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Photo byhoho8888

たおやかな うたた寝

    外を歩いていると、不思議と道を尋ねられることが多い日常です
    最初に尋ねられたのは、たぶん高校生の時だったと記憶しています

    何故そこまで覚えているかと云えば
    尋ねてくれた人が「外国の方」だったからです
    今から半世紀前の「道を歩く外国人」は
    そうそう会えるものでもなく
    ましてや高校生の私に道を尋ねてくれるなんて
    私にとっては青天の霹靂でした

    その頃の英会話力なんて皆無ですし
    聞き取りもままならず、身振り手振りは当たり前
    やっとの思いで「たぶん地下鉄を聞いてるんだ」と理解出来たのですが
    申し訳ない事にそれは、やり取りの後半戦でした

    そこから「急いでいる」だの「何線の地下鉄」だの
    余計に解らなくなるような事を話しながら、結局は安心の「ポリスステーション」を伝えて
    挙げ句の果てに「一緒について行く」という荒行に出たという思い出です

    そして現在の家に引っ越す前にいた所は、随分と長く住んでいたので
    何を聞かれても殆ど答えられていたせいか
    私の道行く顔には「余裕」が、あったのでしょう(それとも「スキだらけ」だったのでしょうか?)
    道を聞かれる機会は、右肩上がりなのでした

    さて逆に、もし私が誰かに道を聞くとしたらどんな人に尋ねるだろうか・・・と考えてみたところ

    まず出来るなら同性で、目を伏せていない人
    ユニフォームではなくて、カジュアルな出立ちの人
    気配だけでも機嫌良さそうに歩いている人
    つまりは「ものを頼みやすそうな雰囲気の人」だと考えました
    行き手を阻んでも無視も拒否もせず「安心そうな人」です

    さて最近、インポスター症候群という言葉を知りました

    ☘️仕事や学業で客観的に成功・達成しているにもかかわらず、「自分には実力がない」「周りをだましている(詐欺師・ペテン師のようだ)」と感じ、自分の能力を認められない心理傾向です。昇進や成功を「運やタイミングのせい」と考え、いつか実力がバレるのではないかと不安を抱えます☘️という意味合いでした

    専業主婦や正社員の共稼ぎ主婦よりも
    パート形態で仕事をし、家事育児も担う兼業主婦の方が、これを感じやすいらしく
    社会での立ち位置が、正規雇用ではないと云う「負い目」や
    家事や育児の場面でも「誰かや自分の期待に応えなくては」と云う観念が
    作用しているそうです

    「たとえ正規雇用で地位を得ても
    失敗すれば「やっぱり女性だから」と言われ
    成功しても、ダイレクトにその能力を評価されにくいという現実
    これも要因のひとつです・・・」との見識もありました

    例えば自分の近しい人や家族には、どんなに上手く行かなかった場面でも
    次に繋がる言葉かけをしていたり、フォローするようしているのに
    自分に対しては、ことごとく厳しく当たってしまい
    「私はまだまだ未熟だ」と内省を続けてしまいがちという「インポスター症候群」

    とかく上手くいかない理由を、時代や他人の言動など「自分の外側」で、片付けてしまいがちですが
    「自分の何が至らなかったのか」と
    まず自らを振り返り、次へ繋いでいく姿勢は、とても誠実で、次への成長に繋がる道標になっていくと思うのですが、やはりどんな事もバランスを崩してしまうと、思わぬ方向へ流れてしまいます

    時代をさかのぼれば、特に女性は「謙虚さ、控えめさ」を求められて
    人の前に立つことよりも「誰かを影で支えること」が、自他共に認める美徳とされていた気がします

    中心にいる誰かの「じゃないほうの立ち位置」
    確かに家庭や社会でのポジションは、長い間
    脇役や補助になりがちだったと思います

    誰かの顔色を見ることや、誰かにとって気持ちの良い言葉を選ぶ事を
    「肝の小さい人」として切り捨ててしまう人も居るかと思いますが
    人の顔色を察知出来るのは
    相手の立場に立って、考えを巡らせる事が出来てこその事でありますし
    誰かが喜ぶ言葉を見つけられるのは
    逆に相手の、弱みも強みも知っているからこそではないかと思います

    勿論、出世や欲の為に心にも無いお世辞を並べるのは「意図ある世辞」であり、これは少し辛くなります

    いわゆる「立ち位置が真ん中でない人」は、時に相手の意見を聞きながら
    飲み込む言葉たちの、喉越しの悪さを感じ取り
    噛み締めた奥歯がきしんでも、更に「微笑み」というオブラートで包み込み
    「飲み込んだ言葉」の気配さえ消していく事を、覚えていくような気がします

    「外へ向かって意見が言えない」とか「戦いの表舞台に出ない」と
    言われる事もあるでしょうし
    歴史の中でも、表立って実力を発揮した女性は僅かと記憶しています
    たぶん大半の女性は、その機会さえも与えらない暮らしを
    長く続けて来たのではないでしょうか

    男性は、危険と隣合わせで新しい場所に挑んで「狩り」をし
    女性は敵から子供や食料などの生活本体を守ると言う具合に、もしかしたら生きる為の術として、両者共に本能にインプットされて来た「役割り分担」かも知れません

    互いに協力する中では、どちらが主役という認識ではありませんが
    「安心安全な土台」を築き、それを長く守り抜く事
    繊細で緻密なサポートを求められる「脇役」に徹する事
    これらも、女性が生きる過程で身につけた「知恵」の一端として、挙げられるかと思います

    そんな遺伝子レベルで備わった事もベースに
    それぞれの能力を存分に発揮できるような「チャンス」や
    「人も含めた環境」の中で
    これからの娘たちのような年代の人たちには、自由な息使いで生きて貰いたいと願います

    「インポスター症候群」で、なかなか自分を認めてあげられない事は、勿体ない事ですが
    そのバランスさえ誤らなければ「自分に満足しない気持ち」は「進化する自分」を求めていく事に繋がって行くとも思えます
    いつまでも自分に満足しない気持ちは、エネルギーを蓄えている年代には
    大切な事に思いますし、歳を重ねてからの「潔い美しさ」にも繋がっていくような気がします

    「自分なんて」と思い過ぎても「自分こそが」と思い過ぎても
    生きていく上でバランスはあまり良くなく、自分や周りを追いやってしまいがちになります

    「誰もが自分の人生の主役です」と言われながらも、生きていれば
    主役の割には、スポットライトが当たらない場面も、正直に云えば多々ありますし
    気がつくといつも誰かに「拍手」を贈っている気がしてならない…そんな事もあります
    ただ、誰が主役なのか解らない物語になってしまっていても
    自分が生きる上では「書き手」で、有り続けたいと願って止みません

    どんなに自分の「成果」を妥当に評価しにくい癖があっても、その物語をコントロールして「落とし所」を決めているのは「書き手の自分」だと思うので
    表舞台の「じゃない方」でもかまわないから「ネタを書いている方」で
    あり続けたいな・・・と思うのです

    道を聞かれやすい「安全」という勲章を胸に付けているような
    闘争心を置き忘れた脇の甘さも
    たぶん自分の書いて来た物語の「ト書き」にあった事だと思うので
    責任をもって引取り熟慮していきたいです

    子供の頃、バレーボールクラブで
    身長もアタック力も自信があったのに
    先生がエースアタッカーに選んだのは、私ではなく違うメンバーで
    私はずっと「セッター」でした
    憧れのポジションには抜擢されず
    試合の流れを視て「攻撃できる場所」にいる仲間に、ずっと
    「打ちやすいトス」を上げていました
    その時は悔しかったけれど、後になれば「セッター」の大切な役割りも理解する事が出来ました

    男女に関係なく人が暮らしていく上で
    その人が、より力を出せて居心地が良いと思う「役割り」や「居場所」を
    得て暮らせたら幸いな事だと思います

    「あなたの敵」という旗を下ろせた「今」を噛み締めつつ
    遅ればせながら、やっと最近「自分のポジション」に合点が行くようになりました

    もしかして「誰もが自分の人生の主役」だとしたら
    それぞれにスポットライトの光が当たり
    結局、みんなが明るい場所に立っている事になり得ます
    誰かの影という認識など、何も無いことにもなります
    そんな「分け隔てない太陽のように」光りが当たるなら幸せですし
    そもそも主役でも脇役でも「生きる事に励む」なら、同じ舞台の上のこと
    違いはないとも思えます
    それぞれに、生きていくのは難しい選択の連続で
    そしてその分、愛おしいもののはずだから・・・

    そしてこの先もずっと、自分の役割りを全うしながら
    うつらうつらのうたた寝で、時にまどろみ
    力まず暮らしていけたら幸いです 感謝☘️合掌


    ギャラリーからお借りしたのは
    いつも変わらない艶やかさ「hohoさん」の作品です💐ありがとうございました



    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     

    あん

     
     
    HSPだと知ったとき、とても腑に落ちてしまいました。それまで行き先が見つからない感情の仕舞い場所が、見つかった気がしました。ここは、HSPと仲良く生きていくための日々を書いていこうと思います。

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