運命は、作れてしまうのかもしれない
出会いは、もっと偶然のものだと思っていた。
街ですれ違ったり、
同じ場所に居合わせたり、
理由もなく気になってしまうような、そんなものだと。
でも、もしかしたら。
あの時感じていた「運命みたいな感覚」も、条件が揃って、タイミングが合って、少し会話が続いただけで、簡単に生まれてしまうものなのかもしれない。
人はそれを「特別」だと、錯覚してしまう。
でも、気づけば恋愛は「マッチングアプリ」の中にあった。
20代前半。私が大人になった頃、それが当たり前の出会い方になっていた。
名前の通り、やさしい仕組みだと思った。
数年後には、これが主流になるのだろうと、どこかで予感していた。
周りの友人に勧められ興味本位で登録してみた。
けれど、私にはマッチングアプリは合わなかった。画面に並ぶのは、顔写真と、性格や長所が整えられたプロフィール。
それを見て「いいね」を押せば、出会いが始まる。
違えば、何も起きないか、静かにスルーされる。
そこにあるのは、シンプルで、無駄のない仕組みだった。
でも同時に、少しだけ違和感もあった。
書かれている情報を信じなければ、何も始まらない。
けれど、それだけでその人を知った気になることにも、どこか抵抗があった。
普段の生活の中で出会っていたら、
きっと話しかけることもなかった人と、自然にやり取りが始まる。
それは新しい出会いの形で、可能性が広がっているようにも思えた。
でも同時に、少し不思議でもあった。
どうして私は、この人と話しているんだろう。
偶然でもなく、必然とも言いきれない。条件や印象で選ばれた先にある関係。
その中に、「運命」と呼べるものはあるのだろうか。