好きなことは脳内で回す
友達に対しては感じ得ない、自分の心の内を話しすぎちゃったなあという不快感が苦手だ。
対策を立てられないまま、できる限り話さないという心がけでやってきてしまったせいで、こうやってたまに疲労感でバグってミスとして返ってくる。
柔らかいところに土足で踏み込んでくるどころか、中でも核の部分を素手で握り潰されるようなことがある。そういうことが時折できる人とはあっっっtさい話だけしていたい。だから、踏み込んでこない安心感のある人となら浅い話をする時間は心地がよく、感謝している。
意思とは反して、許していない人間に柔らかいところに触れられたら最後。言っても、究極口をつぐんだとしても、表情がなんだ言われ勝手な解釈をされる。言いたくないことなのに答えを確定される。
大体この時点で私は絶望を実感する。そして帰ったら何の漫画を読んで、見れていなかったLIVE円盤を見て、あのアイス食べたいな買って帰ろう、眠る時はあのラジオを流そう、と爆発しそうな感情をなけなしの理性で抑え込み、好きなこと回転寿司みたいなものをフル回転させて脳内をバカにする。
好きなことする時間が増えてその時は最高だが、こう言う後悔的な形をしたモヤモヤに支配されて時間をすり減らすのは実際勿体無い。計画が後ろ倒しになることも少なくなかった。
そして冷静な時に考えてみると、後悔する必要があるのか?と思ったのだ。柔らかいところに踏み込まれたら最後、私にもうできることはないではないか。言っても言わなくても後悔だ。どうせクソみたいな解釈で裏で面白おかしく脚色されるだけで、そもそも誤解を解けない関係性だから踏み込まれた時点で最後なのだ。言わなきゃよかったとか、こんな風に言えばよかったとか言い聞かせてることはもともと言い切れることじゃなかったから曖昧になっただけ。曖昧なものをそのまま出すのは、曖昧な分誤解が多くなるから、勇気がいる。友達じゃないと無理だ。自分の気持ちを話せない人とは、友達になれない。だから友達じゃない関係性で曖昧なものを引っ張り出されたら後悔するのは当然。
付随して、悪いことしたわけじゃないのに不安になるのは、自分の中で秘密にしておきたかったことが明るみに出るかもしれないからだ。自分だけで大切にしたいことがたくさんある。まさに隠しておきたいし、奪われたくないもの。似たような感覚を持つ人と話がしてみたいと思った。どうしたらこの感覚を持ったまま、みんなと関係を作っているのか知りたい。それほどでもないが精神的に不健康だと言われがちだし、実際健康で真っ直ぐな人が羨ましい。同じ道は歩けないのか、模索中だったりする。こんな風に少し未来に対して怯む時間も与えられて、まあまあ災難と言えるだろう。
しかし、どれだけ後悔したとしても、自分は何も悪くないんだから怯えることはないし、実は何も奪われてはいないのだ。勝手な解釈で離れていくようなら、願い下げなのを忘れなきよう。
だって、当たり前に本人が言ったことしか信じないでしょう?
踏み込んでくるならば節度とデリカシーを。気をつけたいものです。
それが半分、もう半分はお前が踏み込まれた時文句言うなよ、です。
ずっとこちらは誠意持って全人間と相対しているから、無礼な態度に耐えられないのかもしれない。やり返したりは勿論しない、ただただ他責すんなよ、と思う。
全員とは言わないが、大丈夫、柔らかいところに無自覚に触れてこられる人間は大抵自分に甘い。周りの配慮を蔑ろにし、気付かずに、自分が不利益を被った瞬間ここぞとばかりに攻撃してくる。
「いや、散々やったこと返ってきてるだけですよ。」
大事な時に誰にも相手にされなくなりますよと思う。言っても伝わらないからもう好転することはないだろう。言って気付かせてくれる人は稀だろう。「まあでも散々やられたのに謝罪もないので、一生気付かないでいてくれたらちょっとお酒が美味しくなります。」
そう思ったところで、気をつけよーとか言って、ご飯を作り始める。理不尽にストレスを溜めても仕方ない、発散でお金も体型も時間も何もかも奪われないよう、自炊して好きなものを食べることに限るのだ。