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『聖天アイドルの鎮魂歌(レクイエム)』 エピローグ 二日後・それぞれの場所

    エピローグ
    二日後・それぞれの場所

    二日後のリハーサルで、八海奏は気づいた。
    玲华が、変わった。
    変わった、というのは——正確ではないかもしれない。玲华は玲华のままだ。笑い方も、歌い方も、踊り方も、変わっていない。ただ、何かが、変わった。
    目だ、と八海は思った。
    玲华の目が、少し、違う。いつもの玲华の目は「今ここにあるもの全部を見ている」目だ。今日の玲华の目は——少し、内側に向いている。大事なものを、そっと抱えているときの目だ。

    「玲华ちゃん」
    リハーサルの休憩中、八海が声をかけた。
    「なんか変わった?」
    玲华が八海を見た。「何が」
    「なんか。目が、前と違う」
    玲华が少し止まった。「そう見える?」
    「見える。何かあった?」
    玲华は少し間を置いた。「……少し」
    「良いこと?」
    「……うん」
    八海は玲华を見た。玲华が前を向いた。「良いこと」という言い方を、八海はあまり聞いたことがない。

    「九条さん関係?」と八海は聞いた。
    玲华が少し止まった。それが答えだった。
    「……言わなくていいよ」と八海は言った。「聞いちゃった、ごめん」
    「聞いても構わない。ただ——まだ言葉にできない」
    八海は玲华を見た。「言葉にできないくらい、良いことだったんだ」
    玲华が少し笑った。「そういうことかな」

    「応援してる」と八海は言った。
    玲华が八海を見た。「応援?」
    「九条さんとのこと。——ナタクは反対してるけど、私は応援してる」
    玲华が少し止まった。「……ナタクが反対してるって、どこから」
    「見てれば分かる。ナタクは玲华ちゃんに、九条さんといてほしくない。それがなんでかは、私には分からないけど——少なくとも反対はしてる」
    玲华は少し間を置いた。「……そうだね」
    「でも私は応援してる」八海がまた携帯を見た。「玲华ちゃんが幸せそうだと、こっちも嬉しいから」
    玲华は八海を見た。「八海」「何」「ありがとう」
    八海がちらりと玲华を見た。「どういたしまして」
    それだけだった。八海は携帯に戻った。玲华も前を向いた。リハーサルが再開した。
    *  *  *
    リハーサルが終わった後、八海は三蔵のオフィスに寄った。
    「三蔵さん」「何」三蔵が資料から目を上げた。
    「玲华ちゃんと九条さん、何かあったの?」
    三蔵が少し止まった。「何の話だ」
    「玲华ちゃんの目が変わってた。今日のリハーサル。何かあったときの目だった」
    三蔵が八海を見た。「……見ていたのか」
    「いつも見てるよ」八海がソファに座った。「玲华ちゃんに何かあって、それが九条さん関係で、それが——良いことだった」
    三蔵が少し間を置いた。「……関係ない」
    「嘘だ」と八海は言った。
    三蔵が八海を見た。
    「三蔵さんが一番、二人のこと気にしてるでしょ」
    「気にしていない」
    「気にしてるよ。玲华ちゃんのことを心配してる。九条さんのことを、まだ信用しきれていない。でも——二人が良い方向に動いたとき、それを誰より安堵してるのも三蔵さんだと思う」
    三蔵が少し間を置いた。何も言わなかった。

    「ねえ三蔵さん」「何だ」「九条さんのこと、いつか信用できると思う?」
    三蔵が窓の外を見た。東京の夕方だ。光が低い。「……分からない」
    「分からない、って言える人は、信用できるようになる」
    三蔵が八海を見た。「何の根拠で」「感じ」
    三蔵が少し止まった。「……孫玲华と同じことを言うな」
    「玲华ちゃんの影響かな」八海が立ち上がった。「私も感じで動くタイプだから」
    「感じは根拠にならない」
    「外れたことないけど」
    三蔵が少し間を置いた。「……孫玲华と全く同じことを言っている」
    八海が少し笑った。「それだけ玲华ちゃんと長い付き合いってことで」

    ドアに向かいながら、八海が振り返った。「三蔵さん」「何だ」「玲华ちゃん、今幸せそうだよ。それだけ、報告しておく」
    三蔵が何も言わなかった。
    八海はドアを閉めた。廊下を歩きながら、少し笑った。三蔵が何も言わなかったのは——「そうか」と言いたかったからだ、と八海には分かった。言えなかった理由は、まだあるだろう。でも、言いたかった。それで十分だ、と八海は思った。
    *  *  *
    八海が帰った後、三蔵は少しの間、窓の外を見ていた。
    「玲华ちゃん、今幸せそうだよ」その言葉が、頭の中に残っている。
    幸せそう。前世の悟空が、「幸せそう」という言葉と結びついたことが、あっただろうか。三蔵には、記憶がない。悟空はいつも戦っていた。笑いながら戦っていた。その笑顔が「幸せ」から来ていたのかどうかを、三蔵は判断できない。
    ただ今日の玲华の目は——三蔵にも見えた。八海が「良いことがあったときの目」と言った。三蔵にはそれが分かった。分かった上で、「関係ない」と言った。嘘だ、と八海に見抜かれた。
    「全部逆だ」と玲华が言った。牛魔王が悟空を使ったのではなく、全部逆だ、と。三蔵はまだ、その意味を完全には理解していない。ただ——理解できる日が来る気がしている。玲华が全部を話してくれる日が。九条玲が全部を思い出す日が。
    感じだ、と三蔵は思った。自分でも、感じで動くことがある。
    三蔵は資料に戻った。コーヒーが冷めていた。今夜も、飲まなかった。
    *  *  *
    帰り道、八海奏は一人で歩いた。天部の施設から最寄りの駅まで、十分ほどだ。
    今日考えることは、たくさんある。玲华が変わった。九条玲と、何かがあった。ナタクが動きを止めた。
    ナタクのことを、八海はそれなりに見ている。ステージ上のナタクは完璧だ。ただ——玲华を見るときだけ、何かが漏れる。一瞬だけ——「止まりたい」という気配がある。
    止まりたい、というのは——もしかしたら、「話したい」ということかもしれない。ナタクは玲华に何かを言いたくて、言えないでいる。言えないから、行動で代替しようとしている。それが正しいかどうかは、八海には判断できない。
    ただ。玲华には、傍にいる人間がいる。九条玲がいる。
    ナタクが「連れ戻したい」と思うくらいに、玲华は今の場所に根を張っている。八海はそれが——良いことだと思っている。どこにでも行けるくせに、ここにいる、という玲华が、好きだ。

    駅についた。改札を通りながら、八海は携帯を出した。SNSを開くと、今夜のリハーサルの感想がファンから上がっていた。「玲华ちゃん今日なんかキラキラしてた」「目が違った」「なんか良いことあった?」
    さすがファン、と八海は思った。ちゃんと見ている。
    ホームで電車を待ちながら、八海は少し考えた。次のツアーで、また何かが起きるだろう。玲华と九条玲の間で。ナタクと玲华の間で。三蔵と九条玲の間で。全部が少しずつ、動いている。
    「楽しみだな」と八海は呟いた。誰に言うわけでもなく。
    電車が来た。

    了

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