
短冊へ願いを込めて
7月7日、七夕。中央区八丁堀にある「本の森ちゅうおう」に寄った。近くの取引先での商談があり、ちょうど貸し出し期限ギリギリになっていた三島由紀夫のエッセイも返さなければならなかった。
綺麗な公共図書館で、七夕の短冊が飾られていた。せっかくなので読んでみた。
差し迫らない願い
自分や家族、友人の健康を願うもの、世界平和を願うものなど、漠然とした願いが多い。
ただ中には、具体的な病名を挙げて「治りますように」と書いたものや、「おとうさんが元気になりますように」という短冊もあった。状況が想像できるものは、読んでいて胸が詰まる。
即物的な願い
「お金が欲しい」「受験に合格しますように」「資格試験に合格しますように」— これはこれで正直で良い。
ただ一つ、「留年しないで卒業できますように」という短冊があって、思わず笑ってしまった。短冊を書く時間があったら授業に出るか試験の準備をしなさい、と言いたくなった。
外国人カップルの想像
「日本橋でXXと暮らせる2LDKの素敵なマンションが見つかりますように」という短冊があった。片仮名の書き方がどことなくぎこちない。外国人だな、と思って隣を見たら、綺麗な日本語で「眺めの良い素敵なマンションが見つかりますように」と並んでいた。
ああ、彼女が日本人で彼が外国人なのだろう、と想像した。
ふと気づいたのだが、こういう時に想像する外国人は、なぜかアジア系で、西洋人をイメージしていない。自分の中の無意識のバイアスに少し苦笑いした。
気になる連作
「早くXXがYYの気持ちに気づきますように」という願いの隣に、同じXXについての願いがもう一つ。家族なのか、友人なのか、それとも別の何かなのか。想像が広がって、しばらく立ち止まった。
短冊は、書いた人の人生の断片だ。
溜池山王の絵馬
七夕の短冊を眺めながら、二十年以上前のことを思い出した。
溜池山王の神社で、連作の絵馬を見て仰天したことがある。
ある有名格闘家Mへの思いを綴った絵馬が、時期をずらして何枚も重ねて奉納されていた。「Mのことがこれほど好きで、自分こそがMの最良のパートナーである」という内容だった。
実は、最初は誰のことを書いているのか全く分からなかった。Mというのはファーストネームだけで知られている人物で、本名の漢字は全くの別字だったからだ。ところが連作を読み進めていくうちに、あるところで文体が突然変わった。それまでの熱量が、理性的な落ち着きに変わった。
その変化のタイミングで、Mが結婚したのだと察した。相手の名前はSさん。「Sさんも悪くはないけれど、本当に合うのは私」というのが締めくくりだった。
そのSの名前を見てMの名前を発音した瞬間、あっと、気づいた。これはMについての絵馬だったのか。苗字が変わることを、作者は心から願っていたのだろう。そして、その締めくくりの絵馬の書いた時期に本当にMはSと結婚していたのを後でアーカイブで知った。
非常に怖かった。
その後も時々確認しに行ったが、絵馬は更新されなかった。誰が書いたのかも、その後どうなったのかも、今でも知らない。今の時代なら、SNSで作者が特定されても不思議ではないかもしれないが。
七夕に思うこと
短冊にも絵馬にも、書いた人の人生がある。漠然とした祈り、切実な願い、恋の執念——どれも本物だ。
三島由紀夫のエッセイを返して、図書館を出た。七夕の空は、生憎の曇りだった。