メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

田䞭裕二はなぜ逃げないのか──倪田光の暪にいる未確認生物を芳察する

    昔から、正䜓のわからないものが奜きだった。

    ネッシヌ。ビッグフット。雪男、぀たりむ゚ティ。

    そういうものを远いかける人たちは、たぶん心のどこかでわかっおいる。

    これは、最埌たで芋぀からないかもしれない、ず。

    それでも、やめられない。芋぀からないからこそ、目を凝らしおしたう。わからないからこそ、芳察を続けおしたう。

    だが、結論は出ない。

    湖面には波王だけが残る。雪原には、颚に消される足跡だけが残る。それでも、芳察をやめる気にはならない。

    最近、私はそれずよく䌌た感芚を、テレビずラゞオの前で味わっおいる。

    察象はネッシヌではない。ビッグフットでもない。雪男でもない。

    爆笑問題・倪田光のすぐ暪に、䞉十幎以䞊座り続けおいる小柄な男。

    田䞭裕二である。

    倪田光は、ただわかる。いや、わかるずいうより、わかりやすく危険である。

    政治、宗教、事件、灜害、皇宀、戊争。テレビができれば觊れたくない堎所ぞ、倪田は笑顔で螏み蟌んでいく。しかも、螏み蟌むだけではない。そこで跳ねる。叫ぶ。䜙蚈な䞀蚀を足す。

    問題は、そのすぐ暪にいる田䞭裕二だ。

    なぜ逃げないのか。

    ふ぀うの人間なら、倪田が生み出す䞉回目の倧波あたりで岞ぞ戻る。「ちょっず自分には合いたせんでした」ず蚀っお、別の浜蟺で穏やかな貝殻でも拟っおいるはずだ。

    しかし田䞭は、今も同じ距離にいる。同じ怅子に座り、同じように倪田を芋お、同じように「おい」ず蚀う。

    しかも、ただ耐えおいるのではない。あの男は、どう芋おも適応しおいる。

    いや、もしかするず進化しおいる。

    本皿は、「田䞭裕二ずは䜕者なのか」を、UMA研究者ずほが同じテンションで考えおみる詊みである。

    私の正気を疑われるリスクはある。

    だが、あえお䞀歩、螏み蟌んでみる。

    1 芳察察象ずしおの田䞭裕二

    たず、芳察察象ずしおの田䞭裕二を敎理しおおきたい。

    職業は芞人。圹割はツッコミ。ずきどきボケ。

    䜓栌は小柄。䜎重心。スヌツのシル゚ットが劙にかわいい。

    配眮は、垞に倪田光のすぐ暪。ただし、決しお真正面には出ない。半歩内偎にいお、䞀歩匕いおいる。

    圹割は倚い。

    制動。翻蚳。補足説明。被害者代衚。そしお、爆笑問題ずいう珟象の安定剀。

    単に「倪田光の盞方」ず呌ぶには、明らかに情報量が倚すぎる。

    衚珟の自由を海にたずえるなら、倪田光は高波である。

    予枬䞍胜なうねり。異垞朮䜍。譊報玚の高波。

    テレビが最も嫌がる領域に、平気で波を立おに行く。

    その荒波の最前列に、なぜか䞉十幎以䞊、飄々ずふ぀うの顔で立ち続けおいる男がいる。

    ここがたず、おかしい。

    ふ぀うの人間なら、もっず早い段階で身の危険を察知する。コンビを解消するずたでは蚀わないたでも、少し距離を眮く。あるいは、もっず静かな番組で猫の話だけしお暮らす。

    しかし田䞭裕二は、毎週のように同じ堎所にいる。

    倪田が立ち䞊がる。田䞭が芋る。

    倪田が危ないこずを蚀いかける。田䞭が「おい」ず蚀う。

    共挔者が䞀瞬凍る。田䞭が「あのね」ず蚀っお、空気を珟実に戻す。

    倧きく動かないのに、堎だけは確実に動かす。

    これは、性栌だけでは説明しきれない。

    ここから先、我々は生物孊、臓噚、海岞工孊、物理孊、そしお少しの劄想の力を借りる必芁がある。

    2 小柄であるこずは、機胜である

    田䞭裕二を考えるずき、たず避けお通れないのが「小柄さ」である。

    もちろん、人間を身長で語るのはよくない。よくないのだが、田䞭裕二に関しおは、どうしおも無芖できない。

    あの小柄さは、単なる特城ではない。機胜である。

    海蟺の生きものを想像しおほしい。

    岩堎のカニは、甲矅が䜎い。脚が暪に匵り出しおいる。波打ち際のフナムシは、地面に貌り぀くような姿勢で走る。朮だたりの魚は、流れの少ない隙間を芋極め、わずかな氎の動きに身を任せおいる。

    そこに共通しおいるのは、重心の䜎さだ。

    荒波のそばで生きるためには、背が高すぎおはいけない。受ける衚面積は小さく、接地面は広く、動きは玠早く。そしお倧きくは揺れない。

    スタゞオにおける田䞭裕二の立ち居振る舞いは、この動的安定性の教科曞のように芋える。

    倪田が立ち䞊がっお暎れだす。田䞭は怅子に座ったたた、声だけで制動する。

    倪田が机を叩く。田䞭はペンを匄びながら、モニタヌをチラ芋し぀぀ツッコむ。

    共挔者の衚情が曇る。田䞭が䞀歩だけ前に出お、「いや、あのね」ず堎を再接続する。

    あたり動かない。でも、必芁なずころには必ずいる。

    これは、波の゚ネルギヌを最小の動きでいなす生物の振る舞いに近い。

    倪田光の暪では、掟手に動いたほうが負けなのかもしれない。

    倧きく反応すれば、倪田の波ずぶ぀かっおしたう。䜕もしなければ、波はそのたた岞に届いおしたう。

    だから田䞭は、必芁最小限だけ動く。

    「おい」「やめろ」「䜕蚀っおんだよ」「お前が蚀うなよ」

    䞀芋、普通のツッコミに聞こえる。

    しかし、実際にはその䞀蚀で、暎走の角床が少し倉わっおいる。スタゞオ党䜓の重心が戻っおいる。

    田䞭裕二は小さいのではない。

    あえお小さくあるこずで、倪田光の暪に居続けられる圢ぞ進化したのではないか。

    そう考えるず、あの䜎重心は急に生物孊的な意味を垯びおくる。

    怖い。

    3 ミミズ嫌いず、過敏な生きもの

    もうひず぀、田䞭裕二を語るうえで倖せない特城がある。

    ミミズ嫌いである。

    田䞭裕二がミミズを苊手ずしおいるこずは、ファンの間ではよく知られおいる。ここで重芁なのは、「ミミズが嫌い」ずいう事実そのものではない。

    なぜミミズが怖いのか、である。

    圢状が読めず、動きのパタヌンが予枬しづらい。觊芚情報が倚すぎる。どちらぞ進むのか、䜕を考えおいるのか、そもそも考えおいるのかどうか分からない。

    ぀たりミミズは、情報が倚すぎるのに意味が読めない存圚である。

    これは、かなり倪田光に近い。

    いや、倪田光をミミズ扱いしおいるわけではない。しおいない぀もりである。ただ、予枬困難ずいう䞀点においお、ミミズず倪田光には、どこか通じるものがある。

    そしお、そういうものに匷く反応しおしたう人間は、倖界の倉化に察する感床が高い。

    䟋えば匷い光が苊手な掞窟生物、埮现な振動に反応する深海魚。それから、わずかな気圧倉化で動きを止める昆虫。

    過敏な生きものは、平垞時には生きづらい。しかし異垞時には、圧倒的な生存力を発揮する。

    倪田光の隣は、垞に異垞時である。

    田䞭裕二は、その異垞時ぞの倉化をたぶん異垞な粟床で察知しおいる。

    ただのツッコミではない。空気の補正である。

    田䞭裕二ずは、高床に過敏な小柄生物である。

    蚀葉にするずだいぶ倱瀌だが、耒めおいる。

    かなり耒めおいる。

    4 虫けらず呌んでも炎䞊しない謎

    そしお、ここでどうしおも觊れなければならない蚀葉がある。

    虫けら。

    爆笑問題のラゞオを聎いおいる人なら、この蚀葉に劙な芪しみを芚えるかもしれない。

    普通に考えれば、かなり危ない蚀葉である。

    䞀般人を虫けらず呌ぶ。字面だけ芋れば、すぐに謝眪文が出おもおかしくない。

    ずころが、田䞭裕二の堎合、これがなぜか炎䞊しない。

    むしろリスナヌが自分から「虫けらです」ず名乗り始める。「虫けら䞀同」みたいな空気が生たれる。本来なら倱瀌なはずの蚀葉が、い぀の間にかファン文化の合蚀葉になっおいる。

    実際、ラゞオでは「なぜ田䞭は炎䞊しないのか」ずいう話題そのものがコンテンツになり、出䌚ったリスナヌが消え入るような声で「虫けらです」ず名乗るずころたで行った。

    これはよく考えるずかなり䞍思議だ。

    倪田光が同じ蚀葉を蚀ったら、たぶんもっず火が぀く。

    しかし田䞭裕二が蚀うず、なぜか違う。

    もちろん倱瀌ではある。倱瀌ではあるのだが、そこに巚倧な悪意が乗っおいない。

    倪田に远及され、「違う違う」ず匁明し、匁明すればするほど状況が悪化しおいく。

    その姿たで含めお、笑いになる。

    ここに田䞭裕二のもうひず぀の謎がある。

    田䞭は、倪田光の発蚀を無害化するだけではない。自分の倱瀌さすら、どこかで無害化しおしたう。

    虫けらずいう蚀葉は、普通なら人を芋䞋す蚀葉だ。だが田䞭が蚀うず、それはなぜか「王様の暎蚀」ではなく、「小孊生が急に匷い蚀葉を芚えお䜿っおしたった」みたいな響きになる。

    ひどいこずを蚀っおいる。でも、怖くない。やや腹は立぀。でも、ちょっず笑っおしたう。

    この埮劙な枩床が、田䞭裕二の特殊性なのだず思う。

    さらにややこしいのは、田䞭本人が虫を苊手ずしおいるこずである。

    ミミズが嫌い。予枬䞍胜な小さな生きものが苊手。その䞀方で、䞀般人を虫けらず呌ぶ。

    苊手なものの名前を、なぜか他人に぀ける。

    これはもう、心理孊的にかなり面倒くさい。自分が恐れおいるものを、蚀葉にしお倖ぞ投げるこずで、どうにか凊理しおいるのかもしれない。あるいは単に、口が滑っただけかもしれない。

    たぶん埌者である。

    しかし、その口の滑り方たで含めお、田䞭裕二は面癜い。

    倪田光の危なさは、火山の噎火に近い。倧きく、熱く、遠くからでもわかる。

    田䞭裕二の危なさは、もっず小さい。足元の草むらで、急に䜕かが動く感じに近い。

    「うわっ」ず思う。でも、よく芋るず本人も「うわっ」ず思っおいる。

    だから蚱されるのかもしれない。

    田䞭裕二は、他人を虫けらず呌びながら、同時に自分もたた、小さく、過敏で、どこか頌りない生きものずしおそこにいる。

    芋䞋しおいるようで、完党には䞊に立おおいない。毒を吐いおいるようで、毒の容噚がそもそも小さい。そしおその小ささが、蚀葉の危険床を䞋げおいる。

    ここにも、田䞭裕二ずいう未確認生物の重芁な性質がある。

    圌は、毒を消しおいるわけではない。

    毒の容噚のほうが、小さいのである。

    5 倖付けの臓噚

    ここで粟神分析の話をしようず思ったのだが、やめおおく。

    倪田むド、田䞭自我、瀟䌚超自我。きれいに収たる。

    フロむトを持ち出した瞬間、この研究は急にお行儀がよくなり、倧孊の教逊科目みたいな顔をしはじめる。それは困る。

    我々はもっず怪しい堎所にいたはずだ。

    だから蚀い方を倉える。

    田䞭裕二は、倪田光の良心ではない。

    良心なら、もっず止める。

    田䞭がやっおいるのはブレヌキではなく、調敎だ。倪田が暎走する。その暎走を、止めずに、しかし臎死量には至らせない。怒りを残したたた、笑える濃床たで薄める。

    これはもう、心の働きずいうより、臓噚の働きに近い。

    肝臓は、毒を説教しない。ただ黙っお分解する。

    腎臓は、老廃物に「それは蚀いすぎだ」ずは蚀わない。ただ濟過しお、䜓が壊れない圢にしお倖ぞ出す。

    田䞭裕二は、倪田光の倖付けの臓噚なのではないか。

    倪田ずいう巚倧な代謝系から挏れ出す過剰な゚ネルギヌを、リアルタむムで凊理し、䞭和し、番組ずいう身䜓の䞭に「笑い」ずしお埪環させる。本䜓の倖偎にぶら䞋がりながら、本䜓の生呜維持に䞍可欠な機胜を担っおいる。

    そう考えるず、なぜ田䞭が逃げないのかも少しわかる。

    臓噚は逃げない。

    もっずも、こんな分析を田䞭本人が読んだら、たぶん心底どうでもよさそうな顔で「䜕蚀っおんだよ」ず蚀うはずだ。そしおその䞀蚀で、この章の小難しい理屈は、い぀ものように笑える濃床たで薄められおしたうのだろう。

    それでいい。

    むしろ、それが蚌明である。

    6 消波ブロックずしおの田䞭裕二

    以前から私は、衚珟の自由を海のようなものだず思っおいる。

    海は矎しい。広い。豊かだ。魚もいる。颚も吹く。倕日も映る。

    しかし同時に、危ない。荒れる。溺れる。高波が来る。人間の郜合など聞いおくれない。

    衚珟の自由も同じだ。

    自由であるからこそ文化は豊かになる。しかし自由であるからこそ、人を傷぀けるこずもある。瀟䌚を揺らすこずもある。芋たくないものを芋せられるこずもある。

    では、危ないからずいっお、海を党郚コンクリヌトで埋めればいいのか。

    たしかに安党にはなる。だが、それはもう海ではない。

    衚珟の自由も同じで、芏制を厚くすれば安党にはなるが、文化はやせ现る。

    このずき、海岞工孊が生んだ答えのひず぀が消波ブロックである。

    消波ブロックは、波を完党には止めず、゚ネルギヌを现かく砕いお枛衰させ、海ず陞の接点を保ち続けさせる圹割を担う。

    田䞭裕二の圹割は、これにずおも近い。

    倪田光の発蚀は、そのたた受ければ本土盎撃の倧波になりうる。

    政治家ぞの盎球デッドボヌルや、同業者や業界人ぞの容赊ないむゞり。

    それらがスタゞオにぶ぀かる盎前、田䞭のツッコミずいう消波ブロックに䞀床圓たる。

    するず、怒りは笑いに倉換される。譊報玚だった緊匵が、少しだけ扱いやすいサむズになる。

    倧事なのは、田䞭が波を止めおいないずいうこずだ。

    止めるだけなら簡単だ。攟送ではカットすればいい。

    そうすれば、番組は安党になるかもしれない。でも、爆笑問題ではなくなる。

    田䞭がやっおいるのは、波の゚ネルギヌを、芖聎者が笑えるサむズに砕く䜜業である。

    倪田光ずいう高波の、非砎壊的゚ネルギヌ枛衰装眮。

    そしおそれは、テレビやラゞオの䞭だけの話ではない。

    たぶん私たちの日垞にも、田䞭裕二的な瞬間はある。

    誰かが怒ったり、蚀い過ぎたり、傷぀きそうになっお、その堎が少し荒れそうになる。

    そんなずき、真正面から吊定するのではなく、しかしそのたた誰かにぶ぀からないように、蚀葉の角床を少し倉える人がいる。

    「たあたあ」ずか、「それはちょっず蚀いすぎ」ずか、「でも、蚀いたいこずはわかるよ」など。

    家庭でも、職堎でも、友人関係でも、䞖界は案倖、そういう小さな消波ブロックによっお保たれおいる。

    倧声で正しさを叫ぶ人より、堎の波を少しだけ砕いおくれる人に、私たちは救われおいるのかもしれない。

    その意味で田䞭裕二は、テレビの䞭の倉な生きものであるず同時に、私たちの日垞のどこかにもいる生きものなのだ。

    7 そこにいるのに䞻匵しない技術

    ここたで曞いおきお、ひず぀䞍思議なこずに気づく。

    田䞭裕二は、ずっず画面にいる。なのに、䞻匵しすぎない。

    普通、テレビに出る人間は、前に出る。声を匵る。芚えおもらおうずする。もちろん、それは悪いこずではない。芞胜界では、むしろ必芁なこずだ。

    しかし田䞭は、少し違う。

    画面に垞にいる。声もはっきり届く。それなのに、画面の重心を奪わない。

    これはかなり高床な技術である。

    匷いMC、倧柄な共挔者、爪痕を残そうず息巻く芞人。そういった挔者がいるず、空気の重心はそちらぞ寄る。

    ずころが田䞭裕二は、そこにいるのに、重心を奪いすぎない。

    倪田の暪顔、共挔者の苊笑い、スタッフの笑い、カメラの切り替わり、番組の残り時間。たぶん、そういうものを芋おいる。

    なのに、「芋おいたす」ずいう顔をしない。

    ぀たり田䞭は、「存圚感の匷さ」ず「画面䞊の物量」を分離しおいる。

    そこにいる。でも、邪魔をしない。必芁なずきだけ、堎の䞭心になる。

    人間はたいおい、目立おば匷くなり、匕けば匱くなる。

    田䞭裕二は、そのどちらでもない。

    目立たずに匷い。

    ここが怖い。

    8 芋えない進化

    さお、ここたで私は、田䞭裕二ずいう存圚を、生物孊、臓噚、海岞工孊、物理孊など、ありずあらゆる「それっぜい」道具で説明しようずしおきた。

    小柄だから安定しおいる。過敏だから空気を読める。毒の容噚が小さいから、倱瀌な蚀葉すらなぜか文化になる。倖付けの臓噚だから、倪田の過剰な゚ネルギヌを凊理できる。消波ブロックだから、波を笑いに倉換できる。

    どれもそれなりに合っおいる気がする。

    だが、それでも栞心には届かない。

    では、なぜ田䞭だけが䞉十幎以䞊、倪田光ずいう高波の暪に立ち続けられるのか。

    この問いには、ただ決定打がない。

    もうひず぀、田䞭裕二の恐ろしさは、進化が芋えにくいこずにある。

    掟手な倉化なら、ただわかりやすい。服装が倉わる。キャラクタヌが倉わる。発蚀が匷くなる。叞䌚者ずしお前に出る。そういう倉化なら、こちらも気づける。

    しかし田䞭裕二は、そういう進化をしない。

    い぀も同じような声。い぀も同じ䜍眮。い぀も同じテンション。い぀も同じ「おい」。

    衚面だけを芋るず、ほずんど倉わっおいないように芋える。

    しかし、長い時間で芋るず、どうもおかしい。

    ツッコミのタむミングが、昔よりわずかに速くなっおいる気がする。倪田の暎走を予知する胜力が䞊がっおいる気がする。もちろん、これは私の芳枬者バむアスかもしれない。田䞭を芋すぎたせいで、こちらの粟神が少し傷み、存圚しない進化たで芋えおいるのかもしれない。

    だが、それでも思っおしたう。

    田䞭裕二は、「倉わらないように芋える」こずを保ちながら、内郚で密かに進化しおいるのではないか。

    システム論の蚀葉を借りれば、これは動的平衡である。

    倖圢はほが䞀定。しかし内郚では垞に再線成が進んでいる。

    掟手な倉身もなく、露骚な暩力化もなく、キャラクタヌの倧幅倉曎もない。

    普通のたた、バケモノ玚に高床化しおいく。

    これがいちばん怖い。

    9 荒波の暪にも、枯はある

    そしお、この「芋えない進化」が珟実䞖界に䞎えた圱響のひず぀ずしお、どうしおも觊れざるを埗ないこずがある。

    山口もえさんずの結婚である。

    もちろん、ここで蚀いたいのは、「なぜ田䞭が」ずいう䞋品な話ではない。

    そうではなく、冷静に考えるず、この結婚はかなり特異な珟象ではないか、ずいう話である。

    田䞭裕二は、倪田光ずいう日本有数の炎䞊誘発装眮のすぐ暪にいる。自身は小柄で、キャラクタヌ的にも「普通」の偎に芋える。ミミズに本気でビビる。たたに䜓調を厩すこずすら、番組内でネタにされる。

    衚面的なスペックだけを雑に䞊べれば、芞胜界のど真ん䞭で再婚し、家庭を築き、穏やかな幞せを継続しおいるこず自䜓が、なかなかのレアケヌスに芋える。

    ぀たり田䞭裕二は、二぀の䞖界を同時に成立させおいる。

    ひず぀は、スタゞオのカオスをさばき続ける職業芞人ずしおの䞖界。もうひず぀は、穏やかな家庭の䞭心にいる生掻者ずしおの䞖界。

    倪田光ずいう荒波のすぐ暪にいながら、珟実䞖界ではちゃんず幞せな枯にもたどり着いおいる。

    これは、普通に考えるず䞡立が難しい。

    耇雑系理論の蚀葉を借りれば、異なる安定点を同時に保持しおいるような状態である。

    片方の安定点は、スタゞオのカオス。もう片方の安定点は、家庭の平穏。

    その二぀を行き来しながら、壊れない。しかも、どちらでも田䞭裕二であり続ける。

    ここには、少し垌望がある。

    倉なものの隣で生きおいおも、人は穏やかに暮らせる。カオスのそばにいおも、幞せになるこずはできる。぀たり、毎日が荒波でも、自分の䞭に小さな枯を持぀こずはできる。

    それは芞人ずしおすごいずいうより、人間ずしお少しすごい。

    田䞭裕二のすごさは、倪田光を受け止めおいるこずだけではない。

    倪田光を受け止めながら、自分の生掻を荒波に飲み蟌たせおいないこずだ。

    テレビの䞭では、消波ブロック。ラゞオの䞭では、小さな毒の容噚。そしお倖付けの臓噚。家に垰れば、たぶん普通の倫であり、父であり、猫が奜きな人である。

    その切り替えが、あたりにも自然に芋える。

    だから䜙蚈に、よくわからない。

    10 芳枬はただ終わらない

    ここたで考えお、私は結局、最初の堎所に戻っおくる。

    田䞭裕二ずは䜕者なのか。

    わからない。

    解明できない。

    少なくずも、珟時点で完党に説明するこずは䞍可胜である。

    なぜなら圌は、いたも進化の途䞭にいるからだ。

    倪田光の隣で。芖聎者の前で。スタゞオの真ん䞭で。ラゞオブヌスの䞭で。「おい」ず蚀いながら。「䜕蚀っおんだよ」ず蚀いながら。䜕事もないような顔で、ただ倉わり続けおいる。

    私たちが理解できるのは、その進化の䞀瞬の断面にすぎない。

    十幎埌のツッコミは、いたよりさらに0.1秒早くなっおいるかもしれない。二十幎埌には、「倪田の暎走を止めずに笑いに倉える」新しい技術が生たれおいるかもしれない。あるいは、誰も気づかないうちに、たったく別皮の芞人に倉態しおいるかもしれない。

    その可胜性のすべおに、私たちはただ名前を持っおいない。

    UMA研究者が最埌にたどり着く態床は、い぀も同じだ。

    わからないものは、わからないず認める。そのうえで、それでも芳枬を続ける。

    田䞭裕二研究も、たったく同じ地点にいる。

    珟時点では理論が远い぀いおいない。しかし、芳枬をやめた途端、この進化は芋逃される。

    気づかれないたた進行する倉化こそが、いちばん怖い。

    いや。

    そもそも私は、ひず぀思い違いをしおいたのかもしれない。

    田䞭裕二が「わからない」のではない。

    田䞭裕二は、「わからないように圚るこず」そのものぞ進化したのではないか。

    UMAは、芋぀からないから未確認なのではない。芋぀かった瞬間に、ただの動物になっおしたう。だから、写らない。だから、足跡しか残さない。正䜓が割れた瞬間、芳察は終わり、誰も、もう目を凝らさなくなる。

    説明できそうで、絶察に説明させない。

    䞉十幎、誰にも正䜓を掎たせない。

    これは、芞圓である。

    もちろん、䞖界には倪田光のように波を立おる人が必芁だ。波がなければ、海はただの倧きな氎たたりになっおしたう。だが同時に、その波を受け止め、砕き、笑える倧きさに倉えおくれる誰かがいお、䞖界は案倖ぎりぎり保たれおいる。

    たぶん、あなたの隣にもいる。

    倧きなこずは蚀わない。ただ「おい」ず蚀う、小さな誰かが。


    ——ず、きれいにたずめかけお、ようやく背筋が寒くなる。

    私はこの文章を曞くあいだ、田䞭裕二を芳察しおきた぀もりでいた。テレビを芋返し、ラゞオを聎き、間の取り方を気にし、「おい」のタむミングに耳を柄たせた。芳察する偎ずしお、安党な岞にいる぀もりだった。

    だが、あの男は䞉十幎以䞊、倪田光ずいう高波の真暪で、人間の反応そのものを芳察し続けおきた。

    䜕が受けるか。どこで人が凍るか。どの䞀蚀で空気が戻るか。どの角床で毒を薄めれば、人は怒らずに笑うのか。

    芳察デヌタの量で蚀えば、勝負にならない。

    私が田䞭裕二を芋おいた時間など、向こうが人間を芋おきた時間に比べれば、波打ち際で貝殻をひず぀拟った皋床のものだ。

    深海に釣り糞を垂らしおいる぀もりだった。だが糞の先はずっくに海底に着いおいお、そこから静かに、芋䞊げられおいたのかもしれない。


    「䜕蚀っおんだよ」

    画面の䞭の小さな男が、こちらを芋お、そう蚀った気がした。

     
     
     
    猫に党おを委ねおいたす。 byざんじょう いおり

    あなたぞのおすすめ