メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo byri_mam

【短編小説】 水曜日のコインランドリー

    あらすじ

    毎週水曜の夜、私はコインランドリーへ通う。洗濯のためではなく、自分を少しだけ休ませるために。私にとってその空間は、忙しさや孤独から少しだけ解放され、自分を取り戻せる場所だった。ある日、決まって同じ時間に現れる男性二人の存在に気付く。言葉を交わしたことはない。それでも、二人の互いを思い合う様子や穏やかなやり取りを眺める時間に、私は少しずつ救われていく。しかし、いつもの風景はある日を境に静かに変わり始め、静かに終わりを迎える。
    他人の幸せに救われていた主人公が、その喪失を通して、自分の人生へともう一度向き合うことへ、戻っていく物語。

    ※短編恋愛小説ですが、恋愛小説部門の形式2万文字以上に該当しない為、オールカテゴリ部門での応募にしました。


    洗濯機が無いわけじゃない。

    いつの間にか習慣になった。

    毎週水曜日の20時。自宅から徒歩5分の、コインランドリー。

    始まりはただ、雨続きで室内干しが鬱陶しくなっただけの、一般的な理由だった。洗濯物を仕掛けたら、一度部屋に戻ってまた来ればいい…そんなつもりでいたのだが、私はそうしなかった。
    壁沿いに、コの字に並ぶ洗濯機。ぐわんぐわんと無雑作な音が、人の居ないがらんとした空間にただ響いていた。だだっ広い作業台とワゴン。並べられた椅子。独特の匂い。この場所が持つ、そうした空気全てに、何故か心が落ち着いた。
    しまった、帰るつもりだったから、スマホも置いてきちゃったな…まぁいいか、どうせ誰からも連絡なんて来ないしね。
    硬い椅子に腰掛け、ぐわんぐわんというリズムに合わせ、飛んでは落ち、また飛んでは落ちる私の衣服たち。それをただただ、ぼんやりと眺めた。
    ぼんやりと眺めていたら、理由もなく涙が溢れてきて、それは、瞼に溢れては落ち、溢れては落ち、洗濯物とシンクロした。
    ぐわんぐわん、ぽとりぽとり、ぐわんぐわん、ぽとり。
    あぁ、私、しんどかったんだ。
    孤独だと思いたくない。
    惨めだと思いたくない。
    恋人との別れも必然だった。
    満員電車に揺られて仕事に行くことも、
    組織の中で一匹の蟻のように働くことも、
    理不尽を見て見ぬフリをすることも、
    全部全部、当たり前のことだ。
    当たり前のことを、私はするべきで、当たり前のことを、私はしているのだから、苦しい筈はない。辛い筈はない。やれ、それをやれ。疑問に思うな。違和感を感じるな。
    「…ふふっ、私、しんどかったんだな」
    次から次へと溢れる涙の生温かさを頬で感じながら、可笑しささえ込み上げてきて、声に出た。
    声に出たからと言って、明日から何もかもやめる訳にもいかない。ただ、ここでは私は私でいられた。洗濯が終わるまでの60分。
    ここにいる間だけは、私は私に同情し、私を慰めることが出来た気がした。

    ランダムに通い続けるうちに、時々見かける男性カップルが、毎週水曜日に来ていることに気付いた。
    初めて二人を見た時は、コインランドリーに男二人のシチュエーションは珍しいなと感じつつ、恋人同士だとは思わなかった。ただ、「空気感がいい二人だな」と、印象には残っていた。
    はっきりと、二人がそういう関係なんだなと感じたのは、二回目に会った時。
    部屋の端にある椅子に、二人は並んで座っていた。二人ともよく見ると整った顔立ちだったが、Tシャツにスウェット、Tシャツにデニムと、飾らない格好のせいか目立つ感じはなく、素朴な雰囲気があった。
    背が高くて細身の男性の方は、いつも、そこに置いてある文庫本を静かに読んでいた。もう一人の男性が話す内容に、聞いているのか、流しているのか、目線は本のまま、時々クスッと笑ったり、難しい顔を作ったりしながら相槌を打ち、頁も捲った。ただ、隣でお喋りを続けるその人が、時々立ち上がり、自動販売機を覗いたり、自動ドアの側に行き外を眺めたりと彼の隣を離れると、彼は顔を上げ、その人の方へと視線を移すのだ。そしてその視線は、愛おしいものを見る、その目そのものだった。
    逆に、もう一人の男性からも、それは滲んで見えた。「今日さ…え?聞いてる?」と背の高い方の男性の視界に何とか入ろうと顔を低くする仕草。会話中に、そっと彼の腕に触れる時の、手の優しさ。
    そんな二人を観察することは、寒い夜に飲む、一杯の温かいホットワインのようだった。
    こうして私は、毎週水曜日の20時、コインランドリーに通い始めた。

    数ヶ月経つ頃には、会話から少しだけ、二人の素性が見えてきた。
    背の高い方は「ルイくん」、もう一人の方は「コウタ」と呼ばれていた。
    「俺は自分に甘いから、家で仕事は無理だなぁ」「外出て他人と関わってる方が立派だろ」
    「家にいるっていったって、ルイくんのが稼いでるんだからさ」「3Kとか言われる仕事してるお前のが凄いからね」
    「これ何年着てる?」「覚えてないけど…高校の時は来てたな」
    「患者さん次第だよね」「健康が一番だよな」
    会話の所々から、どうやらルイくんは在宅の仕事をしていて、コウタは医療関係なのかな…と推測された。
    洗濯中は、大体の会話がコウタからで、ルイくんはいつもの文庫本を読みながら聞き役に徹している。コウタは終始喋っているかというとそうでもなく、スマホを取り出してゲームを始めたり、置いてある雑誌をパラパラ捲ったり、ぼーっと洗濯機やルイくんを眺めているだけの時もあった。
    洗濯が終わると真っ先に飛んでって取り出すのはコウタだが、丁寧に畳むのはルイくん。畳まれた衣類を袋に入れるのはコウタだが、それを持つのはルイくんだ。
    二人の間には、いつも二人を纏う優しさがあった。そしてそれは、二人がお互いを思うことで作り出している。いつからか私は、その時間を、自分のために待つようになっていた。

    喧嘩でもしたのかな…
    ある日の二人が、いつもとは少しだけ、違っていた。
    会話のリズム…コウタの口調はいつものように明るいが、早口というか、テンポが違う。逆に、ルイくんの返事は、ほんの少し、遅い。会話の内容は普段と別段違わないのに、一度飲み込み、考えて応えているようだった。
    気のせいかな…
    洗濯が終わり、二人が、
    「昨日のカレーがあるんだよね」
    「遅いけど、コンビニで揚げ物買ってのせちゃうか?」
    「この時間にそれヤバいけど、もう口がメンチカレーだわ」
    等と、変わらぬ様子で会話する。出ていく二人の後ろ姿を、私はいつものように見送る。
    コウタの腕がルイくんの腰あたりに回されているのも、いつも通りだった。でも何故か、私にはその手が、優しく触れてるのではなく、恐る恐る触れてるように見えた。
    「気のせいだよね」
    二人が去ったコインランドリーに、私の声だけが残った。
    喧嘩をしていたら、あんなふうにカレーの話なんかしないか…私の口もカレーになったところで、洗濯が終わった事を、ブザーが知らせた。
    最後の衣類を取り出したところで、カランと冷たい金属音が響き、私は乾燥機を覗き込んだ。
    シャツのボタンが一つ、そこに落ちていた。

    今週は、来ない週なのかな…
    水曜20時、コインランドリー。
    大体は、私があの二人より少し遅い来店な筈なのに、今夜はまだ来ない。雨続きの一週間だったせいか、乾燥機は殆ど埋まっていた。それでも店内に人気はなく、時々誰かがやって来ては、手早く洗濯物を袋に入れて去っていく。
    「あ、ほら、空いたじゃん」
    不意に、背後からコウタの声が聞こえて、思わず振り向いてしまいそうになった。
    「マジで美味かったな」
    「ね、絶対ルイくん好き系だって思ったもん」
    食事を済ませてきたようだ。
    明るく、笑顔で話す二人に、心が軽くなるのを感じた。
    「夏休みの旅行もさ、観光より飯系中心に考える?」
    コウタの問い掛けに、ルイくんはいつもの文庫本を開きながら応える。
    「博多とか北海道とかってこと?」
    「そう。ちょっと今調べるか」
    やっぱり、先週の違和感は気のせいだった。仲の良いやり取りに、ほっと胸を撫で下ろす。
    「あ、海鮮なら、金沢もいいらしいよ」
    金沢か…のどぐろも有りだな。街並みも、二人の雰囲気に合いそう。
    「金沢ね、行ったことないし、楽しめそうかもな」
    コウタのスマホで、二人は金沢の旅館やホテルを検索し始めたようだった。
    「ここ、露天風呂ついてるんだ?」ルイくんが、文庫本から顔を上げ、コウタに微笑みかける。
    二人の手元にある金沢旅行が、私の脳内にも映し出される。ひがし茶屋街を寄り添って歩く姿を想像して、二人より先取りで幸せな気持ちになった。
    「どうする?宿だけ押さえちゃう?」
    「ん、任せるよ」
    「えーどうしよ、こっちとこっちで迷うわ」
    コウタが嬉しそうに言う。
    「楽しみだな」
    ルイくんが笑った。
    その笑顔に何故だかとても安心して、私は一足先に、コインランドリーを後にした。
    湿った夜の空気も今夜は心地良い。街灯が行儀良く並び、私の行く先を照らしている。
    雨が上がり、雲の隙間からほんの少し月が見えた。
    空が、綺麗だ。

    翌週、水曜日。
    コインランドリーの自動ドアが開いた瞬間、私は無意識に、いつも二人がいる席を見た。
    そこにはルイくんがいた。ルイくんだけだった。
    コウタは…遅れて来るのかな?
    斜め後ろにいるルイくんと、ここにはいないコウタに思考は持っていかれたまま、私はシーツを洗濯機に入れた。
    コウタが居ないだけで、どうしてこんなに寂しいんだろう。仕事が忙しいのかな?夏休みの金沢旅行の為に、頑張ってるのかな?それとも今日は、家でコウタが夕飯の準備をして待っている?結局、洗濯が終わっても、コウタは現れなかった。
    ルイくんの手には、いつもの文庫本があった。でも、ルイくんの視線はそこにはなく、一度も頁を捲る事はなかった。
    話した事もない二人のことなのに、一人でいるルイくんが何だか手持ち無沙汰で寂しげに見えて、まるで私が待ちぼうけを喰らってしまった気分だ。
    帰り道、そんな事を考えながらも、道端で嗅いだ、どこかの家の美味しい匂いに、私の口角は上がった。

    先週充電できなかった分、今夜は二人に癒されたいな…二人はもう来てるだろうか?
    私の足取りは軽かった。梅雨が明けたのだ。夏休みは近い。

    いつもの席に、ルイくんはいた。
    ルイくんは、今日も一人だった。
    同じ席に座り、同じ文庫本を膝に置いていたが、膝に置かれた本は開かれず、ルイくんは、ただ真っ直ぐ前だけを見ていた。
    洗濯機は、一台も動いていない。
    ふと、ルイくんが私の視線に気付き、立ち上がる。
    文庫本を棚に戻し、ルイくんは立ったまま、その場所を少しの間眺めていた。
    私が入れたコインの音が合図のように、ルイくんはコインランドリーを出た。
    自動ドアが開いた瞬間、蒸し暑い外の空気が店内に入ってきて、私の左側を熱くした。

    最後にルイくんを見掛けたあの夜から、カレンダーを二回めくった。もう、あの二人を見掛けることはなくなってしまったが、一度付いた習慣は中々なくならないもので、私は相変わらず、毎週水曜20時に、コインランドリーに通っている。

    今夜も、コインランドリーは私に優しい。
    ぐわんぐわんとただ音をたて、ぐわんぐわんとただ回る。

    不意に、ルイくんが読んでいた文庫本が目に入った。立ち上がり、手に取る。
    ページの端が、三角に折られていた。
    「まだ途中だったのに…」
    誰もいないコインランドリーに、私の声が静かに響いて消えた。気付けば、また、泣いていた。
    洗濯は途中だったが、涙を拭い、外に出る。
    見上げた先には、月が光っていた。半袖から出た腕に、風は少しだけ冷たい。
    青信号がチカチカと点滅している。
    深く、深呼吸してみる。
    吸って、吐いてを、繰り返す。
    涙は乾いた。
    店内に戻ると、洗濯機は変わらず回っていた。
    ぐわん、ぐわん。ぐわん、ぐわん。

    洗濯は、まだ終わらない。



     
     
    シングルマザーです。 息子たち2人(現在大学生)の存在が、私を人として導いてくれて今があります。とはいえ、これまで歩んだ日々の中、そして今現在も、訳の分からない恐怖や不安に呑み込まれそうなことがある…そんな時に支えられた一曲や、助けられている曲、見上げた空をここに綴ります。

    あなたへのおすすめ