
AI時代だからこそ、算数で育てたい力がある。
先日、とても考えさせられる記事を読みました。
そこには、こんなことが書かれていました。
「答えを求めることや、その求め方を知ることが目的ならば、教え方や解説は分かりやすい方がよい。しかし、算数で本当に大切なのは、答えの求め方を自分たちで考え、試行錯誤し、その中から共通点や法則を見いだしていく過程である。」
私は、この一文に大きくうなずきました。
そして同時に、「AI時代だからこそ、この考え方はますます重要になるのではないか」と感じました。
今や、分からない問題があればAIに聞けばいい時代です。
教科書の問題を読み込ませれば、解き方を丁寧に説明してくれます。
「なぜそうなるの?」
「もっと簡単な方法は?」
「別の考え方はある?」
そんな質問にも、瞬時に答えてくれます。
解説動画も数え切れないほど公開されています。
つまり、「解き方を知る」というだけなら、教師だけが担う時代ではなくなったということです。
では、学校で算数を学ぶ意味は何でしょうか。
私は、それこそが「考えること」にあると思います。
問題を前にして、
「どうすればできるだろう。」
「この方法ではうまくいかないな。」
「別の考え方はないかな。」
そんなふうに頭を悩ませる時間。
友達の考えを聞いて、
「なるほど、その考え方もあるのか。」
「自分の考えと似ているな。」
「ここが違うんだ。」
と比較する時間。
さらに、いくつもの考え方から共通点を見つけ、
「この考え方なら、他の問題でも使えそうだ。」
と一般化していく時間。
そうした一つ一つの過程こそが、算数という教科で育てたい力なのだと思います。
だから私は、授業の中で「解けたか、解けなかったか」だけを見ていてはいけないと改めて感じました。
もちろん、解けることは大切です。
でも、それ以上に、
「どれだけ考えたか。」
「どんな試行錯誤をしたか。」
「なぜその方法を選んだのか。」
そこに目を向けたいのです。
AIは、答えを教えてくれます。
しかし、「考えた経験」を代わりに積んではくれません。
悩みながら考えた時間。
間違えたからこそ気付けたこと。
友達の考えを聞いて、自分の考えを書き換えた経験。
そうした積み重ねは、AIには代替できない学びです。
だからこそ、教師の役割も少しずつ変わっていくのではないでしょうか。
これまでは「分かりやすく教えること」が重視されてきました。
もちろん、それも大切です。
しかし、AIが分かりやすく説明してくれる時代だからこそ、教師には「考えたくなる課題」をつくり、「考え続けられる場」をデザインする力が、これまで以上に求められるようになるのだと思います。
一方で、誤解してはいけないこともあります。
私は、基礎・基本が不要になるとは思っていません。
計算力や基本的な知識が身についていなければ、考えることそのものが難しくなる場面もあります。
基礎・基本は、思考するための土台です。
土台があるからこそ、その上で自由に考え、比較し、一般化することができます。
だから、「基礎か、思考か」という二者択一ではありません。
基礎・基本を大切にしながら、その知識を使って考える時間を保障すること。
これからの算数の授業には、その両方が求められているのだと思います。
AIの進歩によって、「教えること」の価値は変わっていくでしょう。
しかし、「考える経験」の価値は、これからますます高まっていくはずです。
だから私は、算数の授業で子どもたちに求めたいことは、「早く答えを出すこと」ではありません。
試行錯誤しながら考え、自分なりの方法をつくり、友達と比べ、そこから新しい考え方を生み出していくことです。
そんな経験こそが、社会に出たときにも活きて働く、本当の意味での「考える力」につながるのだと、改めて感じました。