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ラオスの暮らしが教えてくれたこと ― 不安を超えて見つけた自由

    渡航の決意

    2017年、私はラオスに渡った。きっかけは、かつての同僚からの一言だった。「人を募集しているけど、どうだ?」その誘いに応じ、三か月後にはラオスに住み始めていた。振り返れば、私の人生は常に偶然と衝動に導かれてきた。だが、その選択は私を大きく変えていくことになる。

    渡航を決めたとき、周囲の反応は意外なほど温かかった。両親や姉、友達はみんな応援してくれた。誰も反対する人はいなかった。父親だけが唯一、反対はしないものの、急に会社の後輩を結婚相手にどうだと言ってきた。「その人ちゃんと独身なの?彼女とかいるんじゃないの?」と聞いたら、「知らない」と。思わず「確認しなよ!」と突っ込んだ。父は何も言わなかったが、父なりにさみしかったのだろう。私は父に「3か月だけ研修でラオスに行く。その後はわからない」と半分本当で半分嘘をついて日本を発った。

    出発の日、空港で見送ってくれた友人が手紙を渡してくれた。その手紙は、ラオスで何度も挫折しそうになるたびに私を励ましてくれた。みんなの期待を裏切っちゃいけない、と何度も思い直し、がんばる力になった。

    飛行機に乗り込んだとき、胸の中には期待と不安が入り混じっていた。未知の国に行くことへの高揚感と、言葉も文化も分からない場所でやっていけるのかという恐怖。窓から見える日本の街並みが小さくなっていくのを眺めながら、「もう戻れない」という覚悟が芽生えた…と当時は思いたかったが、実際には覚悟はまだなかった。ただ、不安だけが大きく膨らんでいた。

    ラオスに着いて、空港から街へ向かう乗り物から見えたのは、一応舗装されているものの凸凹の多い道路、屋台で食事をする人々。日本で当たり前だった風景とはまるで違う世界が広がっていた。空港から乗ったのは「ソンテウ」と呼ばれる乗り物。トラックの荷台に屋根を付けただけの簡素な乗り物で、初めて見る光景に驚いた。こういう乗り物があること自体が新鮮で、まるで異世界に来たような気持ちになった。

    初出勤まで1週間の余裕があった。海外旅行はラオス以外で何度か行ったことがあったが、一人での滞在は初めてだったし、ラオス自体初めてだった。町を歩くのが怖かった。今では気軽に歩けるが、当時はSIMカードもまだ入れていなかったし、ガイドブック片手にうろうろしていた。道を間違えたらもう戻れないような気がして、知らない道を歩くのが怖かった。海外の見知らぬ街を歩くことが、こんなにも心細いものだと初めて知った。

    それでも、少しずつ街の空気に慣れていった。屋台の匂い、バイクの音、人々の笑顔。最初は不安ばかりだったが、日常の中に小さな発見が積み重なり、「ここで生きていく」という気持ちが少しずつ育っていった。

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    初めてラオスに来た日。まだ空港も新しくなる前。
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    この車に乗って、初めてラオスの街を見た。

    最初の暮らしの驚き

    ラオスでの暮らしは、最初から驚きの連続だった。屋台では、日本では見ないほど大きなハエが焼き鳥に群がり、店主がビニール袋で払いながら売っている。その光景に驚きを隠せなかったが、思い切って食べてみると驚くほどおいしかった。バナナの葉に包まれたものをじっと見ていたら「ソムムーだよ」と教えてもらった。酸っぱい豚肉の発酵料理だと後で知ったが、そのときはただ「挑戦してみよう」と口に運んだ。戸惑いながらも新しい味に出会うことが新鮮で楽しかった。

    市場での買い物も挑戦だった。日本では袋詰めや「1個いくら」という値段表示だが、ラオスでは1キロ単位。欲しい分を手渡しすると、店主が金額を告げる。ラオス語の数字が分からない私は、電卓で提示してもらって支払った。ある日、カフェで「ここで食べるかどうか」「店内かテラスか」「コーヒーに砂糖は入れないで」という会話ができたときは、今でも覚えているくらいうれしかった。挨拶すら分からなかった自分が、少しずつ言葉を覚えていく。赤ちゃんのような存在から、ようやく成長していると感じられた瞬間だった。

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    寄るの屋台。焼き鳥は買うときに焼き直してくれる。
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    道端で魚が売られている。メコン川でとれる魚は蒸しても焼いても煮ても美味しい。

    バイクに乗り始めた挑戦

    ラオスでの通勤はバイクか車が主流。電車は2021年末に中国とラオスを結ぶ高速鉄道が開通したが、日常生活で使う人はほとんどおらず、それ以前は存在しなかった。バスも路線が少なく、必然的に車かバイクに乗ることになる。 私はバイクなんて、運転免許証を取るときに教習所で1時間乗っただけで、路上に出た経験はなかった。それでも、バイクがないと移動も不便なので仕方なく乗り始めた。練習場所は、バイクで5分ほどのタートルアンという仏塔の前の広場。今はランニングなど運動をする人が集まる場だが、昔は車やバイクの運転を練習する人が多かった。私もそこで練習したが、そもそもそこに行くまでに公道を走らなければならない。つまり、ぶっつけ本番で公道デビューしたのだ。 怖さと緊張で手に汗をかきながら走ったが、バイクに乗れるようになってからは行動範囲が一気に広がった。街の地理も少しずつ頭に入り、土地勘ができるようになった。挑戦することで、暮らしの自由度が増し、日常がぐっと楽しくなった瞬間だった。

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    2代目のバイク。初代は盗まれ、2代目は帰国時に知人へ譲った。
    今は3代目の電気バイクに乗っている。

    縫製工場での挫折と猫に救われた夜

    最初の職場は縫製工場だった。工員は田舎から出稼ぎに来た子が多く、数を数えられない子もいた。ボタンやファスナーを渡すとよくなくす。注意すると「渡し方が悪い」と言われ、袋に個数を書いていてもなくしたことを咎めると「書いてある意味が分からなかった」と返される。結局、一緒に数を数えて確認し、サインさせてから渡すようにした。

    日本では「できないことは努力してできるようにする」のが当たり前だったが、ラオスでは「できないことはできないまま」でも受け入れられる。ミスしても謝らない。むしろ「自分は悪くない」と説明し、時には他人に責任を押し付ける。私はその文化に戸惑い、怒り、疲れ果て、床に倒れて泣いた夜もあった。涙で視界がぼやける中、ラオスで飼い始めた猫が突然私の腕を噛んだ。痛みで我に返り、「こんなことで負けていられない」と思った。猫に救われた夜は、挑戦を楽しむ覚悟を私に与えてくれた。

    猫はその後も私の支えになった。疲れて帰ったときに膝に乗って甘えてきたり、言葉が通じない孤独の中で唯一の味方だったり。日本に帰ってからも狭い1ルームのアパートでいつも一緒に寝た。ペットでありながら、相棒であり、子どものようであり、パートナーのような存在。ラオスでの苦しい日々から日本での生活、そして再びラオスでの暮らしまで、猫は私にとって欠かせない存在となった。

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    1匹目のボタンさん。彼女がいてくれたおかげで、何度も救われた。

    旅行会社での挑戦

    縫製工場を辞めた後、私は旅行会社に転職した。ここでは観光客や企業視察の手配、学生旅行など、幅広い業務を担当することになった。日本人の顧客を相手にする以上、細かい確認や正確な段取りが求められる。だが、ラオスでは「大体でいい」という文化が根強く、そこに大きなギャップがあった。

    ある日、予約していたレストランにお客様を案内すると、貸切パーティーが行われていた。オーナーは「うっかり忘れていた」と言う。急遽別の店舗に席を用意させ、料理も特別に準備させた。お客様にはごまかせたが、私は怒り心頭だった。だが、オーナーは最後に「ごめんなさい」と笑いながら肩を叩き、この話は終わった。ワインをお詫びに出してほしいと頼んだら「それは無理だよ」と笑い飛ばされ、結局ただ肩を叩いて笑っただけになったのだ。それでも今もそのレストランとは付き合いがあり、いつも明るく接してくれる。ラオスでは問題が起きても最終的には和解し、後に引かない。日本では考えられないが、ラオスでは日常だ。

    旅行会社で働く中で、私は「ラオス人の気質に合わせて仕事を進める」ことを学んだ。日本では事前にすべてを確認し、予定通りに進めることが当然だが、ラオスではどんなに準備をしても予定通りにいかないことが多い。ホテルの予約が直前でキャンセルされることもあれば、バスの運転手が突然来ないこともある。最初はその度に焦り、怒り、胃が痛くなるほどだった。だが、次第に「問題は起きるもの」と受け入れ、柔軟に対応する力が身についていった。

    旅行会社での日々は、トラブルと挑戦の連続だった。だが、その中で「人に助けられながら進むことの大切さ」を学んだ。日本では一人で抱え込み、完璧を目指すことが多かった。ラオスでは完璧は存在しない。だからこそ、仲間と笑い合いながら前に進む。問題が起きても、最後には「まあいいか」と笑って終わる。その文化に触れることで、私は肩の力を抜いて仕事を楽しめるようになった。

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    牛が道を渡るのをゆっくり待つ日だってある。

    コロナと帰国

    ようやく旅行会社で自分の居場所を見つけられるようになった矢先、2020年にコロナがラオスにも押し寄せてきた。観光客は消え、街は静まり返り、仕事は一気に失われた。給料はほとんど出ず、いつまでラオスにいられるのか、仕事はどうなるのか、先が見えない不安に押し潰されそうになった。私は退職し、猫とともに帰国する決断をした。

    当時は「覚悟が足りなかった」とは思っていなかった。ただ、生活の不安に耐えられず帰国を選んだのだ。だが、今振り返れば、あのときの私は覚悟が足りなかったのだろうと思う。日本での三年間は、衛生面や医療面の素晴らしさを改めて感じる一方で、自分には合わない窮屈さがあることに気づいた。

    日本にいると、いつも他人の視線が気になった。少しでもみんなと違うことをすると「何あの人」という目で見られる。会社に行くときもダサい格好はできないと思うと、洋服やバッグや靴にお金を使うようになってしまう。満員電車もつらかった。隣の人との距離が近く、常に周囲に配慮しなければならない。ラオスでは破れていなければ服は十分。仕事中は気を遣うが、自分の時間は心が自由になる。日本にいたら気づかなかったが、ラオスにいると心が解放されるのだ。

    日本は何でもある。遊ぶ施設、イベント、便利なサービス。だがラオスは自然が豊富で「最後の桃源郷」と呼ばれるくらいだ。首都ビエンチャンは「世界一何もない首都」と言われるが、確かに遊ぶところは少ないかもしれない。でも、美しい自然があり、自分自身と向き合う時間がある。消費するだけではない大事な時間が、ここにはある。

    再渡航の決意

    だからこそ、再びラオスに戻る決意をしたとき、胸の奥に熱が灯った。今度は「この地で生きていく覚悟」がある。以前は不安に負けて帰国したが、今は違う。ラオスの人々の緩やかな空気、失敗を笑いに変える文化、片言でも受け入れてくれる優しさ。ここでなら挑戦を続けられる。ここでなら、何歳になっても新しい人生を切り開ける。

    再渡航後、私は再び旅行会社で働き始めた。しばらくして前社長が亡くなり、日本人は私一人だけという状況で、業務の負担は非常に大きくなった。それでも、ラオスの仲間たちと協力しながら、日々の仕事を回している。足りないところをフォローしてもらい、めちゃくちゃな仕事の投げ方をしても嫌な顔をせずにやってくれる。私が気を遣わずに日本語で指示を出すので、通訳スタッフの日本語能力がぐんと伸びた。よく嫌にならずついてきてくれるなと、感謝の気持ちでいっぱいだ。

    ラオス人は片言でも気にせずコミュニケーションを取ってくれる。諦めないし、嫌な顔をしない。気にしすぎる性格の私にとって、その「気にしない」姿勢は救いだった。問題が起きても最終的には笑って許し合う。怒りを引きずらない。私はその姿勢に何度も救われてきた。

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    仕事仲間との打ち上げ。みんな本当によく頑張ってくれました。

    旅行するラオスと暮らすラオス

    ラオスを旅行者として訪れると、まず感じるのは「観光地が少ない」ということだ。ビエンチャンは世界一何もない首都と呼ばれることもあり、観光客からは「つまらない」という声も多い。確かに観光地の数は限られている。だが、この国の魅力は観光地ではなく、大自然や人々、そしてネットや本には書けない「空気感」にある。言葉にしづらいけれど、そこにしかない魅力があるのだ。

    旅行者としてのラオスは、珍しい食べ物や乗り物、屋台の匂い、ソンテウやトゥクトゥクに揺られる時間、のんびりとした人々の笑顔――すべてが「非日常の体験」として楽しめる。短期滞在なら「面白い」「珍しい」で済むことが多い。

    しかし、住んでみると印象は変わる。暮らすラオスは、情報が少なく、何をするにも時間がかかる。日本なら一度の問い合わせで済むことも、ラオスでは何人もの人に聞いて回らなければならない。よく在住者の間で「ラオスはRPGだ」と言われる。村人Aに聞くと「Bさんが知っているかも」と言われ、Bさんに聞くと「Cさんに聞いてみて」と返される。Cさんに聞くとまた違う答えが返ってきて、最終的にDさんにも聞いて総合的に判断する。そんなふうに、情報を集めるのに何日もかかることもある。旅行なら気にならないことも、住むとなると暮らしに直結するので大きな違いになる。

    そして、暮らすラオスには「何もしないという用事」がある。脳と心を休める時間を持つことが生活の一部になっている。船に乗って川の中州へ行くときも、船がいつ来るかは分からない。「待っていたら来るよ」と言われるだけ。急ぐことはない。のんびり、そのうちなんとかなる。そんな時間の流れに身を任せると、焦りや不安が少しずつほどけていく。

    ある日、屋上のレストランで食事をしていて、ふと空を見上げた。高いビルが周りにないから、空が驚くほど広い。「空ってこんなに広かったんだ」と思った瞬間、心が軽くなった。目の前にはメコン川が流れ、スイカシェイクを飲みながらぼーっとする時間がただ過ぎていく。その「何もしない時間」が、私の内面を大きく変えていった。日本にいた頃は、常に予定を詰め込み、効率を求め、何かをしていないと不安だった。だがラオスでは「何もしないこと」が許される。挑戦とは新しいことを始めるだけではなく、立ち止まる勇気を持つことでもある。

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    布を売ってくれた方と。2週間かけて織ったそう。ラオス人はとても気さく。
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    ラオスには50もの少数民族がいる。
    伝統衣装を着てお祝いするモン族。12月頃にはモン族の正月祭が行われる。
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    自然豊かなのがラオスの魅力。雄大なメコン川。

    外から見た日本

    ある一時帰国の際、日本からラオスへ戻る飛行機で隣に座ったベトナム人女性と話した。旦那さんが日本人で長年日本に住んでいるという。彼女は私がラオスに住んでいると聞き、驚いた様子だった。子どもを連れて実家に帰る途中だという彼女は、こう言った。

    「昔は日本人がなぜ海外に住みたがるのか理解できなかった。でも今は分かる。外国に住むって楽しいよね。」

    その言葉は、私の心に強く残った。日本にいるときは、日本の良さを当たり前だと思っていた。清潔さ、便利さ、秩序ある社会――それらは疑う余地のない「普通」だった。だが、外から見た日本は、外国人にとって憧れであり、安心であり、誇らしいものなのだ。

    同時に、ラオスで暮らす中で、日本の存在感が少しずつ変わってきていることも感じる。今のラオスは中国と韓国の勢いが強く、企業の進出も目立つ。直行便があることや物流の面でそうなるのも理解できるが、街に新しいビルや店舗が建つたびに、日本の印象が薄くなっていくのを実感する。日本は長年ラオスに多くの援助をしてきたが、目に見えやすい形で外国企業が入ると、どうしてもそちらが目立つのだ。

    それでも、日本の製品の人気は根強い。「高いけど壊れない」と評価され、信頼されている。日本食ブームも続いていて、ラオスの人々にとって日本は少し憧れの存在のようだ。周りでも「日本へ旅行したい」と話すラオス人をちらほら耳にする。日本は派手に進出しているわけではないが、静かに、確かな価値を持ち続けている。

    外から見た日本は、誇らしさと同時に課題も見せてくれる。援助や技術は確かに評価されているが、存在感を保つには「目に見える形」での関わりも必要なのだろう。ラオスで暮らすことで、私は日本をただの「母国」としてではなく、世界の中でどう見られているかを考えるようになった。

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    韓国系スーパーマーケット「kokkok(コックコック)」。
    日本の生活雑貨を扱うブランドも入っており、ラオスでの生活のクオリティが格段に上がった。

    今の挑戦 ― 弓道をラオスに広める

    ラオスで暮らし始めて、私は「0から1にする楽しさ」に目覚めた。無いものを作ることは楽しい。ラオスは日本人が少ないがゆえに情報も少なく、苦労することは多い。でも、その苦労も楽しさに代わることがある。

    今、私が挑戦しているのは弓道をラオスに広めることだ。ラオスで弓道をしている人はいないし、道場もない、道具もない。日本から弓や矢を持ってくるのは大変で、お金もかかる。それでも、弓道に興味を持ったり、アニメで見て憧れを持っていたりするラオス人や在住日本人に教えて、一緒に稽古をしている。弓は気軽に買えないので竹を切って作った。弓道の弓のように立派なものではないし、おもちゃのようなものだが、それでもラオスの人は目を輝かせて楽しみながら稽古を続けてくれる。

    昔は「海外に来て日本の文化を伝えるなんて、文化の押し付けではないか」と感じていた。だが、伝えることで喜んでくれるのは嬉しいし、悪くないのかもしれないと思えるようになった。弓道場がないので広い場所を借りて代用し、みんなで工夫しながら稽古を続けている。ラオスでは設備や物資が整っていない。新品が粗悪品で使えなかったことも山ほどある。でも、挑戦することが日常になっていく。私にとって刺激的で楽しい毎日だ。

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    ラオスの学校で学生向けに弓道を紹介する機会をいただく。
    このあとも継続して練習してくれている。

    新しい日常へ

    人生は冒険である。地図はない。だからこそ面白い。挑戦するたびに新しい自分に出会える。日本では窮屈に感じていた自分が、ここでは自由に呼吸できる。環境を変えることで、思いがけない可能性が開けることを私は身をもって知った。

    ラオスでの暮らしは、私にとって「挑戦することが日常になる場所」だ。大げさに言うなら人生そのものかもしれないが、もっと素直に言えば、ここで過ごす毎日が私を前向きにしてくれる。小さな挑戦を積み重ねることが、暮らしを楽しくし、未来を広げていく。楽しみながら、ときに苦しみながら歩んできたこの道は、私にとってかけがえのない旅であり、これからも続いていく。

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    ルアンパバーンのカフェにて。休日は、のんびりゆっくり。
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    バンビエンのナムサイトップビュー。この景色は日本では見られない。
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    自然が美しいラオス。なかでもルアンパバーンのクアンシーの滝は人気の観光スポット。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    2017年にラオスへ移住したものの、コロナ過により2020年に猫と帰国。 2024年に再びラオスへ渡り、現在はラオスの首都ビエンチャン在住。 旅行会社勤務で、食べることと旅行が大好き! 猫3匹とのんびり暮らしている。

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