
旅の間に間に|ベランダから、次の季節へ
ベランダからは、あの日とよく似たピンクと薄水色が混ざり合った西の空が広がっている。
この景色も、あと少しで見納めになるかもしれない。
もう数年、ベランダでピクニックなどしていないけれど。
それは2020年の春から初夏。
突然のコロナ休校。行きどころのない、心のぶつけ先のない、外の空気を自由に吸えない、そんな子どもをどうにか健やかに「守る」ことに必死だった。
おやつでも食べようかと、ふと提案した「ベランダピクニック」。
レジャーシートを広げ、アウトドア用の椅子とテーブルを出して。
南から降り注ぐ太陽は心まで照らしてくれるよう。
「ベランダでこういうことするのって、初めてだよね!」
「そう!ベランダピクニック!」
キッチンからガラス戸を開け、レジャーシートを何枚か敷き詰める。
靴下が滑り、ひんやりしたコンクリートが足裏に伝わる。
靴を履かないで外に出ると、どうしてこうもリラックスできるのだろう。
料理を運ぶ時はバケツリレーのよう。
お箸やコップは子どもが。
料理は私から夫へ。
おかわりのお皿は自分で。
体育では早朝の公園で縄とび。音楽では校歌の練習。
午前中の日課が終われば、「さぁ、昼休みだ!ベランダピクニックしよう!」明るい日差しを受けながら、お弁当をほおばる。
夕飯にはピンクと薄水色が混ざり合った西の空を眺めながら、焼き鳥串と焼きそばで「今夜はお祭りメニュー!」。
お絵かき、工作、シャボン玉、子どもが自ら作った段ボール製のお昼寝スペース。もちろん、トランプも。
休校期間が延長される、という話をなかなか切り出せず、口元をググっとこらえる子を抱きしめることしかできなかった私たち夫婦。
「毎日、毎日、色々工夫してやってるけど、本当は本当は、超~つまんない!もう、超~つまんない!」
とにかく、できるだけ家の中で楽しもうと。
必死だった。
お友達に遊びに来てもらいたいとお手紙を。
「 “夏のおわりごろにあそびにきてください”って書いたら大丈夫だよね?夏の終わりにはもう、大丈夫だよね?」って。
明後日から学校再開と聞き、ベランダの段ボールベッドにぬいぐるみのニャァニャァくんも、チーターくんも、ファーファーくんも集合させて、学校ごっこをした。
共働きの家族三人が毎日のように朝から晩まで一緒にいられるのは旅行中くらい。
だから、三人で一緒にいられて幸せ、そう思ったのも心底本心だ。
振り返ると、毎日必死過ぎたのか、辛かったことよりも、少しでも幸せを見つけようとしていた痕跡に目が行く。
実は、数か月後に引っ越す計画がある。生活のダウンサイジングや諸々の事情。
あぁ、この景色を見ることはもうなくなるのかなって感傷的にはなるけれど、もう数年、ベランダでピクニックなどしていない。
思春期を迎える子どもに何度か声を掛けたけれど、もちろん、「いや、いいかな」って断られるし。
ピンクと薄水色が混ざり合った西の空。
あのベランダで過ごした時間を、私はきっと忘れない。
あの頃、不安の中でも笑えたこと。
家族で工夫したこと。
必死だったこと。
そして、笑顔の三人がそこにいたこと。
そして、ここまで書いてきて、なぜか涙が止まらない。
それはきっと、私たちがもう次の季節へ向かう時だと、気づいてしまったから。
子どもが小さい頃の「守る」は、手をつなぐことだった。
あの時みたいに、親が守ってあげられたらいいのにと思うこともある。
でも、今の「守る」は、信じて見守ることなのかもしれない。
そして後者の方が、ずっと難しい。
次の季節へ向かう時。
ただただ、笑顔で、元気でいてくれたら、それでいい。
今、私はこの思いを確かめるために、書いているのかもしれない。

必死だった。あの時も、今も。
ライフワークとして、「旅の間に間に」残しておきたい記憶を月1シリーズで書いています。