
笑えるくらい大丈夫
一章|違和感を感じたまま育つ
小学校のとき、
クラスメートが輪になって
「友だち100人できるかな」を歌っていた。
私はその輪の外で、歌詞の意味を考えていた。
「100人と友だちになったら、いったい何をするんだろう。なぜ100人でなければならないのか。」
誰も疑問に思っていないようだった。
友だちは多いほうかいいんだっけ。
私の両親は私が一歳の時に離婚した。
父の顔はわからない。
家に帰っても、母親は仕事でいなかった。
時々おばあちゃんが来た。
煙草を吸いながら、孫を散歩させるタイプ。
おばあちゃんは大好きだった。
おじいちゃんは、肺の病気で寝ていることが
多かった。
おじいちゃんは、口数が少なくいけど
居心地のいい人だった。
母はまだ21歳で、今思えばわかくて
祖父母の家に預けられることも多く、
猫やうさぎといつも過ごしていた。
母は、見合いを繰り返していた。
新しい男の人が現れるたびに
「お父さんがいるでしょ」と引き合わされて、
でもそれが何を意味するのか、
深く考えなかった。
最終的に母は、連れ子のいる人と再婚した。
その子は最初から母を
「お母さん」と呼んでいた。
変だな、と思った。
怒りでも悲しみでもなく、ただ、変だな、と。
誰に言えるわけでもなかった。
寂しかったのか、よくわからないが
どこにいたらいいのか
いつもわからなくて
とりあえず、当たり障りなくいい子でいた。
そうすれば、攻撃はされないから。
自分を守るため、めだたないよう
学校でも家でも息を殺して時間が過ぎるのを待っていた。
中学生の時、親はまた離婚
「あなたの学費をお父さんが出し渋ったから」
またしても、母の人生を狂わせたのは私という理論だった。
離婚した後、10歳離れた妹と3人暮らし
学校が終わったら、私が保育園に迎えに行って
面倒をみていた。
そんな時、友だちがいじめにあった。
見てられなくて、いじめっ子に抗議したら
仕返しのいじめがはじまる
直接的な暴力はなかったが
隣の机を蹴り倒されたり、
男女問わず、罵倒された
助けたはずの友だちは、学校にこなくなり
私の悪口をいうことで
いじめっ子からターゲットを
外す取引をしたらしい
簡単に売られてしまった
友だちってなんだっけ
中学生は視野が狭いから
何もかも嫌になって、死のうとした
死ねずに生き延びたけど
裏切った友だちが謝ってきても
信頼できるはずもなく
母にも弱みをみせれず
人生は理不尽だけど、
死ぬくらいなら、なんとかなると思った
ひとりでいて、誰にも期待しなければ
裏切られることもないということを学んだ
二章|ひとりにはしてもらえなかった
高校は、進学する人が最もすくない高校を選んだ
商業高校で、卒業したらすぐ働きたかった。
高校時代は、ひとりになりたかったが
この時くらいから人が寄ってくるようになった。
寄ってきても、また一緒
すきだと言われて付き合って
自分が、すごく好きになったら振られて
ものすごく傷ついた。
人間ってそんなもんよねって思ってしまった。
高校を卒業して、働いた。
働きながら専門学校に通った。
母が引っ越すと言い出したのはその頃で、
家を出された。
20歳だった。先輩たちと毎日外食して、寂しくはなかった。
一人暮らしは、静かで、自分のペースだった。
成人式の日、母が振袖を貸してくれると言っていたから準備しなかった。
当日、突然雨が降って、母は雨に濡れるから振袖を貸さないといった。
スーツで成人式に行ったんだけど、
思い返しておかしいのは、怒らなかったこと。
スーツなら、一旦帰らずに飲んで帰れるなくらい。
帰り道にひとつだけ思った。
子供より振袖なんだな、と。
働くようになって、母と離れたらずいぶん息がしやすかった。
夫に出会った。
ぐいぐい引っ張るタイプで支配的。
この時は頼もしいと思っていた。
ずっと自分で動いてきたから、
疲れてたのかもしれない。
誰かに守ってもらう人生を歩みたかった。
結婚が決まったが母は結婚式に行かないと言った夜勤で疲れているとも。
結婚式は取りやめた。
それから母とは会っていない。
子供ができたことを伝えたら、結婚したことも知らないんで知らない、と言われた。
母は、あなたを産むつもりなかった、
と何度も言った。
子供の頃から、繰り返し。
怒りよりも先に、そういう人なんだ、と思った。
子供より振袖を選ぶ人、
結婚式より夜勤の疲れを選ぶ人。
母だからといって万能ではない。
それがわかったのは、自分が母になってからだった。
母も、ただの人間だった。それだけのことが、
わかるには、長い時間がかかった。
三章|染まらない、染まらせない
付き合うと、尽くした。
尽くしすぎて、相手が依存的になったり、
支配的になったり、束縛したりで
別れるパターンを何度か繰り返した末に、
夫と出会った。
夫は大丈夫だと思ってた。
でも一緒に暮らすいち、モラハラがひどくなって、金銭的にも、交友的にも管理されていくうちに自分がわからなくなっていた。
母と離れ
頼れる人が夫しかいないと思い込んでいた。
そう思い込まされていた。
単身赴任が続いて、10年まともに会わなかった。
正月は夫の実家へ子供を送り出し
ひとりで家に帰る
夫は単身赴任先から、自分の実家にいく
ある日、
「もう、ひとりのほうがやっぱり楽だ
自由になりたい」
と思ってしまった。
大事にされてないのに
大事にする必要ある?
四章|凪
夫が単身赴任になって、
完全に拒絶したら
家から支配する人がいなくなった。
驚くほど楽だった。
空気が違った。
その静けさが、本来の自分の呼吸だったのかもしれないと思った。
ちょうどその頃、職場に高圧的な上司が来た。
自分の言うことがすべて正義、というタイプだった。
一難去ってまた、一難
圧倒的な力関係の差で、最初は飲み込んだ。
ただ、やり過ぎを感じたときは、
助け舟をだすようにしていた。
そんな、ある日、とうとう意見がぶつかる出来事があった。
上司を盲目的に信頼し、支えてきた部下に対し
「使えないから、手を出すな」
と言った。
盲目的に信頼していた部下は
泣いて相談してきた。
あまりにも理不尽
みんなの前で怒鳴られる
頭の回転の速い尊敬する上司だけど
自分が頭が良くても
「使えない」はあんまりだと思った。
結局いま、その上司のポジションに私がいる。
支配的な人は、自分の内面にある弱さを
強く見せるために
怒鳴ったり、高圧的になるんだと思う。
夫もそうなだけだった
自分より弱い相手を支配することで
自分を保っていた。
私が完全に拒絶して、論破した日
泣いていたとのちに子供たちから聞く
子供にそういうところをみせている時点で
私も母として完璧ではないということ。
完璧でなくても、
子供たちは私が好きらしい。
それがきっと答えだと思う。
五章|それでも
今振り返ると、
今自分がひとりでいいと思えるのは
ひとりで対処するしかなかったから。
私はドロップアウトしようとしたけど
今言えるのは、その時の苦しさを知ってるから
強くなれたと思う。
苦しさは長くは続かない
支配的な人は、大概自滅していく。
私は、深い相談ほど人に相談できない。
意地を張っているわけではない。
数手先を読みすぎるから、
相談する前に答えが出てしまう場合や
あるいは、相談したときの相手の負担まで考えてしまう。
ずっとそうやって自分を守ってきた
くせみたいな、結果だと、今はわかる。
振り返ると、無駄な経験はなかった。
つらいことも、理不尽なことも、全部通り道だった。
なんとかなってきた。
これからもたぶん、なんとかなる。
人と違う環境や、
人と違う考えかたで、違和感を感じていても
なんとかなるし、案外しあわせ
ひとりがしあわせじゃないなんて
他人の価値観の押し付けだと思う。