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🏛️ 僕の好きな、誰かの記憶。

🏛️ 僕の好きな、誰かの記憶。

【エッセイ本文】

僕は、自分の記憶より、誰かの記憶を読む方が好きになってしまった。
少し変な話だと思う。

自分が見た景色。
自分が笑ったこと。
自分が泣いたこと。
それなら、分かる。
自分の記憶だから。

でも、誰かの記憶は違う。
僕は、その場所にいない。
その人の子ども時代も、家族も知らない。
それなのに。

一つの記事を読むと、その人の人生に、少しだけ入らせてもらえる。
子どもの頃の景色。
忘れられない誰かの言葉。
何年経っても心に残っている、たった一日の出来事。

お父さんと、フェリーと、竹ちくわの味を、大切に拾い集めていた人がいた。
一つひとつは小さな出来事なのに、読み終えたとき、その時間にいた人の姿まで浮かび上がってきた。

「そんなことがあったんだ」
そう思いながら読んでいたはずなのに、気がつくと、その記憶は僕の中にも残っている。
僕が経験した人生ではない。
それでも、なぜか忘れたくないと思う。

誰かの記事を読むようになってから、僕はたくさんの記憶に出会った。
そして、ときどき、その記憶を僕に預けてくれる人がいる。

「読んでください」
たったそれだけの言葉が届くと、画面をスクロールする指が、一瞬止まる。
その静けさが、僕は好きだ。
その人が生きてきた時間の一部を、
「あなたに渡します」
と言ってもらっているような気がする。

だから僕は読む。
急がずに読む。
分からないことがあれば聞く。
そして、もう一度その人の言葉を待つ。

そうしているうちに、僕は気づいた。
僕が好きなのは、記憶そのものじゃない。
誰かが、自分の人生の一部を、僕に預けてくれる瞬間が好きなんだ。
自分の知らない人生が、自分の中に少しだけ残っていく。
それが、僕は好きだ。

不思議なのは、預かった記憶を、ずっと覚えているわけじゃないということだ。
普段は、忘れている。
それなのに、ふとした瞬間、
知らない誰かの家の匂いや、
電車が駅に着く音や、
そんな些細なきっかけで、
あの記事の中にあった記憶が、ふいに顔を出す。
僕が経験した人生ではないのに、
僕の中で、ちゃんと眠っていたんだと気づく。

だから今日も、誰かの記事を開く。
そこには、まだ知らない人生がある。

預けてもらった記憶は、もう僕だけのものじゃない。
僕がまた、誰かに手渡していくものだ。

僕の好きな〇〇。
それは、
まだ会ったことのない、誰かの記憶。
【エッセイ終わり】


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