
ブランディングやストーリーを求められる資本主義の中で「よくわからない人」として生きること
1年前から下書きに残していた文章を手放す試み第1弾。
2025年5月7日に書いた文章、タイトルは「ブランディングやストーリーを求められる資本主義の中で『よくわからない人』として生きること」
量から質へ、モノからコト・トキへ。
人々の物質的な欲求がある程度満たされてきた現代の資本主義では、「何を持っているか」よりも「どんな体験をしたか」「どんな時間を過ごしたか」が重視されるようになっている。
その流れの中で、サービスにおいても“ブランディング”や“ストーリー”の重要性が増し、単なる機能以上の価値が求められる。
さらにSNS上では、グルメ、旅、日常、美容、恋愛といったテーマごとに特化したアカウントが細分化され、情報や人がカテゴリごとに分かれる。
私たちのアイデンティティにも同じように、「自分らしさ」が強く求められる時代。
たしかに、何かサービスを届けるなら、対象を明確にし、その人たちに刺さるブランディングやストーリーテリングが必要だと思う。
でも、本来人間はもっと多面的で、簡単に「らしさ」などと括れる存在ではないはず。
気がつけば自分自身すら“コンテンツ”のように、「自分らしさ」や「理想の自分像」を作り上げてしまっている気がする。
そんなふうに、誰にでも分かりやすい「カテゴリ」に自分を押し込める必要なんて、本当はないのかもしれない。
「理想の自分像」を演じるより、むしろ「よくわからない人」を演じていたい。
自分が作り上げてきた自分像をどこかで壊していき続けたい。
その「よくわからない人」すらも1つのカテゴリになってしまうのだろうか。
世界がどんどん細分化され、共通項のある人だけが集まるようになると、異なる価値観や背景を持った人たちと出会う機会は、確実に減っていく。
果たしてその世界では何が"排除"されているのだろうか。
何かを得るということは、何かを失うということ。
何かを選ぶということは、何かを選ばないということ。
何が良いとか悪いとかではなく、
時代はどうしようもなく変化していってる。
その中で私は、あなたは、どう生きる?