
【小説】アンチ・アンチ・アンチ 6
花屋敷ひるねが配信を辞めてから、3か月が経った。
ずっと待ち望んだ日が来たのに嬉しさも達成感も何もなかった。
何に対して怒っていたのか。今となっては思い出せない。
きっかけは些細なことだと思う。
やって欲しいゲームをやってくれないとか、コラボ相手への失礼な態度とか。
今となっては凄くどうでもいい理由だ。
最初はファンとして、花屋敷ひるねに正しいことをして欲しいという気持ちだけだった。
推しに対して「こうあって欲しい」なんて、おこがましい善意からの行動だった。
それがどんどん過激になって、推しが自分の思い通りにならないだけでイライラするようになった。
いつしかそれは手段から目的に変わって、叩くことが理由になっていた。
正義の旗を掲げて「推し」を叩く
自分は異常だった。
おかしいのは「推し」ではなく、「自分」だったのに。
もう後には引けなくなって、嫌いになった理由も忘れて、
花屋敷ひるねを叩いていた。
花屋敷ひるねがいなくなっても、冴えない大学生の冴えない日常は続いて行く。
誰にも裁かれないまま、許されないまま。
罪悪感を抱えて生きていく。
自分だけは、自分が花屋敷ひるねにやってきたことを忘れてはならないと思った。
それが、花屋敷ひるねへの自分なりの償いだった。
最近、バイト先の喫茶店に三好さんは、とても気の利く良い人だった。
愛想が良く、物覚えが良いので、すぐに店長にもバイト仲間にも、常連さんにも気にいられた。
三好さんはすぐさま人気者になった。
自分は、三好さんの雰囲気や、しゃべり方がどことなく花屋敷ひるねに似ていて苦手だった。
みた感じ同世代な気がするが、大学生ではないらしい。
どうやら自分探し?をしているとかなんとか。そういうのって普通、インドとかでするもんじゃないのか?
よく分からない人だった。
自分が1番驚いたのは、木崎さんに気にいられたことだった。
木崎さんはバイト歴の長いおばちゃんで、手際は良いのだが、とにかく性格が悪かった。
「皿洗いしてない」とか「トイレ掃除が適当」だとか、何かにつけて小言を言うのが趣味の人だった。
木崎さんが他人を褒めているのなんて見たことがなかった。
そんな木崎さんが、三好さんに対しては別だった。
「若いのにしっかりしてる」とか、「覚えが早い」と何かにつけて、褒められていた。
休憩室でも仲良くふたりで話していたりして、どうやって木崎さんを手懐けたのか、大学生のバイト仲間で不思議がられる程だった。
きっと凄く気が利くのだと思う。
三好さんは周りのことをよく見ていた。
チェーン店の喫茶店では、色々なことに気を配り注文、皿洗い、配膳など、臨機応変に優先順位を考えてさばかなければならない。
三好さんは常に周りを見ていて、自分だって何度も助けられた。
飲食店などでバイトをするのは初めてだと言っていたが、そんな風には思えないほど手馴れていた。
三好の周りには常に人がいた。
きっと生まれながらにそういうタイプの人間なのだろう。
三好さんは自分にも気にかけてくれた。
夜のピークが過ぎた時、そもそもお客さんが多くない時など、よく話しかけてくれた。
自分の話なんて、楽しくないだろうに三好さんは笑顔で聞いてくれた。
自分は悲しくなるほどチョロい。
好きになりそうだった。
ダメだ。ダメだ。
オタクに優しいギャルなんて存在しない。
きっと自分にも哀れみで話しかけてくれてるだけだ。
バイト先に誰ともいつもひとりぼっちでいる根暗がいるなぁと思って、哀れみで話しかけてくれているのだろう。
ずっと前に諦めたじゃないか。
自分なんかが、誰かを好きになることなんて。
「彰くんも忘年会に参加するの?」
バイトの休憩時間に、三好さんが忘年会の出欠表の紙を渡しながら聞いてきた。
「あ、いや、その…。」
「彰くんが参加するなら、わたしも参加しようかな。」
ぼそっとつぶやく三好さん。
ズルい。きっと誰に対してもやっているのだろう。
木崎さんにも。店長にも。常連さんにも。
頼むから、優しくしないで欲しい。
そして、まんまと忘年会に参加することになった。
当然、三好さんのテーブルには三好さんと話たい人が集まり、自分なんかが入る隙もない。
三好さんと話せない時点で、開始早々に話し相手がいなくなってしまった。
最悪な飲み会が始まることが確定した。
いつもこうだ。一時の甘い言葉に流されて、意思の弱い自分が憎い。
早く帰りたい飲み会。
今までで何回目だろう。
バイト先の忘年会の帰り道、三好さんと一緒になった。
どうやら、住んでいるところが近いらしい。
ラッキーだと思った。
結局、忘年会では三好さんとは話せなかった。
「彰くんもこっちなの?ラッキー!今日さ、彰くんと話せてなかったからさ、一緒に話したいと思ってたんだよね~。」
三好さんと一緒に帰れることになった。
これだけで、最悪な飲み会のおつりがくるようだった。
前にオススメしてくれた漫画を読んだだとか、たわいのない話が続く。
この時間が永遠に続けば良いと思った。
三好さん、好きです。
この一言で、僕と三好さんの関係は終わる。
分かっている。自分を嫌いになる人はいても、好きになってくれる人なんていない。
三好さんがうらやましかった。
きっと三好さんは誰かに好意を与えたら、それと同じくらいの好意を相手に貰ってきたのだろう。
だから、無意識に、自然に好意を与えられるのだろう。
誰かに愛されてきたから、愛することを恐れないのだろう。
自分とは違う世界の人間なのだ。
だから、期待するな、勘違いするな。
自分が誰かに好かれるなんて思うな。
「じゃあ、わたしこっちだから。」
楽しい時間はあっという間に終わる。
「三好さんとまだ話していたいです。」
この言葉が言えたなら、どれほどいいだろう。
自分が、三好さんくらい誰かに好かれることに自信が持てたら、
好意を伝えられるのだろうか?
「夜道にお気をつけて。また、バイト先で会いましょう。」
「うん。」
三好さんがまっすぐな目で、僕をみる。
僕の全てを見透かしているようなその目。
透き通るような綺麗な目だった。
三好さんは帰ろうとしなかった。
僕も帰ろうとしなかった。
微妙な沈黙の時間ができる。
ナンダコレハ
三好さんのまっすぐな目が、何かを語りかけていた。
無言の圧を感じる。
頼むからそんな目で見ないでくれ。
苦しい、辛い。耐えられない。
もういっそ、告白してしまおうか。
そうして、全てを終わらせて、この苦しさから解放されたい。
「み、三好さん、あの…。」
「彰くんってさ、」
三好さんが僕の言葉にかぶせてきた。
「嫌いな人とかいる?」
「は…?」
き、嫌いな人?
「彰くんが嫌いな人がいるのかなぁ、って急に気になって。」
な、なんだそれ。
普通、あるとしても好きな人なんじゃないか?なんなんだ、この質問。
花屋敷ひるね
まっさきにその名前が思い浮かんだ。
「わたしにはいるよ、嫌いな人。」
「み、三好さんにも嫌いな人がいるんですか?」
意外だった。三好さんも誰かを嫌ったりするのだ。
「そりゃいるよ、人間だもん。生きてれば嫌いな人だってひとりやふたり。」
「はぁ」
「殺したくなるくらい嫌いだったの。」
三好さんから急に物騒な言葉が出てきて驚く。
三好さんにもこんな感情を抱く人がいるのだ。
「いや、殺したくなるくらい好きだったのかな?もう忘れちゃった。」
「好きだった人を殺したくなりますか?」
「なるよ。好きだったから殺したくなるの。」
「わたしの持論だけど、「好き」と「嫌い」なんてさ、隣同士に存在してるんだよ。とっても大好きだった人を、ある朝、急に殺したくなっちゃうことなんて、あるんだよ。」
自分が花屋敷ひるねにそうであったみたいに、三好さんにもそんな人がいたのだ。
ちょっとだけ、その人がうらやましかった。
「だからね、殺したの」
「は?」
この人、ヒトゴロシなの?
「心の中でね。」
良かった、心の中だった。
「殺したいほど憎い人だったんですか?」
「分かんない。好きで嫌いで好きだった。でもある日、ちょっとだけ嫌いが勝って、ついかっとなってやっちゃった。怖いよね。」
割と三好さんはおっかない人なのかもしれない。
「でもさ、不思議と後悔はしていないんだよね。大切な人がいなくなったのに、せいせいとしている自分がいる。」
「わたしはいま生きているって思える。あの人がわたしの中からいなくなってくれたおかげで。」
「三好さん、」
自分はいま、三好さんになんと言葉をかけたらいいだろう?
三好さんの罪の告白を肯定するべきなのか?それとも否定して人として正しいあり方を、諭すべきなのか?
花屋敷ひるねなら、なんと答えるだろう?
彼女を思いだしたのは、いつか自分が唯一、心を開いて悩みを打ち明けた相手だったからだろうか。
優しい彼女ならなんと答えるだろう。
「三好さん、正直、今まで自分は三好さんが怖かったです。」
「三好さんは誰にも好かれて、明るくて。誰にも優しくて。誰よりも、誰よりも正しい存在だったから、僕は怖かったです。三好さんを見てると、僕のような正しくない存在が否定されてるみたいで怖かったです。」
「だから、三好さんが殺したいほど憎い存在がいたと知って、安心しました。」
「三好さんが完璧じゃない人間だって知れて安心しました。」
「完璧な人なんていないよ。」
三好さんは笑う。
「でさ、話を戻すけど彰くんは嫌いな人はいるの?」
「……。」
この人には話してもいいかもしれない。
「…いました。」
「殺したいくらい憎かった?」
「…はい、それくらい憎かったと思います。でもいなくなっちゃいました。その時の自分はおかしかったんです。その人に救られたこともあるのに。それすら忘れて、嫌って嫌って。その人がいなくなって欲しいって本気で思ってました。」
「そっか。」
三好さんは深くは聞いてこない。
「その人のことまだ嫌いなの?」
「……。分かりません。そもそも、なんで嫌っていたのかも思い出せません。最初はあんなに好きだったのに。」
「そっか。」
自分が花屋敷ひるねを嫌った理由はなんだった?
あの怒りの原動力はなんだったんだ?
「じゃあ、わたしと一緒だね。」
「……。だから殺したんですか?」
「うーん、まぁそういう所かな。わたしでもよく分かんない」
そう言って三好さんは笑った。素敵な笑顔だった。
やばい。
これ以上、踏み込むのはマズイ。
後戻りができなくなる。
自分が誰かを好きになってはダメだ。
花屋敷ひるねを好きになった。
そして、花屋敷ひるねを嫌いになった。
殺したいほど嫌いになった。
三好さんの言う通り、「好き」と「嫌い」は、隣同士に存在してて、容易に入れ替わる。
そんな自分が誰かを好きになってはダメだ。
いつか、三好さんを殺したいほど嫌いになるかもしれない。その可能性が怖い。
「彰くん、アンチに負けちゃ駄目だよ。」
「え?」
「彰くんを嫌いな人に負けちゃ駄目だよ。」
「いや、いませんよ。学校でも誰とも関わらないようにしてるんで。「誰にも迷惑かけない」それが自分のモットーなんで。」
誰にも関わらないように生きてきた。そうしたら、誰からも好かれない代わりに、誰からも嫌われない。
そうした方が、生きやすかった。
「今まで辛かったんだね。今まで気づいてあげられなくてごめんね。」
今まで?
「三好さん、さっきから何言ってるんですか…?」
「だって、彰くん泣いてるもん。」
泣いている?
そこでようやく頬を伝うものを認識する。
自分は泣いていた。全然気が付かなかった。
この涙はなんだ?
自分の境遇に悲しくなったのか?
それとも、
花屋敷ひるねに対する罪の意識か?
「いや、違くて、これは。なんか自分でもよく分からなくて。」
ひたすら恥ずかしかった。泣いてる姿を三好さんに見られたくなかった。
「なんなんですかね?自分、学校とかバイト先では無害を装ってて。誰にも嫌われたくなくて。誰とも関わらない自分かっこいいとかちょっと思ったりしてて。」
止めようとすればするほど、とめどなく涙が流れてくる。
「そのくせ、裏では誰かを傷つけて。悲しませてて。酷いことを沢山してきたんです。」
「そっかそっか」
「そんな最低な自分が、この先、幸せになろうなんて願っちゃダメですよね?自分にとって誰かを好きになるってことは、誰かを嫌いになることと同じで。」
嫌いになることが怖かった。
嫌われることも怖かった。
なのに自分は沢山の人を傷つけた。
「彰くんは優しいんだね。」
「優しくないです」
ほんとに優しい人ならこんなことはしない。
「そうやって悩むなんて、優しいって証拠だよ。」
お願いだからそんな言葉をかけないでくれ。
「沢山の人に酷いことをしたのに、なんの報いもなくて。それが自分には苦しくて。でも、その罪を告白する勇気はなくて。自分を大切に思う自分が嫌いで嫌いで。」
言葉がとめどなく溢れてくる。三好さんにはなんの事だかさっぱりだろう。
「じゃあさ、」
「わたしが彰くんの罪を赦してあげるよ。」
三好さんは女神のような笑顔でそう言った。
両手を胸の前で合わせる。
パチン、と音が鳴る。
「はい、これで彰くんの罪は赦されました。だからさ、もう前向きに生きてもいいんだよ。」
「だからさ、彰くん。笑ってよ。」
その一言で自分は救われた。
なんだか三好さんは、
花屋敷ひるねみたいな人だった。
そうだ、自分は花屋敷ひるねに救われたことがあった。
花屋敷ひるねの言葉で救われたことがあった。
その一言で、世界に許された様な気持ちになれたのだ。
大切な思い出を忘れていた。
「人を殺した、わたしが笑ってるんだよ?彰くんの罪なんて軽い軽い!」
「心の中ですよね…?」
「うーん、心の中かな?心の中」
きっと三好さんはおっかない人だ。
でも、三好さんのことをもっと知りたいと思った。
「大切にしないと。自分の気持ちを。それが「好き」でも「嫌い」でも。そうしないと、迷子になっちゃうから。」
「自分の好きな物が分からなくなっちゃうから。」
自分の好きな物。何だろう。なんだったのだろう。
「三好さんの好きな物って何なんですか?」
「わたし?うーん…。」
三好さんは少し考えるような素振りを見せたあと、
笑顔で答えた。
「ヒミツ!」
今度は小悪魔のような微笑みだった。
それから、僕と三好さんは付き合うことになった。
なんてことはなく、少しだけたわいもない会話をした後、普通に解散した。
自分にもう少し勇気が出せたら。
今日は無理だったが、またいつか。
あるかもしれない未来を期待して、胸が暖かくなる。
こんな気持ちはいつ以来だろう?
僕は、誰かを好きになって、嫌いになって、とてもとても嫌いになったのに。
懲りずにまた誰かを好きになる。
神さま、許してください。
この自分が犯した罪は一生かけて償います。
だから、この気持ちだけは、今のこの気持ちだけは、許してください。
そう願う。
こんな幸せな気持ちはいつ以来だろう?
「なんか幸せになろうとしてない?」
酷く冷たい男の声が、後ろから聞こえてきた。
「お前さあ、人を死ぬほど叩いて鬱にさせて、配信できなくなるまで追い込んだくせに、なに普通に人並の幸せ得ようとしてんの?」
道路の真後ろには、全身黒ずくめの男が立っていた。
フードを目深にかぶっていて、顔はよく分からない。
手に持っているのはナイフか?
「ダメでしょ、普通に考えて。人を傷つけた人間が、幸せになろうなんて。誰もお前の幸せなんて望んでないよ?」
「お前が、最低なお前が何の罰も受けずに、のうのうと生きていくなんてダメでしょ。少なくとも俺が許せないよ、そんなこと。」
「だから、お前が言葉のナイフで何度も刺してきたように。」
「今度は俺がお前をナイフで刺すことにしたわ。」
ああ、僕は誰かに嫌われていたんだ。
誰かに、殺したくなるほどに。
当然の報いだろう。今まで自分がしてきたことだ。
むしろ、どこかでこういう日が来ることを待ち望んできた気がする。
これでやっと許してもらえる。
花屋敷ひるねに。ファンに。神様に。世界に。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
自分はこの目の前の人に、申し訳ない気持ちになる。
自分の罪の清算に付き合わせてしまうことに。
この人はこれから罪を償うことになるだろう。
この人は強い人だ。
自分のように、安全圏から他人を傷つけるようなズルい人ではない。
面と向かって怒りをぶつけようとしている。
この人は、純粋に好きだったのだろう。
花屋敷ひるねを。
そういう人たちから、奪ったのは僕だ。
自分は何も知らなかったのだ。
ごめんなさい。
誰かを無責任に傷つけて、ごめんなさい。
誰かの幸せを妬んて、ごめんなさい。
そのうえ幸せになろうとして、ごめんなさい。
きっとこうなるしかなかったのだ。
自分は自分の罪を背負って生きていけるほど、強い人間ではなかった。
遅かれ早かれこうなっていたのだろう。
最後に自分は、自分の罪の重荷を下ろせることに凄く安堵した。
ずっと自分のことばっかりだ。
バイバイ、最低な自分。
きっと自分が世界で一番嫌いな人間は、花屋敷ひるねでも誰でもなく
自分自身だったのだ。