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「書くを仕事にしたい」ってほんと?私の「原初的衝動」を探す旅

子どもたちを送り出し、スマホでPodcastを流しながら黙々とモップがけをしていた朝のこと。ある言葉が耳に入った瞬間、私の心がピコン!と反応した。

「〜〜のげんしょてきなしょうどうって、集めるっていう……」


げんしょてきなしょうどう、
原初的な衝動?


急いでモップを壁に立てかけ、スマホの元へ向かい、画面のバーを数mm戻す。


博物学の原初的な衝動って、「集める」っていうことと、「分類する」「整理する」っていうことなので、図鑑ってその一番プリミティブなところをやっている。

「ゆる言語学ラジオ」2025年7月15日
「図鑑に溺れようぜ!!!!!」14:00


原初的な衝動!プリミティブ!

わぁ、あわわわわ!とちいかわ化して、私はすぐにスクショを撮る。
自分の脳内に飴玉のように言葉を転がす。
原初的衝動、原初的衝動…。


自分がなんとなーく脳内に張り巡らせている興味の網に、これっていうキーワードが引っかかると、びくん!と反応するのは、私の昔からの習性だ。あれです、人間の会話の中に「チュール」って出てくると反応を示すネコみたいな。

やりたいこと、夢、目標。そして原初的衝動。

今回の創作大賞中間発表後も、「本を出すのが夢」とか、「書く仕事をしたい」って文章をたくさん目にした。なんなら後者については、私も何度もnoteに書いているフレーズだ。

でも、私にとって「書くを仕事にしたい」は、キーボードを叩く指が引っかかるフレーズでもあった。

「書くを仕事にしたい」
「書くを仕事にしたい」
「書くを仕事にしたい」

…え、本当に、そうなんだろうか?
それって、私の本当にやりたいこと?



「原初的衝動」の飴玉を転がす内に、昔から大好きな整理収納コンサルタント、本多さおりさんの言っていたことを思い出す。


自分を生かせる仕事ってなんだろう? 本当に好きなことってなんだろう?と模索する中で、知り合いのカフェオーナーに、「好きなことって、知らず知らずのうちに、やっちゃっていることなんだよ」って言われて。

「もうやっていうることってなんだろう?」と自分の周りを改めて見渡してみたら、「私片付けてるわ〜!」って思ったんです。

https://ichidanoriko.com/feature/post/18580
Web記事でも同内容を見つけました。


博物学者の原初的衝動なら「集めたい」「分類したい」。
本多さんなら「片付けたい」。

きっと原初的衝動とは、誰に頼まれずとも、自ずと、息するように自然にやってしまうことなんだろう。

私にとって「書く」は、そして「書くを仕事にしたい」は、原始的衝動と言えるのだろうか?
否、書くことがいちばん好きだけど、私がやりたいのは、広く自己表現を仕事にすること。

………でもこれじゃあ、まどろっこしい。せっかくなんだから本多さんのように、スパッと動詞で言い表したい。見たい、聴きたい、歌いタイ!THE夜のヒッパレ!みたいに。(はい、平成元年生まれです。)



「自分の原始的衝動はなんなのか」というテーマを脳の片隅で転がしておきながら、ここ半月ほど、「書くこと」や「やりたいこと」に、どっぷり向き合い続けた。
質問箱から関連する問いをいただいたり、創作大賞の中間選考についてエッセイを書いたり。

決定打となったのは、私の「届けたいものがあるから、汚いジャイアンに向き合える」というエッセイにいただいたコメントだった。
書く部のお仲間であり、同エッセイの主題、「汚いジャイアン」というテーマを開いてくださったしーなさんが、とても温かいコメントを返してくださったのだ。

私は感激のあまり、こんな返事を書いた。



しーなさん、お返事ありがとうございます。しーなさんが、私に向き合って座ってくださり、じっくり耳を傾けてくれたような…とても満たされた気持ちです。感動です。


このときの満たされた感覚でピンとくる。

「書くを仕事にしたい」も嘘じゃない。
「自己表現を仕事にしたい」も本音だ。
でももっとプリミティブには、私は


「伝えたい」



のだ。




「今日、朝礼で校長先生が言ってたんだけどね」
「うちの担任の先生、また輪ゴムで髪を結んでてんで!」
「さいあく!隣の席の男子の机から、カビたパンがでてきてん!真っ青やったわ!」

子どもの頃は、子育て熱心・質問魔・聞き上手の三拍子が揃った両親によって、私の「伝えたい」欲は、最高に満たされていた。

新卒で入社した会社を1年で辞め、模範的な人生から脱落したあたりから、私はどこか、誰に対しても、「きっと話しても伝わらないな」って思うようになってきた。

私が伝えたいことは、上司がムカついたとか、映画で感動したとかじゃない。

なんで自分が会社に馴染めなかったのか。
人と違う道を歩くことは、間違っているのか。
自由に生きることは、家族に迷惑をかけることなのか。

今ここでつらつら書いてきたみたいに、本や人に出会いながら、思考がグネグネと山道を登るプロセスを、そのまま・丸ごと伝えたいのだ。

もうそんな話は、両親も受け止めきれなかった。たとえ当時からパートナーの夫でも、焚き火の前じゃないと聞いてもらえないレベルの話だ。


今の私にとって「書く」は、複雑なことを「伝える」手段。

途中で茶々を入れられたり、脇道に逸れたりせず、ましてや「ママ、のどかわいたーー!」が挟まることもなく。

過去の経験や、本で見聞きした情報を交えつつ、一つのテーマを、焚き火の前で語り合うように伝える。そしてそれに、じっくり耳を傾けてもらえる。

「書きたい」が先に来てたわけじゃないんだ。
「話して伝える」ができなくなったから、「書いて伝えて」いるんだ。

・

これまで自分が他者に語ってきた「夢」や「目標」を思い出す。

就活で第一希望がアナウンサーだったこと。落ちたその次は、出版社や広告代理店を考えたこと。教師になったこと。子育てが一段落したのを機に、「書きたい」って思ったこと。

「言葉が好きだから」「生まれたときからおしゃべりで」「本に救われてきて」「子どもたちにとって、世界の扉になりたい」「1人で家でできる仕事がいい」「好きを仕事にしたい」

これまで無理矢理、相手や状況に合わせて、「やりたいこと」を「それっぽく」言い換えていた。でも、どんな風に言い換えても居心地が悪かった。隠された欲望は下心に似ている。ずれたことをいう私の心で、グロテスクな存在感を放っていた。

私は自分を疑った。

それって承認欲求とはちがうの?目立ちたがり屋なだけじゃない?インフルエンサーになってチヤホヤされたいの?

ふふふ、そりゃ、そういう面もあるけれど。
でも、もう大丈夫。

私が人に頼まれなくても、自然と楽しくやっていたこと。その後見失って、探し続けてきたものが、ようやく戻ってきた気がする。

幼い頃、夢中になってパパとママに話していたこと。

「あんな」「それでな」「それからな。」

「伝えたい」が溢れていた頃の自分の手を、今もう一度取る。

またひとつ自分を知って、私はとても気分が良いことを、あなたに伝えたい。


⇩私的・創作大賞2026総括⇩

⇩エッセイは人生の副産物⇩


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海沼 衣々花|よく生き、よく書く人 書くを仕事に。一歩踏み出したばかりです。 毎日ヨタヨタ、おろおろ書いてます。 サポートいただけると跳び上がって喜びます。 コーヒーをご馳走していただくお気持ちで、お待ちしてます☕️