
セックスを断ることは基本的人権だ
いつからセックスレスに悩むことがこんなに市民権を得たのだろう?
ドラマで取り上げられたり、どこを見ても同じような話が流れてくる。
今やママ友(対して仲良くない人)の集まりでも、話題になる。
本来とても個人的である内容が、どうしてこんなにも自然に語られるようになったのだろう。
一方で、断る側の立場はほとんど語られることがない。
女として男として魅力がないと言われているようだ、拒絶で傷ついた――そういう声の前では、断る側はどうにも部が悪い。
だがあえて言いたい。
したくもないセックスを断るのは基本的人権ではないだろうか?
本来であれば、断る側の権利が先に守られていていいはずなのに。
男性であれ、女性であれ、相手が恋人であろうと配偶者であろうとだ。
断る理由だって、眠いとか、なんとなく嫌だ、だっていいはずだ。
断る側だって、相手が傷つくことくらいわかっている。
多くの場合、関係が壊れるかもしれない、今までと空気が変わるかもしれない、そんなことも想定して勇気を出して断っている。
私自身は離婚も辞さない覚悟で断っている。
誘う方も勇気なら、断る方も勇気だ。
誘って断られた方が魅力がないのだろうかと悩めば、いつの間にか断った方に罪悪感が積み上がっていく。
ましてや、人格を否定したとまで言われたら、もうどんなに嫌でも足を開いて寝ているべきなのかと、こちらも追い詰められる。
関係は、どちらか一方の正しさでできているわけではない。
誘う側の勇気も、断る側の勇気も、
本来は同じ場所にあるはずなのに、
現実の中では、いつの間にか重さがずれていく。
そのずれの中で、
どちらかが傷つき、どちらかが罪悪感を背負う。
そういう関係が、静かに出来上がっていく。
私は、その中で断る側に立っている。