メインコンテンツへスキップ
見出し画像

memento mori その10 私の場合は… その2 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

     宗教という古典的なソリューションが今でも有効な場合もあるというお話の締めとして私のソリューションをご紹介しますね。

    経緯
    …………………………………………………………………………………………………………
     私の人生は幸せだったと言い切って他界されたというお話の続編。

     大人の絵本ブームの火付け役といわれるヨシタケシンスケさんの長編作品「メメンとモリ」との出会い。

     その1は、その作品とラテン語の「いつか死が訪れることを忘れるな」という言葉の件が引っかかったというお話と、そもそもこのラテン語をnoteでの作品を通じて教えてくださったmemento Mori(モリ)さんのお話、おニ人の力強い生き方、個性に脱帽したというお話。

     その2は、奇しくもその翌日に身近な人がコロナウイルスに感染して、既往症を悪化させて他界。しかも実は昨年末にも上述の既往症がコロナウイルスで悪化という全く同じパターンでのコロナ禍が身近で起こっていて、同じことが繰り返されていることを悔しく思ったというお話。

     その3は、私の人生は幸せだったと言い切って他界された方に生前充分そう言える人生のお手伝いができたというお話。

     その4は、そのパートナーの方が静かな心でその運命の日を迎えられたというお話でした。

     その5は、そのパートナーの方が喪主でのキリスト教式の儀式での偶然のお話でした。

     その6は 閑話として

     そもそもイエスキリストは宇宙からあるいは未来の地球人が時空を遡って来たのでは

    と感じたというお話でした。

     その7は資料編です。
    キリスト教式の儀式の一例です。

     その8は資料編の続きです。

     極々身内のみの小さな儀式。宗教というソリューションを採用したことによる全体的な明るい雰囲気を写真で味わって頂けきました。そしてイスラエルに駐在して感じた素朴なキリスト教が例えば欧州に広がり2000年熟成されたお作法の1つのリファレンスとなってmemento moriをスマートにやり過ごす1つのソリューション形式にまで発展して、人類の一部の人を救っていると感じているというお話でした。

     その9は、宗教という古典的なソリューションが今でも有効な場合もあるというお話の締めとして、宗教ではない私のソリューション

    ①物理学
    ②生物学
    ③今日までの人生成果
    それをまとめて心の始末という感じ。

    の中の
    ①物理学
    のお話でした。

    …………………………………………………………………………………………………………

     今回は

    ②生物学

    の深堀りです。

     物理学の派生として生物学の体系も私の頭の中で整理されています。素粒子、原子核、水素原子とその後核融合が進んで多様な原子が生まれ、それに比べると遥かに緩いエネルギーの化学的なレベルでの結合から分子が生まれました。
     その極めて特異な結合が遺伝子で、その起源は今のところは宇宙からやって来たらしいということまでしか分かっていません。

     ですが兎も角この惑星地球に存在して進化し私達はその進化の中で存在しています。そして私の両親の性的な行為によって私の遺伝子が生まれ私の身体が存在しています。
     詰まりその行為の直前とその遺伝子で形成された生物としての私の機能が失われる時までが生ということです。
     裏返せばその前後が死ということです。

    memento mori的には、生まれる前を思い出せれば至極楽になれると思うのですが…

     残念ながら生まれる前の事は記憶になく、当然ビックバンやその前の宇宙のこと、この天の川銀河が生まれた頃のこともこの地球が形成されていく経緯も全く覚えていません。生まれて間もない子どもに訊いてみても覚えてないようです。まぁ子どもに訊く前に自分で思い出せと自分に言い聞かせてしつこく思い出そうとしていますが、今のところは成功していません。

     ですが少なくとも生まれる前、生まれていなかったから何か苦痛だったり残念だったということも無いというのが現在の結論。私の生まれる直前には、人類がこの惑星全体で世界大戦を繰り広げ、もし日本人として存在していたら…正に苦痛で存在したくなかった…。という意味では日本の高度経済成長期に生まれて良かったと心から思っています。
     ちと公害が酷かったとか、冷戦や民族紛争や、至近ではロシアのウクライナ侵攻等残念なところもあります。それでも私の知っている人類の歴史の中でも、海外畑としての歩んたサラリーマン人生の国際経験でも、今の日本で日本人として生きているのは幸運だと思います。

     話を戻せば、Again. 物理学的に次いで生物学的にも

    memento moriの始末は頭の中で既についている

    という感じです。

    つづく

    蛇足
     ネタバレですが、

    ③今日までの人生成果

    の中で詳述しますが、この遺伝子が私のパートナーの遺伝子と共になることで子孫の体内で生き続ける限りは生物学的には私は存在していると考えています。

    超蛇足
     これもネタバレですが、生物学的な遺伝子だけではなく、私の知を人工知能の中に埋め込めば、それもまた私が生物学的な死後も知的には存在していると考えています。

    超々蛇足
     これもまたネタバレですが、その意味ではこのnoteへの生物学的に存在している私の知のDumpは、人工知能へ埋め込むデータの作成という位置づけということなのです。

    ダンプ(Dump)
    コンピュータに保存してある情報を別の場所に格納すること。この場合生物学的に私の脳内に保存してある情報を例えばnoteという場所に作品という形で格納すること。



    この記事が参加している募集

     
     
    色々経験させて頂いたけど、今この瞬間人生が終わったとしても「とても幸せだった」と言い切れる超前向きな好々爺(笑)。地球環境に負荷を掛けさせて頂き「色々経験」したことを次世代の方々の参考になるようなコンテンツとして残そうと思っています。知のReuse&Recycle、究極のエコ。

    あなたへのおすすめ