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最終話 僕だけのテキサスワイルドフラワー

    最終章 オースティン

    九月二十四日、月曜日の夜のことだ。

    「黒い雲が回り始めた!竜巻が来るぞ!」

     ウィーリーが走りながらリビングルームへ飛び込んできた。
     僕たちはグラウンドへ出た。生ぬるい風が吹いていた。夜空を見上げると、黒くて不気味な重たそうな雲がゆっくりと渦を巻いている。それでも竜巻は来なかった。

     翌朝。
    ケリー・オニールという女性から僕に電話が入った。アランが起こしに来てくれたが、名前を告げられても誰なのかすぐにはわからなかった。オフィスで受話器を取り、声を聞いてようやく思い出した。

     三日前の夜、僕はポーチでサマリタン・インの人たちにギターを弾いた。その時、マッキーニーの外れにあるプロテスタント教会の信者らしい男女が訪ねてきていた。ケリーはその時の痩せた白人の女性だった。

    「あなた、どこから来たの?」
     と訊いた彼女に「日本から」とそっけなく答えた僕に、彼女は人差し指を唇にそっと当て、青いつぶらな目をそっと閉じた。何かを深く考えているようで、その仕草がひどく印象に残っていた。

    「昨日、ディーナから電話で聞いたの。あなたの息子がオースティンにいるって。逢いに来たんでしょう?交通費を出させてもらえないかしら」

     電話口のケリーは、さりげなく言った。しばらく言葉が出なかった。それでも、彼女の親切を素直に受け入れた。ケインに逢える——そう思った瞬間、胸が高鳴った。

     午後一時、ケリーは白いワゴン車でやってきた。栗毛色の髪をポニーテールにまとめ、白いTシャツにショートパンツ、真っ白なスニーカー姿だった。僕は白いTシャツにダークブルーのジャケットを着込んで乗り込んだ。
     バスステーションへ向かう車の中で、ケリーがぽつりと言った。

    「私、ボストンからこの町に来たの。辛いことも、たくさんあったわ。あなた、お金を落としたって本当なの?」
     僕は正直に話すことにした。
    「それは嘘なんだ。ダラス・フォートワース空港に着いた時、所持金は二ドル十七セントだった。真夜中のハイウェイを、ひたすら歩いてきた。息子が三歳の時に離婚して、四年間ずっと逢えていない。日本へ帰ってしまった自分を、ずっと責めてきたんだ」
     ケリーはしばらく黙っていた。それからゆっくりと訊いた。
    「四年も逢わないでいて……逢うのが怖くない?」
     僕はそれには答えられなかった。

     十分もしないうちに、マッキーニーのバスステーションに着いた。黄色い外壁の小さな建物だった。
     ケリーはオースティン行きの往復チケットを買い、釣銭の三十六ドルと小さな聖書を手渡してくれた。

    「息子と二人でレストランに入って、お金がなかったら、あなたの息子がみじめな思いをするでしょう。お金は返さなくていいの。あなたの周りに困っている人がいたら、その時にその人を助けてあげて。聖書は、読みたい時が来たら読んでみて。息子さんのお名前は?」
    「ケインだ」
    「ケインによろしくね」
     そう言うと、ケリーは子供のように小走りで車へ戻っていった。
    「ケリー!本当にありがとう!」

     僕は叫んだ。白いワゴン車は軽くクラクションを鳴らして、走り去った。

     バスはマッキーニーを出て、テキサスの広大な平野を南へ走り続けた。車窓の外に、地平線まで続く草原が広がっている。風に揺れる野草の中に、青や黄や白の花々が点々と咲き乱れていた。テキサスワイルドフラワーだ。


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     ケイン——。お前に逢いに行くよ。

     結局、一年かかった。
     だが、僕はケインに逢えた。思っていたよりもずっとしっかりした少年になっていた。四年間逢えなかった時間を埋めるように、僕たちはたくさんのことを話した。歌った。何度もハグをした。ケインの体はもう、あの三歳の頃の小ささではなかった。でも、僕の腕の中に飛び込んでくる時の勢いは、変わっていなかった。

     キャシーは再婚していた。相手は会計士の男だった。義祖父が、心から申し訳なさそうに僕に謝ってくれた。

    「気にしないでください。キャシーが幸せなら、それで充分なんです」

     何度もそう伝えた。本当にそう思っていた。

     札幌に戻ってからも、義祖父や義祖母との手紙のやり取りは続いた。そしてそこへ、ケイン自身からの手紙が加わった。それが、僕の生きる糧になった。

     二〇一三年。

     僕は再びダラス・フォートワース国際空港に降り立った。所持金はあの時よりもずっとある。だが、それよりはるかに違うことがあった。ケインが、年上の友人と一緒に迎えに来てくれていたのだ。

     空港の到着ゲートを抜けた瞬間、ケインが手を振りながら走ってきた。あの七歳の少年は、もう十九歳になっていた。僕の肩を軽く超えるくらいの背丈で、目元だけが昔のままだった。

     ケイン——お前は、こんなに大きくなったのか。
     言葉にならなかった。ただ、力いっぱい抱きしめた。

     ハイウェイを走りながら、あの夜のことを思い出した。
     カーンが働いていたガスステーションは、閉鎖されていた。ひび割れたアスファルトの上に、「Coffee 99cents」の色褪せた看板だけが残っていた。カーン、お前は今どこにいるのだろう。バングラデシュに帰れたのだろうか。

     テキサスに戻ってこられたのは、キャシーのおかげだった。前回の旅の後、少しだけ会う機会があった。テキサスで出会った人々の善意のこと、日本よりもここが心の故郷だと感じていること、そして健康に問題を抱えていることを、正直に話していた。キャシーはしばらく黙って聞いていた。それから、できることならアメリカで生活できないか、手配してみると言ってくれた。

     かつての妻の、その一言が、僕の人生を変えた。

     今、僕は義祖父の家に身を寄せて、小さいけれど仕事も得た。夜は地元のバーでギターを弾く。いつまで続くかはわからない。でも、ここには棟梁やカーンやケリーが僕に手渡してくれたものが、空気のように満ちている気がする。

     テキサスの風が、あの夏と同じ匂いで吹いてくる。

     ケイン、お前が生まれたこの土地が、お父さんの家になった。

     「テキサスワイルドフラワー」の歌詞のように——。

    いつも、アイ・ラブ・ユーって言えるのはあなただけだ
    ダーリン、あなたはテキサスワイルドフラワーが咲いている
    あの小道へ 僕を連れて行ってくれる
    今、家路につく時 アイ・ラブ・ユーって言いに帰るんだ

    ダーリン あなたは小川が流れる 木々のそばにある
    あの家へ 僕を連れて行ってくれる

    時を重ねて花が咲くのを待っているあなたへ
    僕は心から ハローって答えるんだ

    了


     
     
    札幌在住の書き手。 本業では健康と美を支えるコミュニティづくりに携わり、日々「人の想い」に寄り添う活動を継続中。 誰の心にも咲いている、名もなき野草に光を当てるような物語を届けていきたいと願っています。

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