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【世界一高い写真立て──父と娘と、石膏フレームの話】

    うちの父が残したものは、借金と、世界一高い写真立てだけだった。

    父は昔から、自分の気分と興味で動く人だった。家族のことも、正面から向き合うのは苦手なタイプ。──つまり、わがままな男である。

    そんな父が、私が51歳で移動スーパーのフランチャイズに加盟して開業を決めたとき、母にこっそり心配を漏らしたらしい。
    買い物難民を助けたいという思いで始めた移動販売だったが、車両代だけで350万円以上。
    大金が動く話を聞いて、父には他人事ではなかったのだと思う。

    なぜ父がそこまで心配したのか。その答えは、40年以上前の「みかん倉庫」の話に戻る。

    ■ 一、みかん倉庫と、父の突撃スイッチ

    昭和50年代、私は中学生だった。うちの家は「二間だけ」の狭い家。正確には──もともと祖父のみかん倉庫だった。倉庫をそのまま住まいにしたので、天井は高い、壁は薄い、床は響く、隙間風は勝手に通過する。冬は冷蔵庫、夏は蒸し風呂。そして音が全部反響した。

    普段は子どもの足音と笑い声でにぎやかだったが、父が帰ってくると空気が変わった。ちょっと足音を立てれば、喉の奥から「人を黙らせるためだけの咳払い」をした。その咳払いが、この家でいちばん強い言葉だった。

    内の私:「いや無理やって。まずは"音がしない家"に住ませてくれ。ここ、みかん倉庫やぞ」

    父は頑固で気分屋で、まあわがままな男だった。家にはほとんどいなかった。だいたいパチンコ屋にいた。父が家を出ると、家はやっと平和を取り戻した。

    そんな父が、珍しく家にいてある日、新聞の広告欄を穴があくほど見つめていた。まるでそこに宝が埋まっているかのように。

    そこに書かれていたのは──

    『石膏スピーカー外殻製作! 未経験者OK! 関東で1週間の講習つき! ※開業には設備費・資本金が必要』

    父の中で、謎の「突撃スイッチ」が入った瞬間だった。

    内の私:「ここでスイッチ入るか普通。読み飛ばすとこやろ」

    ■ 二、唯一冷静だった人と、聞く耳を持たない父

    唯一最初から冷静だった人物がいる。母の父、つまり私の祖父だ。祖父は起業家だった。だからこの商法を直感で怪しんでいた。祖父は母に言った。

    「一度、労基か商工会議所に相談してみた方がいい。怪しいやつや、これ」

    完全に詐欺の香りを嗅ぎつけていたのだ。しかし父は聞く耳を持たなかった。アドバイス全スルー。この時点で未来はほぼ決まっていた。

    そして母の「工面ロード」が始まる。父を止められる人は誰もいなかった。その頃から、母の動きがあわただしくなった。どこかへ出ては戻り、また出ていく。理由は、そのときの私には知らされなかった。

    数日後。父の前に「資本金」が用意されていた。父は200万円の束を、ぽん、と畳の真ん中に置いた。六畳の中央で、札束だけが異様に堂々としていた。

    家族全員がそれを囲んで座った。

    私は生まれて初めて見る札束に、なぜだか笑いが止まらなかった。緊張なのか興奮なのか、説明できなかった。

    内の私:「もう脳の処理落ちやな。感情が追いついてこん」

    父は持ち物リストに「写真」とあるのを見て、五人家族の写真を持って関東の講習会へ向かった。

    講習会ではスピーカー外殻のほかに、なぜかその家族写真を使った石膏フレーム作りがあったらしい。父はその作品を、妙に誇らしげに持ち帰った。

    内の私:「あの人、パチンコの勝ち以外で喜ぶんや……」

    石膏フレームは、父のタンスのガラス引き戸の小さな飾り棚の奥にしまわれた。家族のことなんて大事にしてなかったくせに、このフレームだけは、まるで宝物みたいに飾っていた。

    それから40年以上、そのフレームはずっとそこにあり続けた。

    ■ 三、返品の箱と、透明になっていく味噌汁

    講習を終えると、父はいよいよ製作を始めた。自宅は狭かったため、作業場は母の姉(私の叔母)の家の離れを借りた。父は黙々と石膏を流し、乾かし、また流した。

    しかし父が作ったスピーカー外殻は、送っても送っても「規格外」で全部返品された。父は理由を何も語らなかった。ただ返品箱だけが積み上がっていった。

    返品の箱が増えるたびに、我が家の「貧乏値」ももれなく跳ね上がった。肉が減り、魚が減り、麺が増え、米が薄まり、味噌汁はどんどん透明に近づいた。

    内の声:「こんな悪質オプション、誰が申し込んだんや……。」

    その様子を見かねてか、途中から母も作業に加わった。ただ「生活のために」二人で石膏を混ぜ、流し、乾かしていた。父が思い描いていた「新しい人生」は、いつのまにか夫婦の静かな内職になっていた。

    内の声:「夢が、急に内職の匂いしてきた……」

    後になって知った。あの200万円は、母が私たち子ども3人のために何年もかけて貯めていた「教育と生活のためのお金」だった。それでも足りず、母は自分の父(祖父)と兄(伯父)に頭を下げて、必要な分を借りてきた。

    祖父はあの時「怪しい」と忠告した張本人だった。それでも──母が真正面から頭を下げたら、断れる人ではなかった。

    内の声:「危険って嗅ぎ分けたのに、結局"支える側"に回る祖父……家族って、逃げ場のないチーム編成やな」

    さらに後で知った。父の製作には、材料代だけで毎月30万円かかっていたらしい。200万円を溶かし切った後の世界線で、毎月30万円が炎のように燃えて消えていく。詐欺が終わったら生活が戻る──そんな希望的観測は我が家の辞書にはなかった。

    詐欺は終わった。でも「生活費の借金編」が開幕しただけやった。

    この石膏スピーカー商法はのちに全国で詐欺と判明し、訴訟になった。父は参加しなかった。気が小さかったのだ。新聞で訴訟の記事を見て、「ああ、これやったんか」と知った。ただ、それだけだった。

    ■ 四、なぜ母はお金を出したのか

    父のことを好きでもなければ、仲がいい夫婦関係でもなかったのに。それでも母は、父の「生まれの不遇」だけはずっと可哀想に思っていた。

    「一度きりの人生なんやし、好きなことぐらい、やらせてあげたらいい。」

    母はそう言っていた。父を愛していたからではない。ただ──「可哀想な生い立ちの男」を見捨てきれなかっただけだ。

    母は若い頃、裕福な家で育った人だった。お金の心配も、生活の不安もなく、家族がちゃんと向き合う世界で生きてきた。なのに結婚した瞬間、なぜか「夫の過去ごと受け止める係」みたいな役割を押しつけられたようになっていた。

    内の声:「その役職、応募してないやん。しかも重役ポジションやし。」

    夫婦仲は悪かった。両親の笑顔をほとんど見たことがない。その沈黙は、怒鳴り声よりもずっと長く、重く、家に漂っていた。

    内の声:「……あの空気、今思えば母の叫びやったんかもしれん」

    その優しさが家族を支え、同時に母自身をいちばん疲れさせたんやと思う。

    ■ 五、父の死後、40年越しの再会

    父が亡くなった2年前、タンスのガラス引き戸を開けた瞬間、あの石膏フレームがひょっこりと姿を現した。

    40年以上、ずっとそこにあったのだ。

    父が唯一、大切にしていた「家族」は、現実の私たちではなく──石膏に閉じ込められた静止画の家族やった。現実の家族とは正面から向き合えなかった父が、石膏の中だけに閉じ込めた、不器用な愛情の結晶。

    内の私:「なんか……父らしいな」

    私はしばらく、そのフレームを手放せなかった。

    ■ 六、娘の起業を心配した男

    冒頭に戻る。

    私が51歳で移動スーパーの開業を決めたとき、
    母がぽつりと言った。

    「お父さんがねぇ……"あの子、大丈夫なんか。騙されてないんか"って心配しとったよ」

    父は200万円の詐欺に遭っている。自分が痛い思いをしたからこそ、娘が「フランチャイズで大金を払う」と聞けば、そりゃ心配にもなる。

    でも父は──絶対に本人には言わないタイプだ。心配してるくせに姿は見せず、気持ちだけ裏口からそっと出してくる。

    母:「あんたのこと、気にしてるんよ。あの人なりに」

    私:「……そうなんや」

    内の私:「いや、直接言えや。……でも、ありがと」

    「大丈夫。全部自分で調べてやっとるよ」

    そう母に言った帰り道、私はちょっとだけ嬉しかったのを覚えている。

    詐欺に遭った父が、娘の詐欺を心配した。その心配はぎこちなくて、回りくどくて、本人の口からは一言も出てこない。でもそれが、あの人なりの愛情だったんやと思う。

    ■ 七、世界一高い写真立て

    結局、200万円以上つぎ込んで残ったのは石膏フレーム1個だけだった。

    高い。世界一高い写真立てだ。

    でも、そのフレームの中には、父が唯一「形にできた家族」が残っていたのかもしれない。

    私はそれを捨てられなかった。今も家の片隅に置いてある。

    人生でいちばん重たいのは、失敗そのものより、その失敗を誰も責められずに背負う家族の沈黙かもしれない。両親の笑顔のない日々も、父の裏口からそっと漏れた心配も、全部その沈黙の一部だった。

    そして家の隅に残った石膏フレームは、今も私にこう語りかけてくる気がする。

    「大丈夫や。次は笑い話にできる失敗だけにしとけよ」

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    50代主婦、ハコといいます。 旦那と息子、猫2匹と犬1匹と田舎で暮らしています。 どこにでもある日常のしくじりを、ネタにして生きてます。 笑ってもらえたら、それだけでめちゃくちゃうれしいです。

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