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正しさの居場所|『 帰る場所があるうちに… 』

夜だった。
部屋には明かりが点いている。

けれど…
その明かりは何かを照らす為というより、
暗闇と交渉する為に残されているよう
だった。

机の上には冷めかけた珈琲。

窓の外では風が吹いているのか、
吹いていないのか分からない程度に
カーテンの端が揺れている。

「安心って何だろうね」

向かい側の椅子に座る相手は、
すぐには答えない。

答えを探しているのではない。
どこに足場を置くか眺めている。

そんな沈黙だった。

「安心って…、
 戻れることだって言う人が居る」

「でもさ」

珈琲の表面に映る光を見ながら呟いた。

「戻るって……どこへ?」

部屋が少し静かになる。
時計の針が妙に騒がしい。
まるで、空気がベトつくようだ。

人も変わるし、時間は過ぎ去る。
記憶だって確かじゃない。
価値観は不変を維持できず…
関係性は溶けて、新たな繋がりへ向う。

それなのに…戻るとは、どこへ?
少しだけ笑った。

「家族とかさ…恋人とか、
 居場所もそうかな?
 あと、私自身とかね」

向かい側で、グラスが置かれた。
軽くストローで混ぜる。

「でも、それも変わるよね」

静かに吐かれた言葉…
否定の色はない…
だからと言って、肯定してるようでもない。

窓の外を風が通り過ぎる。

「……じゃあ、感覚かな」

そう言って、席から立ち上がり
ほんの僅かに空いた窓を閉める。

「その時の感覚……
 昔感じた何かに近いもの。
 それを戻るって呼んでるのかもね」

一呼吸置かれた。
次の言葉を待つ。

「知らんけど」

吹き出した。

「その一言で全部溶けるね」

「便利だからね」

「便利というか厄介だよ」

「厄介?」

「うん」

頷いたあと、テーブルのリモコンを取った。

ピッ。

エアコンから冷気が噴き出す。

「厄介と刺激的って、同じものがぶら
 下がってる気がする」

部屋の空気が少し変わる。
熱と冷気が入り混じって、落ち着かない。
取り敢えず、机に肘を置いた。

「多くの人は安心を探す」

「うん」

「でも、違う気がする」

「そうかな?」

「安心より足場を探してる」

カラン。

グラスの氷が溶けて沈む。
微かに、肌寒さを感じる。

「……探してる訳じゃないかな」

「ん?」

「見えてる場所に、とりあえず立つだけ」

「立つ?」

「そう」

窓の外で…
遠くを走る車の音が微かに聞こえる。

「愛で溺れたら善悪へ行く」

「善悪?」

「うん」

「神で溺れたら経済へ行く」

「経済?」

「物語で溺れたら感覚へ行く」

笑い声が、部屋へ響く。

「忙しいね」

「沈むよりマシだろ?」

椅子を引いて立ち上がる。

「でも…その足場も溶かすけど」

二人は同時に笑った。
夜は深くなっていく。

時計の針は進んでいる。
同時に、珈琲は冷めていた。

さっきまでの言葉も、
少しずつ形を変えている。

安心。

戻る。

居場所。

自分自身。

愛。

どの言葉も…
少し前の意味とは違って見える。

「面白さって何だと思う?」

「比較かな?」

「即答だな」

「うん」

「でも、それも怪しいけどね」

「怪しい?」

「差分があるから面白いのか…
 差分が見えたから面白いのか……
 その違いも分からない」

「なるほど」

「知らんけど」

また笑う。

夜は静かだった。

いや。

静かになったのではない。
最初から静かだったのかもしれない。

ただ、途中で言葉が増えただけだった。

そして今…
その言葉も少しずつ減り始める。
そのうち…もう1人も、立ち上がる。

「もう、帰るよ」

「そっか」

「帰る場所が、あるうちにね」

「なくなったら、また作ればいいさ」

「その時、視界が良好だといいな」

そう言って、部屋を出た。

テレビには、
ワールドカップの中継が流れていた…。

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