
『私が見ていたもの』
【あらすじ】
旅行帰りの私と友人は、ネットで話題の『噂の動画』の真相を確かめるため、夜の山へ足を踏み入れる。
そこで目にしたのは、狐の面を被った人々と、山奥で行われる奇妙な祭りだった。
逃げ惑う中で、私が見たもの、信じたものは、本当に真実だったのか――。
友人と私は無事に帰ることができるのか。
そして、あなたは何を信じるのか……。
【本編】
動画サイトでは多数の配信者が、「侵入してみた動画」をアップしていた。
SNSで噂の恐怖の村が山の奥にあるという。
詳しい場所は明かされていない。
その存在を示すのは、動画とSNSの投稿だけだった。
旅行からの帰りに電車の中で、そんな動画を流し見していた。
画面の中の人間は呼吸を荒くし、暗い山を走っている。
ピントはぼけ、何が起きているかわからない。
なぜか「殺される」「逃げろ」を繰り返していた。
松明が近づき、動画はそこで止まる。
私は思わず笑ってしまった。
誰が撮影して、投稿してるんだよ……
友人が私のスマホの画面を覗き込む。
「これ系の動画ってさ、なんで最後まで見せないんだろうな?」
友人は首をかしげている。
ヤラセに決まっているからだろう。
私はそう思いつつも、適当に相槌を打った。
「ほんとにあったら、ただの事件だしな」
私は背もたれに背中を預けた。
「場所、調べてみる」
友人はそう言うと自分の端末を取り出した。
しばらく画面をいじっていた友人が、こちらにそれを向ける。
「ここ! 投稿の内容や位置関係から見ると、この辺のはず!」
早口で私に地図を見せながら続ける。
「ここから、近いぞ」
友人は画面を指さし、目を輝かせている。
「行ってみたい……とか?」
思わずため息が漏れた。
友人は昔からそうなのだ。
自分の目で見るまでは決して信じない。
そして私は、そんな友人にいつも付き合ってきた。
結局、私も変わっていないということか……
電車の窓に夕日が反射する。
赤く染まる車内をぼんやり眺めた。
友人は電車内に書かれた路線図を指で追いながら、にやりと笑う。
私は大きく息を吐く。
「たぶん、何もないぞ?」
友人を見るが、聞いてはいないようだ。
こうなった友人は止められない。
私は不安混じりに口にする。
「……もし、もしも本当だったら?」
友人は私の肩をポンと軽く叩く。
「その時は……俺たちは有名人だ!」
こいつに不安なんてないのか。
私はあきれるように窓の外を眺めた。
目的の駅なのか、友人は駅に着く前から乗降口に控えている。
「乗り換え!乗り換え!早く!」
まだ座っている私に手招きをしていた。
私は重い腰を上げる。
乗り換えって……ここからローカル線かよ……
ホームの椅子に座り、目的の電車が来るのを待つ。
見渡しても私たち以外にホームに人の姿はない。
隣に座る友人に問いかける。
「本当にこの電車か?」
スマホを操作する指を止め、私に画面を見せる。
友人は眉をひそめた。
「間違いないって!すぐ来るから待てよ」
私は思ったことをそのまま、口に出す。
「ローカル線って今日中に帰れるのか?」
ホームにアナウンスが流れた。
電車のヘッドライトと走行音が近づいてくる。
ホームに一両編成の電車が入り停車した。
友人は電車を見ながら、私の肩をたたく。
「明日だって休みだろ?気にすんなって!」
そう言い残し、電車に乗り込んでいった。
そもそも夜をどこで明かすつもりなのか……
車両からは誰も降りてこない。
それどころか誰も乗っていなかった。
「貸し切りじゃん」
友人は嬉しそうにシートに座り、私にも座るように促した。
緑色の少し古びたシートの上に腰を下ろした。
アナウンスが入り、電車が動き出す。
車内にはエアコンの音が響き、埃臭いにおいを吐き出している。
レールを走る振動と静けさが、私の眠気を誘う。
友人はウトウトしている私に気が付いた。
「寝るなって、もう少しだから」
体は友人によって揺さぶられ、眠ることは許されなかった。
私は無言で友人の手を払う。
窓の方へ体を向きなおし、景色を眺める。
周りには田園が広がり、民家もまばらになっていく。
夕日に染まった野山が、なぜか寂しく見える。
駅を何か所も通過した。
だが、その間に乗り込んでくる人はいなかった。
電車内にアナウンスが流れる。
「次は終点、終点……」
走行音がゆっくりになり、駅が近づくのがわかる。
「……この駅、なのか……」
私は尋ねる。
友人はスマホの画面と駅の名前を見比べている。
「ここだ」
椅子から立ち上がる。
友人も言葉が少ない。
……ビビっているのか?
私も立ち上がり、二人で無人の駅へ降りた。
「もう、我慢できない……」
友人がボソッと下を向いてつぶやく。
「帰るか?」
私は煽るように、いたずらっぽく友人の顔を覗き込む。
友人はあたりを見渡している。
「トイレ……どこだろ?」
私は大きなため息をつき、無言でトイレの方向を指さした。
友人も案内表記を見つけ、小走りにトイレに入っていく。
私はホームに設置された椅子に腰を下ろした。
目線を落としてスマホの画面を確認する。
電波はかろうじて受信できているようだ。
……今時、どんな田舎だよ……
静寂の中に足音が響き、目の前に止まる。
私は顔を上げた。
そこには身なりが綺麗とは言えない初老の男性が立っている。
左手に持った杖を私に向けた。
「お兄さん、どこから来たの?」
私の呼吸が一瞬止まる。
急な問いかけに、私はすぐには答えられなかった。
冷静を装い、答える。
「県外からです」
作り笑顔で誤魔化してみた。
初老の男性は、私の足から這い上がるように全身を眺める。
「ここらで、いたずらとかしたらあかんぞ、誘拐もあったようだからな」
こちらを睨んでいるようだった。
返す言葉も浮かばないまま、下を向く。
初老の男性はそれ以上何も言わず、ホームから出ていく。
トイレから出てきた友人が男とすれ違う。
男は横目で友人を睨んでいるようだった。
友人も私の方へ歩みを進めつつも男の背中を睨んでいる。
「なんだよあれ!?何か言われたか?」
男の姿はもう見えない。
それでも友人は出口を睨んでいた。
「……別に、いたずらすんなって言われた……」
私は友人を見上げた。
友人はフンっと鼻から短い息を吐く。
「ここからは、バスだ!切り替えていこうぜ」
さっきまで怒っていたはずなのに、友人の表情はもう明るい。
椅子から立ち上がり、友人と歩幅を合わせ駅から出る。
道路わきの街路灯はぽつぽつと明かりが点き始めている。
ふたりは並んでバス停を探して歩いた。
木材を組み合わせた簡素な小屋が現れる。
中にはベンチが置かれている。
……バス停……か?
裸電球に明かりが灯り、それらしい雰囲気を醸し出していた。
友人が急に走り出す。
ベンチの横に佇む時刻表を見つけたようだ。
文字が小さいのか、暗がりのせいか、友人は角度を変えながら時刻表を覗く。
私はベンチに腰を下ろした。
これが……バス停ねぇ……
古い木材の香りが漂っていた。
「疲れた……」
小声でこぼしたつもりが、友人には聞こえていたようだ。
私の前に仁王立ちになる。
「まだ疲れるには早いって!もうすぐバス来るぞ」
もう逃げられない……か。
私はため息を飲み込んだ。
遠くから光が近づいてくる。
どうやらバスが来たようだ。
バスはブレーキの音を響かせながらバス停に停車した。
乗り込む友人が振り返る。
「ちなみに、このバス逃したら、次は3時間後らしいぜ」
なぜ、そんなに笑顔になれるのか……
思わず私もつられて笑ってしまう。
これだからこいつは……
友人が座席に腰を下ろす。
それを横目に、私も隣へ腰を下ろした。
窓から外の暗がりを眺めた。
ふいに窓ガラスに映った自分の顔に、思わず肩が跳ねる。
その一瞬の反応を友人は見逃していなかった。
「雰囲気出てきたよねー、怖いよねー」
私をからかっているようだ。
肘置きに頬杖をついて、友人を睨む。
「お前のせいで、こんなところにいるんだろ?」
私は窓の方へ向き直した。
街路灯の明かりも、民家の明かりもまばらになっていく。
外へ視線を向けたまま、友人へ声をかけた。
「もし、村も、何もなかったら……どうする?」
友人は腕組みしながら、目を伏せた。
「困る……帰りのバス……ない」
隣に座る友人を肘で小突く。
「お前、それ、村があってもなくても、関係ないだろ!?」
友人は舌を少し出し、悪びれた笑顔を浮かべる。
私は額を押え、床を見る。
『恐怖の村』に旅館なんてないだろうに……
バスは民家のない山道を登っていく。
ヘッドライトに照らされた木々の影が道路へ伸びる。
揺れるたび、人が立っているように見えてしまう。
友人はそんなことは気にもならないようだ。
「なぁ、このバスって『恐怖の村』まで行くのかな?」
なぜ今、そんな疑問が浮かぶのか……
「行くわけないと思うけどな、それより宿だろ?」
友人は肩をすくめ、愛想笑いを浮かべた。
そんなことをしても、可愛いわけがない……
バスの車内に終点と回送を告げるアナウンスが流れる。
徐々に速度が低下し、バス停の前に停まる。
バスを降りると闇が広がっていた。
山の中だからか、肌に当たる風はひんやりとしていた。
道路沿いには民家と思われる建物が数件並んでいる。
街灯だけが弱々しく光っていた。
「ここに宿があると思うか?」
私はあきれたように友人に聞く。
友人は建物を見渡し、私を見る。
「ないだろうねぇ……とりあえず、行ってみる?」
友人は建物の方を指差した。
木々の軋む音と、草むらを渡る風の音に思わず息をのむ。
星がないからか、山の影だからか。
本当の暗闇とはこういうものかと、実感する。
スマホのライトと、ほの暗い街灯を頼りに建物へと近づく。
建物は昭和初期を思わせる木造で、庭は雑草に覆われていた。
窓に明かりはなく、人の気配も感じられない。
とても人が住んでいるようには見えなかった。
スマホのライトを頼りに狭い道路の真ん中を二人で歩いた。
両側には先ほどと同様の建物が並ぶ。
どの建物の入口にも、黄色と黒のロープが張られている。
「立ち入り禁止」の看板が掛けられていた。
友人が立ちどまり、建物に光を向ける。
「今……誰かいた……よな?」
友人の手にした光が揺れている。
私もライトを建物へ向ける。
目を凝らし、耳を澄ませるが、虫の音しか聞こえてこなかった。
「……気のせいだろ?」
私たちは建物から目が離せない。
建物の影で何かがライトを反射した。
それは揺れながらゆっくり動く。
「ニャー」
黒い猫が暗闇から現れ、こちらに寄ってくる。
私と友人は顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。
「なんだよ、猫かよ」
友人はしゃがみ猫を撫でた。
――トン――
猫は急に山の方を見上げる。
……何かいるのか?……聞こえたのか?
――トン、トン――
猫は草むらに飛び込んでいった。
友人はこちらを振り返り、口の前に人差し指を立てる。
「しっ!」
私も耳を澄ませる。
――ドン――
友人の息をのむ音が聞こえた。
目を見開き、闇の中を見渡す。
「聞こえたか?」
私は無言で頷く。
再び虫の鳴き声だけがあたりを包んだ。
……どこから聞こえてくるんだ?……
――ドン、ドン――
音が響くとともに虫の声が止む。
「太鼓……なのか?」
友人は道路から延びる山道のようなわき道をスマホのライトで照らす。
私の視線も自然とそちらを向く。
「……こっち……からか?」
肌を刺すような冷たい風とは裏腹に、額には汗が滲んでいた。
友人が一歩、一歩と脇道へ歩みを進めた。
道はアスファルトから砂利に変わる。
ふたりの足音だけが、暗がりに響いていた。
友人はしきりに後ろを振り返る。
つられて私も後ろを向く。
友人は私に顔を近づけてきた。
「……引き返すなら、今の内だぞ」
なんだよ、ビビってるだけかよ……
胸をなでおろし、友人の恐怖心を煽ってみた。
「なに?怖くなったの?」
友人は顔を背け、口をとがらせる。
「こ、怖くねーし……」
私は前方へスマホのライトを向けた。
ライトの先に、何かが浮かび上がる。
看板と、その奥に立つ赤い二本の柱。
近づくにつれ、それが鳥居であることがわかった。
私は看板に目を向けた。
「無断……ヲ禁ズ……大山田村協同組合」
看板は錆がひどく、表面が剥がれ落ち、文字が読めない。
何を禁じているのか……
読めない以上は仕方がない。
周りは植物がうっそうとし、私たちの靴は見えなくなっている。
近付いた鳥居のペンキは剥がれ、しめ縄の片側が外れて垂れていた。
友人は鳥居の前で一礼し、鳥居の端をくぐる。
礼儀だけは丁寧だな……
私は気にせず、鳥居の真ん中をくぐる。
友人が私の方へ振り返る。
「おい!鳥居の真ん中は神様の道だぞ!」
「この罰当たりが!」
私を指さし、呆れたように首を振る。
信仰なんて自由だろ……
鳥居の奥には苔むした石段が続いていた。
スマホのライトを向けても、石段は闇に続いているだけだった。
――ドン――
……さっきの音だ……石段の先……なのか?
私たちは足元を気にかけながら石段を上がる。
石段はくねくねと曲がりながら闇の中へ続く……
いったい、どこまで続くんだ……
友人の足が止まり、つぶやく。
「……あれ……なんだ?」
友人が山の麓を見ていた。
降りたバス停とは山を挟んだ反対側に位置していた。
揺れる明かりが一つ、二つ、……
距離があるせいか、数まではわからない。
「……ライト……なのか?」
私は覗き込むように身を乗り出した。
そっちに道なんてあったのか?
スマホの地図アプリを起動させる。
……ダメだ、受信できない。
友人はそれを見て、慌てて自分のスマホを確認する。
肩を落としたところを見ると、結果は同じだったようだ。
揺れる明かりは、ゆっくりと山へ入っていく。
友人は急に笑顔になった。
「あれ、人だろ!集落とかあるんだって」
「行ってみようぜ!」
友人は石段から外れ、山に入っていく。
その道は獣道にも、山道にも見えた。
背の高い草が腰のあたりまで伸び、歩みを妨げる。
友人に追いつき、腕をつかんで引き留めた。
「待てって、常識的に考えてみろ」
友人は歩みを止め、こちらに振り返る。
「何を?」
友人はつかんだ私の手を振り払った。
「こんな時間に、なんで人が山に来るんだよ?」
「それに……神社の看板……」
私は思わず、早口になっていた。
「大山田村ねぇ……それが『恐怖の村』ってか?」
友人は腑に落ちない顔で首をかしげている。
――ドン――
音が最初よりも近くに聞こえる。
明らかに山頂の方から響いているようだ。
どうする……上るか、下るか……
「だったら、やっぱり光の方だろ!」
友人は上がってくる光を指さす。
仕方なく、私はゆっくり頷いた。
光を目指し、草をかき分けながら進んだ。
徐々に揺れる光が近づいてくる。
次第に光の輪郭と数がはっきり視界に入った。
「止まれ!」
私は友人の服を掴み、歩みを止めさせる。
いつの間にか、草藪を進んでいたはずの足元が砂利道に変わっていた。
「……あれ、ライトじゃない!」
友人も光を凝視している。
その横顔には汗が光を反射していた。
「一つ、二つ、三つ……四つ、松明か!?」
友人は光を指さし、私の方を見る。
そこには、いつものふざけた笑顔は消えていた。
私たちの立っている砂利道は松明の光へつながっている。
「ど、どうする?」
掴んだ友人の服を離す。
友人は近づく光を見つめた。
「……」
遠くから人の声のようなものが聞こえてくる。
同時に何か焦げる匂いが風に乗って流れてくる。
「どうする!?もうそこまで来てるぞ!」
私は友人の耳元で、あえて大きな声を出した。
友人は我に返ったように私の目を見る。
「とりあえず……隠れよう」
幸いにも、あたりには背の高い藪が広がっていた。
二人は砂利道から少し離れた藪に入る。
スマホのライトを消し、息を殺す。
遠くから鈴の音が近づき、焦げた匂いが濃くなる。
松明の明かりがあたりを照らし、人の影が目に入った。
私たちは息をするのも忘れ、目を凝らす。
その集団が目の前に差し掛かる。
先頭には狐の面をかぶった男が松明を持ち、鈴を鳴らす。
そのあとを四人の男が神輿を担いで続く。
男たちも一様に狐の面をつけている。
最後に三人の狐面の男たちが松明を掲げていた。
その光景に友人は一歩下がる。
――ガサッ――
友人の服が木の枝にかかる。
その瞬間先頭の狐がこちらに顔を向ける。
頼む、気づかないでくれ……
狐は首を傾げる。
再び鈴の音が鳴り始めた。
狐は再び前を向き、歩みを進める。
気づくと、私は両手を地面につき、息を荒くしていた。
友人は瞬きもせず、狐たちの背中を見つめている。
「……気づいたか?」
震えるように、小さく声を絞り出した。
「神輿の上……子供だ……乗せられてた」
友人が一瞬、私の顔を見る。
そしてすぐに視線を地面に落とした。
神輿の上で、狐の面をつけた子供……
うつむくように、両手で顔を押えていた……
「人形じゃないのか?」
私の問いに友人は大きく、首を横に振る。
「……あれは……人間だった……」
鈴の音が、耳に残っている。
あれは人形だった、人間でないと言って欲しかった。
私の期待は裏切られる。
遠ざかる明かりを見つめながら、私はゆっくり立ち上がった。
「あとをつけよう」
座り込む友人の腕を引き、無理やり立たせる。
友人は私に体を預けるように、力なく立ち上がった。
鈴の音が遠ざかり、虫の音がうるさく感じられた。
友人の背中を平手で叩く。
「しっかりしろ!」
私は目を見て、表情を確認した。
叩いた掌がじんじんと痺れている。
友人は頭を細かく上下に振った。
いつものお前はどうしたんだよ……
私たちは砂利道に戻り、遠ざかる明かりを追いかけた。
夜の山に松明の明かりは目立つ。
鈴の音と焦げた匂いに近づいていく。
私たちはライトを消し、闇に紛れる。
砂利を踏みしめる足音がやけに大きく聞こえる。
その足音さえ、もどかしさを感じた。
一定の距離を取り、あとを追う。
時折、最後尾の松明を持つ狐が後ろを振り返る。
松明がこちらを照らす。
私は思わず息を止め、しゃがみ込む。
見えて……ないよな?
……この先に、何があるんだ?
「……どこまで……登るんだよ……」
友人の声は小さく震え、足音にかき消される。
「おい、ビビってんのか?」
私は友人の肩を抱き、耳元でささやく。
顔では笑って見せる。
「ビビってるよ!」
友人は急に大きな声をだし、こちらを見た。
……怒ったのか?
「だってこんなの普通じゃないだろ?」
また友人の声は小さくなっていく。
――ドンッドンッ――
不意に鳴った太鼓の音は、先ほどまでとは違い、腹に響くほど大きく聞こえた。
二人は音の方へ視線を向ける。
音は道の先、山の上から打ち鳴らされているようだった。
私は山頂の異変に気が付く。
「山の上……明るいぞ……」
山火事のように、ぼやっとした明かりが夜空を照らしている。
前を歩く狐たちの松明が、山頂の明かりの中へ消えていく。
友人は小声で私に耳打ちをするように話す。
「あそこが頂上じゃないか?……」
太鼓の音は地響きのように鳴り続いている。
私たちは木の陰に身を隠すように山頂を覗き見た。
山頂には社が一つ。
中心にはしめ縄に囲われた炎が、夜空に向かって猛っている。
炎の前では、鈴を持った狐が絶え間なく鈴を鳴らしていた。
なにかが焼ける匂いが鼻を衝く。
「これって大篝火ってやつか?」
友人は身をかがめ、私に顔を近づけた。
これは儀式なのか……
「炎で、穢れを払う……ってところか?」
私は無意識に腕を組む。
何の穢れを払うつもりなんだ……?
太鼓の音に合わせ、神輿を担いだ狐が炎の周りを回り出す。
私は神輿の上に乗っているものに意識を向けた。
やっぱり……子供が乗っている。
他の狐とは対照的に、真っ赤な着物に目の赤い狐の面。
神輿の上でうつむいている。
揺れのせいか、子供の肩が小刻みに震えている。
……泣いているのか?
私は神輿を見つめたまま、友人に声をかける。
「あれ……どう見る?」
友人も目を離せないようだ。
こっちを見ずに答える。
「……まさかって……ことはないよな?」
太鼓の音が激しさを増す。
地響きとなって私たちの心臓までも揺らした。
狐たちの動きが変わる。
背筋に冷たいものが走った。
神輿は鈴を鳴らす狐の前に止まる。
その狐は神輿に背を向け、社の扉を開け中に入る。
……何が始まるんだ?
太鼓だけが鳴り続ける。
やがて、狐は社から姿を現した。
私と友人はその姿にくぎ付けになる。
炎に照らされ、狐の抱えた赤い着物がはっきり見えた。
狐の面。
赤い着物。
力なく垂れた両腕。
だらりと垂れる足。
……子供……なのか?
狐は地面にそれをドサッと乱暴に落とした。
炎に深々とお辞儀をし、鈴を鳴らす。
そして、足元のそれを炎に投げ入れた。
「ひっ……」
友人は小さく悲鳴を上げた。
両手で目を覆うが、指の隙間から覗いているようだ。
匂いが変わり、黒い煙が立ち上る。
太鼓はまた一定のリズムを刻み始めた。
神輿の狐もまた、炎の周りを回る。
私の呼吸は早くなる。
……あの子供も……まさか……
友人は私の袖を引く。
「早く……早く逃げよう」
「山を下りて、警察を呼べば……」
友人の手を払い、言葉を遮る。
「そんなこと言ってる場合か?」
「お前のせいで、手遅れになるぞ?」
太鼓の音がまた、激しさを増す。
私は神輿の方を覗く。
友人は頭を抱え、震えていた。
「……いやだ、いやだ……」
……こんな時に……こいつは……
苛立ちを隠さず、友人を睨む。
「……助ける……」
私はそっと立ち上がる。
その時、枝を踏んだのかバキッと足元から音が鳴る。
境内に音が響いた。
狐たちが一斉にこちらを見る。
炎に照らされた四つの狐面が、近づいてくる。
「わぁぁぁああ」
友人は急に大声で叫びだした。
次の瞬間。
四人の狐が一斉に駆け出す。
私は反射的に姿勢を低くした。
友人は立ち上がり、上ってきた砂利道を駆け降りていく。
私は地面に伏せたまま、茫然とその光景を見つめていた。
狐たちは松明を持ち、友人を追って砂利道を走っていった。
砂利を踏みしめる足音が遠のいていく。
私は足元の木の枝を拾い上げる。
鈴を持った狐が神輿に近づくのが見える。
考えるよりも先に体が動く。
狐の背後から近づき、距離を詰める。
枝を頭に向かって一気に振り下ろす。
鈍い感触が両腕に伝わった。
狐は後頭部を押え、鈴の音と共に前のめりに倒れる。
私は神輿によじ登り、子供を抱えた。
仮面のせいで表情は見えないが、声を出して泣いていた。
神輿から降り、子供を抱えたまま、獣道へ分け入った。
背後から叫び声が聞こえてくる。
スマホのライトで足元を照らしながら、藪を走る。
わきに抱えた子はまだ大声で泣いていた。
……泣くなよ……早く泣き止んでくれ……
私は唇を嚙みしめる。
後ろを振り返るが、狐は追ってきてはいない。
子供を下ろし、肩で息をする。
汗は顎先で滴となり、ぽたりと地面へ落ちた。
周囲は静けさに包まれ、虫の音すら聞こえない。
子供に目をやる。
もう泣き止んではいるようだ。
「……大丈夫?」
私は子供の背中を摩る。
小さな体は震えていた。
子供は首を大きく横に振った。
木々は高く、月明かりさえ遮っている。
今は山のどこにいるのかさえ分からない。
息が整い始め、辺りを見渡す。
木々の隙間に、黒く大きな影が見えた。
スマホのライトを向ける。
黒い影の正体は、蔦の絡む朽ち果てた建物だった。
入口まで草に覆われ、窓ガラスも割れている。
……ここに隠れるしか……
私は子供の手を引き、建物の前に立った。
中に人の気配はなく、どこからか家鳴りが軋むように聞こえていた。
少し開いた玄関から、体を屋内へ滑り込ませる。
床は抜け落ち、風が古い埃の匂いを巻き上げていた。
子供を座らせ、手を握る。
声は出していないが、嗚咽を漏らしていた。
……怖いよな……俺もだよ……
その時、かすかに草をかき分ける音が耳に入った。
私は玄関から顔をのぞかせた。
松明の明かりと足音がこちらに向かってくる。
家の中へ戻り、子供を胸に抱き寄せた。
泣き声が漏れないよう、顔を胸元に押し当てた。
身を寄せ合う形で物陰に身を潜める。
明かりが建物の前で止まった。
私は息をひそめ、外の様子を伺う。
「どこまでいった?」
「手遅れになる前に、捕まえるぞ」
ふたりの狐が私たちの話をしているようだ……
子供の嗚咽が早くなる。
「うぅ……」
急いで子供の口を手で覆う。
……今はやめてくれ……
狐の松明が建物を照らす。
足音が徐々に遠ざかっていく。
建物の中はまた暗闇に包まれる。
……友人はどうなった?
……早く山を下りて、通報しないと……
……子供を連れてこの山を下りられるか?
考えがまとまらない。
……しかたない……
私は子供に向き直る。
口をふさいでいた手を外した。
「ここに隠れているんだ……」
子供はうつむき、返事はない。
それでも私は続けた。
「怖いだろうから、これを貸してやるよ」
スマホを手渡した。
朝までならライトを使ってもバッテリーはもつだろう……
周囲を伺いつつ、外へ顔を出した。
辺りには風に揺らされる木々の音だけが耳に入ってくる。
暗闇の中、月の明かりを頼りに山の麓を見下ろす。
二つほど山を越えた先だろうか、空が明るんでいる。
きっとその下には人の住む世界があるのだろう。
……遠いな……
私は夜空を見上げ、こぼれる涙を袖で拭った。
来た道を戻るか……このまま下るか……
「よし、下ろう」
自分に聞かせるように、わざと声に出した。
藪をかき分け斜面を下る。
足元を探るように一歩一歩慎重に歩みを進める。
私はふと気付いた。
風に乗ってかすかに焦げた匂いが周囲に漂っている。
辺りを見渡しても、明かりは見えない。
その時、後ろから足音が迫ってくる。
振り返り、拳を握り構えた。
まだ姿は確認できない。
……どこだ?……
「見つけだぞ!」
急に大声が藪中から聞こえてきた。
私の体が大きく跳ねる。
……見つかった……のか?
藪を激しくかき分ける音が近づいてくる。
向こうは明らかに私を見つけているようだ。
私は足音とは逆に向かって走り出す。
体が宙に浮く。
……やばい……
地面に手を着くこともできず、倒れこんだ。
急いで起き上がる。
しかし目の前には狐が立っていた。
左手に何かを持っている。
月明かりが鈍く反射する。
……鎌だ……
「逃がさないからな!」
狐がつかみかかってくる。
やめてくれ……
私は体をひねり、手で狐を払いのけた。
右腕に冷ややかな感覚が残る。
左手で触ると、服が裂かれている。
この、ぬるっとした感触……
血か?……
狐は低いうなり声を響かせ、右手を掴もうと腕を伸ばしてきた。
私は狐に体重を預けるように、体当たりを食らわせた。
狐が急に姿を消した。
少し離れた場所で、ドサッ落ちる音が聞こえた。
狐はどこだ……
足元には鎌が落ちている。
私はそれを拾い、辺りを見渡す。
……どこへ行った?
「ううぅぅぅ」
静寂の中、唸り声が響いている。
私は唸り声の方へ忍び寄った。
崖の下で狐がうごめいている。
足はあさってを向き、起き上がることもできないようだ。
私はそっと崖を降り、狐の背後を取る。
唸る狐の首元に鎌を当て、口を耳に寄せる。
「……友人は……?」
狐は苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。
「もう捕まっただろう……お前も逃げ切れると思うなよ……」
声は震えている。
……くそ……
狐はかすれた声を吐き出す。
「こ……こどもは……どこに……」
……くそ!
私の息は荒くなり、狐の言葉を遮る。
「お前には関係ないだろう!」
「お前らのせいで……」
右手に握る鎌に力が込められ、小さく震える。
「見ろ……」
狐は山の麓を震える手で指さした。
無数の明かりが山を取り囲むように点在している。
それよりも近く、こちらに向かってくる明かりが一つ。
「お前はもう終わりだよ……」
狐はそう言い残し、息を大きく吸った。
……ッ……
「ここだー!」
狐が怒号のような大声を上げる。
私は反射的に鎌を後ろに引いた。
「グェ……」
狐から短く、鈍い声がでる。
手には暖かい液体が滴り、地面に溜まっていく。
私は体から狐を剥がすように離れる。
膝が震え立ち上がることができない。
自分の呼吸がうるさく聞こえる。
狐は液体の中、身動き一つしない。
……やって……しまった……
……でも……
私の頭に友人の笑顔が浮かんだ……
何処にいるんだ?……
……捕まっているのか?……
私は震える足を無理やり立たせる。
明かりから逃げるように、先ほどの小屋へと足を向ける。
藪を抜け、やっとの思いで建物へたどり着いた。
建物の玄関は開け放たれていた。
私が出たときは、玄関の隙間から出たはず……
胸がキュッと締め付けられた。
そっと中を覗き込む。
そこに子供の姿はなかった。
……あぁぁ……
私は拳を握り、敷かれた畳に叩きつける。
ドン、鈍い音だけが響き、埃が舞う。
……神社……か……
建物を出て、子供と逃げてきた道を再び歩く。
今は何時なのだろう、時間の感覚がわからない。
相変わらず虫だけは無いもないかのように鳴いている。
道は……方向は……
わからない、闇雲に山を歩く。
鎌で裂かれた右腕に熱を感じた。
血は止まっていたが汗が染みる。
私は大きな木の根元に寄りかかり、座り込んだ。
両手で顔を覆い、浅くなった呼吸を繰り返す。
山の頂を見上げる。
あの儀式をしていた神社の明かりが視界に入った。
私は地面に手を付き、ゆっくり起き上がる。
……友人は……子供はあそこに……
私はふらふらと藪の中へ入っていく。
木の根に足を取られ、躓く。
神社に近づいても、太鼓の音は聞こえない。
木々の影に隠れるように近づいていく。
焦げる匂いがあたりに広がっている。
明るさから、まだ炎が燃えていることがわかった。
誰もいないのか?
私は影から境内の様子を伺う。
境内は人の気配はない。
炎のはじけるパチッっという音だけが鳴っている。
私は恐る恐る、炎に近づいた。
暗闇にいたせいか、炎はまぶしく。
その熱と光で眉間にはしわが寄る。
久しぶりに見た私の身体は血と泥にまみれていた。
汗なのか血なのか関節がやけにべたつく。
さっきこの炎に子供が投げ込まれて……
私は炎の中心を見つめるが、人の燃えた痕跡は見つからない。
……子供を燃やしていた……よな……
……なら、友人もまだ無事なのか?
炎の奥にある社へと足を進める。
砂利を踏みしめる音が境内に響くたびに私の鼓動が早くなった。
社の扉にそっと手をかける。
『恐怖の村』の配信が頭をよぎる。
この炎の柱。
境内の風景。
暗闇と松明……
……ここに村の秘密が……
ゆっくり扉を左右に開く。
社内が炎の明かりで照らされる。
祭壇と賽銭箱。
大きな太鼓。
破れかけた札。
埃の匂い。
私は村の秘密、友人の痕跡がそこにあると思っていた。
しかしそれ以外には、何もなかった。
私は無意識に炎を見つめていた。
「これから……どうしようか……」
思ったことが口に出ていた。
とりあえず……山を下りないと……
上ってきた砂利道の方へ頭を向ける。
明かりに照らされた坂道で白いものが揺れていた。
白い狐の面が二つ、砂利道を上がってくる。
ジャリ、ジャリ、足音が響く。
狐はまっすぐに炎に向かって歩いてくる。
とっさに社の影に入り、身を潜めた。
二匹の狐は私には気づいていないようだ。
炎の前で歩みを止め、狐一匹が炎に薪をくべている。
炎から白い煙が立ち上がり、境内を包む。
「……子供は……祭司様が……」
「そうか、それは不幸……幸いだ」
狐たちの会話に耳を澄ませるが、炎の音が邪魔をする。
私は狐たちの会話を聞くために、社に張り付く。
「今回は二人だったな……」
「犠牲……に捕まえ……」
早くなる呼吸を押え、逃げられる道を探す。
会話から私のことを話しているのは明確だった。
……逃げないと……
呼吸を整え、足に力を籠める。
ゆっくりと立ち上がり、狐の様子を伺った。
狐の面は二人とも上ってきた、坂道へ頭を向けている。
私もその方向に視線を向けた。
坂の下から松明の明かりが上がってきていた。
境内の狐は上がってきた狐の方へ歩みを進め始めた。
……狐が……また……
私は無意識に拳を握っていた。
顔から伝った汗が、地面に水滴の跡をつくっている。
私は社の後ろから飛び出し、一息に走り出す。
坂道とは逆の藪へ飛び込む。
後ろからは足音と怒鳴り声が響いている。
頬には高く茂った草木の触れる感触と行く手を阻む木の枝、前へ進めない。
顔に絡む蜘蛛の巣にも苛立ちを覚えた。
後ろから明かりと人の声が迫ってくる。
かすかに水の音が耳に入る。
……川か?沢か?
私は音の方へ急な斜面を下る。
急に地面の感覚無くなり、体が地面にぶつかる。
上も下もわからない。
ただ体を丸め、両手で頭を守る。
全身に痛みが走った。
どうやら沢まで転げ落ちたようだ。
耳元で、水の流れる音がする。
私は顔を上げる。
……立てるか?
這いつくばり、音の方へ近づく。
パチャッ、手に冷たい水の感覚がした。
私は上半身を起こし両手で水を掬った。
呼吸を整え、その水で顔を拭う。
大きく息を吐いた。
次第に体の感覚が戻ってくる。
……大丈夫だ、まだ動ける……
私はもう一度、今度は片手で水を掬い、口をゆすいだ。
落ちたと思われる斜面の上を見る。
松明の明かりがゆっくりと斜面を下りてきている。
沢の両側は急な斜面になっていた。
……登れない……
私は沢に沿って下っていく。
曲がった先で明かりを反射する水面が見える。
隠れるようにその明かりの元を探った。
少し下流では沢に小さな橋が架かっている。
その橋の上で狐の面をかぶった男が沢を照らし、別の狐は沢を上ってくる。
私は踵を返した。
足音を殺し、再び沢を上る。
しかし、沢の上からも私を追いかける狐の明かりが迫ってくる。
……挟まれた。
「……おい!」
私はとっさに体ごと声の方へ向ける。
男が一人立っている。
「こっちだ……」
私はその声に目が潤む。
……あ、ああ……
友人は私の手を掴む。
私の手は震える手を、しっかりと力強く手を握った。
そのまま私を斜面の上へ引きずり上げる。
「お前……なんで……」
私は声を絞り出す。
だが、うまく言葉が出てこない。
友人は私の手を引いたまま、竹藪を抜けて藪の中に入る。
その先には防空壕か鉱山の跡か、岩の洞窟が口を開けていた。
入り口は藪が覆い隠している。
人、一人が通れるくらいの入口に友人が中へ入る。
私もあとに続く。
内部からは冷気が漂い、私の身体は震えた。
中に入ると友人は足元を照らすように、スマホのライトを点ける。
足元には泥にまみれた二人の靴が並んでいる。
友人は岩の上に腰を下ろした。
「……ごめんよ……」
友人は下を向いたまま、口にした。
逃げたことか?
私は友人の背中をポンと叩く。
「お前のおかげで助かった……」
友人は私の目を見る。
その目は潤んでいるようだ。
「そうだ……子供は?」
私は大きく首を横に振る。
友人は私の服が血と泥で汚れていることに気づいた。
「……これ……血か?怪我したのか?」
スマホのライトで私の顔からつま先までを順に照らす。
眩しい……
右手を額に当て、光を遮る。
「怪我は……右腕の……少し切られただけだ」
切り口を友人に見せるように突き出す。
友人は確かめるようにライトで照らした。
「大丈夫……そう……だな?」
「こっちの血は?」
服を指さし、ライトを向ける。
乾いた血と泥が混ざり、赤黒くこびりついている。
「これは……返り血」
友人の息をのむ声が聞こえる。
あの時の鎌を引いた感触が戻ってくる。
私の右手が震え、体も震えだした。
自分の肩を抱き、身を縮める。
友人は何も言わず、私の背中に手を置いた。
震えが収まってくる。
友人はすっと立ち上がり、外の様子を確認する。
私の隣に戻り、笑顔を向けてくる。
「誰もいないから、大丈夫だ」
右手の親指だけを立てて私へ突き出した。
そろそろ、ここから出るべきか……
山から下りたい気持ちが大きくなる。
同時に友人との会話が私を落ち着かせていた。
私はようやく、重い腰を上げる。
「……帰ろう……」
私は出口へ一歩踏み出す。
友人も静かに頷き、私の後に続く。
音を立てない様に私は藪をかき分ける。
あたりに明かりは見えない。
……この辺にはいないのか?
竹藪の中に入っていく。
竹林が広がる。
ほかの植物が少ないせいか、歩きやすい。
ギギギ……と竹のしなる音があちこちで鳴っている。
シイタケの原木が乱雑に散らばり、朽ちていた。
それを横目に歩く。
……人が……入っているのか?
私は立ち止まり、体を隠すように大木に寄りそう。
行く先には、先ほど狐の面が照らしていた小さな橋が現れる。
今は明かりも、狐の姿もなかった。
友人と無言で頷き、周囲をみながら橋に近づく。
橋の向こうには、さらに竹林が広がっているようだった。
私は橋の上から沢の上流に視線を送る。
遥か遠く、沢の上流であろうところが明るく見える。
狐たちは上流に向かっているのか……
私に続き、友人も橋を渡る。
――ウゥー……ウゥー……――
かすかな音が山に響いている。
「何の音だ?狐たちか?」
私は音の出所を探るように周りを見渡す。
山に反響しどこからか、何の音なのかわからない。
「……今度はなんだよ……」
友人は額に手をあて、汗を拭っている。
さっきの音とは別に、人の話し声が聞こえてきた。
はっきりとは聞こえない。
友人が私の袖を引く。
「早く……行こう……」
友人は小声で急かすようだった。
私は竹林の入口へ足を向けた。
「……そうだな」
竹林へ静かにゆっくりと歩みを進めた。
身体をかがめ、足音を殺す。
私は竹林から振り返る。
そこに人の気配はなかった。
竹林の中は静寂に包まれている。
倒れた竹が重なり、進める場所が自然と決まっていた。
友人が先頭を歩き、時折こちらを振り返る。
私を見ているのか?それとも後ろか……
平坦な竹林は上っているのか、下っているのかわからなくなる。
バチンッ
大きな音が竹林に響き渡り、友人が倒れこむ。
「……い、痛ぇ……」
右足を押えて、苦痛の表情を浮かべている。
友人の押元にしゃがみ、スマホのライトで照らす。
右足首にはワイヤーが食い込み、肉を締め付けている。
……罠か!?……
私はワイヤーと足の間に指をねじ込むが緩む気配はない。
反対側を手探りで先端を追う。
ワイヤーは大木の周りを一周している。
外せない……
友人も外そうと無理矢理にワイヤーを引っ張る。
ワイヤーの軋むギシギシという音だけが小さく鳴っている。
友人の靴を脱がせた。
締め付けられる足首は紫色に変色し、指先は白くなっている。
夜明けが近いのか、闇が薄くなってきたようだ。
私は大木にくくられた、ワイヤーを力の限り引っ張る。
カチッ
ビー、ビー、ビー
アラームが周辺に響き渡る。
……しまった……
友人の近くにへたり込む。
「……ごめん……」
「センサーだ……」
誰かを呼ぶようにアラームはけたたましく鳴っている。
私の腕をつかんで引き寄せる。
「……お前だけでも……にげろ」
私は首を横に振った。
友人は遠くを見ている。
「ほら……明かりが近づいてくる……」
「このままじゃ、二人とも捕まるんだよ!」
友人は私を突き飛ばす。
その衝撃でしりもちをついた。
スマホのライトを使わなくても友人の笑顔がぼんやり見える。
明かりが竹林の入口まで迫っている。
「必ず、麓まで降りろよ……」
友人は立ち上がった私の背中をそっと押す。
私は唇を強く結び、小さく頷く。
そのまま、竹林を足早に抜けていく。
背後では友人が私の存在を消すように大声を出している。
「痛ぇよー!」
「助けてくれー!」
一瞬だけ友人を振り返り、すぐに前を向く。
……戻って……くるからな……
徐々に闇が薄くなり視界が効くようになってきた。
……もう、身を隠すことは難しいか……
私は足元を見ながら竹林を抜け、再び藪をかき分ける。
やがて藪の切れ目に差し掛かる。
虫は鳴くのをやめ、代わりに鳥のさえずりが聞こえはじめる。
藪をかき分けると視界が開ける。
私は自分が山の中腹にいることがわかる。
右側が崖になっていて、回り込まないと降りられそうにない。
崖に沿って歩く。
空が白み始め、山の間からは霧が立ち込めていた。
朝の湿った空気が私の肺を満たす。
左側の藪からガサガサと音が聞こえてくる。
……動物か?
音は私の方へ寄ってくる。
私は藪から距離を取り、身構える。
ガサッ
藪から肌色のものが二本飛び出してくる。
すぐに腕は藪を分け、間から狐の面をつけた男が顔を出す。
仮面の男が私を視界にとらえ、指を差してくる。
「あああ!」
声を上げると同時に両腕を広げ、私に迫ってきた。
後ろに下がるうちに崖際に追いつめられる。
「なんで……なんでこんなことをするんだ……」
私は思ったことをそのまま口に出した。
仮面越しの目と私の目が合う。
「お前らが、したことだろう!」
拳を握り、私へ向けて振り回す。
仮面の男の拳は私の頬をかすめ、空を切る。
逃げ場を失った遠心力が男のバランスを崩れさせた。
私は両手で男を突き飛ばす。
……あっ……
狐の面が外れて宙をまう。
男はそのまま、倒れるように崖から消えた。
私は崖下を覗き込んだ。
そこには遥か崖の下で体をぴくつかせる男の姿があった。
血だまりが広がり、男の身体は動かなくなる。
私はその場に座り込む。
……また……やってしまった……
明るくなる東の空を、ぼーっと見ている。
……私もここから飛び降りれば……
私はゆっくりと立ち上がった。
足が勝手に崖に向かってふらふらと歩みを進める。
眼下の景色は先ほどと変わらない。
血だまりの中に男いる。
違うのは、その血さらに広がり、あたりを赤く染めていた。
私はつま先に体重をかけていく。
崖下から吹き上げる強烈な風が私の熱を冷まし、体を崖の内側へ押し戻した。
そのまま、地面に尻を着く。
熱を奪われた体は震え、私は膝を抱いた。
視界には山々の鮮やかな緑が映る。
朝露が朝日を反射しキラキラと輝いている。
私の膝を抱えた腕に涙が落ちる。
……そう……だよな……
約束……したよな……
最後に見た友人の顔が頭によぎった。
ふと脇に落ちている白い狐の面を手に取る。
私はそれを崖下に向けてそっと投げた。
立ち上がった私はよろよろと崖沿いを歩く。
「ウゥー、ウゥー……」
……また?これは……サイレンなのか?……
開かれた場所の先は砂利道へとつながっていた。
……道なのか?……
ジャリ、ジャリ。
私は砂利道に出てあたりを見渡した。
……ここは……
昨晩、狐のあとを追いかけたこと思い出す。
山頂へ続く、その砂利道の先を見つめる。
……この先は神社か。
私はなだらかな坂の下の方へ目をやる。
砂利道を下る。
足は重く、何度も石に躓く。
足元で石がはじけ、ぶつかる音がする。
その音は私がここにいることを教えているようだった。
いうことを利かない足の太ももを叩く。
鈍い痛みが、自分の足であることを実感させた。
少し歩くと、木々の隙間から麓が見える。
何か、赤いものがピカッピカッと光っていた。
よく見るとあちこちから同じ光が見える。
……なんだ?……赤色灯か?……
私は目を細めるが、全容は見えなかった。
……友人が呼んでいたのか?……
……あそこまで行けば。
ジャリ、ジャリ。
私の砂利を踏みしめる音も早くなる。
ジャリ、ジャリ、ジャ……リ。
私は足を止めた。
ジャリ、ジャリ。
違う……私の足音じゃない……
転がるように、藪の中へ入る。
腹ばいになり、息を殺す。
足音とともに声が聞こえてくる。
「……あいつ、抵抗しなかったな……」
「……問題は……だ……」
私は茂みの隙間から様子を伺う。
坂の下から、二人の男が上ってきているようだ。
面はつけていない。
しかし、その会話だけで村の人間だと決めつけるには十分だった。
私は口に手を当て、息をのむ。
「今回は死人まで出てしまった……」
「……今後は考えないと……」
目の前を通り過ぎて、坂を上っていく。
私はその場で大きく息を吐いた。
……無事でいてくれ……
男たちの足音が消えるのを静かに待った。
足音が消え、辺りには鳥のさえずりしか聞こえない。
私はあたりを見渡しながら、藪から這い出る。
また、砂利道を下っていく。
下り坂の下に、赤黒くペンキの剥がれた鳥居が見えた。
見覚えがある。
昨日友人とくぐった、あの鳥居だった。
……戻ってきた……
私は鳥居の方へ進む。
昨日見た景色とは違い、その鳥居は厳かな雰囲気を醸し出している。
私は鳥居の端をくぐり、一礼する。
鳥居の向こうには朝日が上り、夜の終わりを告げていた。
朝日はまぶしく私の目に刺さる。
私は目を細める。
倒れかかった看板が目に入った。
「無断……ヲ禁ズ……大山田村協同組合」
明るくなった今でも文字は読むことはできない。
私は思わず、看板を蹴り倒した。
……あとはもうすぐアスファルトの道に……
案の定、砂利道は途切れアスファルトに変わる。
私は胸をなでおろした。
……あとは……バス停から……
バス停を目指し、歩きはじめる。
道路わきに相変わらず建物が並んでいた。
建物は蔦に覆われ、朽ちている。
しかし、建物とは裏腹に畑は整い、作物が実っていた。
建物の前では黒猫が平和そうに昼寝をしている。
私はそんな些細なことは気にも止まらなかった。
……もう少しで帰れる。
子供のこと、私が殺めてしまった男性……
永かった夜の出来事が頭に蘇る。
そして、友人……
きっと近くに警察がいるはずだ……
村のこと、儀式のことすべて話してやる……
私は子供にスマホを渡してしまった。
証拠の動画を取っていない。
それだけが悔やまれた。
建物のガラスに反射して自分の身体が映る。
私はガラスに近づいた。
……ひどい顔だ……
顔も泥にまみれ、髪には落ち葉や蜘蛛の巣が絡む。
右手の袖は裂け、腕には流れた血が固まっている。
上着も靴も泥と血が混ざり、なんとも言えない色の染みになっていた。
でもこれが証拠になる……か……
私は罪に問われるかもしれない。
それでも、これで終わらせられるなら……
私はアスファルトの上を歩く。
坂道を下る足に体重が乗るたび、膝が拒否するように曲がる。
奥歯を噛みしめ、倒れそうになる足を無理やり動かす。
曲がった先の道が広くなっている。
わずかだが、車が止まっているのが見えた。
進むにつれて、その車両が全体を現わせた。
……パトカーだ!
そこには複数台のパトカーが停まっている。
制服を着た警察官があわただしく動いていた。
……助かった……
私は足を引きずりながら、歩みを進める。
「……助けて……ください……」
声を上げたかったが、舌が喉に張りつく。
声が出ない。
徐々に距離を詰めていく。
パトカーの後ろには救急車が停車している。
……救急隊……担架か?……
けが人?……友人なのか……?
ここからでは詳しい様子は見えない。
人がせわしなく動いていることだけはわかった。
あと少しの距離がなかなか縮まらない。
動かない足のもどかしさに唇を噛む。
警察官は私には気づいていない。
無線で何かを話しているようだ。
パトカーのドアが開き、警察官が後部座席から人を下ろした。
顔は見えないが、服装が見えた。
私の心臓が音を立ててなり始める。
……友人……だよな?……
その男は後ろで腕を組んでいるのか、手は見えない。
うつむきながら警察に連れられ、パトカーの影に消えていく。
無事……だった……
足は意思とは別に地面に膝をついた。
汗と涙のしずくがアスファルトに染みを作る。
私は左腕で顔を拭った。
わずかだが体に力が戻るのを感じる。
私は膝を立て、左手で膝を押すように立ち上がる。
……今……行くから……
崩れそうになる表情を何とかとどめ、歩みを進める。
警察官の顔がはっきり見える距離までたどり着いた。
警察官も私の存在に気が付いたようだ。
何かを叫び、こちらに走ってくるのが見える。
……やっと……
気が緩み、体の力が抜けた。
その瞬間に膝の震えが止まらなくなる。
膝は地面についた。
警察官は私の前で止まる。
私は警察官を見上げ、左手を伸ばす。
警察官は私の左手を掴んだ。
そのまま私の身体を地面に叩きつけた。
……なにが起きた?……
顔は地面に抑えつけられ、背中には重さを感じる。
上から声が聞こえた。
「お前が、やったことだろう?」
聞いたことのある言葉だ……
全身に痺れるような痛みが走った。
警察官が上に乗り、体の自由を奪っている。
「……なんで……」
私が絞り出した言葉だった。
聞こえていないのか、警察官は無線を取り出した。
「容疑者一名、確保」
……容疑者?誰のことだ……?
もう一人警察官が走ってくる。
私は腕を後ろで組まされ、手首に何かをつけられた。
冷ややかな感触があった。
……手錠を……されたのか?……
私は説明しようと、のどの痛みを無視して叫ぶ。
「この村は異常なんだ!」
「子供が……殺される!」
警察官二人は顔を見合わせている。
また、無線を取り出し報告を入れた。
「容疑者、錯乱中」
「薬物の疑いあり」
……錯乱?薬物?……
「何の話だ!」
怒りに任せ、体を起こそうとする。
しかし、警察官二人に抑えられピクリとも動かせない。
両脇を抱えられ、無理矢理に立たせられた。
二人は私とは視線を合わせず、引きずるように歩かせる。
私の足は何度も縺れ、倒れそうになる。
しかし、その度に二人が支え、それを許さなかった。
パトカーまでたどり着くころには、呼吸は乱れていた。
そのままの体制でパトカーのボンネットに抑えつけられる。
もう抵抗する気力も、体力も残っていない。
状況がわからない……
動かせる視線で、周りを見渡した。
二人の警官が私の上着やズボンをパタパタと叩く。
この匂い……
警察官から焦げた匂いが鼻を抜ける……
昨夜から何度も嗅いでいる匂いだ。
……なんでだ?
ポケットの中にも手が入ってくる。
……何を探している?
なにも持っていないのに……
警察官は私の上半身を起こさせる。
パトカーの後部座席へ連れて行かれた。
警察官がドアの取っ手に手をかける。
目の前を救急隊員が駆け抜けていった。
先には担架が置かれ、布が掛けられている。
腕だけがだらりと垂れ、その手は血に染まっていた。
救急隊員がゆっくりと、布をまくり上げる。
私は目を離せず、息をのむ。
警察官が私を後部座席へ押し込んだ。
それでも視線は担架に向けられていた。
布の下の顔が現れると同時に叫び声が上がった。
担架の陰で何かが声を上げ、うごめいている。
……なにが起きているんだ……
パトカーのドアが急に開き、目の前に警察官が立っている。
「降りろ。」
言われるままにシートから腰を上げた。
後ろで手につながれた手錠からロープが伸びている。
警察官はそのロープを持ち、私の自由を奪う。
誘導された先はさっきの担架のところだった。
……なんで、こんなものを見せるんだ?……
布を取られたそれは、血にまみれ横を向いていた。
一目でもうそれが、生命活動を終えていることがわかる。
……子供?……
その遺体に覆いかぶさるように、子供が大声を上げていた。
警察官が私につながれたロープを引く。
――シャン――
……今……なにか鳴ったか?……
再びロープが引かれる。
――シャン――
……これ以上、遺体に近付くなということか……
私は気づくと担架の真横に立っていたようだ。
嗚咽が響き、体全体が震えている。
子供が叫びながら顔を上げた。
「……お、おとう……さん……」
……お……とう……さん?
私は子供の顔を見る。
見覚えのある顔だった。
あの時、儀式から助けた子供だ。
おと……う……さん?……
私の鼓動が早く鳴る。
遺体の顔を覗き込む。
首からのおびただしい出血のあと、乾いた血。
何よりこの顔は、駅で見た……
記憶がよみがえり、体が震えだした。
「あ……ああ……ああああ!」
口から声にならない叫びが流れ出た。
私はうずくまり、地面に頭をこすりつける。
震えた体は言うことを利かない。
口から出る叫びも止めることはできなかった。
「ああああ……」
……なんで?……私が……助けて……
……襲われて……
子供がこちらを見ていることに気づいた。
顔は涙と鼻水で汚れていたいる。
しかし、目だけが私を刺し殺すような鋭さをしている。
私はとっさに目を逸らしてしまった。
子供は何かを握っている。
大きく手を振ったように見えた。
空中で何かが光る。
その瞬間、何かが飛んできて私の頭に当たった。
鈍い音が響き、私の近くに落ちた。
子供が私に何か投げつけたようだ。
額がじんじんと痛む。
私のスマホだ……
子供に貸した私のスマホが転がっていた。
警察官はそれを見て、手袋をつけてスマホを拾う。
袋に密封し、他の警察官へ渡した。
自力で立てなくなった私を警察官が二人がかりで立たせる。
「歩け」
私につながるロープを引く。
――シャン――
ロープを引くたびに鈴の音が鳴る
パトカーへ戻るために歩かされた。
警察は腰に鈴を携えていた。
……あの狐の鈴と……似ている?
車両の横を通った時にドンッと音がなった。
顔だけを車両に向ける。
後部座席には友人の姿があった。
窓が閉まっていて声は聞こえない。
何か叫んでいるようだった。
……聞こえないよ……
口の動きからは何を言いたいかがか読めない。
両目からは涙がこぼれている。
ドンッドンッさらに友人は窓ガラスを叩く。
気づいた警察官が友人の行動を制している。
……無事……なんだな……
私は無表情のまま顔を前方に戻す。
……どこで間違ったのか……
何を間違ったのか……
そもそも間違っていたのか……
頭の中にはそんなことがぐるぐると回っている。
パトカーのドアが開けられた。
――ドンッ、ドンッ――
山の上から太鼓の音が山中に響き渡る。
辺りには焦げ臭いにおいが立ち込めていた。
……あ……あの太鼓の音……
顔を上げる。
ここからじゃ山頂は見えない……
私は自分から後部座席に乗り込む。
シートに深く腰を下ろした。
パトカーは走り出し山道を下っていく。
木漏れ日の中を抜ける。
木の陰に白く光るものが視界端に映る。
……狐だ……
木々の隙間から、大勢の狐の面がこちらを覗いていた……
「お巡りさん……あそこ……狐の面が……」
警察官は聞こえていないかのように、前を向いている。
両手に嵌められた手錠が冷たく重い。
警察官は無線を手に取り、報告を入れている。
「こちら容疑者二名、傷害および殺人の容疑現行犯逮捕、尚一名は共犯容疑」
私は叫ぶ。
「狐が……狐がいるんだよ……」
警察案は前を向いたまま、何も答えない。
パトカーは山道を下っていく。
――ドン……
遠くで太鼓の音が響いた。
私が見ていたものは、何だったのか……
見えていたものは、何だったのか……
ゆっくりと目を閉じた。……
END