
改めての自己紹介③
~初めて鬱病と診断された日、全てが変わった~
初めての保育園で女性だけの職場独特の派閥や人間関係、2年連続の年長担任のプレッシャーの悩みを抱え込んだ結果、母と同じ主治医の先生に診察して頂き、初めて「鬱病」と診断された、あの日。
あの日から私の「心の病気」により人生が変わりました、
数年の鬱病が良くなったと思ったら、心身症からの食欲減退や体調不良、元々の性格からくる「予期不安」も顕著に症状が出るようになり、どうしたら良いか分からなくなりました。
母の病気の関係もあり、自宅では「何事も無かったように平然と」していなくてはいけません。
咳き込もうものなら、母が部屋まで駆け込んできて母流の診察が始まります。
皆さんの中には「お母さんの過剰反応が辛いなら、どうして一人暮らししないの?」と思う方も少なからず居らっしゃると思います。
私が一人暮らしをしなかった理由は、「父にお願いされたから」です。当時は、弟達が高校生でしたので家事を担って欲しいと言われ、了承しました。
母は10代後半より精神疾患を抱え、物心ついた時から、「母は何かの病気で、中々会えない人」でした。
夜中に発狂し、暴れ回り、救急車で搬送され、最低でも数ヶ月。長ければ1年半近く入院し、隔離病棟に入っていた事もある位でした。
私が20際の時、隔離病棟に入院していた母に、父と着替えを持って行った時、「私を他人(父を奪いに来た小娘)」だと認識され、激しく罵倒されました。
あの時は、見た事のない母の表情と言動に恐怖と激しい動揺、パニックで涙を流した事を覚えています。
なので、初めて「鬱病」と診断された時、弟に言われた
「お姉ちゃんの将来は、(お母さんみたいに)あーなるんだね」という冗談が、通じませんでした。
※数年後、カウンセリングでその事を打ち明けると「ことり葉さんと、お母さんは全く違います。断言します。弟さんには、お母さんを通して、ことり葉さんに謝罪するようにお話しておきます。これは大事な必要な事です。」
私の将来が母のようになる事は無いと断言して頂き、不謹慎ですが、心底安堵した事を覚えています。
それからは、保育園を変わる度、心の病がトラウマになり、病名が増え続け、薬も症状に合わせて調整してもらい、今に至ります。
母もあの隔離病棟への入院が最後で、今は、毎月の診察で安定しています。
母からも「パートナー君の近くに引っ越してみたら?寂しくなったら、いつでも帰って来たらいいよ」
と言ってもらい、来年度からは、パートナーの住んでいる県の近くに、引っ越してみようと感じています。
生活の基盤は今のまま、かかりつけ医も、何ヶ所かありますので、出来るだけ連休になるようにし、実家で過ごす有難みも感じていこうと思っています。

初めて鬱病と診断されたあの日から、私の人生は本当に大きく変わりました。
「お母さんのようになってしまうかもしれない」──そんな漠然とした不安や恐怖に飲み込まれそうになった日々も、
今は、それらを少しずつ受け入れようと、必死にもがいています。
でも、あの頃と違うのは、「私は私として生きていける」と思えるようになったこと。
心の病を抱えた過去の私も、母との関係に揺れた私も、どれもが“私自身”なのだと、ようやく主治医やパートナーの存在により、認められるようになってきました。
過去は変えられないけれど、これからの未来は、自分の選び方次第で変えていける。
だからこそ、今は焦らず、恐れながらでも、少しずつ自分の道を歩いていこうと思います。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
もし、今を生きる誰かの心に、ほんの少しでも寄り添えていたら、嬉しいです。