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オナラのT P O written by コトラ妻

     オナラは我慢したくない。もちろん、自宅での話である。
     で、何かの片手間にブーブー言わせてきた。ブーブーと文句を口で夫に言うよりは、ずっと健全だと自負している。

     趣味のピアノを練習しているときも、クラシック音楽でリラックスするのかブーと出してしまう。音楽の父バッハが作曲したシンフォニアを練習していたときに、低い音を一つ余計にブフォ〜と鳴らしたことがある。シンフォニアは三声部からなる曲だから、音が一つ加わって四声の曲になった。偶然にも短調の曲だったから、なかなか悪くないハーモニーだった。
     ホラ貝を吹いたような勇ましい音を立てたことだってある。ちょうど、南海トラフ地震について書かれた新書を読んでいるときだった。大地震が歴史的にも科学的にも絶対に起こってしまうのか、と緊張と不安が重なった瞬間だった。本を読んで一つ賢くなったけれども、大きな心配事ができたせいで身構えて力んでしまったのだろう。このあと、自然災害へ対策できることとして防災グッズを揃え始め、家の家具も倒れにくくさせた。今思えば、猛々しい音を出してしまったのは、正しく自然災害を恐れて対応しようとする強い意思の表れだったのかもしれない。

     こうして色々と悩んだりもするけれど、毎日快便だから音のインパクトの割にオナラ自体は無臭だ。一緒に住む夫には、だから無害であるはず。
    「わぁ、すごく可愛い。ぷ〜、だって」
     夫は、私がどんなにイカつい音を立ててもニコニコと笑って反応する。
    「やだぁ、恥ずかしい。ごめんなさい」と、私も詫びることを決して忘れない。もちろん、どこでもするわけではない。冒頭でも述べたように、なるべく自宅で済ませるようにしていて、放屁した際は必ず夫に一言謝っている。食前と食事中そして入浴中は極力控えているし、外出先や来客時には絶対に我慢している。

     自分の決めたオナラのTPOを大事にしているわけだが、これが守ろうとするとなかなか難しいこともあった。

     もう、十年以上も前の出来事になる。
     姉といとこの三人でスーパー銭湯へ遊びに行った。三十路を越えた女子三人の集まりで、不惑の年を越えた今にしてみればまだまだ若い私たちであった。実家にあった車を姉が運転して、二駅隣に住むいとこのMちゃんを拾ってから、私たち姉妹が当時よく訪れていたスーパー銭湯へ出掛けた。三人で道々ずっとお喋りに興じたけれど、何をテーマにそこまで盛り上がったのかはもう記憶にはない。ただ、自分がずっとオナラを我慢していたのはしっかり覚えている。
     Mちゃんを迎えに行く道中で、すでにお腹に張りがあった気がする。姉と二人だけの間に済ませてしまおうと思ったのだが、万が一匂いが残ってしまったら気まずいと危惧した。実家の車が異臭を放っていると思われたら嫌だったのだ。
    「久しぶり〜、温泉楽しみ」
     三人でスーパー銭湯に向かいながら、ペチャクチャと喋り続けていたけれど、私は腹部に違和感を感じていた。時々、お尻にギュッと力も入れたと思う。
    「意外と広いんだね」
     スーパー銭湯に着くと、常連の私たち姉妹が初めて訪れたMちゃんを休憩所やお食事処などを案内して回った。
    「お風呂もけっこう広いんだよ」
    「え〜、そうなの?早く入ろうよ」
     キャッキャ言いながら2階にある脱衣所に行って、露天風呂もあるスーパー銭湯自慢のお湯に浸かった。
     密かに、しかし確実に私の身体はとんでもない悲鳴をあげそうになっていた。なるべくMちゃんから離れた所でお湯に浸かろうとした。が、ここで重大なことに気づく。仮に音のないサイレントのものーー俗に言う「すかしっぺ」ーーであっても湯船ですれば気泡がブクブクと上がってしまうのだ。もちろん、洗い場で済ませたとしても、風呂場特有の反響のせいで音がある場合は他のお客さんの注目を浴びてしまう。きっと、恥ずかしい。
     顔から血の気が引くのを感じながら、私は露天風呂の隅へと入っていった。初秋の月明かりが妙にキレイである。
    「あ、ここにいたんだね」
     ブクブク〜、ボンっと鳴らしてしまいそうになった。わざわざ離れた場所を選んだのに、Mちゃんが私のそばにやって来たのだ。
    「う、うん。月がすごいキレイだね」
    「そうだね〜、初めて来たけどいい所だね。お母さん連れて、また来てみようかなぁ」
    「気に入ってくれて嬉しいよ。じゃ、また後でね」
     私はそそくさと露天風呂をあとにして、脱衣所で服を着た。それからトイレへ行ったけれど、自由な場所に来るとお腹の張りは不思議と引っ込んだ。それで少し安心して、休憩所でイチゴ牛乳を飲んだ。暫くすると姉とMちゃんも現れて、同じようにコーヒー牛乳なんかを飲んだ。
    「じゃあ、せっかくだから駅前まで行ってイタリアンを食べようか」
     姉が提案して、私たちは車に乗ってレストランへ向かった。車中では止まらないお喋りが始まり、一度は大人しくなった私のお腹もなぜか張り始めた。レストランのトイレでどうにかしよう、そう自分に言い聞かせた。
    「わあ、アットホームな感じの所だね」
     レストランは家庭的な温もりと柔らかな照明で、くつろぎの空間を演出していた。私も早くくつろぎたいと思って、トイレを探そうとあたりを見回した。
    「え、ここなの?」
     トイレは出入り口の近くにあったけれど、テーブルの近くでもあった。私たちはトイレから少し離れた席に案内されたけれど、トイレの近くのテーブルでは家族連れが食事を楽しんでいた。あの家族に聞かれてしまう、と咄嗟に思った。レストランのトイレの位置に、愕然として青ざめた。
    「どうしたの?トイレ行ったら?」
     何も知らない姉が勧めるから、私は仕方なくトイレに立った。でも、不自由なトイレでお腹の張りを緩めるわけにはいかない。それでも、精一杯のすっきりした顔でトイレから出てテーブルに着いた。
     ジェノベーゼのパスタ?シーフードの釜焼きピザ?このとき一体何を味わったのかは全く印象に残っていない。ただただ、満足のいかないトイレを昨日のことのように覚えているだけだ。
     二時間ぐらいしてからレストランをあとにして、姉の運転でMちゃんを見送った。その間、ずっとお腹の張りを我慢していた。
    「楽しかったね。じゃあね〜」
     姉と二人きりになると、私はずっとオナラを我慢していることを告げた。
    「え、そうなの?じゃあ、早くしたら?」
    「うん、ありがとう」
     初秋で姉はエアコンを付けずに窓を開けて運転していた。
    「あ、出ちゃいそう。あ、でも……」
     走行中は苦しいのに、赤信号で車が止まると解放されそうになった。が、歩道では人の往来が続いている。窓が開いているから、道ゆく人に爆発音を聞かれてしまう。
    「どうしたの?」
    「だって、外に聞こえちゃうじゃん。でも、青信号だと出ないんだよね」
    「やだ、笑わせないでよ」
    「あ、信号が青になる〜。く、苦しい」
    「えー。また赤になるから。そしたら出せばいいでしょ」
    「だから、聞こえちゃうじゃん」
     聞こえるからとか、窓を閉めてとか大爆笑しながら実家に着くと、爆発寸前だったお腹の張りはすーっと引いていた。笑うことは健康にいいと聞くけれど、本当だった。
     この出来事にはオマケもある。私たち三人が揃って仲良く出掛けたのを祖母が知って喜び、気前よくお小遣いをくれたのだ。一人一万円とかなり奮発してくれた。お金は人と同じで賑やかなところが好きだから笑うと良いだなんて言われているけれど、これも本当だったのかもしれない。

     あれからMちゃんも結婚して子供に恵まれ、姉もインテリジェンス溢れる伴侶に出逢い、私も優しい夫と暮らすようになっている。初秋のスーパー銭湯へ行った日を思い出し、それぞれの家庭にはきっと暮らしのルールがあって、もしかしたらオナラのTPOもあるのかもしれないと想像した。そう言えば、今日は結婚記念日である。(完)

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
     
    50年以上、阪神タイガースを応援している古株トラきちエンジニアです!

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