
シカゴで一か八か
甘野充さんの「アマノ文筆クラブ」企画に参加させていただきます。
早速で申し訳ないが、ゆっくり話している暇はないんだ。
すまないね。今日はとにかく忙しいんだ。
仕事を午後から半日休んで、銀行に行って役所に行って。
ここまででもう夕方だよ。
僕のタイトなスケジュールはまだ終わらない。
この後、歯科口腔外科の予約も入っているうえ、その直後にマッチングアプリで知り合った女性と初めてのデートだ。
可能なら歯医者と同じ日は避けたかったが、あちらも忙しい方のようだし、
なによりこの世界では女性が圧倒的に選ぶ側だ。うかうかしているとフェードアウトされて終わりだ。
写真で見るかぎり、僕の好みにドンピシャな女性だ。なんとかお近づきになりたい。
今日は「親知らずの抜歯」という歯医者の中では大きめのイベントではあるが、なんとかなるさ。多少無茶をしてでも今日のデートは成功させなければいけない。
おっと。そうこうしているうちに、もう歯科口腔外科の予約時間が迫っているじゃないか。急がなければ。
*
ふぅ。やはり親知らずの抜歯となると、いつもとはわけがちがう。
麻酔の本数も普段より断然多かったようだ。そのせいで少し喋りづらい。
しかし、待ち合わせの時間には間に合いそうだ。
幸運の女神は僕に微笑んでいる気がする。
はたして、彼女は待ち合わせの場所にちゃんと来てくれていた。
最初の関門は突破できたようだ。
正直マッチングアプリでの出会いなんて一か八かみたいなものだ。
待ち合わせにすら来ないことなど日常茶飯事だ。
それがどうだろう。
写真で見たままの美しい女性が、今まさに僕に微笑みかけているではないか。
これはいつにも増して失敗は許されない。
予約していた雰囲気のいいお店も彼女は気に入ってくれたようだ。
歯医者から「今日は飲酒は控えてください」と言われたような気もするが、今日ばかりは仕方がない。
今日の出会いに…乾杯。
彼女の美しさに舞い上がっていた僕は、歯科後で麻酔が効いていることをすっかり忘れていた。正確には「話す時に少し不便」だということは認識できていたが、飲み物を飲んだ時にどうなるのかまで、気が回っていなかった。
ビチャビチャビチャ…
景気づけに少し多めに口に含んだワインが、口の端から全部流れ出る。
しかも赤ワイン。彼女の服は白。
大事なデートは、一か八かではダメだ。
少なくとも歯科後は。
僕は、何も言わずに出ていく彼女を、
「あばばばば」と言いながら見送ることしかできなかった。