
答えは見つからなかったけれど
最近、人生でいちばん落ち込んでいるんじゃないかと思うくらい、気持ちが沈んでいた。
何をしていても心のどこかが重たくて、考えなくていいことまで考えてしまうし、眠ってもすっきりしなくて。
そんなある日、「このまま家にいてもなあ」と思って、少しだけ足を伸ばして小旅行に出かけた。
行き先は特に決めていなかったのに、なぜかふと奈良県の長谷寺に行きたくなった。
ちょうど紫陽花の季節。
境内には色とりどりの紫陽花が咲いていて、青や紫、ピンクの花が雨上がりの空気によく似合っていた。
花を眺めながら歩いていると、少し前まで頭の中を占領していたあれこれが、ほんの少しだけ遠くに感じられた。
長谷寺の観音様にも手を合わせた。
特別信心深いわけではないけれど、観音様の前に立つと、
不思議と「大丈夫だよ」と励まされるというより「つらかったね」と寄り添い、一緒に泣いてくれているような気がした。
そんな言葉を実際に聞いたわけではないのに、優しく見守られているような気持ちになった。
ずっと自分が弱いから苦しいんだと思っていたけれど、その時間だけは悲しみを否定せずにいてくれた。
ただ静かに寄り添ってくれているような気がして、気づけばほんの少しだけ肩の力が抜けていた。
長谷寺を後にして、帰りに大好きなカフェへ立ち寄った。
ここは何度も来ているお気に入りの場所。
そこで思いがけず、心がふわっとほどける出来事があった。
看板犬が私の足元にやってきて、まるで「ぼくはここにいるからね」って言ってるみたいに寄り添ってくれて。
撫でていると、気持ちよさそうにうとうとし始める無防備な姿に、つい頬っぺたが緩んでしまった。
最近は自分のことで精いっぱいで、こんな風に自然に笑ったのはいつぶりかなって思った。
その嬉しさをぽろっとSNSに投稿した。
すると、すぐに反応をくれた人がいた。
何気ないひと言だったけど、そのタイミングがありがたかった。
最近は、自分の気持ちを誰かに話すことすら少し怖くなっていたから。画面の向こうに「見てるよ」「わかるよ」って言ってくれる人がいることが思ってた以上に心強かった。
だからその出来事は、小さなことだったのに、想像以上に心を明るくしてくれた。
帰りの電車では、落ち込みそのものが消えたわけじゃなかった。
現実は何も変わっていないし、悩みもちゃんとそこにある。
でも、ずっと背負っていた荷物が少しだけ軽くなった気がした。
人生がうまくいかない時って、「何か大きな出来事が起きて解決する」ことを期待してしまうけれど、案外そうじゃないのかもしれない。
紫陽花がきれいだったこと。
観音様の前で少し気持ちが落ち着いたこと。
カフェの看板犬が私の足元でうとうとしていたこと。
SNSを、投稿したら思いのほか早く返事が返ってきたこと。
どれも特別な出来事ではない。
だけど、その日はそういうことが嬉しかった。
先のことを考え始めると、どうしても不安になる。
悩みがなくなったわけでも、答えが見つかったわけでもない。
それでも、その日は少しだけ呼吸がしやすかった。
しばらくは、そんな日を一日ずつ増やしていけたらと思う。