
怒ってくれた人へ─ぬくもりの記憶─
父が死んだ。
その言葉を、しばらくのあいだ、私は友達に言えなかった。
離れて暮らしていたし、コロナ禍で全然会いに行けなかったから実感がわかない。
でも、言葉にすると本当になってしまうような気がして。
そして何より、やらなければいけないことが多く、気力そのものが、あの頃の私にはほとんど残っていなかった。
何をするにも、ひどく遠いことに感じられた。
悲しみというのは意外と静かで、嵐のようには来ない。水が少しずつ染みこむように、じわじわと体の奥まで入ってきて、気がつけば動けなくなっている。そういうものだと、あのとき初めて知った。
数カ月後、喪中の連絡をするため、やっと親友にLINEをした。大学のときからの友人だ。
見た目も、性格も、ものの考え方も、何もかもが私とは正反対だった。
私はいたって普通のその他大勢タイプなら、彼女はとても目立ついわゆるギャルタイプ。
私が一人でいることを好むなら、彼女はいつでも積極的に行動する。
ファッションも、好きな食べ物も、笑いのツボさえ、たぶんあまり重なっていない。
それでもなぜか、大学のイベントで偶然隣に座ったその日から、二人はずっと一緒だった。
LINEでは、私はできるだけ普通にメッセージを送った。父が亡くなったこと、葬儀が終わったこと、もう少し落ち着いたら会いたい、そういう内容を伝えた。
心配をかけたくなかったのか、それとも心配されることに慣れていなかったのか、今となってはわからない。ただ、いつも通りに、と思っていた。
しばらくしたら、スマホがなった。
「なんで教えてくれやんだん。親友ちゃうの。すぐに教えてほしかったし、すぐに駆けつけたよ」
怒っていた。泣きそうな声で、怒っていた。
私はそのとき、何も言えなかった。喉の奥で何かが詰まって、言葉が出てこなかった。ただ受話器を持ったまま、彼女の声を聞いていた。責めているのではなかった。心配していた。悲しんでいた。私が一人で抱えていたことを、悔しがっていた。そのすべてが、たった一言の「怒り」の中に、ぎゅっと詰まっていた。
人に怒ってもらえる、ということが、こんなにも温かいことだと、私は知らなかった。
誰かに怒られるとき、普通はたじろぐ。身を縮める。傷つく。でも彼女の怒りは、違った。あれは愛情の形をしていた。
「あなたのことが大切だから、知りたかった」という言葉を、まっすぐに届けるための、彼女なりの器だった。
怒る、という行為には、それだけのエネルギーが要る。無関心な人は怒らない。どうでもいい人のために、声を荒げたりしない。
あの夜、電話の向こうで泣きそうになりながら怒ってくれた彼女は、それだけのものを、私に向けてくれていたのだ。
父を亡くした悲しみは、消えていなかった。でも電話を切ったあと、私の中に、小さな灯りのようなものが生まれていた。
うまく言葉にできないけれど、あえて言うなら、「生きていてよかった」という感覚に近いものだったと思う。この人がいる世界に、私はいる。この人に怒ってもらえる場所に、私はいる。それだけで、もう少し、立っていられる気がした。
人は、幸福を探すとき、大きなものに目を向けがちだ。成功とか、達成とか、特別な瞬間とか。
でも本当のところ、私たちの命を支えているのは、もっと小さくて、もっと地味で、もっとあたたかいものではないかと思う。
誰かが、怒りながら泣いてくれた電話の声。そういうものが、人を生かす。
彼女と私は、今も大の親友だ。相変わらず、何もかもが正反対のままだ。歩くペースも、しゃべるペースも違う。生活のリズムも違う。違うところはまだまだたくさんある。
それでも、あの夜の電話の声を、「親友なんやで」という言葉を、私はたぶんずっと忘れない。忘れたくない、と思っている。
もしもこれを読んでいるあなたが、今、しんどい時期のまっただ中にいるなら、ひとつだけ伝えたいことがある。
あなたのことを怒ってくれる人が、一人でもいるなら、それはすでに、すごいことだ。
その怒りの中に、あなたへの愛が入っている。
そしてそれを感じ取れているあなたは、人のぬくもりをちゃんと受け取れる人だ。
自分のことを思ってくれる誰かがいる、ということは、生きている価値があるということと、たぶん同じことだ。
あなたは、大丈夫。
きっと、大丈夫。
― 怒ってくれた親友へ、感謝を込めて