こんな悪い奴がいる。そして、こんな英雄もいる。
化学物質の映画だと思って観はじめた
『ダーク・ウォーターズ』を、私は「PFOAという恐ろしい化学物質の映画」として観はじめた。観終わったときに残っていたのは、それとは少し違うものだった。
巨大なものを相手にして、「これは許されない」と言い続けた一人の人間の話。心を動かされたのは、そっちだった。
実話である。

始まりは、牛が死んでいるという話だった
一人の農家が「牛が死んでいる」と訴えてくる。相手は巨大企業デュポン。しかもロブ・ビロットは、もともと企業側につく弁護士だ。普通に考えたら、関わらない方がいい案件だった。
しかもロブは、最初から怒っていたわけではない。農夫の話も半分くらいしか聞いていなかった。牛が何頭死のうが、本来は自分の仕事とは関係のない話だ。実態を知るにつれて、弁護士としての怒りと、家族を持つ父親としての怒りが、あとから追いついてくる。
実際、調べれば調べるほど仕事は増える。職場に迷惑がかかる。家族との時間が消える。収入もキャリアも削られていく。映画の中でも、これはロブ一人の問題では済まなくなっていく。妻も子どもも職場も巻き込まれ、仲間からは理解されない。
それでもやめない。理由は一つで、「これはおかしい」から。
彼は最初から世界を救おうとしたわけじゃない。正義のヒーローになりたかったわけでもない。目の前に死んだ牛があり、困っている農家がいて、調べたらとんでもない資料が出てきた。そして、「知ってしまった以上、放っておけない」となった。
私はこの「知ってしまった以上」というところが、ものすごく大事だと思っている。
「はっきりした悪」が、すでに珍しい
ひとつの企業がここまで悪事を働き、一人の弁護士が全面戦争を仕掛けた。この構図が実際にあったことに、まず驚いた。
今の世の中はもっと複雑だ。メディアのおかしさに気づいていても、それをどうにかする手段がない。芸能事務所の闇がどれだけ暴かれても、多くの悪事は横行したまま。誰が悪いのか、どこを叩けば止まるのか、輪郭がはっきりしない。だから怒りの持っていき場所もない。
そういう時代でありながら「ここに巨大な犯罪があり、ここに怒っている一人がいる」という、あまりにも明快な構図が実在することに驚いた。
弁護士なら正義のために戦う、とは限らない
私はもともと、弁護士に対して潜在的な怒りというのか、不信があった。
自分が離婚した時、助けてくれたのは九時五時で働く弁護士ではなく、調査探偵だったから。
法律を知っている人なら、明らかな悪を前にしたとき、それを止めるために戦ってくれる。
どこかでそんなイメージを持っていた。
でも現実はそうじゃない。
どれだけ理不尽でも、相手が大きくなるほど、見て見ぬふりをする人が増えていく。
勝てない、仕事がなくなる、家族がいる、そこまで自分が背負う問題ではない。
理屈は分かる。
自分や家族を守ることは大切だし、誰にだって生活がある。
でも、それを全員がやったらどうなるんだろう。
強い側が「どうせ誰も逆らわない」と思える社会になってしまう。
ロブはスーパーマンではない
この映画のロブは、強い人としては描かれていない。
幼い頃は学校になじめず、転校を10回も繰り返した少年だった。
勤め先の弁護士事務所は、彼にとって家庭のような場所だったのだ。
裁判が長引くなかで神経系の病気を患い、体まで壊してしまう。
家では奥さんに怒られて、しゅんとしている。
正義感の塊のような人が、迷いなく巨大企業に立ち向かった話ではないのだ。
怖がって、疲れて、家族に責められて、それでも次の日また資料を読む。
その繰り返しだった。

知ってしまったあとに、何を選ぶか
世界中でひどいことは起きていて、私たちはその全部を知ることも、救うこともできない。
でも、目の前で起きていることを知ってしまったとき。
自分に何かできる立場だったとき。
「関係ない」と目をそらすのか、「これは許されない」と立ち上がるのか。
法律より前に、これが大切なんじゃないかとも思う。
誰かが苦しんでいる。
命が奪われている。
健康が害されている。
それを知っている人がいて、それでも利益や立場を守るために続ける。
条文なんて知らなくても、「いや、それはダメでしょう」と分かる。
ロブが動いた根っこにも、そういうものがあった気がする。
この映画がうまいと思うのは、同じ「知っている」側にデュポンを置いていることだ。
彼らはかなり早い段階で有害性に気づいていた。
それでも公表せず、隠し続けた。
知ってしまったあとに何を選ぶか。ロブとデュポンは、その一点だけで正反対に分かれている。
おかしいと気づいても言わない
これはデュポンだけの話ではないと思う。
戦争でも、政治でも、企業でも、組織でも。
大きな被害は、ある日突然、巨大な悪として完成するわけじゃない。
どこかで誰かが「おかしい」と気づいても、我が身かわいさで見てみぬふりをする。
その積み重ねで、止められたはずのものが止められなくなっていく。
誰にでもロブと同じ犠牲を払えと言いたいわけではない。
家族も生活も大切だし、怖いものは怖い。
ただ、「人として許されないことは、許されない」という感覚だけは手放さないでいたい。
まず声を上げる。
それが一人ではなく、二人、十人、百人になったなら、ここまで大きくなる前に止まるものもあるんじゃないか。

観てよかった
社会正義、なんて言うと大きな言葉に聞こえる。
でも始まりは、そんなに大げさなものじゃなかったのかもしれない。
一人のおじさんが「牛が死んでいる」と言った。
一人の弁護士がそれを聞いて「おかしい」と思った。
調べた。
知ってしまった。
そして、やめなかった。
「こんな悪い奴がこの世にいるんだ」という衝撃と同時に、「こんな人も、この世にいるんだ」という発見があった。
