
絵本カフェ『よるのしおり』第三夜:夜光虫の席

カフェの中では、夜がひらいていました。
天井には小さな星の飾り。
壁には古い絵本。
ランタン棚には、いくつもの灯りが並んでいました。
けれど、その灯りはただ光っているのではありません。
ふう、と息をするように明るくなり、
すう、と眠るように淡くなる。
ランタンの男の子は、棚の前で足を止めました。
「この灯り、眠ってるの?」
星の髪飾りの少女が、小さく首をかしげます。
すると、カフェの奥から店主が現れました。
黒いエプロンに、月の形をした銀のボタン。
手には、湯気の立つカップを二つ持っています。
「眠っているんじゃないよ。待っているんだ」
「何を?」
「誰かが、自分の灯りを思い出す時を」
店主はそう言って、ふたりを窓ぎわの席へ案内しました。
その席の足元には、青い光が揺れていました。
夜光虫です。
小さな小さな青い光たちは、床の上を流れる小川みたいに進んでいました。
けれど、ふたりが近づくと、夜光虫たちは急いで逃げるのではなく、
そっと道をあけました。
踏まれないように。
でも、消えないように。
「この子たち、生きてるんだね」
少女がささやきました。
男の子は、ランタンを少し高く持ちました。
「じゃあ、ぼくたちも静かに歩こう」
ふたりは、夜光虫の光をまたがないように、ゆっくり席へ座りました。
その時、となりの席から笑い声が聞こえました。
眠れないうさぎが、温かいミルクを飲んでいます。
ふくろうは、読んでいた本を閉じて、目を細めていました。
こぎつねは、しっぽを丸めて、ランタン棚の光をじっと見ています。
みんな、何かを待っているようでした。
店主はカップを置きました。
中には、夜空色のお茶が入っていました。
湯気の中に、小さな星が浮かんでは消えています。
「これは?」
「夜をこわがらなくなるお茶」
少女は両手でカップを包みました。
「飲んだら、夜が消えるの?」
店主は首を横に振りました。
「夜は消えないよ。ただ、夜の中にあるものが見えるようになる」
その言葉を聞いた瞬間、足元の夜光虫が、ふわりと明るくなりました。
窓の外では、橋の下の海が青く揺れています。
カフェの中でも、床の上の夜光虫が青く揺れています。
外の海と、内側のカフェが、同じ呼吸をしているみたいでした。
ランタンの男の子は、そっと言いました。
「さっき、海が自分で光ることを思い出した」
少女はうなずきました。
「今度は、ここにいるみんなが思い出す番なのかな」
その時、ランタン棚の一番奥で、小さな灯りがぽっと灯りました。
まだ誰も触れていないランタンでした。
店主が微笑みます。
「あれは、誰かが少し安心した合図だよ」
うさぎが、カップを抱えて笑いました。
ふくろうが、また本を開きました。
こぎつねが、しっぽの先を小さく揺らしました。
夜光虫たちは、足元で青い道を作りました。
それは出口へ向かう道ではありません。
もっと奥へ進む道でした。
絵本カフェの奥。
まだ開いていない扉。
金色の小さな札には、こう書いてあります。
「第四夜 月のメニュー」
男の子はランタンを持ち直しました。
少女は星の髪飾りに触れました。
「次は、何を見つけるの?」
店主は、扉の前で少しだけおじぎをしました。
「月が食べたくなる夜にだけ開くメニューだよ」
カフェの灯りが、ふう、と息をしました。
夜光虫が、青く揺れました。
暗い場所にも、光はある。
ただ、やさしく揺れる時を待っているだけなのだと。
そしてその夜、ふたりは知りました。
魔法とは、光を足すことではなく、
そこにあった光に、気づけるようになることなのだと。



その夜、カフェには新しい席がひとつ増えていた。
誰のための席かは、まだ誰も知らない。
けれどランタン棚の奥で、小さな灯りがぽっと灯っていた。
きっと、ここまで歩いてきた誰かが、少し休めるように。