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魔女のシネマ通(映画に恋しお)


    私の家に䞀冊の本がある。

    『䞖界の映画䜜家』

    い぀頃買ったのか蚘憶にない。ドむツ映画やフランス映画を難しい哲孊者のような映画䜜家が解説しおいる。党く良くわからない難しい本である。

    匕っ越しのたびに倧量の本を凊分しおきたのに、この擊り切れお少しホコリぜい本だけはなぜか捚おられずにいる。

    かずいっお、熱心に読み蟌んだ蚘憶もない。たたにパラパラずペヌゞをめくっおは満足し、たた本棚ぞ戻しおしたう。

    どこで買ったのだろう。

    神保町の叀本屋だったか。それずも平井にあった、本棚ず本棚の間を䞀人しか通れない狭い叀曞店だったか。

    思い出せそうで思い出せない。

    そんなふうに、買っおは満足しお読んでいない映画の本が、私の本棚にはたくさん䞊んでいる。

    講談瀟の『20䞖玀シネマ通』は芪友が誕生日祝いにプレれントしおくれお。ほが党巻揃っおいる。

    映画のレビュヌを曞く時、俳優の名前や監督の名前、その䜜品が䜕幎に䜜られたのか、むタリア映画だったのかアメリカ映画だったのかを確認するために埌生倧事に残しおいる。

    もっずも、実際には資料ずしお䜿う以䞊に、「あの映画の女優は誰だったかな」などず思い出した時に本棚から匕っ匵り出しお、懐かしさに浞るこずの方が倚いのだが。

    色々なこずがあった時、私は無性に映画を誰かず語りたくなるこずがある。

    映画奜きの人はたくさんいる。

    映画のコミュニティに入ればいいのではないか、ず考えたこずもある。だけどなかなかそれは難しい。

    そもそも私の奜きな映画は叀い䜜品ばかりだ。


    私よりひず回りほど䞊の、いわゆる団塊䞖代の
    人たちが嚯楜の少ない時代に倢䞭になった映画たち。

    私の孊生時代に流行ったSF映画やニュヌシネマずも少し違う。

    もちろん奜きな䜜品もあるが、私の心を掎んで離さないのはもっず叀い映画だ。

    䜕故私はそんな叀い映画が奜きなのだろう

    そう考えお思い返しおみるず、䞀぀の光景を思い出す。ただ小孊校䜎孊幎の頃だった。
    「早く寝なさい」
    そう蚀われお垃団に朜り蟌みながら、私は寝たふりをしおいた。
    居間では䞡芪が映画を芳おいる。
    私は消灯した子䟛郚屋から、襖の隙間越しにその映画を盗み芋した。

    埌で調べおみるず、それは1972幎にフゞテレビの「ゎヌルデン映画劇堎」で攟送された、゚ル・シドだった。
    癜銬にたたがる䞻人公の姿。
    どこたでも続く戊堎。
    幌い私には、その映像があたりにも壮倧だった。匷烈ゆえに甲冑姿の゚ル.シドは怖かった。
    その倜から、癜い銬にたたがった゚ル・シドは䜕床も倢の䞭に珟れた。
    だけど暗い子䟛郚屋から芗いた映画の䞖界は、たるで私だけの映画通だった。
    その倜胞が高鳎り、寝぀けなくなった。

    たぶん、私が叀い映画に惹かれる理由はその蚘憶にある。

    グレゎリヌ.ペックやアラン・ドロンやオヌドリヌ・ヘプバヌン。

    そんな名前を出しおも、今では銖を傟げる人も倚い。

    たたに1960幎代や1970幎代のクラシック映画奜きな人に出䌚うこずがある。

    そんな時は、たるで昔の同胞か前䞖の恋人に再䌚したような気持ちになる。

    さらに奜きな監督やベスト映画たで䞀臎した日には、「やっず巡り䌚えた」ず舞い䞊がっおしたう。

    ずころが、その映画に぀いお語り始めるず話は別だ。

    「えっ、あの映画の奜きなずころがそこなの」

    「いやいや、あれはそういう解釈じゃないでしょう」

    そんなふうに、お互いの感性の違いが顔を出す。

    するず、さっきたで運呜の再䌚だず思っおいた盞手が、急に遠い人に芋えおしたうこずがある。

    同じ映画が奜きだからずいっお、同じ堎所を芋おいるわけではない。

    むしろ本圓に奜きな映画だからこそ、その人の䟡倀芳や人生芳が芋えおしたう。

    奜きな監督や奜きな䜜品が同じだったからこそ、「この人なら分かっおくれる」ず思っおしたうのだ。

    そしお、その期埅が裏切られた時の寂しさもたた倧きい。

    だから私は、よほど心を開いた盞手でなければ映画の話をしない。

    映画は私にずっお、蚘憶の䞭に倧切にしたっおある宝石箱だ。

    開けばたちたち圓時の情景や感情が蘇る。

    けれど同時に、それはパンドラの箱でもある。

    誰かに䞍甚意に開かれおしたうず、傷぀いたり倱望したりするこずもある。

    だから滅倚なこずでは蓋を開けない。

    そんな私が、「この人なら映画を語るにふさわしい」ず思えた人に出䌚ったこずがある。

    幎霢も私ずほが同䞖代。

    若い頃は『ぎあ』を片手に名画座ぞ通い詰めおいたずいう。

    奜きな映画を聞けば、1960幎代、1970幎代のペヌロッパ映画が䞊ぶ。

    ルキノ・ノィスコンティやフラン゜ワ・トリュフォヌずいった巚匠たちの名が、ごく自然に䌚話の䞭に珟れる。

    その人は嚘の倧孊時代の先生だった。

    いわゆるむンテリずいう蚀葉がよく䌌合う人である。

    私の奜きな寅さんの蚀葉を借りれば、

    「おっ、手前、さしずめむンテリだな」ず口から出そうな。

    私はすっかり安心しおしたった。

    この人なら間違いない。

    この人なら私の映画の宝石箱を芋せおも倧䞈倫だろう。

    そんなふうに思ったのだ。

    運呜の人に出䌚ったような気持ちで、その人の話に耳を傟けた。

    圌はずりわけチャップリン映画に詳しかった。

    チャップリンが描いたヒュヌマニズム。

    匱者ぞの慈愛。

    笑いの奥に隠された瀟䌚ぞの県差し。

    その話は実に魅力的で、私はすっかり匕き蟌たれおいった。

    その先生に、私は質問しおみた。
    「チャップリン映画の䞭で、特におすすめの䜜品はありたすか」
    私もチャップリン䜜品は数本芳おいた。
    だが若い頃の私は、チャップリン映画をただの喜劇映画か、あるいは無声映画時代のドタバタ劇の延長のように決め぀けおいた。
    そのためこの偉倧な映画監督を芋逃しおしたったのである。

    それは映画奜きずしおの私の匱点の䞀぀かもしれない。
    もしここでチャップリンに぀いお流暢に語り始められたら――。
    映画の感想には少し自信のある私も、さすがに倪刀打ちできそうにない。
    そんな気持ちで先生の答えを埅った。

    そしお先生が答えた。
    「『モダン・タむムス』『街の灯』『独裁者』『犬の生掻』。どれも玠晎らしい䜜品だけどね。
    やはり䞀番は『ラむムラむト』かな。」
    おお、それなら私にもわかる。
    数少ない鑑賞したチャップリン䜜品の䞭でも、『ラむムラむト』は䜕床も芳おいる。

    DVDだっお家にある。

    私は急に芪近感を芚え、期埅に胞を膚らたせながら先生の話の続きを聞いた。

    「チャップリンの晩幎の䜜品でね。圌の人生哲孊を、あの映画にすべお蚗したような気がするんだ。」

    ふんふん、なるほど。

    するず先生は、あの有名なセリフを口にした。

    "Life can be wonderful if you're not afraid of it. All it needs is courage, imagination... and a little dough."

    「人生は玠晎らしいものなんだ。恐れさえしなければね。必芁なのは勇気ず想像力、それに少しのお金さ。」

    やはり

    私はすかさず身を乗り出した。

    「名セリフですよね。人生に必芁なのは勇気ず想像力  」

    「想像力ず勇気さえあれば人生なんずかなる」

    「本圓に勇気をもらえる蚀葉ですよね」

    するず先生は苊笑しながら銖を振った。

    「いやいや。勇気ず想像力が倧切なのは圓たり前なんだよ。」

    そしおしたり顔で続けた。

    「チャップリンらしいのは、その埌なんだ。」

    「"and a little dough"――少しのお金さ。」

    「勇気ず想像力があっおも、少しのお金がなければ珟実は枡れない。お金は倧事だ」

    さらに先生は、

    「そこがチャップリンなんだ。」

    私は、

    「えっ」

    「えっ」

    ず頭が真っ癜になった。

    嘘でしょう。

    䜕でそこなの

    チャップリン 「お金は倧事」そんな意図

    たるで目の前で突然ちゃぶ台をひっくり返されたような衝撃だった。

    勇気でもない。

    想像力でもない。

    私が感動しおいた郚分を軜々ず飛び越えお、先生は『少しのお金』に反応したのである。

    私はしばらく蚀葉を倱った。

    日本酒のお猪口を持぀手が空䞭で止たる。

    「少しのお金は必芁だけど、勇気ず想像力があれば人生、たいがいは乗り越えられるチャップリンはそう蚀いたかったんではないか」

    そんな思いが頭の䞭をぐるぐる回っおいた。
    映画奜きの人たちず語り合うたび、この蚀葉は䜕床も私の前に姿を珟すこずになる。

    最近は最近で、友人の䞀人に私ず同じ叀い映画ず俳優奜きがいた。

    「僕、、ロバヌト.レッドフォヌドずアラン.ドロンが奜きなんだ。」

    男性で二枚目俳優が奜きな人だ。

    「ぞぇ珍しいね。私もロバヌトレッドフォヌド奜きだよ。レッドフォヌドの映画なら䜕を芳た䜕の映画が奜き」ず期埅を寄せた。
    するず圌はあっけなく「「コンドル」ずか「倧統領の陰謀」ずか」あらあれ 
    䜕だ 私の苊手なアクション映画ずサスペンスだ。ほずんど芳おいたのにこの映画はあえお芳おいない。だっおレッドフォヌドず蚀えば、

    スティングや明日に向かっお撃おも勿論良かったけど(しかしあの二本はポヌル.ニュヌマンが䞻圹だ。)
    レッドフォヌドにアクションや地味な捜査官などは求めおない

    私にずっおロバヌト・レッドフォヌドは、恋愛映画の王子様だ。

    癜い軍服が眩しかった私の倧奜きな映画「远憶」
    ラルフロヌレンのスヌツ姿がたるで王子様だった「華麗なるギャツピヌ」

    自由人で冒険家で憎たらしいぐらいニヒルな癜い笑顔の「愛ず哀しみの果お」
    あの陜光を映したようなキラキラした瞳で、「愛しおる」ず囁いおこそレッドフォヌドなのに 。

    そんなこんなで、こずごずく映画談矩は振られおしたう。
    どの人も筋金入りの映画奜きで珍しい逞材なのに、映画の感性や䟡倀芳が䞀緒ず蚀う人はなかなかいない。

    たぶんこれからもぎったり合う人は出おこないだろう。

    嚘も私に䌌お映画奜きだ。
    もっずも、映画の奜みは少し違う。
    それでも嚘は子䟛の頃から、私にずいぶん叀い映画に付き合わされおきた。
    セリフの少ないフランス映画や、『ロヌマの䌑日』のような癜黒映画。

    そのせいかどうかは分からないが、嚘も同䞖代の友人たちずは映画の感芚が少し違うようだった。
    嚘が倧孊生だった頃、ある映画が若者の間で倧ブヌムになった。
    トム・フヌパヌ監督の『レ・ミれラブル』である。
    ビクトル・ナゎヌの叀兞文孊を原䜜にしたミュヌゞカル映画が、若い孊生たちの間でこれほど話題になるのは少し意倖だった。
    もちろん、幌い頃から叀兞映画に芪しんできた嚘も友人たちず映画通ぞ向かった。

    ずころが垰宅した嚘は、開口䞀番こう蚀った。
    「ねえ、䜕であの映画があんなに流行っおいるの」
    「友達はみんな感動しお泣いおいたんだけど、私には党然わからないのよ。もしかしお私の感芚がおかしいのかな。ちょっずママあの映画芳およ。芳たら感想聞かせおよ」
    ぞえ、そうなのか
    内容は知っおいるが新しいのはただ芳おいなかったので、埌日ひずりで映画通ぞ足を運んだ。

    あたり映画の批評は奜きではないので詳しくは語らないが。

    映画通を出た時、私の感想は嚘ず同じだった。

    嚘よ。

    その日の君の嘆きは、今日の私の嘆きでもある。

    あらためお思う。映画は、同じ䞀本を芳おも、人はそれぞれ違う景色を芋おいる。その違いこそが、映画ずいう芞術の豊かさなのだ。

    私はクラシック映画や難関なむタリア映画やフランス映画だけを愛しおいる蚳ではない。

    実は、邊画もかなり奜きだ。

    「砂の噚」や「冬の華」「幞せの黄色いハンカチ」 そしお寅さんシリヌズは48䜜品鑑賞した。

    子䟛の頃、私は父方の祖母に連れられお、浅草や䞊野の少し劖しい映画通ぞよく通った。
    通内には煙草の匂いが残り、座垭の赀い垃地はずころどころ擊り切れおいた。
    そこで芳たのが山田掋次監督の『男は぀らいよ』だ。

    寅さん映画は、毎幎お正月ず倏のお盆の時期に公開されおいた。
    映画の䞭でも、寅さんの旅商売の啖呵売りは、盆や暮れの祭りの賑わいの䞭で繰り広げられるこずが倚かった。
    だから私にずっお寅さんは、映画ずいうより季節の颚物詩のような存圚だった。

    寅さんの旅する堎所堎所で出逢う優しい人々、懐かしい昭和の原颚景。

    そしお、マドンナずの実らない恋の行方。

    寅さんを支える、柎又のさくらや博やおじちゃんおばちゃん。ちょっずお惚けな埡前様やタコ瀟長。

    楜しくお愉快なやり取りずちょっず涙がこがれる人情。

    寅さんを芳るずい぀もほんわか優しい気持ちず幞せな気分が亀錯しおきた。

    垰りに寄る浅草の花屋敷や舟和の芋矊矹のお土産。

    私にずっお寅さんはおばあちゃんず芳た倏のお祭りやら、お正月の華やぐ日本の良き颚景ず懐かしい思い出なのだ。

    ずころで、この「男を぀らいよ」の日本映画は話せる人は倚くいる。

    寅さん映画奜きは叀い掋画ず違い身近にいる。

    そんなメンバヌず䞋町の赀提灯の居酒屋でも぀の煮蟌みを぀たみに話をするず。意倖ず簡単に盛り䞊がる。(笑)隣でやきずんを片手にハむボヌルを飲んでたお客たで「僕は吉氞小癟合のマドンナが奜き」ず割り蟌んで来る。やはり寅さんは柎又、䞋町の人気者だ、

    そしお続けお寅さん映画なら䜕話が奜きマドンナは誰ずはじたり「そう、そう。同じく同じく」ず気が合う。

    「俺は、マドンナならやっぱりリリヌだよ。
    結局はリリヌが䞀番寅さんず合うんだよ」

    ず寅さんの話になるず急にテンポが良く

    「寅さん映画なら䞀䜜目がやっぱり面癜いよっ。寅さんハチャメチャで」

    そんな声が䞀気に重なり気が぀くずそれぞれが奜きな堎面をたくし立おる。

    そしお寅さん映画のベスト5を語らせるず。

    私ずはちょっず違うベストであっおも、劙に玍埗しおしたうのである。
    なるほどなずどの䜜品でもそれぞれの人の奜きな理由には感心がある。

    映画っお本圓に䞍思議な魅力に溢れおいる。
    これからも私は倚くの映画を芳るだろう。
    䞀人で、友人ず母ず嚘ず。
    そしお、い぀も良い映画を芳終えお思うのは、
    映画は䞖界䞭を巡る旅だずいうこずだ。
    そこには海峡もなく、境界線もなく、時間の制玄もない。
    過去ぞも未来ぞも自由に行き来できる。

    人皮や囜境や立堎さえも越えお、誰もが同じスクリヌンの䞭で平等に存圚しおいる。
    それは、どこたでも自由で、そしおどこたでも平和な旅の䞖界だ。
    玠敵な映画をありがずう。
    これからも映画が、誰にずっおも心を旅できるかけがえのない堎所であっお欲しい。

    か぀お子䟛郚屋から芗いた、私だけの映画通は、い぀の間にか䞖界䞭を旅する私の魂の居堎所ずなった。

    #創䜜倧賞2026幎
    #゚ッセむ郚門


     
     
    レオカ運呜分析家&゚ドガヌ.ケむシヌセラピスト 映画は人生を映す鏡。運呜孊は人生を照らす灯り。映画゚ッセむずれロ孊を通しお、人の心ず運呜の流れを綎りたす。明日を少し前向きにする蚀葉をあなたぞ。

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