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AIで書かれたnoteにスキをする意味って?

    今の時代に乗り遅れないようにと思いながらも、世の中の様々なテクノロジーにだんだんついて行けなくなっている自分がいる。

    最近、私はなんだかnoteを書く意味、読む意味を失っている。
    きっとこれはAIで書かれた文章なのだと感じるnoteが、増えているような気がするから。
    確かにAIを上手く使って書かれた文章は素晴らしいと感じる。
    知識も豊富で、文章的にも完璧なのかもしれない。
    私にはとてもそんな美しくまとまった文章は書けない。
    しかしその文章には、本人のほんとうの心の奥から聞こえる声がないような気がするのは私だけだろうか?

    AIで書かれた素晴らしい文章をnoteに載せることの意味はなんだろう?
    AIで書かれたnoteにスキをする意味はなんだろう?
    それはAIをいかに上手く使えたかの評価のような気もするのだが。

    私は文章の中に誤字脱字、変換ミスを見つけた時にフフッとその人に親しみを感じてしまう。
    いいじゃないの。
    下手くそなnoteの文章だって。
    きっと私は様々な人の、その人自身が書いた文章が読みたいのだと思う。
    noteはそこに面白みがあるのではないかと思うのだが。

    時代の流れを見据えているであろうnoteはこれから先、創作という形が変わって行くのだろう。
    それは悪いことではないが、なんだか取り残されてしまっている自分が今ここにいるような気がしてならない。

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    ここは、とある介護施設。
    すっかり白髪になり、小さく丸まった猫背の老女がひとり車椅子に座り机に向かっていた。
    机の上には紙と鉛筆と、すでに冷めてしまったお茶が置かれている。

    その時、周りを見渡していたAI介護ロボットがス〜と側にやって来て話しかけてくれる。
    CHA-TOMOさん、今日は何をなさっているのですか?
    良いお天気ですよ。
    お散歩にでも行きませんか?

    わたしね、毎日こんな日記書いているの。
    今日のおやつおいしかったわ〜
    今度はプリンが食べたいの。
    昨日の夕食はイマイチだったけれどね。
    わたしサバは嫌いなの。
    明日はお風呂の日ね。楽しみだわ。
    いつもわたしを軽々と持ち上げてくれてありがとう。
    そうね、今日もお散歩に行きましょうか。
    お庭の百合はいくつ咲いたかしら。



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    お茶にしましょう
    久しぶりのお茶は少し冷めてしまったかしら
    おやつはプリンにしました
    いつも私とお茶に、お付き合いしてくださる皆様に
    心からありがとう



     
     
    空を見上げ、流れる雲を見ながら、お茶をしていました。 道端に咲く小さな花がきれいだと感じ、一緒にお茶が飲みたくなって、 思うまま、気ままにお茶の時間。 おやつも用意しました。 お茶にしましょう。

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