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正しさの居堎所『 戻っおくる道 』

村には、同じ道が䞉本あるように芋えた。

䞀本は、朝に通る道。
䞀本は、昌に通る道。
もう䞀本は、垰りに通る道だった。

もちろん、本圓は䞀本しかない。

田んがず畑の間を抜けお、叀い共同食堂ぞ続く现い蟲道。けれど、朝ず昌ず倕方では、たるで別の道に芋える。

「同じ堎所なのにね」

菜月が蚀うず、隣を歩いおいた蓮は少し考えおから答えた。

「同じだからじゃない」

「䜕が」

「戻っおくるから、
 違っお芋えるんじゃない」

菜月は意味が分からず笑った。 その時は。

村では今、叀い共同食堂を盎しおいた。䜿われなくなっお十幎以䞊経぀。

壁は煀け、窓枠は歪み、裏手の倉庫には錆びた蟲具や欠けた食噚が積たれおいた。

村の若者ず、倖から来た数人が、毎週末そこぞ集たる。

盎しおいる、ず蚀っおも、蚈画は曖昧だった。食堂に戻すのか。亀流所にするのか。䜕か別の堎所にするのか。

誰も決めきっおいない。
だから毎週、䜕かを䜜っおは壊しおいた。

棚を䜜る。
䜍眮が悪いず蚀っお倖す。
怅子を䞊べる。
やっぱり違うず戻す。
壁を癜く塗る。
䞀郚分だけ剥がす。

「これっお努力なのかな」

ある日、蓮が呟いた。壁際で朚材を削っおいた宗䞀郎が顔を䞊げる。

「知らん」

「即答だな」

「努力っお、やっおる途䞭に
 名前぀けるもんか」

宗䞀郎はたた鉋を動かした。削られた朚の皮が、现く䞞たりながら床ぞ萜ちおいく。

「埌から誰かが勝手に぀けるんじゃないか」

菜月はその蚀葉を聞きながら、窓を拭いおいた。

拭いお、少し離れお芋る。
もう䞀床近づく。
たた拭く。
同じ堎所を䜕床も。

汚れが取れたのか、それずも光の入り方が倉わっただけなのか、途䞭から分からなくなった。

そこぞ、村倖から来おいた矎緒が入っおきた。手には小さなノヌトがある。

矎緒は、この食堂で起きたこずを毎週蚘録しおいた。

誰が来たか。
䜕を盎したか。
䜕が壊れたか。
誰が䜕を蚀ったか。

「蚘録係」

菜月が聞いたこずがある。
矎緒は銖を振った。

「違うよ。党郚は曞いおないから」

「じゃあ䜕を曞いおるの」

「残ったや぀」

「䜕が」

「私に」

それ以䞊、矎緒は説明しなかった。

ある日、食堂で皿が割れた。倧きな音だった。その盎前に、宗䞀郎ず蓮が少し蚀い合っおいた。

窓の䜍眮をどうするか。
昔の圢を残すべきか。
新しく䜜り盎すべきか。

声は少しず぀倧きくなった。その時、矎緒が運んでいた皿が䞀枚、床ぞ萜ちた。

誰のせいでもない。矎緒の指が滑っただけだった。けれど、その音で二人ずも黙った。

その日の䜜業蚘録には、

「砎損 䞀件」

ずだけ残った。近所の老人が、隒がしいず圹堎ぞ電話したらしい。皿のこずは曞かれおいなかった。

翌週。

食堂の隅には、割れた皿の欠片が䞀぀だけ残っおいた。誰も拟わなかったのか。誰かが、わざず眮いたのか。菜月には分からない。

ただ、その欠片を芋るず、あの日の沈黙だけは思い出せた。

蚀い合いの内容よりも。誰が正しかったかよりも。皿が割れた埌、宗䞀郎ず蓮の間にあった、劙に広い䞉歩分の距離を。

次の週には、その欠片も消えおいた。

食堂では時々、誰かがいなくなった。
毎回来おいた人が、突然来なくなる。
次の週には戻っおくる人もいる。
二床ず来ない人もいる。

理由はほずんど語られない。

「今日、真玀さん来ないんだね」

菜月が蚀うず、矎緒は窓の倖を芋た。

「うん」

「䜕かあったのかな」

「さあ」

それだけだった。

䞍圚になるず、人は理由を䜜りたくなる。

忙しいのか。
嫌になったのか。
誰かず喧嘩したのか。

でも矎緒は、ほずんど䜕も蚀わなかった。ただノヌトの䞀行を空けた。䜕も曞かない。その空癜だけが、その日の蚘録だった。

倏の終わり頃、村に旅人が来た。
名前は悠人ず蚀った。
䞉日だけ滞圚する予定だった。

食堂の修埩を手䌝い、畑仕事を手䌝い、倜になるず皆ず䞀緒に飯を食べた。よく話す男ではなかった。

菜月ずは、初日に少し話しただけだった。二日目はほずんど話さなかった。

䞉日目の朝、悠人は垰った。

「たたどこかで」

菜月がそう蚀うず、悠人は笑った。

「そうだね」

それだけだった。握手もしなかった。肩にも觊れなかった。ただ二人の間に、手ひず぀分くらいの距離が残っおいた。

数週間埌。

菜月は食堂の裏で䞀本のブラシを芋぀けた。泥の぀いた、小さな靎甚ブラシ。

「あ」

悠人が毎朝、長靎に぀いた土を萜ずしおいた。垰る時、忘れおいったのだ。

菜月はそのブラシを持ったたた、しばらく立っおいた。䞍思議だった。

悠人の顔より先に、長靎を擊る音を思い出した。シャッ、シャッ、ず也いた音。

その時になっお初めお気づく。自分は、圌が毎朝そこにいたこずを、ちゃんず芋おいたのだ。話した蚀葉はほずんど芚えおいない。

䜕を仕事にしおいる人だったかも曖昧だった。でも、朝の土を萜ずす音だけが残っおいた。

矎緒が埌ろから芗き蟌む。

「それ、誰の」

「  忘れ物」

「届ける」

菜月は少し考えた。

「䜏所知らない」

「じゃあ無理だね」

「うん」

菜月は笑った。ブラシは食堂の入口ぞ眮かれた。誰かが䜿い始めた。そのうち誰の物だったかも分からなくなった。

秋になるず、食堂の修埩は少しず぀圢になった。でも完成はしなかった。壁の䞀郚はただ剥がれおいる。

怅子の数も揃っおいない。時蚈は止たったたた。それでも人は集たるようになった。

ある倕方、矎緒がノヌトを読んでいた。

最初のペヌゞ。
二ペヌゞ目。
䞉ペヌゞ目。
そしお、たた最初ぞ戻る。

「䜕回読むの」

蓮が聞いた。

「䜕回目だろう」

「もう内容芚えおるでしょ」

「たぶん」

「じゃあ䜕で読むの」

矎緒は答えず、たた䞀ペヌゞ目を開いた。そこには最初の日の蚘録がある。

《窓、䞉枚。怅子、六脚。参加者、䞃名。》

それだけ。

以前読んだ時は、ただの数字だった。
今読むず、違う。

䞃人のうち二人はもう来ない。
䞀人は町ぞ匕っ越した。
䞀人は結婚した。
䞀人は時々戻る。

そしお、あの日ただ他人だった二人が、今は同じテヌブルで倕飯を食べおいる。

蚘録は倉わっおいない。倉わったのは、読む偎だった。

「  面癜い」

菜月が聞く。矎緒は銖を傟げる。

「分からない」

少ししおから 「でも、前ず違う」ず蚀った。

冬の手前。皆で食堂の倧掃陀をした。

棚を動かし、床を磚き、芁らない物を捚おた。壊れた籠。叀新聞。錆びた鍋。誰のものか分からない軍手。

「これも捚おる」

菜月が、泥の぀いた叀いブラシを持ち䞊げた。

「ああ、それ」

蓮が蚀う。

「ずっずあるよな」

菜月はブラシを芋る。悠人の顔を思い出そうずした。少し時間がかかった。でも、音はすぐ戻った。シャッ。シャッ。朝の土を萜ずす音。

「  眮いずこうかな」

「䜿うの」

「分かんない」

菜月はブラシを元の堎所ぞ戻した。

その日の倕方。皆が垰った埌、矎緒だけが食堂に残った。

窓から、収穫の終わった田んがが芋える。颚が、䜕も怍わっおいない畊を通っおいく。

矎緒はノヌトを開いた。䜕かを曞こうずしお、やめた。ペンを眮く。

今日あったこず。笑ったこず。誰かが忘れた蚀葉。捚おなかったブラシ。党郚を曞く必芁はない気がした。

窓の倖では、菜月ず蓮が蟲道を歩いおいる。二人の距離は近くも遠くもない。

手は觊れおいない。時々、歩幅だけが揃う。矎緒はそれを少し芋おから、ノヌトを閉じた。

食堂の入口には、あのブラシが眮かれおいた。もう悠人の物なのか、村の物なのか分からない。

けれど、誰かが忘れたものが、誰かの日垞の䞭ぞ残るこずもある。そしお、忘れた本人は、たぶんそれを知らない。

翌朝。

菜月はたた同じ蟲道を歩いた。

昚日ず同じ道。
䜕床も歩いた道。

途䞭で立ち止たる。
颚景は䜕も倉わっおいない。

それでも、䜕かが違っお芋えた。理由を考えたが、分からなかった。だから、そのたた歩いた。

食堂ぞ着くず、入口のブラシで長靎の泥を萜ずした。シャッ。シャッ。その音を聞いお、䜕かを思い出しそうになった。でも、思い出す前に忘れた。菜月は少し笑った。

「たあ、いいか」

そしお扉を開ける。

今日もたた、誰かが来お、誰かが来なくお、䜕かを䜜っお、少し壊しお、たた䜜る。

きっず埌になっおから、あれは䜕だったんだろう、ず考える日が来る。来ないかもしれない。それでも、芋えなくなったものたで、最初から無かったこずにはならない。

食堂の䞭から誰かが呌んだ。菜月は返事をしお、䞭ぞ入る。

颚だけが、開いた扉の隙間を 
少し遅れお通り抜けた。

いいなず思ったら応揎しよう