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若く見せるより、美しく立つ

    美姿勢を教えてきた私が、50代で見つけたもの

    台所に立ちながら、下の子と夫の前で宣言した。

    「これで、もうお弁当作りは卒業する」

    夫は「えー」と少し不満そうだった。

    私、よくやった。


    上の子は大学進学を機に遠方へ行き、送迎がなくなった。下の子も大学生になり、駅への送迎も毎日のお弁当作りも終わった。

    子どもたちの分を作らなくなったタイミングで、私は夫のお弁当も卒業することにした。

    最後の日だったのか、その少し前だったのかは曖昧だ。
    台所に立ちながら宣言したことは覚えている。

    中学受験の塾に通っていた5年生と6年生の頃は、夜まで授業がある日に夕食を持たせていた。中学・高校の6年間は、子ども二人のお弁当を作り続けた。気づけば、夫の分も一緒に用意するのが、わが家の朝の習慣になっていた。

    誰かに褒められるためにやっていたわけではない。家族の毎日を支えるために、自分なりにずっと続けてきたことだった。

    子どものお弁当作りが終わったタイミングで、夫の分も終わりにしたかった。夫には社員食堂もある。買うこともできる。外で食べることもできる。私がこの先も、当たり前のように作り続けなければいけない理由は、もうなかった。

    お弁当作りをやめたことは、ただ家事をひとつ減らしただけではない。家族みんなで自立のタイミングを作った気がする。

    子どもは子どもの生活へ。夫は夫の生活へ。そして私は、私の生活へ。

    あの判断は正しかった。
    今でも、そう思っている。


    子どもの手が離れたからといって、急にすべてが自由になるわけではない。

    私の場合は、子育て、受験のサポート、自分の仕事、そして親の介護が重なる時期があった。母に続いて父の介護も始まり、認知症の父との同居は本当に苦しかった。

    それまでは、どちらかというと一人で抱え込み、何とかしようとするタイプだった。

    母親は家庭の中で倒れてはいけない。
    弱音を吐かず、家族を支えなければいけない。

    どこかで、そう思っていたのかもしれない。

    認知症の父との暮らしは、その思い込みだけでは乗り越えられなかった。

    気合いだけでは、どうにもならない。我慢だけでは、続かない。一人で抱え込めば抱え込むほど、自分が壊れていく。

    もう無理だと思った日、私は子どもの前で泣いた。

    母親なのに、弱いところを見せてしまった。
    最初は、そう思った。

    今は違う。あの涙にも意味があったと思っている。

    母親だって、つらいと言っていい。
    大変だと伝えていい。
    弱さを見せてもいい。

    むしろ、弱さを隠し続けるより「人はひとりで全部を抱えなくていい」と見せることの方が、子どもにとって大切な学びになるのかもしれない。

    人に頼ること。
    助けてもらうこと。
    受け取ること。

    どれも、私にとっては練習だった。

    介護は苦しい経験だったけれど、自分の立ち方を変えるきっかけにもなっていった。

    ひとり旅を覚えたのもこの頃だ。誰かのために動き続ける日々の中で、自分を取り戻す時間が必要だった。


    子どもが成長すると、夫婦の形も変わっていく。

    受験や進路のことで交わしていた会話は、以前よりずいぶん減った。家事も見直し、洗濯は各自でやるようになった。家族で過ごす時間は大切にしながらも、それぞれが自分の時間を持つようになった。

    友人関係も少しずつ変わった。

    以前ほど、無理にランチやお茶に出かけることはなくなった。合う、合わないを感じることもある。ひとりで過ごす時間が増えても、寂しいとはあまり思わない。人付き合いも暮らし方も、少しずつ軽くなっていく。

    50代は、何を持ち続けるかだけでなく、何を手放すかを選ぶ時期でもある。

    仕事についても、考えることが増えていった。

    エクササイズの指導では、全国のお客様と出会うことができ、本当に充実していた。

    それでも、これから同じ働き方を続けられるのだろうかという問いが、静かに浮かんでくるようになった。

    考えた末に、働き方を変える決断をした。
    サロンも解約した。


    その頃から、自分の体の変化を感じるようになった。体型、フェイスライン、肌のゆるみ……。鏡を見るたびに、40代までとは違う現実がある。

    体調も、毎日元気いっぱいとはいかなくなった。頭痛が出る日も増えた。疲れが抜けにくい日もある。最近は、無理をしないことも大切にしている。

    つらい日は頑張りすぎない。睡眠時間を意識して確保する。体の声を無視しない。

    若い頃のように気合いで乗り切るのではなく、今の体と相談しながら生きる。それもまた、50代から大切にしたい姿勢だった。


    私は長年、美姿勢を指導してきた。

    だからこそ、人の姿勢を見ると、ただ「猫背かどうか」「スタイルがいいかどうか」だけでは終われない。

    姿勢というと、見た目の話だと思われやすい。背中の丸さ、肩の位置、首の傾き。体の使い方として見ることも、もちろん大切だ。

    それでも、私が見てきた姿勢の変化は、体だけにとどまらなかった。

    立ち姿には、頑張り方が表れる。我慢の癖も出る。人に合わせてきた時間もにじむ。自分をどう扱ってきたかまで、ふとした姿に見えることがある。

    不調が少しずつ整っていく。
    表情が明るくなり、笑顔がきらきらしてくる。
    自分に少しずつ自信を持てるようになる。

    すると、不思議なくらい言葉も変わっていく。

    「どうせ私なんて」と言っていた人が「ちょっとやってみようかな」と言うようになる。

    服を選ぶことを楽しみ始める人もいる。新しい髪型に挑戦する人もいる。行ってみたかった場所へ出かける人もいる。人との関わり方まで、少しずつやわらかくなっていく。

    初めてレッスンに来られたとき、腰や背中が丸まり、顔も下を向いていた生徒さんがいた。歩幅は狭く、ゆっくりとしか歩けない。腰や背中、足にも痛みがあり、歩く姿までつらそうに見えた。

    それでも半年ほど、通い続けてくださった。

    ある日、会場へ向かう車の中から、見覚えのある女性が目に入った。一瞬、誰だかわからなかった。

    以前は下を向き、ゆっくり歩いていた人が、まっすぐ前を向いて颯爽と歩いている。

    私は運転しながら、涙があふれた。

    すごい。
    よく頑張ったね。
    努力は裏切らなかったね。

    そんな言葉が自然とこぼれていた。

    会場に着いてから、声をかけた。

    「姿勢、変わりましたね。びっくりしました」

    生徒さんはうれしそうに笑い、痛みが和らいで、歩くのも楽になったと話してくれた。

    姿勢が変わるということは、ただ背中が伸びることではない。顔が上がる。歩幅が変わる。見える景色が変わる。自分の体を信じる気持ちが戻ってくる。

    あの光景は、私の中で今も消えない。


    私はもともと猫背で、自信を持てるタイプではなかった。

    一人で遠くへ行くこと、人前に立つこと、何かに挑戦すること。どれも苦手だった。

    ピラティスや美姿勢メソッドに出会い、体が変わる中で、気持ちにも少しずつ変化が起きた。

    猫背だった姿勢が整い、体調が良くなった。スタイルが変わり、見た目への自信も少しずつ戻ってきた。行動範囲まで広がっていった。

    人に指導するようになった。ミスユニバースの認定講師として関わらせていただく機会もあった。新幹線に乗って遠方へ仕事に行き、個人事業主として考え、動くようになった。

    かつては一人で何もできないと思っていた私が、いつの間にか仕事を通して多くの人と出会い、新しいことに挑戦するようになっていた。

    体が変わることで、人生の見え方まで変わる。

    その実感を、生徒さんたちからも、自分自身の経験からも教えてもらった。


    最初から自分の軸を持って生きてきたわけではない。長い間、他人軸で生きてきた。

    親の顔色をうかがい、本音がわからなくなる。物事を決めることが苦手で、誰かの正解を探してしまう。それでも少しずつ変われたのは、体を整え、仕事で人と向き合ううちに、考えて決める場面が増えていったからだった。

    挑戦する姿を子どもたちに見せられたことも、大きかった。

    言葉で教えなくても、子どもは見ている。
    母親が自分の人生に立っている姿を、きっとどこかで感じ取っている。


    50代になった今、私にとっての「美しく立つ」は、以前とは意味が変わってきた。

    何でも抱えることが強さではない。そう思えるようになった。

    夫のお弁当をやめた。
    親の介護の中で、人に頼ることを覚えた。
    働き方を見直した。
    無理な人付き合いを手放した。
    睡眠や休むことを大切にするようになった。

    どれも「自分の軸を立て直す」ための選択だった。


    美しく立つとは、いつも強くいることではない。何でも一人で背負うことでもない。必要なものを選び、もう必要のないものを手放し、今の自分に合う立ち方を見つけていくことだ。

    年齢を重ねると、体は少しずつ変化する。以前と同じようには動けない日があり、鏡の前で小さくため息をつく日もある。

    私は、歳を重ねることを負けにしたくない。

    若く見えることは、たしかにうれしい。「若いですね」と言われれば、素直に顔がほころぶ。

    ただ、美しさを若さだけで測ってしまうと、どこか負けのようになってしまう。

    しわが増えた。体型が変わった。疲れが顔に出やすくなった。昔と同じ服が似合わなくなった。

    そう感じるたびに、自分を減点していくのは苦しい。

    私たちは、若さを失っているだけではない。

    経験を重ねている。
    人を支えてきた。
    迷いながら選んできた。
    いくつもの役割を引き受けながら、毎日を生きてきた。

    だから、これからの美しさは、若さを取り戻すことではなく、今の自分をどう扱うかに表れる。


    若く見せるより、美しく立つ。

    「立つ」には、姿勢としてまっすぐ立つという意味がある。そしてもうひとつ、自分の人生に、自らの意志で立つという意味もある。

    誰かの母であり、妻であり、娘であり。仕事をし、家族を支え、いくつもの役割を生きてきた女性が、もう一度「私」に戻る。

    美しく立つということは、完璧な姿勢でいることではない。いつも前向きでいることでも、年齢を感じさせない見た目を保つことでもない。

    疲れる日もある。気持ちが揺れる日もある。人と比べて落ち込む日もある。思うように体が動かず、もどかしくなる日もある。

    それでも、もう一度自分に戻ってくる。

    肩の力を抜いて、呼吸を整え、足裏で床を感じ、目線を少し上げる。

    そのたびに、「私はまだ、自分の人生を生きていける」と思い出させてくれる。

    誰かのために動いてきた体を、これからは自分のためにも使っていきたい。


    今日、少しだけ背すじを伸ばしてみる。
    それだけで、見える景色が変わる日がある。

    私はこれからも、変わっていく体と向き合いながら、自分の足で歩いていく。














     
     
     
    高学歴でもない“普通の母”の私でも「勉強しなさい」なしで子どもは中学受験→医学部・薬学部へ。「うちの子育ては最高だった」とわが子から感謝される。“地頭・自己肯定感・親子関係を整えるヒントを発信中! contact@gokigen-note.com

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