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Photo byウジェーヌ・ドラクロワ / メトロポリタン美術館

Garbage in, Garbage out

    今、スポーツ界を揺るがすある事件が話題になっている。

    詳細はここでは触れない。ただ一言で言えば、このタイトルに尽きる。ゴミを入れれば、ゴミしか出てこない。

    AIを使った判断が、取り返しのつかない結果を招いた案件として、これは単なるスポーツ界のスキャンダルではなく、デジタル時代の本質的な問題を突きつけている。

    プロンプトの質という問題

    まず問われるのは、何をAIに投げ込んだかだ。

    恐らく、年齢や背景などの脈絡なしに「父親に暴力を振るわれた」という情報だけを入力したのだろう。そうすれば、AIは当然「保護が必要な被害者」という文脈で回答する。特殊な付帯状況を省いてフラットに質問すれば、そうなるのは自明だ。

    AIは与えられた情報の範囲でしか考えない。入力が偏れば、出力も偏る。これがGarbage in, Garbage outの第一段階だ。

    より深刻な問題 - 無批判な実行

    ただ、プロンプトの質よりはるかに重大な誤りがある。

    AIの一次回答を無批判に実行したことだ。

    AIが「保護が必要」と答えたとき、そこで一度立ち止まる思考があれば、結果は変わっていたはずだ。これは情報リテラシーの問題ではなく、判断を外注することへの無自覚さだ。

    デジタルネイティブ世代は「検索してAIに聞けば解決する」という習慣の中で育っている。その結果として、判断そのものを外注することへの抵抗感が薄れている。AIはあくまでも思考の補助ツールだ。最終判断の代替にはなれない。その認識が根本的に欠けていた。

    AIの問題でも、児相や警察の問題でもない。AIを使う人間側の問題だ。

    終わりの見えない恐怖

    最後に、この件で最も怖いのはエンドポイントが見えないことだ。

    この事件は独立した出来事として消えない。デジタルタトゥーとして、当事者家族にずっと付きまとう。意地悪な言い方をすれば、もっと大きな話題が起きるまで、人々の好奇の目に晒され続けることになる。

    昔から、どんなに大きな話題も、それを飲み込むような話題が起きると収束に向かう。そこまで耐えるしかない。それが唯一の教訓かもしれない。

    AIは鏡だ

    AIは与えられたものを返す。思考を補助するが、思考を代替しない。

    Garbage in, Garbage out——これはコンピュータサイエンスの古い格言だが、AI時代になって新しい意味を持ち始めている。

    入力する人間の質が、出力の質を決める。AIがどれだけ賢くなっても、それを使う人間の判断力が伴わなければ、結果はゴミのままだ。

    この事件が問いかけているのは、AIの限界ではなく、人間の判断力の限界だと思っている。

     
     
     
    Still a vagabond. Still an outsider. Roaming the unexpected, rating the unrated. 齢六十で次章へ

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