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正しさの居堎所『 町の掲瀺板ず老女 』

早苗が、街の広堎にある掲瀺板ぞ手玙を貌り始めたのは、䞉十五歳の頃だった。

今幎で六十五歳になる。だから、もう䞉十幎になる。

毎週、掲瀺板ぞ手玙を貌り付けたわけではない。曞きたいこずがあった日に曞く。

朝、窓を開けたら雚の匂いがしたこず  。

八癟屋で買った蜜柑が思ったより酞っぱかったこず  。

向かいの家の猫が、い぀の間にか自分より幎寄りになっおいたこず  。

春になるず、亡くなった母が䜿っおいた薄玫色の傘を思い出すこず  。

他愛のない出来事や、ふず感じたもの そんなこずを曞いた。

手玙の宛名は、い぀も空欄だった。

誰かぞ曞いおいるような文章なのに、その誰かが誰なのか、早苗自身にも分からない。

昔、䞀床だけ知人に聞かれたこずがある。

「誰に曞いおるの」

早苗は少し考えお、答えた。

「さあ」

それから、「でも、誰かに曞いおるのよ」ず蚀った。

その頃の広堎の掲瀺板は、今よりずっず小さかった。町内䌚のお知らせや、迷子の犬の情報を求める蚘事。

子どもが曞いた物語や野菜の安売り情報のチラシ。誰かの詩や、䞭には誰かぞの謝眪。

そしお 意味の分からない萜曞き。

䜕でも貌れた。
ただし、掲瀺板のスペヌスには限りがある。

新しい玙が貌られるず、叀いものから倖されおいく。早苗の手玙もそうだった。

数週間残るものもあれば、祭りの季節には数日でなくなった。早苗は、それをあたり気にしおいなかった。

曞いお、掲瀺板ぞ貌る。
掲瀺板からなくなる。たた曞く。

䞉十幎、その繰り返しだった。



掲瀺板に倉化が起きたのは、二幎前だった。

「もっず利甚状況が分かるようにしたい」

街の管理組合が、掲瀺板の暪に小さな蚈枬板を蚭眮した。最初に衚瀺されたのは  

《本日、この掲瀺板の前を通った人1,247人》ずいう数字だった。

「たあ」

早苗は少し驚いた。そんなに倚くの人が通っおいたずは知らなかった。もっずも、1,247人が掲瀺板を芋たわけではない。

買い物ぞ向かっおいただけかもしれない。埅ち合わせに遅れお走っおいた人もいるだろう。

それでも数字になるず、䞍思議な感じがした。千人以䞊の人が、自分の手玙のすぐ近くを通った。それだけで、少し嬉しかった。


ヌヌその半幎埌。


蚈枬板は改良された。今床は、それぞれの玙の前で立ち止たった人数たで衚瀺されるようになった。

早苗がその日貌った手玙には、《立ち止たった人 18人》ず衚瀺された。早苗は垰りかけお、もう䞀床戻った。

十八人。少ないのか、倚いのか 分からない。隣には、若い男性が曞いた短い物語が貌られおいた。

《立ち止たった人 146人》

「  ぞえ」

早苗は、男性の物語を読んだ。
面癜かったので倢䞭で読んだ。


ヌヌ翌朝。


早苗はたた掲瀺板ぞ行った。

自分の手玙《立ち止たった人 31人》
増えおいた。

その日の午埌にも芋た。

《46人》

早苗は少し笑った。



掲瀺板には昔から、蝶々の圢をしたスタンプが眮かれおいる。気に入った玙があれば、奜きな堎所ぞ抌しおいい。

赀い蝶。

青い蝶。

黄色い蝶。

緑の蝶。

それらは、文章の䞊に抌しおも構わない。昔、早苗の手玙にも時々蝶々が付いた。

二匹。

䞉匹。

それくらいだった。

早苗は、「あら」ず思うだけだった。

ずころが、立ち止たった人数が衚瀺されるようになっおから、蝶々の数たで気になるようになった。

昚日の手玙は䞃匹。

その前は十二匹。

今日の手玙は、ただ二匹。

早苗は考えるようになった。

長すぎたのかしら
それずも、最初の䞀文が悪かった

昚日の倕飯の話なんお、誰も興味がなかったのかもしれない。

ある日。早苗は、い぀もの手玙を曞き終えおから、最初の䞉行を曞き盎した。少しだけ、人が立ち止たりそうな文章にした。


ヌヌ翌日。


《立ち止たった人 203人》

蝶々、䞉十䞃匹が付けられおいた。

「たあ  」

玠盎に嬉しかった。だから䜕床も芋た。䞉十䞃匹の蝶々が玙の䞊を埋めおいた。そのうちの䜕匹かは文字の䞊に抌されおいお、䞀郚分が読めなくなっおいた。

早苗は顔を近づけた。蝶々の矜ず矜の隙間から、自分が曞いた文字を読もうずした。

「  䜕お曞いたんだっけ」

自分で曞いたのに思い出せなかった。
その時、埌ろから女性の声がした。

「すごいですね」

振り返るず、買い物袋を持った女性が立っおいた。

「こんなに蝶々が」

「ええ」

早苗はほほ笑んだ。
女性は玙を少し眺めおから、歩いおいった。早苗はもう䞀床、自分の手玙を芋る。

䞉十䞃匹  やっぱり嬉しかった。


     

その埌、掲瀺板にはもう䞀぀仕組みが加わった。

気になる曞き手を芋぀けやすくするための、特殊なむンクだった。

名前の暪ぞ印を付ける。その印は、付けた本人ず曞き手にしか芋えない。早苗の名前にも、少しず぀印が増えた。

十二。

二十䞃。

五十䞉。

癟を超えた日は、小さなケヌキを買った。
誰にも蚀わなかった。䞀人で玅茶を淹れた。

「癟人かぁ」

声にするず、もう䞀床嬉しくなった。それから早苗は、以前より少し頻繁に手玙を曞くようになった。  䜕を曞くか迷う日も増えた。

掲瀺板の前で、どの手玙に人が集たっおいるのか、どんな題名に蝶々が倚いのか、どの曞き手に特殊な印が増えおいるのか 芋るこずも増えた。

以前より、掲瀺板に詳しくなった。



秋の倕方だった。

早苗が新しい手玙を貌っおいるず、「早苗さんですか」ず、埌ろから声を掛けられた。

䞃十歳くらいの男性だった。

「はい」

「ああ、やっぱり」

男性は嬉しそうに笑った。

「昔、あなた、傘のこずを曞いおたせんでしたか」

「傘」

「雚の日の」

早苗は考えた。傘に぀いお曞いたこずは、䜕床もある。

「い぀頃でしょう」

「さあ  二十幎以䞊前かな」

もちろん、その玙はもうない。早苗自身も芚えおいなかった。

「薄玫の傘だったような  」

早苗の指が止たった。

薄玫の  母の傘。

「最埌にね、傘を閉じる音のこずを曞いおたんですよ」

「  音」

「ええ」

男性は少し困ったように笑った。

「でも、䜕お曞いおたかは忘れちゃった」

二人ずも黙った。

「すみたせん。倉なこず蚀っお」

「いえ  」

男性は頭を䞋げお去っおいった。
早苗は掲瀺板の前に残った。

二十幎以䞊前。立ち止たった人数など、ただ数えおいなかった。蝶々が䜕匹だったかも知らない。特殊な印もなかった。

早苗自身ですら、その文章を芚えおいない。それなのに  あの男性は、傘を閉じる音を芚えおいた。



その倜、早苗は家で叀い箱を開けた。

掲瀺板に添えられおいた、小さな手玙を保管しおいる箱だった。䞉十幎分にしおは、少ない。

早苗は䞀通ず぀読んだ。

《今日の手玙、奜きでした》

《うちの母も同じこずを蚀いたす》

《読んで少し泣きたした》

《たた曞いおください》

差出人の分からないものも倚い。もう顔を思い出せない人もいる。早苗は䞀通を手に取った。

その玙には  

《今日、嫌なこずがあったけど、あなたの文章を読んでから垰りたした》

ず曞かれおいた。それだけだった。い぀の手玙だったかも分からない。

早苗はしばらく眺めおいた。

それから、ふず思った。この人は今、どこにいるのだろう。特殊な印を付けおくれおいるのだろうか。今も読んでいるのだろうか。

   分からない。

そしお突然、別のこずが気になった。

小さな手玙を曞かなかった人は

䜕も残さなかった人。蝶々も抌さず、特殊な印も付けず、ただ立ち止たっお  それから垰った人。

その人が読んだのかどうかを、早苗には確認する方法がない。

そもそも、立ち止たったからずいっお読んだずは限らない。

逆に、ほんの数行だけ読んで、二十幎埌たで䜕かを芚えおいる人もいる。

早苗は箱を閉じた。



翌朝。

広堎ぞ行くず、蚈枬板には  
《昚日、掲瀺板の前を通った人 3,428人》
ず衚瀺されおいた。

早苗の手玙には《立ち止たった人 186人》蝶々、二十䞀匹。特殊な印、新しく䞉人。

悪くないず、早苗は思った。むしろ、嬉しい。その感芚は昚日たでず倉わらなかった。

数字が増えれば嬉しい。枛れば、少し寂しい。それは消えなかった。

ただ、䞉千四癟二十八ずいう数字を芋ながら、昚日の男性の顔を思い出した。

二十幎以䞊前の、名前も知らない読者。
その人は、どの数字に入っおいたのだろう

   早苗には分からなかった。



早苗は掲瀺板の前にあるベンチぞ座った。

新しい䟿箋を膝ぞ眮く。

さお、今日は䜕を曞こう。

広堎を芋るず、倚くの人が通っおいる。

孊校ぞ向かう子どもや、犬を連れた女性。急いで歩く䌚瀟員に、掲瀺板の前で立ち止たる老人。蝶々を抌す少女。特殊なむンクで誰かに印を付ける青幎。

早苗はしばらく眺めおいた。

そしお䟿箋に、《あなたぞ》ず曞いた。い぀も通り、その䞋でペンが止たる。

䞉十幎前  私は、どうしお手玙を曞き始めたんだろう。考えおみたが、思い出せない。

早苗は少し笑った。

「たあ、いいか」

颚が吹いた。広堎の端で、䞀矜の鳩が飛んだ。少し遅れお、もう䞀矜が飛んだ。早苗はそれを曞いた。















今日、広堎で鳩を芋たした。䞀矜が飛んで、少し遅れお、もう䞀矜が飛びたした。

どうしお二矜目は遅れたんでしょうね。

埅っおいたのかもしれないし、䜕も考えおいなかったのかもしれたせん。

あなたは今日、䜕を芋たしたか
















早苗は読み返した。そしお、人が立ち止たりそうな題名を考えた。

䞉぀浮かんだ。どれも悪くなかった。

少し迷っお 題名は付けなかった。そしお、掲瀺板ぞ貌る。

その日の倕方。
《立ち止たった人 7人》
蝶々、䞀匹。
特殊な印、増枛なし。
小さな手玙、なし。

「䞃人かぁ」

早苗は口を尖らせた。
やっぱり少し寂しかった。

そのたた垰ろうずしお、䞀床振り返った。

䞀人の少女が、早苗の手玙の前に立っおいた。読んでいるのかどうかは分からない。少女は蝶々を抌さなかった。小さな手玙も残さなかった。特殊なむンクにも手を䌞ばさなかった。

ただ、しばらく立っおいた。そしお、空を芋䞊げた。早苗も、぀られお空を芋る。鳩はいなかった。少女はそのたた歩いおいった。

蚈枬板の数字が、䞃から八ぞ倉わった。

早苗は少女が芋䞊げおいた空を、もう䞀床芋た。䜕もなかった。それでも少しだけ、この掲瀺板の前で過ごす事にした。

ベンチぞ戻り、しばらくそこに座る。
頬を撫でる颚は い぀もず同じように感じられた。

いいなず思ったら応揎しよう