元気にしたい」
    その想いで、40代半ばで一念発起したようだ。
    被災した地元で頑張っている人たちを紹介する番組を放送していた。

    個人スーパーの店長や地元の人しか知らないような企業を尋ねて取材して、ラジオにのせていたらしい。
    毎週取材に行き、ゲストの話を聞き、番組を続けていた。


    しかし、ラジオは儲からない。
    5人家族の僕らの生活は、父のDJ収入では成り立たない。
    復興事業として助成金が貰えているうちはやっていけたみたいだが、長くは続かず、
    3年程でDJをやめて、別の仕事をするようになった。


    そんなこともあり、我が家はあまり裕福ではない。

    それでも先生になりたかった僕は、奨学金をかりて大学に通い、なんとか教員免許をとった。

    奨学金は今でも返している。
    あと、数年残っている。

    借りた奨学金のほとんどは、生活費に消えた。
    授業料を払うために、バイトに明け暮れた大学生活だった。

    たまに、家庭の経済状況によって授業料を免除する制度に救われたこともあった。


    授業料が免除になる際は、いくつか書類を書かないといけない。その書類には成績に加えて、家庭の収入を書く欄がある。

    書類に書くために、親の確定申告を送ってもらい、その時初めて父の年収を見た。

    当時は
    「こんなもんなんだ」
    と深く考えもしなかった。

    しかし、ある程度生活にかかる費用がわかってきた時、あの数字を思い出す。


    生活が成り立たないと思う金額だった。


    そういえば、高校生くらいの夏休みに、二歳年上の兄と父が、同じ居酒屋で働き始める。ということがあった。

    当時の僕は何も考えずに、父と兄が二人揃って夜遅くに車で帰ってきて、時々アイスなんか買ってきて、母に怒られているのを眺めてた。

    そういえば、休みの日はBOOKOFFで立ち読みして、おばあちゃんの家に行くことが多かった。

    そういえば、洗剤とか日用品は、じいちゃんがパチンコでとってきた、どこのメーカーかよくわからないものを使っていた。

    きっと、裕福ではないが、両親が大いに生活を工夫していたのだろう。


    お金がかからないから、ラジオもたくさん聴いていた。今では生活時間のほとんどでラジオをつける、立派なラジオジャンキーだ。

    大好きなラジオ番組やパーソナリティは色々あるが、「ラジオ」と言われて思い出すのは父の姿だ。

    きっと、このnoteが、父の目にとまることはないだろう。

    面と向かって父に言うのはどうも、難しい。

    でも、有り難い気持ちはある。

    DJだった父へ。

    ありがとう。

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