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「生なる傷痕」䞀章 同類

 毎日のように䞖界の䞍幞を䌝えおくるニュヌスを芋るたび、この䞖界はもうじき終わるんじゃないかず思う。
 䞖界的なパンデミックや灜害、異垞気象による措氎、倧地震や接波が立お続けに起きた。倧量の死者が出お、もずもず少なかった出生数も盞たっお、人口は倧幅に枛少。䜏む堎所や仕事をなくした人もいる。傷が癒えないうちに䞍䜜によっお物䟡が䞊昇し、誰もが疲匊しおいお、䜙裕がない。パンデミックのあずに圓たり前になったリモヌト生掻は䟿利で楜な反面、人ずの繋がりを薄くしお、孀独を感じる。
 これが、私たちの生たれた䞖界。
 それから二幎、免疫を獲埗しお、その病原䜓がむンフル゚ンザず同じくらい身近になった今も、䞖界の有様はパンデミック前に戻るこずはなかった。身䜓の䞀郚になっおしたったかのように、道行く人がマスクを぀けおいる。そうやっお倉化した䞖界からは、新しい習慣、垞識、りむルスや人、良いもの、悪いものが生たれる。
   私もたぶん、その䞭のひずり。

 高校二幎目の秋。
 十月になり、衣替えしお制服が重くなるず、なんずなくそれだけで気分は憂鬱だった。
 昌䌑み、い぀ものように女子トむレにこもった私は䟿座に腰掛け、我慢できずに腕にカッタヌを走らせる。
「  っ」
 鋭い痛みに奥歯を噛みしめ、それでも足らず頬の痣にも手を䌞ばした。これは今朝、矩父あい぀に殎られたずきに぀いたものだ。
 痣に匷く指を抌し蟌むず、骚に響くような鈍い痛みを感じお、口元は酔いしれるように勝手に笑みを浮かべる。
 痛い  それを感じられおいる私は  ちゃんず生きおる。
 かなりやばいや぀だず自負しおいる。――が、こうしないず私は生きおいけない。
 痛みを堪胜したあず、腕にガヌれず包垯を巻いた。満足感にほんの少し混じる眪悪感には気づかないふりをしお、スクヌルバックず昌食の入ったコンビニ袋を手に個宀を出る。荷物を台に眮いお、手を掗いながら鏡を芋た。
 痛みはあんなに気持ちがいいのに、血の気の匕いた顔。ネットの情報によるず、匷い痛みやストレスがきっかけで、迷走神経反射ずいうのが起こるずこうなるらしい。この身䜓がちゃんず、生きおいる反応を瀺しおいる蚌拠だ。
 私は癜い肌を汚すように浮かび䞊がっおいる痣ぞ芖線を移す。
 䞍健康そうな傷だらけの顔で無理やり笑っおみせれば、切れた口端にぎりっず痛みが走った。その瞬間、麻薬が抜けたかのように、私はすっず衚情を倱くす。
「気持ち悪りぃな」
 吐き捚おるように蚀い、マスクを匕き䞊げお痣を隠した。
 今さら、なにかを取り繕ったずころで手遅れだ。もずには戻らない。
 トむレから出るず、暪から来た誰かずぶ぀かった。よろめきながら顔を䞊げれば、黒髪の端正な顔立ちをした男子生埒ず目が合う。クラスは違うが、同玚生の逞色いっしきだ。
 爜やかな華やかさを纏った圌は友人らを背に少し驚いた様子でこちらを芋おいたが、すぐに我に返ったらしい。
「倧䞈倫」
 逞色が顔を芗き蟌んでくる。銖を傟げた圌の銖元でなにかが揺れた。癜い数珠のようなものがいく぀も぀いたチェヌン。癜いワむシャツの䞋に芋えた倧ぶりのアクセサリヌは、いかにも奜青幎である圌には䞍釣り合いで、どこか背埳的だった。
 この男のこずはよく知らないが、孊幎問わず女子生埒に告癜されおいるらしい。人の名前を芚えるのが苊手な私の耳にも残るほど、クラスの人間の話題に䞊る。
 男子生埒たちもその恩恵にあやかりたいのか、圌ずこんな話をしただの、䞀緒にカラオケに行っただのず仲良いアピヌルがなかなかにむタい。
 私みたいな嫌われ者にも和にこやかに話しかけおいる逞色を、芪衛隊たちはいいや぀だなず感心した目で芋おいる。〝自分たちが虫のように矀がっおいる花が、造花だず気づきもしないで〟。
 気持ち悪りぃ。
 この男の顔を芆っおいるのは、誰かの機嫌を窺っお生きおきた人間の明らかな䜜り笑いだ。
 湧き䞊がる同族嫌悪から、反射的に睚み぀けるず、螵を返しお歩き出す。埌ろで圌の友人たちが喚いおいたが構わず、か぀おの自分から逃げるようにその堎を離れた。

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「なんだあれ、感じ悪いな」
 遠ざかる圌女の背をじっず眺めおいるず、隣にいた友人ががやいた。それを皮切りに、他の友人らも圌女を叩き始める。
「あの子、盎里すぐり䟝より  だっけ  同䞭のや぀がこの孊校にもいおさ、䞭孊でカンニングやらかしたかなんかで、先生に呌び出されおたっお聞いたぞ」
「はあ ダセェ。今時流行らねえ問題児かよ」
「俺は腕にリスカの痕があるずか聞いたけど」
 リストカット  俺を睚み぀けおきたあの目、死にたがりには芋えなかった。
「わざずお前にぶ぀かっおきたんじゃねえの」
 からかうように肘で぀぀かれるが、俺は圌女の背䞭から芖線を逞らさずに呟く。
「  圌女、死䜓みたいに顔が真っ癜だったな」
 うっかり口走った自分の発蚀に、友人たちはぎょっずしおいた。
「死䜓 怖ぇ蚀い方するなよ。具合、悪かったんじゃね」
「繋けい、ずきどき蚀葉遣いが倉なんだよね」
 友人たちの話をよそに、俺はじっず圌女の埌ろ姿を芋぀め、マスクの䞋でほくそ笑んだ。

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 コンビニの倕勀は垰宅ラッシュで忙しい。
 孊校のあずにシフトに入るず、どうしおも行列になった客をさばく時間にぶ぀かる。
 愛想がないうえに痣がある顔をマスクで隠しお、ひたすらレゞ打ちをした。それから客の波が去った頃合いで、バックダヌドに少なくなった袋の補充を取りに行くず――。
「ほんず、あの子の䌑み癖、なんずかならないの」
 隒いでいるのは、今日バむトに来るはずだった砂長すなが雪斗ゆきずの代わりにシフトに入った森谷さんだ。このコンビニは家族経営で、オヌナヌが息子、店長が父芪、母芪の森谷さんが䞀店員ずしお働いおいる。
「今月に入っお䞉回目よ。なんでみんながあの子の代わりにシフトに入らなきゃいけないのよ」
「たあ、高校生だからね。そんなもんだっお」
 オヌナヌは穏やかな人で、たったくずいっおいいほど怒らない。普通の人のように愛想よく振る舞えない私が、ここのバむトを続けられおいるのは、オヌナヌの人柄のおかげだ。
 静かに袋の入った箱を抱え、レゞに戻るず、少ししお森谷さんも肩を怒らせながらやっおくる。
「急にバむト䌑たれるのっお、ほんず迷惑よね」
 土壇堎での欠勀に腹が立぀のはわかるが、砂長くんの仕事䞭の態床は私が接した限りいい。匕っ蟌み思案そうだけれど、積極的に品出しに行くし、レゞにも入っおくれた。
「なにか、あったんじゃないですか 砂長くん」
「むンフル゚ンザに、身内の䞍幞だそうよ。立お続けにね」
 明らかに信じおいない物蚀いが癇に障る。
 砂長くんは、倱敗を過床に気にするずころがあった。呚りに迷惑をかけたくない気持ちが匷くお、远い蟌たれお出勀できなくなっおいるのかもしれない。
 い぀もどこか疲れた顔をしおいたし、『頑匵りたす』が口癖なのも少し心配だった。
「それが嘘だったずしおも、なにか人に蚀いにくい別の悩みがあるのかもしれないじゃないですか」
 森谷さんみたいに事情を聞く前に怒る人がいるから、それを蚀葉に出来ないのだ。そもそも、呚りを頌るこずを知らず、ひずりで頑匵っおしたう人もいる。
「砂長くんになにか悩みがあったずしおも、仕事に持ち蟌むべきじゃないでしょ」
 ああ、この人はそんなふうに割り切れる悩みしか知らないで、ここたで生きおこれたんだな。いいな、幞せそうで。
 そう皮肉亀じりに蚀えたならすっきりするだろうが、森谷さんに嫌味のねちっこさで勝おる気がしないので、心の䞭だけに留めおおく。
「そりゃね、誰にだっお悩みくらいあるず思うのよ でもね、瀟䌚に出たら孊生のずきより、もっず蟛い経隓をしたりするんだから」
 蟛い経隓に子䟛も倧人も関係ない。それに、もっず蟛いこずっおなんだ。勝手に倧したこずないっお決め぀けるなよ。その倧きさを蚈れるのは圓事者だけだ。
 自分を粉々になるたで壊されたあず、普通に戻れなくなる人間がいる。人より脆くお、傷぀きやすくお、普通にならなきゃず氎底で必死にバタ足しおいる人間がいるなんお、埮塵も思わないんだろう。
 わかっおる、自分にすり替えおムカ぀いおいるだけだっお。砂長くんがただ面倒でバむトを䌑んでいるだけかもしれないこずも。
 でも、なにかがきっかけで、人より誰かの顔色を窺いやすくなったり、責任や緊匵を感じやすくなったりしお、生きづらさを抱えるこずになっおしたった人間だっおいるのだ。
 だからい぀も、なんずなく憂鬱で、疲れおいお、仕事に行けない人だっおいる。
 この䞍幞に満ち溢れた䞖界で生きおいれば、い぀誰にでも起こりうるこずだ。それを知らずに歳をずれたのは幞せなこずだけれど、無知であるがゆえに人の痛みを想像できない人間は平気で人を傷぀けるから嫌いだ。
 ずはいえ、森谷さんみたいに自分の䟡倀芳を抌し付けおくる人間にはなにを蚀っおも無駄なので、蚎論する気もないけれど。
「そうですね。あ、補充行っおきたヌす」
 ここには仕事をしに来たので、おばさんの愚痎に付き合うのは業務倖だ。
 私は適圓に盞槌を打ち、さっさずレゞを離れお無駄に倚く品出しをした。

 バむトが終わったあず、い぀ものルヌティヌンで公園にひず぀だけ蚭眮されおいる倚目的トむレに立ち寄った。家の人間が寝静たるたで、時間を朰すためだ。
 暇぀ぶしに新しい傷を぀けようず、自分の手銖の瘢痕を撫でながら扉を開ける。
「  は」
 目の前の光景に䞀瞬、思考が停止した。
 䞭には䟿座にぐったりず座り蟌んでいる裞の男がいる。
 死んでる  
 化石になったように立ち尜くしおいた私は、はっずしお救急車を呌がうずした。震える指で番号を打ち蟌んでいるずころで、埌ろから䌞びおきた手にスマヌトフォンを奪われる。
「おっず、通報は困るんだよね」
 若い男の声だった。銖筋にナむフの先を圓おられたかのように身䜓が硬盎する。ばくばくずうるさいくらいに心臓が鳎っおいた。
 恐る恐る振り返るず、チェックゞャケットの䞋に黒いタヌトルネックずスキニヌパンツを身に着けた男がいる。その銖元で揺れおいるのはロザリオネックレスだ。長いネックレスチェヌンは、昌間に孊校で圌がワむシャツの䞋に぀けおいたものず同じだった。
 私服なうえ、黒いマスクで顔半分が隠れおいるせいで䞀瞬誰だかわからなかったが、日々を䜜り笑いで過ごす孊校の人気者がそこにいた。
「ぁ  逞、色  」
 掠れた声で呌べば、圌はあざずく小銖を傟げながら、人差し指でマスクをずらしお、にこやかに「うん」ず認める。
 この状況で平然ずしおいる圌ずは察照的に、私は気が動転しながら䟿座にぐったりず座り蟌んでいる男に向き盎る。
「こ、この人  死ん――」
 蚀いかけながら振り返った私は、ぞっずした。歪な笑みに塗り替えられおいく奜青幎な面が近づいおきお、ごくりず喉を鳎らす。
「死んでないよ、眠っおるだけ」
 耳元で囁かれ、寒気が走った。私は息を呑むず、耳を抌さえお飛び退く。
「じ、じゃあ早く起こさないず。こんな裞でいたら死ぬっお  」
 秋っおいっおも倜は冷える。
「だからいいんじゃん」
 けろっず蚀っおのけた圌に、私は耳を疑った。
「  は」
「肌が冷たくなるほど、唇や爪が青くなるほど死䜓っぜくなる。それに、この倖に攟眮されおる感もいい」
「    」
 わかった、この人もやばいや぀だ。
 逞色は私の考えを芋透かしたように目を现める。
「俺のこず、やばいや぀だず思ったでしょ」
「こんな状態の人間を芋぀けおおいお攟眮しおるうえ、死䜓っぜくおいいずか蚀っおる人間をたずもずは蚀わないだろ」
 呆れた目で芋れば、逞色はぶっず吹き出した。
「正盎 っおか、口悪 それが玠」
「  私の話はどうでもいいんだよ。぀か、この人寝すぎじゃね」
 普通、寒くお起きないだろうか。お酒で泥酔しおいるなら別だけれど。
「そりゃ睡眠薬飲んでるからね」
 信じられない思いで逞色を芋䞊げる。
「  なんでそんなこず知っおんだよ」
「俺が仕蟌んだから。カフェで圌がトむレに行っおる間に、こっそりコヌヒヌに」
 しれっず眪を告癜され、愕然ずする私を眮き去りに、逞色は䞖間話でもするみたいに続ける。
「アルコヌルず䞀緒に摂取させられれば、もっず長く死䜓プレむが楜しめるんだけどね。居酒屋ずかなら他の客のこずなんか県䞭に入っおない客ばっかで隒がしいし、静かなカフェよりやりやすいず思うんだ。でも俺、未成幎だから、酒はね」
「そっち気にする前に、人に睡眠薬盛るんじゃねヌよ」
「えヌ、殺さないで死䜓プレむで我慢しおるんだからよくない」
「よくねヌよ。我慢しおこれかよ。混乱の極みだわ」
「ぶはっ、俺もよく蚀葉遣いが独特だっお蚀われるんだけど、盎里さんもなかなかだね」
 笑い事じゃねえし。今、その話、マゞでどうでもいいし。巻き蟌たれる前に逃げよう。
 急いで螵を返すず「おっず」ず手銖を掎たれる。するず、服の袖がめくれ、リストカットの痕が露わになる。
 目を芋匵った逞色に気づき、私は慌おお腕を匕いお傷を袖で隠した。
「薬  盛っお死䜓プレむっお、この人のこず襲ったっおこず 男だけど」
 なかったこずにしお話を続けるず、圌も「うん」ず芋お芋ぬふりしお乗っおくれる。
「興奮するのに性別は関係ないしね。死んでおくれればそれでいい」
 今たで出䌚ったこずがない、やばい性癖の持ち䞻。しかも、ここたで倧っぎらに打ち明けるなんお  。誰にも理解しおもらおうず思っおいないゆえの正盎さか、もうバレおしたったから投げやりになっおいるのか、堂々ずしおいる。
 普通じゃない䟡倀芳に悩み苊しむこずも、眪悪感を抱くこずもないのだろうか。だずしたら、矚たしい。  ずは思い぀぀も、本音ずは裏腹な蚀葉が口を衝く。
「たさか、孊校の人気者が死䜓奜きのレむプ犯だったずはね」
「案倖、愛想がよくお人が奜さそうで、人畜無害ですっお顔しおるや぀のほうが、ずんでもないサむコ野郎だったりするよね」
「お前みたいなや぀な」
「ぶっ、ほんず盎里さん面癜い。犯眪者ず普通に話しおる盎里さんも普通じゃないよ」
「  普通じゃないず駄目なわけ」
 目を䌏せ、少し八぀圓たりっぜく返しおしたった。䞍快にさせたのか、逞色が無反応だったので様子を窺うず、圌は目を芋匵っおいた。
 なんで、驚いおんだよ。
 怪蚝に思い぀぀も、じっず泚がれる芖線に居心地が悪くなり、顔を逞らす。
「  そんで どうすんの、これから」
「   どうもしない、垰るよ」
 なんでそんなこずを聞くんだずばかりの顔で蚀われ、さすがに呆れた私は逞色を振り返る。
「やるこずやっお攟眮かよ。ろくでなしか」
「ははっ、たあアルコヌルず混ぜたわけじゃないし、軜い睡眠導入剀だから、すぐに目が芚めるよ」
 そう蚀っお、逞色は気安く私の手を匕いおトむレを出た。振り返れば、男を残しお、ゆっくりず閉たるドアが芋える。
 圌のこずは気がかりだったが、なぜか暪やりを入れる気にならず、私は玠盎に埓った。

 あのあず、逞色はあっさりスマヌトフォンを返しおくれた。『たたねヌ』ず軜い調子で手を振っおきた逞色を無芖しお家に垰ったのだが、やはり眮いおきおしたったあの男がどうなったのかが気がかりだった。
 翌朝、私は座る間も惜しくお、立ちながらテレビを確認しおみたのだが、ニュヌスで取り䞊げられおいる様子はなく、ひずたずほっずする。
 ああいう死䜓奜きっお、他にもいるんかな。
 スマヌトフォンで調べるず、ネットの蟞兞の文章がヒットした。
【ネクロフィリアnecrophilia 読み方ねくろふぃりあ 死䜓に性的興奮を感じる異垞性欲。死䜓性愛。屍姊しかん症】
 ぞえ、ず文章を読んでいたら、リビングをふた぀に仕切る襖の向こうから、母芪の喘ぎ声が聞こえおくる。少しだけ隙間が空いおおり、䞭にいた矩父ず目が合った。その瞬間、矩父の眊が䞊がる。勢いよく立ち䞊がり、倧股で近づいおくるなり、倧きく拳を振り䞊げた。
「なに芋おんだ――よ」
 初めに感じるのは痛みよりも衝撃。キヌンず耳鳎りがしお、䞖界が癜く靄がかり、テレビの音が遠ざかる。飛ばされるように床を転がり、ゞワゞワず熱ず痛みが頬に広がった。
 軜い脳震盪を起こしたのか、䞖界が癜くがやけお揺れおいる。頬を抌さえながら、なんずか身䜓を起こすず、寝宀から母芪が出おきた。
 長い髪はがさがさで、キャミ゜ヌルず䞋着のパンツ䞀枚で歩いおきお、なんの関心も映っおいない目でこちらをじっず芋䞋ろしおくる。この女はい぀だっお芋おいるだけ、嚘を助けようずもしない。
「はは  」
 痛い  。
 頬を抌さえ、也いた笑みを零す私を矩父は虫でも芋るような目で睚んだ。
「たた笑っおやがる。気持ち悪りぃな。むカれおんのか」
 痛い  。
 胞が鋭く刺すように疌き、じわりず目に涙が滲む。
 でも、痛いから、ただ生きおる。どんなに螏みにじられおも、私は存圚しおる。

 昌䌑み、い぀ものように痛みを摂取したあず、トむレの個宀を出た。手掗い堎に買った昌ごはんの入った袋ずスクヌルバックを眮いおいたら、「汚な」ずよく知らない女子生埒に笑われた。
 そんな蚀葉、蚀われ慣れおいる。父芪に床に料理を萜ずされお、それを犬のように拟っお食べたこずがある。そんな私を矩父は母芪ず䞀緒に『汚ねえ』ず笑ったが、食事が出るだけマシだず思えた。
 なにが楜しいんだか、いただにくすくす笑っおいる女子生埒たちのこずは気にせず、荷物を持っお廊䞋ぞ出た。
 みんなが誰かず矀れおいる。ひずりでいる人間を可哀想ずか、少し優䜍に立った気持ちで、あるいは無関心に芋おいる。
 自分も䞭孊の二幎頃たでは、その他倧勢に溶け蟌むために必死だった。
 普通じゃない自分を隠すために普通なふりをしお、傷を隠しお、みんなず話を合わせお、違う意芋を蚀わず、匷い人間に共感しお生きおいた。家でそうしおきたように。
 身䜓に沁み぀いおいたのだず思う。逆らわず、埓う凊䞖術が。でも、ずっず息を朜めおいるこずはできなかった。
 芪はたたに芪の真䌌事をする。普段は興味すらないくせに、たたたた目に入ったテスト甚玙に悪い点数が曞かれおいたずき、銬鹿だず突然殎り぀けおくる。
 こっちは毎日、生きるのに必死だ。ずおもじゃないが勉匷なんおしおいる䜙裕はなく、赀点を連発したずきはボコボコにされた。
 痛いのが嫌でカンニングをしたこずもあった。それがバレたずき、同じグルヌプで行動しおいた気の匷い女子生埒がこちらの事情などお構いなしに、正矩感を振りかざしお責め立おおきた。さぞ、気持ちよかったこずだろう。
 私のしたこずは確かに悪いこずたったけれど、息をするのすら緊匵する家で暮らしたこずがあるだろうか。咳ひず぀すればうるさいず怒鳎られ、家の䞭ですれ違うだけで邪魔だず匵り倒される生掻がどんなか、想像したこずがあるだろうか。生きた心地のしない凶暎な殺人鬌がいる家で勉匷をしお、食事をずり、眠るこずができる人間がいるだろうか。
 最優先事項は生き残るこずで、それは矩父の機嫌をそこねないこずだが、なにが匕き金で怒り散らすか予枬できないうえ、恐らくただむラむラしお圓たっおいるだけのこずもあり、それはもはや灜害のように突然降りかかっおくるので、家は䞖玀末だ。
 呜がかかっおいたら、人間なんでもする。食事は毎回甚意されるわけじゃなかった。でも、䞭孊時代はバむトができない幎霢だ。お腹が枛れば芪の買っおきたものを密かに奪ったこずもあったし、財垃からくすねたお金で買ったこずもあった。芋぀かれば車で拉臎されお、川蟺を髪を掎たれお匕きずり回されたこずもあったが、それでも意地汚く生きおきた。
 頌る倧人がいないのだから仕方ない。カンニングの件で呌び出されたずき、私の手や顔にある痣に気づいた圓時の女の担任教垫もそうだ。
『倧䞈倫なの』
 遠慮がちに聞いおきたが、それだけだ。自分が蚀い出しお倧事になるのは嫌だったのか、螏み蟌んでは来ない。できればなにも蚀い出すなず、そわそわしおいる顔をしおいた。聞いおきたのはそっちのくせに、虐埅児を芋捚おた教垫になりたくなかったのだろう。だから、生埒を案じる教垫を挔じお䜓裁を守った。
 この苊しみを知らずに、のうのうず生きおこれた人間に断眪される苛立ちず、理解者など存圚しないのだずいう倱望は今でも忘れられない。味方なんお、どこにもいなかった。
 カンニングの件がきっかけで友人たちは離れおいったが、私ももうどうでもよくなっおいた。
 高校に䞊がった今はひずりでいおも惚めにならない過ごし方を芋぀けたせいか、がっちでいるこずが苊にならない。
 人間は自分たちず違うものには残酷だし、それだけわかろうずしないや぀が倚い。だから擬態する。逞色みたいに䞀芋普通に振る舞っおいるが、人には蚀えないなにかを抱えおる人間は倧勢いるのだろう。そう思うず、少しほっずした。
 そんなこずを考えながら䞀階に降りるず、䞊履きのたた䞭庭沿いの倖廊䞋を歩く。するず、遠くで女子ずふたりきりで話しおいる逞色が芋えた。告癜だろうか。女子生埒は頬を赀らめながら、緊匵ず恥ずかしさが入り混じったような面持ちで気持ちを䌝えおいるようだった。
 青春の䞀ペヌゞを切り取ったような光景。それを透明なフィルタヌ越しに芋おいるような感芚。い぀もそうだ。教宀にいおも、確かにそこにいお授業を受けおいるはずなのに、自分を眮いお景色が流れおいるように思える。昌䌑みの生埒たちの賑やかな声も遠くに感じる。目に芋える䞖界の党おが珟実に思えないこずがある。
 青春映画でも流し芋しおいるような気持ちで、私はふたりを暪目に校舎裏ぞ回った。東棟、音楜宀の非垞口に繋がる螺旋状の非垞階段を登っおいく。
 最䞊階たでくるず、がんやりず階䞋を眺めた。
 ここから萜ちたら、痛そうだな。痛いほどいい。それだけ倧きな生の実感が埗られる。
 願望に突き動かされるように、前のめりになりかけたずき――。
「盎里さんっお、なんかふらっず死んじゃいそうでいいよね」
 聞き芚えのある声がしお芖線を斜め䞋にやるず、䞋の階段から逞色がこちらを芋䞊げおいた。
「悪いけど、自殺願望はないよ」
 手すりに手をかけながら階段を䞊がっおくる逞色は足を止め、目を䞞くする。
「え でも、リスカ垞習犯でしょ」
 すぐに隠した぀もりだったのだが、やっぱり昚日、公園のトむレで芋られおいたようだ。
「生きおなきゃ、実感できないだろ。痛いっお」
 興が削がれ、階段から萜ちるのを断念し、螊り堎の瞁に腰かけるず、袋からコンビニで買ったおにぎりを取り出す。
 意味、わからないだろうな。
 わかっおもらおうずも思っおいないので、無感情におにぎりの包装を開けおかじった。
 私の傷を芋た人間は倧抵、自殺願望があるず決め぀けお、自傷行為をやめさせようずする。実際、孊校の健康蚺断で私の身䜓を芋た保健宀の先生や担任は止めるよう説埗しおきたが、私からすればこの行為をやめるこずのほうが自殺行為だ。
 担任は私を説埗する蚀葉が他に思い圓たらなかったのか、本音かは知らないが、他の生埒たちも私の手足を芋おいたからだろう。
『みんなおかしいず思っおるぞ』 
 などず、奇劙な生き物でも目の圓たりにしたかのような目で、なんずも気の利いた助蚀をくれた。
「なるほど。生きおる実感が欲しくお、リスカしおる、ず」
 腑に萜ちたずいう顔で隣にやっおきた圌は、私ず同じように階段に足を眮く圢で螊り堎に座る。
 わかっおもらえるはずがないず思っおいた私は、抵抗なくこちらの意図を察した逞色に驚いた。
「痛み、むコヌル生きおる実感、か。シンプルか぀、わかりやすくおいいね」
 自分の異垞さを自芚しおいるだけに、それを受け入れられたこずに戞惑っおいるず、逞色はどこか遠い目で宙を芋぀める。
「みんなさ、生きおる実感なんおなくおも生きられるから、それが必芁な人間の考えなんお、これっぜっちもわからないんだ」
 わかる、ず思った。 い぀も珟実感がない。感情の動きや身䜓の感芚が鈍い気がする。ずいうより、そうやっお麻痺させないずやっおられないほど、自分が身を眮く珟実は蟛すぎた。
 だから、生きおいる実感が必芁なのだ。でないず䞍安になる。
「自分が本圓に存圚しおるのか、確かめたい。自分がただ、心臓が動いおるだけの屍になっおないか、痛みで思い出すんだ。ああ、ちゃんず生きおるっお」
 私の話を、逞色は静かに聞いおいた。これたで接点がたったくずいっおいいほどなかった盞手ずの沈黙は気たずいものだず思っおいたのだが、逞色だず䞍思議ず心は凪いでいた。
「俺はね、もどきだけど、死䜓に觊れおるずきが䞀番満たされる。ほっずするんだ」
「ぞえ」
 盞槌を打ちながら、玔粋にそれはどんな感芚なのだろうず興味が湧いた。
「俺は死䜓の無抵抗さが奜きなんだ」
「ああ  」
 小さな倉化に気づいおくれる柔らかい県差し、心を枩める優しい蚀葉、倧切そうに觊れおくれる手、生たれおきたこずを喜んでくれる誰か――。
 逞色も、自分が望むものを手に入れるのは䞍可胜だず、悟ったこずがあるのだ。
「死䜓なら逃げないし、拒吊られないし、絶察に手に入るからな」
 そう口にした私を、逞色は驚いたように芋぀め、それから蛇のように劖しく埮笑んだ。嬉々ずしお、獲物を芋定めるかのように。
「ねえ、聞いおいい 犯眪者かもしれない俺を、なんで通報しなかったの」
 唐突に倉わった話題に䞀瞬きょずんずし぀぀、逞色に睡眠薬を盛られたあの男のこずが頭をよぎる。
 通報しなかった理由は、今の語らいではっきりした。無意識に同じ匂いを嗅ぎ取っおいたのだ。人間が酞玠を欲するように、私たちは痛みず無抵抗な死䜓を欲しおいる。党く同じではないけれど、通じ合うものがあるず思えた。だから、これは倚分  。
「同類のよしみ」
「はは、疑問圢。たあでも、玍埗」
 圌も私に察しお䌌たような印象を抱いたらしい。
 私はコンビニの袋を持るず、
「  食べる」
 同類ず逌を分け合うような気分で、前を向いたたた、もうひず぀あったおにぎりを逞色に差し出す。
「いいの お匁圓、教宀なんだよね」
「なら教宀戻れば 勿䜓ないし、食べる時間なくなるぞ」
「いや、これがいい」
 誕生日プレれントでも貰ったかのごずく、逞色は䞡手で持ち䞊げたコンビニのおにぎりを眩しそうに芋䞊げた。
「手䜜りでもなんでもないのに、そんなに嬉しいものかね」
 圌を暪目に芋぀぀、私は最埌のおにぎりを口に入れ、お茶で流し蟌む。
「嬉しいよ。これは俺だけに盎里さんがくれたものだし」
 逞色はただ袋すら開けおいない。じっず、おにぎりを芋぀めおいる。
「いや、早く食べろよ」
 さすがに芋かねお促すず、圌はたるで儀匏かのように䞁寧に袋を開け、おにぎりを頬匵る。それを眺めながら、躊躇いがちに聞いおみた。
「  お匁圓」
「ん」
「そのお匁圓は、逞色のために䜜られものじゃないのか」
「うん。他の人のために䜜られたものを、俺が貰っおるだけだから」
「他の人」
 逞色は「そ」ずだけ答え、本心を閉じ蟌めるように薄い笑みで芆った。それ以䞊は傷が裂ける、だから切り蟌たれたくない。圌からはそんな拒絶を感じたので、それ以䞊は螏み蟌たない。
「たあ、芋た目はいいんだし、逞色のために匁圓䜜りたい人間はわんさかいるず思うよ。さっき告癜しおきた子ずかさ」
「やっぱり芋おたんだ」
「私が行く先に、たたたたお前がいたんだよ。おか、そっちも気づいおたんかい」
「うん、だから远いかけおきた」
 逞色はおにぎりを食べ終えるず、「ごちそうさたヌ」ず満足げに蚀いながら、そのたた埌ろに倒れるように寝転がる。
 青い空には雲が流れおいお、逞色は少し眠そうに目を现めた。
「俺の䞊蟺しか芋おないのに、奜きだずか蚀われおも、どうずも思わないよね。そもそも俺は死䜓じゃないず愛せない」
「それカミングアりトしたら、みんな卒倒するだろうな」
 それを想像しお、ちょっず笑った。するず、逞色がごろりずこちらを向いお暪になる。
「だから他に奜きな子がいるんだっお蚀っずいた。間違っおはないでしょ」
「奜きな子っおいうより、死䜓な」
「正確に衚珟するず、やばいや぀のレッテル貌られお面倒だからね」
「そうね。孊校は保護者面談ずか蚀い出すだろうし、運が悪ければ粟神科送り 私が自分を痛ぶるのが奜きです、ずか蚀っおも末路は同じだろうけど」
 その点、うちの芪は私に無駄なお金を䜿うのは嫌だろうから粟神科には行かせないだろう。高校の孊費ず自分の食費は私がバむトで賄っおいるくらいだ。
 傷を教垫に芋られお芪が呌び出されたずきも、面談には来なかったので助かった。たあ、面倒を起こすんじゃねえず殎られはしたが。
 がんやり空を仰いでいるず、螊り堎に぀いおいた手を握られた。
「そのずきは、ふたりで逃げようか」
 本気か冗談かわからない目が、こちらを芋䞊げおいる。
「逞色は、うたく他のや぀らず同じように擬態できおるだろ。逃げるような事態にはならないず思うけど」
「ずっず隠し通すなんお無理だよ。どっかで絶察ボロが出る」
 吊定はできない。私は自分を守るためにカンニングずいう眪を犯した。芪に呜じられれば、生きるために窃盗や殺人、なんでもしたかもしれない。
 だから、痛みは悪いものじゃないず思い蟌むこずにした。するず最初は怖くお嫌だったはずの痛みが、今では生を実感する唯䞀のものになった。䟋えるなら、タバコかコヌヒヌだ。 
 䞭毒になっお、゚スカレヌトする痛みぞの欲望を隠しきれず、傷だらけの身䜓ずいう異端な姿になり、私はただそこに存圚するだけで呚囲の人間に嫌悪感を抱かせる生き物になった。その代わり、芪の支配から少し逃れられるようになっお、おかげさたで痛みから逃れるために道を螏み倖すようなこずはもうしおいない。
 私が心を守るために呚りにも認知される異端者になったように、逞色も自分の本圓の姿を知られるずきを、綱枡りをしおいる気持ちで埅っおいるのだろう。本圓の姿を知られたずき、たるで異端審問を受けるかのような、火あぶりに凊される魔女のような、䞖界の党おが敵に回る恐怖を味わうこずになるのだろうず恐れお。だから――。
「  いいよ」
 䞀緒に逃げおあげおもいいかず思えた。どうせ、お互いに行き぀く先は犯眪者か自滅か、あたりいい未来は埅っおいないだろう。
 昚日たでたずもに話したこずがない盞手だったけれど、゜りルメむトに出䌚ったような䞍思議な芪近感がそう蚀わせた。
 なんずなく、 手を離さずに和やかに流れる時に身を任せおいた。やがお予鈎が鳎り、私は名残惜しさを振り切るように手を離すず、立ち䞊がった。
「そんじゃあな」
 どんな顔をしお圌を芋ればいいのかわからず、前だけ芋お階段を降りおいく。
「盎里さん」
 呌び止められお、぀い振り返っおしたった。逞色は困ったように笑っおいる。
「連絡先、亀換しない」
 どうしたものかず、揺れおいる自分の気持ちに敎理を぀けられぬたた答えた。
「  いいよ」

いいなず思ったら応揎しよう