
【#創作大賞】エッセイ部門野良猫に家を買わされた女
1冊のファイルを開いた。
そこには30匹の猫の名前と写真があった。
私は忘れていた記憶を思い出すように
ページをめくった。
2019年5月。
平成から令和へと元号が変わったその年、
私はひとつの大きな決心をした。
野良猫のTNRを始めようと思ったのだ。
それまでの私は、
ごく普通の薬局の事務員だった。
ただ、無類の動物好きだった。
しかしそれでもまさか自分が
野良猫を捕獲して不妊手術して。
なんてことをやるなんて想像すらしなかった。
けれど、あの頃出会った野良猫たちが、
私の人生を少しずつ、
そして大きく変えていった。
私の住む地域には、
昔から野良猫が少なからずいた。
しかし、住人同士が揉めるほどではなかった。
近所の人達の話だが、
そもそもの発端は、
一人の高齢女性が3匹の猫を
連れて引っ越してきたことらしい。
中外自由にさせていた猫達は
未去勢、未避妊。
当然のように猫は徐々に増えて行った。
その頃から苦情は出ていたようだ。
特に、近所にいつも酔っ払ってる
男の人がいるのだが、
その家に乗り込んでは
「猫殺すぞ」と怒鳴り散らしたり、
保健所や市役所にクレームの電話を
何度もかけると言うことだった。
何の解決もないまま、
事態はさらに悪化する。
この飼い主がいた頃は猫の数は多いながらも
一定の数を保っていた。
なぜなら、恐ろしい話ではあるが
生まれた子猫は、遠くへ捨てられ、
他にも無残なことをしていたと後に聞いた。
しかし、この高齢女性は猫を置いて去った。
ここから爆発的に猫が増えたのだ。
そして、他にも原因があった。
ただ可哀想だから、かわいいからと
無責任に餌を与える住民が少なくなかった。
そして、買い物帰りに餌をばら撒く人もいた。
同じ地域に住んでいるとは言っても
うちとは少し離れているため、
私がこの現状を知ったのは、
この地区の区長をしていた父親の言葉だった。
「猫が三、四十匹おるぞ」
何ですって?私は驚いた。
さらに春に産まれた小さな子猫が、
たくさんチョロチョロしていると
言うではないか。
私は様子を伺うために、現場へ行った。
いるいる、衝撃的な光景だった。
いつのまにこんなにたくさんの猫が。
これは何とかしなくてはいけない。
私は今できる最善の策を知っていた。
その頃の私は、あるブログのファンで、
過去のものまで貪るように読んでいた。
それは、「犬猫みなしご救援隊」の
代表のブログだった。
そこでTNRという活動を知った。
野良猫を捕獲して不妊手術をして
元の場所に戻すという方法だ。
不幸な猫をこれ以上増やさない、
今できる最善の方法である。
私にもできるかもしれない。
そう思った。
いや、やるしかないと思った。
幼い頃から何匹も猫を保護して飼ってきた。
でも、慣れてない野良猫を捕まえたことなど、
一度もない。
最初は不安しかなかった。
そして、何よりその資金だった。
私はインスタグラムに、この計画を投稿した。
すると、ブログ時代からの長い読者さんが、
自分にもできることを協力したいと言ってくれた。
そして、なんと、10万円もの大金を
振り込みをしてくれたのだ。
これには驚いた。
会ったことも話したことすらない、
ネット上の知り合いでしかない私に、
「猫達のために使って」と託してくれた。
涙が出るほど感謝した。
地道に1匹ずつやるしかないと思っていたのに、
この資金のおかげで一気に進めることができる。
そう思った矢先に問題が立ち塞がった。
一人の餌やりが、猫が可哀想だから
やめてほしいと泣いた。
意味がわからなかった。
私がやろうとしていることは
可哀想なことなのか?
ガリガリに痩せた猫。
目やにがいっぱいの猫。
子猫の足だけが落ちていたとの話も聞いた。
それらは可哀想ではないのか?
心が折れそうになった私は、
すがるような思いで
「犬猫みなしご救援隊」の代表に電話をかけた。
餌やりたちを説得できる、
魔法のような言葉を教えてもらいたかった。
しかし、電話の向こうから返ってきたのは、
私の甘えを鋭く切り裂く言葉だった。
「あんた、その人たちを説き伏せられる一言を聞きたいんだろうけど、そんなものはないよ」
ズバッと言い当てられ、息が止まった。
代表の言葉は続く。
「あんたは、猫を助けたいの?
それとも、人に感謝されたいの?」
涙が溢れて止まらなかった。
悔しさでも恐怖でもない。
自分の心を見透かされた衝撃と、
猫たちの命の重みが一気に押し寄せてきた。
「……猫を、助けたいです」
泣きながら、絞り出すように答えた。
「だったら、一人でやんなさい。
誰の許可もいらん」
そして、広島本部で行われる月に一度の
TNR一斉に猫を連れてくるよう言ってくれた。
勇気を出して電話してよかった。
腹が決まった。
私はもう、誰かに好かれようとする
「動物好きな優しい薬局事務員」
ではいられなかった。
すぐに区長である父に頼み、
地域でご飯をあげている餌やりたちを
集めてもらった。
集会所に集まった彼らを前に、
大きく深呼吸する。
私はTNRの必要性を、
一歩も引かずに説明した。
6月の最後の日曜日、広島での手術が決まった。
まずは雌猫10匹で予約を入れ、
通販で安いケージを10個準備した。
当時何も知らなかった私は、
捕獲機ではなく、
普通のケージを購入したのだ。
今にして思えば、本当に無謀だった。
そして、猫達全員に名前を付けた。
雄雌の判別と一緒に。
初めは苦労した。
あまりにみんなそっくりで見分けがつかない。
それでも第一陣のメンバーは決まった。
前日の捕獲の時、見たこともない美味しそうな
キャットフードに釣られた猫たちは
次々とケージに入ってくれた。
そして、予備に用意したケージに
雄猫チャトンが入ってしまった。
迷ったが、連れて行くことにした。
こうして、総勢11匹の野良猫を連れて
翌朝午前4時、広島へと出発した。
車内の猫たちに何が起きるかわからないし
高速道路の運転は慣れてない。
福岡県から広島県まで、
下道で片道6時間の道のりをひたすら走った。
行きの最大の敵は悪臭だった。
猫達はケージの中で盛大に糞尿をした。
耐えがたい悪臭だった。
暑いから冷房を効かせたい。
でも、とてもじゃないが、
窓を開けずにはいられない。
初めての広島までの猫たちとのドライブは、
想像を超えてきた。
そして、遠い、、、とても遠い。
山口県、とにかく長い。恐るべし。
ひたすらまっすぐ続く道のり。
きっと不安でいっぱいの猫たちは
それでも、鳴きもせずただ耐えていた。
自分たちの身に何が起きてるのかわからず。
私は少しでも猫たちを楽しませるよう、
明るく話しかけた。
「みんな、海だよ!」
と、テンションをあげた。
「海を見ることなんて、二度とないよ」
当然だが、誰も見てやしなかった。
途中寄ったコンビニでは、
車内を見て驚いた人に激励をされた。
犬猫みなしご救援隊広島本部に到着したのは
午前10時半。
猫達はみんな変わりなくほっとした。
手術が終わるのを車の中で待機する。
どうか、全員無事に元の場所へと帰れるように
祈りながら。
手術が終わり、ケージに入った猫達を
車に乗せる際、代表が手伝ってくれた。
私はミーハーにも、
持参した著書にサインをねだった。
私と電話で話したことを覚えていてくれた。
「誰も手伝ってくれんやったん」
と苦笑いされた。
猫達の状態はあまり良くないこと、
そして、3匹が妊娠していたと聞かされた。
代表から渡された3つの包み。
生まれることのなかった命があった。
11匹。
「母猫の暮らす場所に埋葬してあげて」
私はまさかという思いだった。
みんなもう産んだ後だと思っていたから、
堕胎やむなしとはわかっていても、胸が痛んだ。
帰り道の猫達は麻酔でうつらうつら。
そして、嘔吐する子も居た。
気にかけながら、休みながら帰路に着いたが、
私には強敵がいた。
睡魔だ。朝の緊張から少し解放された私は、
猛烈な睡魔に襲われた。
帰り道は永遠に続くとさえ思われた。
やっぱり長いよ、山口県。
家に帰り着いたのは夜の8時を過ぎ、
術後の様子を見るために、
翌朝までケージのまま過ごしてもらう。
この頃、父の所有する車庫が近所にあり、
出発前の待機場所、帰宅後と、
活躍してくれた。
翌朝全員を無事にリターンした。
勢いよくケージを飛び出す子や、
慎重に出て行く子。
みんなの耳にはV字のカット。
手術済みのしるしだ。
こうして福岡から広島へのTNR大遠征は、
無事に終わった。
当初の目標は、TNRだった。
しかし、私はこの11匹の猫たちを
放っておくことが出来なかった。
もう繁殖することはなく、
一代限りの猫生を生きてもらうこの子たちが
せめて飢えに苦しむことがないように、
餌やりを始めた。
それは、残りの猫たちの捕獲にも非常に
重要なことだった。
最初の捕獲はいわば、誰でもよかった。
しかし、今後の捕獲は、
手術してない子じゃないといけない。
餌やりをすることで、姿を見せてくれる。
でも、これが一筋縄ではいかなかった。
初めは、広島へ何度か行こうと考えていた。
しかし、残った警戒心の強い猫を
何匹もまとめて捕獲できる気がしなかった。
そして、白状すれば、
あの広島遠征に懲りたのが、本音だった。
まだまだいる猫達のTNRは、
「どうぶつ基金」が発行する
無料チケットを申請した。
しかし、欲しい枚数のチケットは
なかなかもらえず、
月に1匹、多くて2匹がやっとだった。
チケットがもらえると、
協力病院に予約して連れて行く。
チケットは手術費用は無料だが、
抗生剤の注射、ワクチン、ノミダニの薬は全て
自己負担だった。餌代も大きくのしかかる。
そして、私には飼い猫もたくさん居た。
この年には、重い病と闘っている子もいた。
その治療費も嵩んだ。
それでもチケットを申請し、
病院の予約を取り、仕事の休みを合わせ、
前日の捕獲に挑んだ。
今度は捕獲機を購入した。
残った子達は、ちょっと怖いボス猫クラスの
大きな雄猫や、この年に生まれた子猫達。
警戒心がとても強かった。
翌日に手術を控えているため、失敗は許されない。
夕方の餌の時間に捕獲するしかチャンスはない。
私は毎回、吐き気を催すほどの
プレッシャーと戦った。
ボスと名付けた大きなチャトラ猫には
本当に手こずらされた。
元々みんなの輪の中にも入らず、
一歩引いた猫で
なかなか捕獲機に近付かなかった。
ボスの捕獲をしたいのに、
別の手術済みの子が入って
おびき寄せの特別な餌を食べてしまった。
「あぁ、もう!」
何度も泣きそうになった。
ボスがやっと捕まった時は、安堵の涙が出た。
大きな雄猫には共通点があった。
捕獲機の中で、鳴きも喚きも暴れもしないのだ。
どっしりと、まるですべてがわかっているかの
ように、動じなかった。
その姿に胸が熱くなった。
この現場のリーダーのようなキジ太は、
大人しすぎて動物病院の人を驚かせた。
日々そんなプレッシャーと戦いながらの
TNR活動に忘れられない出来事が起きた。
その日の捕獲予定は、雌の三毛猫。
最後の雌猫だった。
ミケと名付けたその猫は、一番の古株だった。
しかし、捕獲は決定的に失敗した。
翌日の病院予約、期限間近の無料チケットを
無駄にするわけにいかない。
私は、予定外の雄猫を捕獲した。
大人しい小柄な子だ。名前はキジ丸。
無事手術も終わり、翌日のリターン後も、
ゴロゴロ言いながら私にまとわりつく。
怖い思いしたはずなのに、急に懐いてきた。
なんて可愛い子だろう。
その可愛い姿が、キジ丸の最後となった。
その日の夕方、ご飯に現れなかったので、
心配で探したが、見つからなかった。
次の日は、大雨で、猫たちの姿は
ほとんどなかった。
私はキジ丸が心配で、近所のおばさんに尋ねた。
おばさんは、
「いつもここにおるんやけど」
と言った。
それから一週間。
私が耳にしたのは衝撃的な事実だった。
おばさんの家の床下から悪臭がするので
覗いてみたらキジ丸が死んでいたと、、、
慌てて駆けつけた私が目にしたのは、
こんもりと盛り上がった土。
雑に被せられた土の間からは、つけたばかりの
さくらねこのしるし、V字カットの耳があり
それがキジ丸であることを物語っていた。
「なんで?」
術後あんなに元気だった。
あんなに可愛い姿を見せてくれた。
打ちひしがれる私に追い討ちをかけたのは
住民達の話し声だった。
私がそばで聞いていると知らずに
「可哀想に、手術なんてせんでよかったんよ」
私を責める言葉だった。
その声は紛れもなく、最初にTNRが可哀想だと
言ったあの住民と、
区長である私の父親のものだった。
胸が張り裂けそうだった。
苦しくて苦しくてたまらなかった。
ごめんね、キジ丸。
私は、罵られた父らの言葉より、
キジ丸に申し訳なくて涙が止まらなかった。
命と向き合うことはこういうことだ。
私には重すぎる。
何が原因だったのか、執刀した動物病院や、
うちの猫のかかりつけの動物病院でも聞いた。
誰もが手術との関連は
低いのではないかと言った。
たまたま、このタイミングで、
その子にトラブルが起きたのではないかと。
それでも、私の心は軽くはならなかった。
もう、TNR辞めたい。
私の心はポッキリと折れた。
でも、本当にそれでいいのか?
キジ丸の死を無駄にしてもいいのか?
私はまた、犬猫みなしご救援隊の代表に
すがった。
代表は、キジ丸の当時の様子を聞き、
「淘汰されるべき命だったんだろうね」
と言った。
この言葉は、私の心にストンと落ちた。
そして、代表はこう続けた。
「本当の動物愛護ってのはね、どれだけのことを
してやったかじゃないよ。
たった一人でもその子のことを思い、
その死を悲しむ。
これが、動物愛護なんよ」
私は再び立ち上がった。負けるな、強くなれと
自分を鼓舞した。
1匹、また1匹と着実に手術を終えていった。
私にはもう1匹忘れられない猫がいる。
真夏の暑い日、鳴いていた子猫。
どこからきたのか、たった1匹で。
この現場で生まれた子ではない。
まだ近くに、未避妊の雌猫がいるのか?
私は、その子猫をこの現場の仲間に引き入れた。
バブバブと名付けた子猫は、
よく食べ、大人猫のしっぽにじゃれて
遊んでいた。
その姿はとても微笑ましかった。
しかし、そんな無邪気な様子は
長く続かなかった。
子猫は体調を崩した。
すぐに子猫を保護して、病院へと走った。
しかし、治療の甲斐なく、
みるみる悪化していく。
頑張れ、生きろ、しっかり!
保護して3日後、バブバブは、
そのあまりにも短い一生を終えた。
無力、ただそれだけだった。
助けられなかった自分の無力さを悔やんだ。
そして、だからこそバブバブに誓った。
バブバブのような子をもう出さない。
野良猫は自由で幸せか?
TNRは、猫の自然の摂理を壊す行為か?
捕まえて勝手に手術するなんて、
可哀想なのか?
私はそうは思わない。
猫は野生動物ではない。
怪我、病気、事故、過酷な暑さ寒さ、虐待。
特に子猫が元気に育つのは大変なことだ。
それでも、猫の繁殖力は強く、増え続ける。
私は、今でもバブバブのことが忘れられない。
あの子猫のあどけない姿。
そして、小さな体が動かなくなった姿が。
目標の頭数の手術を終えた後、
私は18匹の猫たちの餌やりをしていた。
多くの猫たちの居場所は、
空き家周辺で夕方になるとそこまで餌を運んだ。
雨の日も、風の日も、雪の日だろうが、
私は毎日欠かすことなく餌を運んだ。
食べ終わるまで見守り、食器を片付けた。
猫たちはとても賢い。
時間になるとどこからともなく集合した。
ついには、仕事から帰る車の音すら覚えた。
そして、私の家もしっかり記憶し
時間になると迎えにきた。
18匹の猫が集合する姿は圧巻だった。
私は猫たちに与えるキャットフードにこだわった。
過酷な環境で生きる猫たちだからこそ、
栄養をつけ、強い体を作る必要がある。
おかげでどの子も野良猫とは思えない
立派な体格になった。
「みんな丸々太って」
色んな人に言われた。
毛並みもよく、風邪を引くこもいなくなった。
私は、堂々とこの子達にご飯をあげた。
しかし、いつのまにか私は
猫を増やした張本人、悪者になっていた。
あの人が餌やりしてるから、猫がたくさんいる。
元々の餌やり達は、まるで人ごとだった。
苦情は、市役所や保健所へ。
もちろんあの酔っ払いだ。
私は最初からの経緯を説明した。
職員達は地域猫として
登録することを勧めてきた。
しかし、その条件はとてもハードルが高いものだ。
たとえ地域猫になったとしても
保護しない限り、
猫がいなくなるわけではない。
だが、私が無責任に
餌を与えてるわけではないことは
理解してもらった。
そして、苦肉の策として、
餌やり場所をできる限り
その酔っ払いの家から
遠ざけることにした。
私は自分の家の方へと猫たちを誘導した。
しかし、それはそれで心配もあった。
うちは道路に面していて、車の危険と、
人目につくという問題があった。
私は猫たちへの人間からの危害も恐れていた。
だから、この場所に猫がいることを
知られたくなかったのだ。
そこで、ここならばという場所を見つけた。
私の自宅の裏に長期間留守のままの家がある。
高齢女性が1人で暮らすのが難しくなり、
子供のところへ行ったまま、
空き家になっていた。
私はその家の前を借りて餌やりをした。
しばらくは、静かに落ち着いた日々が続いた。
このまま、この子達を見届けよう。
私の心は穏やかになった。
しかし、毎日の餌やりは
簡単なことではなかった。
餌やりだけではない、保護できない以上、
猫達は常に危険に晒されていた。
ある時は、背中に大きな傷を作り膿が
溜まった子がいた。
指先を怪我して血が出ている子がいた。
首を何者かに噛まれ、
皮がベロンと剥がれた子も居た。
口の中のトラブルで、
痛くてご飯が食べられない子も多かった。
その度に、捕まる子は病院へ。
捕まらない子は薬をもらってきて飲ませた。
ノミダニの駆虫薬、餌代、病院代と
のしかかる負担は、
とても大きなものだった。
そして、一番私を苦しめたのは、
自分の力不足だった。
悔やみ、自分を責めた。
それでも、できることをやるしかなかった。
限界があるのは仕方のないことだった。
その中で、責任を持つと決めていた。
しかし、そんな日々も束の間、
さらなる試練が訪れた。
これまで時が止まったようだった空き家に、
人の動きが戻ってきた。
そのままになっていた家財道具が次々と
運び出され、その作業は、約1ヶ月ほど続いた。
その間私は、毎日不安でたまらなかった。
この家の持ち主が亡くなり、
売りに出されることになった。
もしも猫嫌いの人が家を買い、
引っ越してきたら?
餌場どころではない、
今度こそ本当に猫たちの居場所がなくなる。
猫たちの存在すら許されないかもしれない。
どうする?どうすればいいんだ。
胃が痛くなるような毎日だった。
そして、私は決断した。
私が買おう、この家を。
すぐに仲介する不動産屋へ連絡した。
娘さんへ連絡をしてもらい、返事を待った。
毎日祈る思いで返事を待った。
鳴らない電話を何度も見る日々が続いた。
そして、ついに願いは叶った。
私でも買える金額で購入することが決まった。
涙が出た。本当によかった。
この子達の居場所を守ることができた。
忘れもしない令和3年12月28日。
家の売買契約が完了した。
全くの無関係だったけれど
ただ、見過ごせなかったたくさんの猫たち。
令和元年に決意して行動した私のTNR活動は、
とうとう家を買うということにまで発展した。
私は購入した家をリフォームし
実家から3匹の猫と共に引っ越した。
すでに犬が1匹、猫が6匹いたが、
このTNR中に、2匹の子猫を保護した。
もう、TNR活動はしていない。
なぜなら、これ以上責任を持てないからだ。
もしかしたら、あの時餌やりはせずに
広範囲に手術だけをしていれば
もっと野良猫は減ったかもしれない。
しかし、私は一緒に広島まで行った子たち
私を信じてくれた子たちをほうっておけなかった。
少しでも長く元気に生きていてほしかった。
飢えに苦しんでほしくなかった。
だから、この子たちを最後まで見守ると決めた。
保護できない以上、守るなんて偉そうなことを
言うつもりはない。
それは、事実守れなかった命を幾度も
見送ってきた経験からの思いだ。
あの捕獲に手こずったボス、
餌の時間には大きな体を揺らしながら
走ってくるようになった。
手術の時の病院では、動じない態度に驚かれた
みんなの兄貴のようなキジ太。
いつも離れたところで餌を待つ、
ビビリのトラノスケ。
まるで牛のような白黒柄で、
大きな甘えん坊だったウッシーは
お腹にハートマークがあった。
まだ若い、タイガ、ラン、コトラ。
そしてあの時、捕獲に失敗したミケは、
最期のときを我が家で過ごし、
私の腕の中で息を引き取った。
1月1日、元日の朝だった。
野良猫としては、かなりの長寿だった。
もうみんないない。
それでも、名もなき野良猫ではない。
1匹1匹名前があり、生きていた証がある。
現在残っているのは8匹。
今では朝晩ご飯を食べにくる。
私は、ファイルのページをめくる。
あれから7年。
あの年に生まれた子猫も、
もうシニアの入り口だ。
手術した時の体重、いなくなった日、
虹の橋を渡った日の記録。
何もできずに写真だけが残った子。
本当にこれ、自分1人でやったのだろうか。
振り返れば、特別な勇気があったわけではない。
今も猫たちを気にかけ、フード代にと
時折支援してくれる人がいる。
ひとつひとつ小さな勇気をかき集めたら、
善意の輪が広がった。
人は言う。
「なぜそこまで野良猫のために?」
答えはこうだ。
「そこに、命があるから」
まさか、あの時出会った猫たちに
家まで買わされることになるとは
思いもしなかったけれど。
目頭を押さえながら
私は、そっとファイルを閉じた。