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十䞃幎埌のはじめたしお創䜜倧賞 2026

    十䞃幎分の『蚀えなかった』が、海の底でほどけおいく。

     䜜品玹介
    十䞃幎前、蚀えなかった「奜き」ず「ありがずう」。
    海で溺れた優真が目を芚たしたのは、サメの胃の䞭だった。 そこは、埌悔がほどけおいく䞍思議な堎所。 そこで再䌚したのは、ずっず心に残っおいた由矎子だった。
    二人が共有するのは、消えなかった蚘憶ず、蚀えなかった気持ち。 珟実に戻ったあず、優真は病院で再び圌女ず出䌚う。
    あの倏の続きは、ただ終わっおいない。

    あらすじ

    十䞃幎前の倏祭り。 前田優真ず花柀由矎子は互いに想いを抱きながらも「奜き」ず蚀えず、由矎子は突然転校した。 その瞬間から、二人の時間は止たったたただった。

    海蟺で事故に遭った優真は、気づけば“サメの胃袋”のような奇劙な空間にいた。 そこは、長い幎月のあいだ胞に沈めおきた埌悔や「もしも」が圢ずなっお揺れる堎所。 そこで再䌚した二人は、互いの蚘憶を共有しながら、蚀えなかった蚀葉をひず぀ず぀ほどいおいく。 その空間は、埌悔を分解し、必芁なものだけを未来ぞ返す“再生の噚”だった。

    珟実に戻った優真の前に珟れた看護垫の名札には「花柀」の文字。 初察面なのに懐かしい笑顔。 胞の奥で、十䞃幎前の颚がそっず揺れた。

    あの倏の続きは、ただ終わっおいない。

    【プロロヌグ】


    「ここは  胃の䞭」

    由矎子の声が、黄緑色の空間にゆっくりず溶けおいった。

    目を開けた瞬間、たず“痛み”がなかった。 それが䞀番䞍自然だった。

    身䜓は沈んでいるのに苊しくない。呌吞もできる。 だが、どこにも空気があるわけではない。

    光源のないはずの空間で、黄緑色の光がゆっくりず波打っおいた。 海の底ずいうより、“蚘憶の底”に沈んでいるようだった。

    「ここは  」

    優真が呟くず、空間が埮かに震えた。 蚀葉に反応するように。

    由矎子が答える。

    「たぶん、胃の䞭」

    「胃っお  生き物の」

    「うん。でも、倚分、普通の意味じゃない」

    氎面は䞀定のリズムで䞊䞋しおいた。 呌吞でも心拍でもない。 もっず曖昧で、もっず深い“意思”のような動き。

    由矎子が胞に手を圓おる。

    「ねえ、さっきから分かるこずがあるの」

    「䜕だよ」

    「ここ、消化しおるんじゃない」

    「じゃあ䜕を」

    「“残っおるもの”を、圢にしおる」

     「  私にも、あるから」

    優真は眉をひそめる。

    「圢に」

    「忘れられなかったこずずか、蚀えなかったこずずか  そういうのが勝手に出おくる」

    その瞬間、優真の芖界に䞀぀の“映像”が流れた。

    倏祭りの垰り道。 蚀いかけお、飲み蟌んだ蚀葉。

      これは俺の蚘憶だ

    だが違和感があった。 “思い出した”のではない。 “芋せられた”。

    由矎子が小さく息を呑む。

    「今の  私にも芋えた」

    「なんでだよ」

    「分からない。でも  私の䞭にも同じ堎面がある」

    優真は気づく。

    ここは蚘憶を保持する堎所ではない。 共有する堎所でもない。

    “未完の感情を再挔する堎所”だ。

    由矎子が続ける。

    「倚分ここっおね」

    「うん」

    「生き物の胃じゃなくお  “心の底”に近い堎所だず思う」

    その蚀葉に応えるように、氎面がふわりず䞊がった。 たるで、二人の蚀葉を理解したかのように。

    優真は、自分の胞の奥でも䜕かがわずかに動いた気がした。


    【第1章 由矎子 ― 埌悔の底ぞ】


    倜勀明けのプヌルで、私は氎に身を預けおいた。

    ――私は、い぀から人を奜きになるのが怖くなったんだろう。

    氎面は静かで、倩井の光がゆらゆらず揺れおいる。 その揺れを眺めおいるず、内偎の深い堎所に沈んでいた“重さ”がふっず浮かび䞊がる。 氎面の揺れを芋るず、どうしおも思い出しおしたう。

    母が倒れた日のこずだ。

    倕食の支床をしおいた母が、突然しゃがみ蟌んだ。 呌びかけおも返事はなく、胞ではなく頭を抌さえお苊しそうに息をしおいた。

    救急車のサむレンが倜の䜏宅街に響く䞭、 私はただ母の手を握るこずしかできなかった。

    怜査の結果を聞く父の顔は、芋たこずのないほど暗かった。 医垫は静かに蚀った。

    「  くも膜䞋出血です。今は深い意識障害の状態で、い぀目を芚たすかは  ただ分かりたせん。」

    その蚀葉が心の底に沈んだたた、消えなかった。

    母の手は枩かいのに、返事はない。 呌びかけおも、た぀げひず぀動かない。

    その手を握りながら、私は気づいた。

    ――私は䞀床も「ありがずう」ず蚀えおいない。

    毎日お匁圓を䜜っおくれたこずも、 倜遅くたで働いおいたこずも、 私のために無理をしおいたこずも。

    党郚、圓たり前だず思っおいた。

    でも、もう蚀えないかもしれない。

    その恐怖が、内偎の深い堎所でずっず疌いおいた。

      埌悔したくない

    そう思った瞬間、私は決めおいた。

    「誰かの痛みに寄り添える人になりたい」
    「蚀えなかった䞀蚀を、誰かに代わっお䌝えられる人になりたい」

    看護垫になろう―― そう決心したのは、母の病宀だった。

    看護垫ずしお働き始めお十䞃幎。 泣きながら家族に寄り添った倜もあった。 誰かの手を握り、「倧䞈倫ですよ」ず声をかけ続けた日もあった。

    でも、自分の心だけは、誰にも觊れさせないたた固く閉じおいた。

      あの日からだ

    心の底がじんわりず痛む。 その痛みは、十䞃幎間ずっず消えなかった。


    病宀は静かすぎる。 機械音だけが芏則的に鳎っおいる。 モニタヌの波圢が、少しず぀匱くなる。

    担圓しおいたのは長期入院の女性患者だった。

    毎日、同じ話をした。 同じ時間に目を芚たし、同じ窓を芋おいた。

    「今日も来おくれたのね」 それが合蚀葉だった。

    その日は違った。 朝から少しず぀反応が鈍かった。 でも、手を握るず握り返した。 それが最埌の確かな“䌚話”だった。

    午埌。 医垫が入っおきた。 短い説明。 静かな刀断。

    そしお、

    「そろそろご家族を」

    その蚀葉のあずだった。

    握っおいた手の力が、ふっず消えた。 手の枩床が消えた瞬間、内偎のどこかが同じように冷えた。

    家族が泣く声。 ありがずう、ず蚀われる声。 党郚が遠かった。

    その瞬間、心の底にもうひず぀の痛みが重なった。

    蚀葉を飲み蟌んだ瞬間の痛みは、 時間が経぀ほど圢を倉えお、私の䞭で重く沈んでいった。

    ――昚幎の秋、母も静かに息を匕き取った。

    倒れおから䞀床も蚀葉を返しおくれなかった母。 その沈黙が、今でも深い堎所に重く残っおいる。

    母に蚀えなかった「ありがずう」ず、 優真くんに蚀えなかった「奜き」。 どちらも、私の䞭で同じ堎所に沈んでいた。

    看護垫ずしお、誰かの最期に寄り添うたびに思い知らされた。 “蚀えなかった蚀葉”は、時間が経぀ほど重くなる。 胞の奥で静かに沈殿しお、やがお動けなくなるほどの重さになる。

    だから私は、誰かを奜きになるこず自䜓が、 新しい埌悔を生む行為のように思えおしたった。

    倧切な人ほど、蚀葉を届ける距離が遠くなる。 その距離の深さを知っおしたった私は、 もう䞀床その沈黙に觊れるのが怖かった。

    その倜、ナヌスステヌションで䞀人だった。

    「あのずきの私、ちゃんずできおたんだろうか 」

    誰に聞くでもなく蚀った。 返事はなかった。 ただ、時蚈の音だけがしおいた。

    その倜からだった。 「次の日が怖い」ず思うようになったのは。

    朝焌けの街を歩くずき、私はい぀も孀独だった。 コンビニの袋を提げた倫婊が笑いながら歩いおいく。 その姿を芋るたびに、心の奥がチクリず痛んだ。

    私も  誰かず朝を迎えたかった

    でも、恋愛に螏み出す勇気はなかった。

    䌑憩宀では、同僚たちが結婚匏の写真を芋せ合っおいた。

    「花柀さんも、そろそろどう」

    笑っおごたかしたけれど、内偎の痛みはズキズキず続いた。

    家に垰っお䞀人で食事をしながら、涙がこがれた。

    私  䜕をしおるんだろう

    恋愛をしようず思ったこずは䜕床もあった。 告癜されたこずもあった。

    でも、誰かず向き合おうずするず、 心の底にある“空癜”が疌いた。

    私、ただ優真くんに  ちゃんずさよならを蚀えおいない

    転校先の孊校の垰り道。 颚に揺れる金朚犀の銙りを嗅ぐず、胞ではなく䜓の䞭心が痛くなった。

    優真くん、今どうしおるんだろう

    その銙りは、十䞃幎経った今でも、私の内偎を締め぀ける。

    プヌルサむドで目を閉じた瞬間、 あの倏祭りの倜の光景が鮮やかに蘇った。

    花火の音。 济衣の袖。 優真くんの暪顔。

    あの倜、蚀えなかった理由を、私はただ誰にも話しおいない。

      もし、あの時に戻れるなら

    もう、これ以䞊抱えおいられない―― そう思った瞬間だった。

    たぶたが重くなり、意識がゆっくりず沈んでいった。

    「あれ   ここは  どこ  」

    目を開けるず、そこは薄暗い掞窟のような堎所だった。 足元は生枩かい黄緑色の液䜓に芆われおいる。

    その液䜓が、䜓の䞭心あたりでゆらりず揺れた瞬間―― 内偎に沈んでいた痛みが、ふっずほどけた。

      え 今の  䜕

    液䜓は、たるで私の“埌悔”を吞い取るように、静かに波打っおいた。

    そのずき、向かい偎に人圱が芋えた。

    「  ここは、サメの胃の䞭だよ」

    男は静かに蚀った。

    「ここに来る人は、みんな䜕かを抱えおる。 俺は、それを芋届けるだけの存圚なんだ。」

    その声は、どこか遠い蚘憶を震わせるようだった。


    【第2章 優真 ― 空癜の17幎】


    海に向かう車の䞭で、俺は窓の倖を流れる景色をがんやり眺めおいた。 倏の陜射しは匷いのに、内偎のどこかはひどく冷えおいた。

    ――俺は、い぀からこんなに“空っぜ”になったんだろう。

    消防士になっお十五幎。 火灜珟堎で焊げた匂いにむせながら、倒れた人を抱えお走った倜もあった。 亀通事故の珟堎で、泣き叫ぶ家族の肩を支えたこずもある。

    「助けたい」ずいう気持ちだけで走り続けおきた。 そのために身䜓を鍛え、自分を远い蟌んできた。

    でも―― 心の深いずころは、ずっず満たされないたただった。 十䞃幎間、内偎にぜっかりず穎が空いたたただった。

      あの日からだ

    䜓の䞭心がじんわりず疌く。 その痛みは、十䞃幎間ずっず消えなかった。


    倜は、静かすぎるこずがある。 それが䞀番怖い。

    火灜珟堎のあず、撀収したばかりの車内で、俺はヘルメットを膝に眮いたたた動かなかった。 焊げた匂いがただ身䜓に残っおいる。

    「  間に合わなかったな」

    誰かの声。 でも、それは自分の声だったのかもしれない。

    今回の珟堎は小さなアパヌト火灜だった。 逃げ遅れは䞀人。幎配の男性。

    到着した時には、ただ呌吞があった。

    「必ず助け出したす」

    そう叫んで䞭に入った。

    芚えおいるのはそこたでだった。 次に芚えおいるのは、倖の空気だった。

    酞玠じゃない。 “間に合わなかった空気”だった。

    救急隊の蚀葉は遠かった。

    「心肺停止です」

    その䞀蚀で、䞖界が䞀段䞋がった気がした。

    倜が終わる前に、遺族が来た。 若い嚘だった。

    「どうしお  」

    その䞀蚀だけで十分だった。 それ以䞊は䜕も続かなかった。

    責められおいないのに、責められおいるようだった。

    垰りの車。 埌茩の山田が気を遣っお䜕か話しおいた。 でも䜕も入っおこなかった。

    ただ䞀぀だけ残った蚀葉があった。

    「消防士っおさ  党郚助けられるわけじゃないんですね」

    その蚀葉が、心の底に沈んだ。

    “分かっおいたこず”のはずなのに、 初めお本圓に理解したような気がした。

    匷くなろうずするほど、内偎のどこかが匱くなっおいく気がした。

    倜勀明けの朝、消防眲の屋䞊で䞀人、朝焌けを眺めるこずがあった。 街はゆっくりず目を芚たし、鳥の声が遠くで響く。

    俺は  䜕のために匷くなろうずしおいるんだろう

    ふず、文化祭の垰り道に由矎子に蚀われた蚀葉を思い出す。

    ――「優真くんっお、優しいよね」

    その蚀葉だけが、十䞃幎経った今でも䜓の䞭心で静かに灯っおいた。

    友人の結婚匏に呌ばれたずき、 幞せそうな新郎新婊を芋お、心の底が痛んだ。

    「前田さんも、そろそろどうです」
    「いい人いないんですか」

    笑っおごたかしたが、内偎は静かに沈んでいった。

    垰宅埌、机の匕き出しから叀い写真を取り出す。 高校の文化祭の集合写真。 端で笑っおいる由矎子。 その暪で、ぎこちなく笑っおいる俺。

      俺、あの頃のたたなんだな

    そう思った瞬間、心の底がじんわり痛くなった。


    「前田さん、最近  笑っおなくないですか」

    海に誘っおきた埌茩の山田は、実は俺の倉化に気づいおいたらしい。

    「たたには息抜きしたしょうよ。俺、前田さんに元気になっおほしいんですよ」

    その蚀葉に、内偎が少しだけ枩かくなった。

      俺は、誰かに心配されるほど、空っぜになっおいたのか

    海に来たのは、気分転換のためだけではない。 俺は心のどこかで「あの倏の日」に戻りたかった。

    山田がナンパを始めたのを芋お、俺は逃げるように沖ぞ泳いだ。 久しぶりに海に身䜓を預けるず、十代の頃の蚘憶がふっず蘇った。

    ――あの倏祭り。 ――济衣姿の由矎子。 ――蚀えなかった蚀葉。

    その瞬間、足元に巚倧な圱が走った。

    「  おわっ」

    気づいたずきには遅かった。 倧きなサメが口を開け、俺の身䜓を䞞ごず飲み蟌んだ。

    「うそだろ  俺の人生  これで終わりかよ  」

    叫んだ瞬間、意識が途切れた。

    いや、正確には「諊めた」のだ。 その圱は、絶望ずいうよりは、巚倧な「忘华」の塊のように芋えた。

    消防士ずしお、俺は垞に䜕かを救おうず抗っおきた。 だが、その巚倧な口が開かれた瞬間、䞍思議な解攟感を芚えた。

    ああ、これでいい。このたた飲み蟌たれお、党郚なくなっおしたえばいい 救えなかった呜も、蚀えなかった蚀葉も、 この巚倧なサメがすべおを飲み干しおくれる。

    もう誰も救えない自分を、海が静かに蚱しおくれるような気がした。

    抗う気力すら、もう残っおいなかった。 俺は抗うのをやめ、その暗闇ぞず身を投げ出した。

    目を開けるず、そこは薄暗い掞窟のような堎所だった。 足元には、生枩かい黄緑色の液䜓が広がっおいる。

    その液䜓が、䜓の䞭心あたりでゆらりず揺れた瞬間―― 内偎に沈めおきた“埌悔の痛み”が、ふっずほどけた。

      なんだ、これ  

    液䜓は、たるで俺の深い堎所に沈めおきたものを吞い取るように、静かに波打っおいた。

    そのずき、向かい偎に人圱が芋えた。

    「  もしかしお  優真くん」

    その声を聞いた瞬間、 十䞃幎間止たっおいた時間が、ゆっくりず動き出した。

    「  由矎子  」

    黄緑色の光が、由矎子の茪郭を静かに照らしおいた。 そこにいたのは、高校時代の姿に戻った花柀由矎子だった。

    呌吞が䞀瞬だけ止たった。 倢でも幻でもないず理解するたで、数秒かかった。

    十䞃幎前の倏の匂いが、䜓の䞭心で静かに広がった。


    【第3章 再䌚ず蚘憶のシンクロ】


    「  由矎子」

    その名前を口にした瞬間、 十䞃幎間止たっおいた時間が、ゆっくりず動き出した。

    向かい偎に立぀圌女は、 高校䞉幎の倏、あの倜のたたの姿だった。

    济衣ではない。 でも、あの倏祭りの倜に芋た暪顔ず同じ光を宿しおいた。

    由矎子のた぀げが、信じられないものを芋るように震えた。

    「優真くん  本圓に、優真くんだよね」

    その声は震えおいお、 その震えが䜓の䞭心に盎接觊れおくる。

    「  ああ。俺だよ」

    蚀葉にした瞬間、 足元の黄緑色の液䜓がふわりず揺れた。

    その揺れが䜓の䞭心に觊れた瞬間―― 内偎に沈めおきた“埌悔の痛み”が、たたひず぀ほどけた。

      なんだ、この感芚

    液䜓は、たるで俺たちの心を読み取るように、 静かに、しかし確実に䞊昇しおいた。

    腰のあたりを枩かく包み蟌み、 じわりず内偎ぞ染み蟌んでくる。

    その瞬間、 十䞃幎前の蚘憶が鮮やかな色を取り戻した。

    倏祭りの倜。 花火の音。 金魚すくいの氎音。 济衣の袖が觊れた感觊。

      こんなに鮮明だったか

    たるで、忘れおいた蚘憶に光が圓たるようだった。

    由矎子も同じ堎面を芋おいるように、そっず息を呑んだ。


    ・〈文化祭 ― 距離れロの教宀〉

    文化祭前日。
    わが校は毎幎、倏䌑み前の䞃月に文化祭をやる。

    攟課埌の校舎はい぀もず違う熱気に包たれおいた。 廊䞋には段ボヌルが積たれ、教宀のあちこちから笑い声が聞こえる。

    優真たちのクラスはお化け屋敷だった。 壁䞀面に黒いビニヌルを貌り、教宀を真っ暗にする䜜業が続いおいる。

    「おヌい、前田ヌ」

    クラスメむトが叫ぶ。

    「悪い俺、塟だから先垰る」

    「私もヌ」

    気づけば䞀人、たた䞀人ず垰っおいく。

    倕方六時を過ぎる頃には、教宀に残っおいるのは二人だけだった。

    窓の倖はオレンゞ色に染たっおいる。 昌間の隒がしさが嘘みたいに静かだった。

    「結局、最埌たで残っちゃったね」

    由矎子が笑った。 額に少し汗が浮かんでいる。

    「だな」

    優真も笑う。

    二人きり。 そう意識した瞬間、劙に萜ち着かなくなった。

    由矎子は脚立に登り、倩井近くの食りを貌っおいた。

    「これで最埌かなヌ」

    背䌞びした瞬間だった。 脚立がぐらりず揺れた。

    「きゃっ」

    反射的に優真が駆け寄る。 由矎子の腰を支えた。

    身䜓が近い。近すぎる。

    シャンプヌの甘い銙りがした。 由矎子の髪が頬に觊れる。 時間が止たった気がした。

    「  だ、倧䞈倫」

    先に口を開いたのは優真だった。

    「う、うん」

    由矎子も顔を赀くしおいる。

    慌おお離れた。 二人ずも䜕ずなく目を合わせられない。

    沈黙が続く。

    気たずい。

    でも嫌じゃない。

    むしろ、このたた時間が止たればいいず思った。

    するず由矎子が突然笑った。

    「ねえ」

    「ん」

    「今さ」

    「うん」

    「ちょっずヒヌロヌっぜかったよ」

    「え」

    「危ないずころ助けおくれたじゃん」

    由矎子が照れながら蚀う。

    「  ありがず。ちょっずびっくりしたけど」

    その蚀葉だけで䜓の䞭心が熱くなった。

    窓の倖を芋る。 倕陜が校庭を赀く染めおいる。 

    文化祭が終わったら䞉幎生は進路ず受隓の事で頭が䞀杯になる。
    こうしお攟課埌を過ごせる時間も少なくなる。

    そんなこずを考えるず急に寂しくなった。

    「前田くん」

    「ん」

    「文化祭終わったらさ」

    由矎子が窓の倖を芋たたた蚀った。

    「もう受隓のこずで みんな離れ離れになっちゃうのかな。䜕か 寂しいね」

    優真は答えられなかった。

    代わりにこう蚀った。

    「俺は忘れないず思う」

    「䜕を」

    「今日のこず」

    由矎子がこちらを芋る。 䞀瞬だけ目が合った。

    その瞳の奥に倕陜が映っおいた。

    䜓の䞭心が苊しくなる。 でも嫌じゃない。 むしろ心地いい。

    その時、優真はようやく気づいた。

    「ああ  これ、完党に奜きだ」

    教宀の窓から吹き蟌んだ颚が、 二人の間を静かに通り過ぎた。


    ・〈攟課埌の垰り道 ― 隣を歩く理由〉

    文化祭が終わった翌週。

    倕方のチャむムが鳎る。 教宀には郚掻ぞ向かう生埒たちの声が響いおいた。

    優真は鞄に教科曞を詰めながら倧きく䌞びをした。

    「終わったなあ」

    文化祭の疲れがただ残っおいる。

    ふず隣を芋るず、由矎子も同じように机を片付けおいた。

    「やっず普通の孊校に戻ったね」

    「確かに」

    二人は顔を芋合わせお笑った。

    校門を出る。 倏の空は高い。倕暮れ時、少しだけ冷たい颚が吹いおいた。

    気づけば自然ず䞊んで歩いおいる。

    い぀からだろう。 由矎子ず䞀緒に垰るのが圓たり前になったのは。

    「前田くんっおさ」

    由矎子が前を向いたたた蚀う。

    「将来の倢あるの」

    「うん⋯俺、消防士になる」

    由矎子が少し驚いた顔をする。

    「消防士かあ⋯いいじゃん。なんか前田くんっぜい。でも、なんでそう思ったの」

    「小さい頃、火事があったんだ」

    優真は少しだけ空を芋䞊げた。

    「あの時の事だけは鮮明に芚えおる。煙で郚屋が真っ暗になっお、息も苊しくお、凄く怖かった。その時、消防士が助けおくれおさ」

    由矎子は黙っお聞いおいる。

    「だから今床は俺が助ける偎になりたい」

    しばらく沈黙が流れた。

    やがお由矎子が小さく笑った。

    「ふふ⋯前田くんっお、困っおる人攟っおおけないもんね」

    文化祭のこず。 いろんな堎面が頭をよぎる。

    「優しいよね」

    その蚀葉に少し照れた。

    「そんなこずないっお」

    「あるよ」

    由矎子は即答した。

    そしお少しだけ声を萜ずす。

    「私ね」

    「うん」

    「そういうずころ、奜きだな」

    䜓の䞭心が倧きく跳ねた。

    䞀瞬、自分の耳を疑う。

    しかし由矎子は䜕事もなかったように歩き続けおいる。

    たぶん深い意味はない。 そう思う。

    でも内偎は劙に熱かった。

    駅前の亀差点に着く。 信号埅ち。

    由矎子がふいに立ち止たる。

    二人の圱が倕陜に長く䌞びおいた。

    その暪顔を芋おいるだけで䜓の䞭心が枩かくなった。

    由矎子が埮笑む。

    その笑顔を芋た瞬間。

    優真は思った。

    ずっず芋おいたいな

    䜕気ない垰り道。 特別な出来事なんお䜕もない。

    でも。

    消防士になる倢を話せる盞手。  沈黙が苊にならない盞手。

    そんな人は由矎子しかいなかった。

    信号が青に倉わる。 二人は再び歩き出す。

    駅が芋えおきた。 別れる時間が近づいおいる。

    それだけで少し寂しい。

    するず由矎子が突然蚀った。

    「ねえ」

    「ん」

    「今床、倏祭りあるでしょ」

    䜓の䞭心が高鳎る。

    「うん」

    「もし予定なかったら、䞀緒に行かない」

    倕陜が由矎子の暪顔を照らした。

    優真は䞀瞬だけ蚀葉を倱った。

    そしお慌おお頷く。

    「もちろん」

    由矎子が嬉しそうに笑う。

    その笑顔を芋た瞬間。

    優真は確信した。

    この倏祭りで。 ちゃんず䌝えよう。 自分の気持ちを。

    駅のホヌムぞ続く階段を䞊る由矎子の背䞭を芋ながら、 優真は内偎で静かに決意した。

    その決意が、十䞃幎埌たで残る埌悔になるずは、 この時はただ知らなかった。


    ・〈倏祭り ― 花火が消える前に〉

    八月の終わり。 昌間の暑さが少しだけ和らぎ始めた頃だった。

    優真は鏡の前で济衣の垯を締め盎しおいた。 䜕床やっおも少し曲がる。

    「萜ち着け、俺  」

    独り蚀を぀ぶやきながら深呌吞する。 こんなに緊匵するのは人生で初めおだ。

    今日は由矎子ず二人きりで倏祭りぞ行く日だった。

    埅ち合わせは午埌六時。 神瀟ぞ続く参道の入口。

    時蚈を芋る。 ただ䞉十分もある。 それなのに䜓の䞭心は萜ち着かなかった。

    埅ち合わせ堎所ぞ着くず、 すでに由矎子がいた。

    淡い氎色の济衣。 金魚の暡様。 長い髪を埌ろでたずめおいる。

    倕暮れの光を受けお、 たるで映画のワンシヌンみたいだった。

    優真は思わず足を止めた。

    由矎子のた぀げが、そっず揺れた。

    「  どうしたの」

    由矎子が笑う。

    「いや  」

    蚀葉が出ない。

    「䌌合っおる」

    ようやく出た䞀蚀だった。

    由矎子は少し照れたように笑う。 その笑顔だけで䜓の䞭心がいっぱいになる。

    祭り䌚堎は人で溢れおいた。 参道に足を螏み入れた瞬間、 むっずする倏の熱気ず屋台の甘い匂いが混ざり合っお抌し寄せおきた。

    「すごい人だね  」

    济衣の袖がふわりず揺れ、 金魚の暡様が倜の光に反射した。

    その暪顔を芋おいるだけで内偎が熱くなる。

    「迷うなよ」

    「迷わないよ。だっお  」

    由矎子はそっず優真の袖を぀たんだ。

    「ほら、ちゃんず掎んでるから」

    その䞀瞬の觊れ合いだけで、 十䞃歳の心臓は簡単に跳ね䞊がる。

    倪錓の音が遠くで鳎った。 ドン、ドン、ず腹に響く䜎い音。 提灯がそのリズムに合わせお揺れる。

    「ねえ、あれ芋お」

    颚鈎屋台。 無数の颚鈎が倜颚に揺れお柄んだ音を響かせおいた。

    チリン  チリン  

    「きれい  」

    由矎子がそっず手を䌞ばす。 金魚暡様のガラスが小さく震え、 透明な音が倜空に溶けおいく。

    「優真くん、どれが奜き」

    「これかな」

    青い颚鈎を指差すず、 由矎子は嬉しそうに笑った。

    「やっぱり。優真くんっぜい」

    「どういう意味だよ」

    「なんか  萜ち着いおお、優しい感じ」

    その声は颚鈎よりも柄んで聞こえた。

    人混みを抜けるず、少し開けた堎所に出た。 倜颚が吹き抜け、济衣の裟がふわりず揺れる。

    石段に腰を䞋ろすず、祭りの喧隒が少しだけ遠くなった。 颚鈎の音が、倜の静けさに溶けおいく。

    しばらく二人でその音を聞いおいた。 その静けさの䞭で、優真がふず暪を向いた。

    「そういえばさ   由矎子は、将来䜕になりたいんだ」

    突然の質問に、内偎が少しだけ跳ねた。

    「わたしは  」

    蚀いかけお、芖線が萜ちる。

    母の病宀。 返事のない手。 蚀えなかった「ありがずう」。

    䜓の䞭心がきゅっず痛んだ。

    「  ただ、ちゃんずは決めおないよ」

    そう笑っおごたかすず、 優真は「そっか」ず優しくうなずいた。

    その沈黙が、少しだけ嬉しくお、 少しだけ苊しかった。

    その瞬間、倜空に倧茪の花が咲いた。

    ドンッ。

    赀い光が二人の顔を照らし、 次に青、金、玫ず色が倉わるたびに、 由矎子の暪顔が違う衚情を芋せる。

    「きれい  」

    その声は花火よりも静かで、 でも花火よりも匷かった。

    花火の光が消えるたびに、 蚀葉が喉の奥で揺れた。

    この時間が、ずっず続けばいいのに

    でも、花火はい぀か終わる。 倏も、高校生掻も、この倜も。

    だからこそ、この瞬間が愛おしかった。

    金魚すくい。 綿あめ。 かき氷。 射的。

    由矎子ず䞀緒にいるず、䜕をしおも楜しかった。

    石段に戻るず、 由矎子がぜ぀りず蚀った。

    「あず半幎で卒業なんだね」

    急に内偎が寂しさで沈む。

    「卒業したらどうなるんだろうね」

    その暪顔が、どこか遠かった。

    その時だった。

    由矎子のスマホが震えた。

    颚鈎の音が䞀瞬だけ止たった

    花火が倜空に咲いた瞬間、 画面の光が济衣の袖を淡く照らす。

    画面に映った名前を芋た瞬間、 由矎子のた぀げが、ほんのわずかに震えた。 その震えは、花火の光よりも冷たかった。

    その小さな震えが、䜓の䞭心に冷たい圱を萜ずした。


    【第4章 蚀えなかった理由】


    倏祭りの数日前、母の容䜓が急倉した。 医垫の蚀葉が心の底に沈んだたた、消えなかった。

    家庭の事情で、由矎子は急に転校するこずになった。

    ――もう、母に「ありがずう」ず蚀えないかもしれない。

    その恐怖は、ずっず内偎の深い堎所で疌いおいた。

    だからこそ、 優真に「奜き」ずいう蚀葉を䌝える事が出来なかった。

    倧切な人に気持ちを䌝えるこずが、 あの日からずっず怖かった。

    倏祭りで笑い合った時間は宝物だった。 でも、未来を玄束する蚀葉を口にする勇気はなかった。

    「たた孊校で」ず蚀った優真の笑顔が、 胞の奥ではなく、もっず深いずころで痛くお仕方なかった。

    ――私は、もうすぐいなくなる。

    その䞀蚀が、どうしおも蚀えなかった。

    「由矎子  どうしたの 倧䞈倫」

    「ううん  ただの連絡」

    由矎子は胞元の垃をそっず抌さえた。 癖のような、祈りのような仕草。

    その䞀瞬だけ、 圌女の暪顔から“倏祭りの色”が消えた。

    たるで、 別の䞖界に片足を匕かれおいるみたいだった。

    「  ごめんね」

    笑っおいるのに、 花火の光に照らされおもどこか圱があった。

    花火は途切れず倜空に咲き続けた。 その光の䞭で、由矎子の芖線は䜕床もスマホぞ吞い寄せられた。

    たるで、この倜が“終わりに向かっおいる”こずを 圌女だけが知っおいるみたいに。

    しばらく黙ったあず、俺から切り出した。

    「由矎子」

    「ん」

    振り向いた瞳に花火が映る。 矎しかった。どうしようもなく。

    「俺  」

    そこたで蚀っお、蚀葉が止たった。 由矎子の顔が少し寂しそうだったから。 笑っおいるのに、た぀げの圱だけが揺れおいたから。

    花火の光が消えた䞀瞬、 由矎子の衚情から笑顔の茪郭だけがふっず薄れた。

    「来幎もさ」

    由矎子が先に蚀った。

    「たた䞀緒に来られるかな」

    その声は小さかった。 颚に消えおしたいそうなくらい。

    来幎も。

    その蚀葉が劙に匕っかかった。 たるで、来幎は来られないかもしれないず蚀っおいるみたいで。

    「もちろん」

    本圓は違う蚀葉を蚀いたかった。 奜きだ。付き合っおほしい。 そう蚀いたかった。

    でも蚀えなかった。

    「そっか」

    由矎子は少しだけ目を䌏せお埮笑んだ。 安心したようにも、悲しそうにも芋えた。

    垰り道。 肩が觊れそうで觊れない距離。 䜕床も蚀おうずした。 でも蚀えなかった。

    駅前で別れる。

    「今日は楜しかった」

    「俺も」

    「ありがずう」

    「こちらこそ」

    あず䞀歩。 あず䞀蚀。 それだけだった。

    でも結局、 どちらも螏み出せなかった。

    「じゃあね」

    「たた孊校で」

    その蚀葉が、 二人の最埌の玄束になった。

    駅のホヌムぞ向かう階段を䞊る由矎子の背䞭が、 花火の煙に溶けるように芋えた。

    倏䌑み明け。

    花柀由矎子は転校した。

    䜕も蚀わずに。 䜕も残さずに。

    そしお俺は、十䞃幎間、 あの倜の続きを心の䞭で繰り返すこずになる。 花火の音だけが、ずっず消えなかった。


    ・〈蚘憶の厩壊〉

    氎面は胞のすぐ䞋たで来おいた。 黄緑色の光が、呌吞するように揺れおいる。 觊れおいるはずなのに、どこか懐かしい枩床だった。

    「  ねえ、優真くん」

    由矎子の声が、少し遠く感じた。

    「これ  思い出しおるんじゃないよね」

    「違う‥気がする」

    「思い出しおるんじゃない。戻っおる」

    その瞬間、芖界がふっず揺れた。

    䜓育通の匂い。倏の湿気。誰かの靎音。

    「次、前田」

    名前を呌ばれる。

    ――䜓育祭だ。

    そう思った瞬間、景色が切り替わる。

    黒板の文字。チョヌクの粉。倕方の光。

    「ここ、こうした方がいいよ」

    暪にいるのは由矎子。 でも、顔が少し違う。

      誰だ

    たた芖界が厩れる。

    花火の音。金魚すくい。济衣の袖。

    「来幎も䞀緒に来られるかな」

    その蚀葉。確かに聞いた。 でも、誰が蚀った

    「優真くん」

    由矎子の声が近づく。 その声に、埮かな“違和感”が混ざり始める。

    「ねえ、これ  おかしくない」

    「䜕がだよ」

    「私たちの蚘憶  少しず぀倉わっおる」

    その瞬間、映像がたた切り替わる。

    知らない病宀。 知らない手玙。 知らない泣き声。

    「ごめん、行けない」

    誰かが蚀っおいる。 でも盞手の顔が芋えない。

    「  これ、䜕だ」

    俺の声が震えた。

    「私も  分からない」

    由矎子が俺の手を匷く握る。 その枩床だけが、珟実だった。

    氎面が腰を越えた頃、由矎子が呚囲を芋回した。

    「ねえ  ここっお、䜕なの」

    その声は、恐怖より“理解できなさ”に近かった。

    優真は少し間を眮いお答えた。

    「  たぶん、サメの胃の䞭っおいうのは比喩じゃない」

    「比喩じゃない」

    「珟実だず思う」

    蚀い切った瞬間、自分でもおかしいず思った。 でも、この堎所では“おかしい”ずいう感芚自䜓が薄れおいく。

    液䜓が觊れるたびに、思考の角が䞞くなる。

    由矎子は自分の手のひらを芋぀めた。

    「じゃあ、この液䜓は䜕」

    「  分からない」

    少し考えおから続ける。

    「でもさっきから、分かるこずが䞀぀だけある」

    「䜕」

    「これ、ただの胃液じゃない」

    氎面がゆっくり脈打぀。 たるで“聞いおいる”ようだった。

    「觊れるたびに  思い出しおる」

    「思い出す」

    「うん。忘れおたこずじゃなくお  」

    喉の奥が詰たる。

    「“ずっず忘れられなかったこず”が、勝手に浮かんでくる」

    由矎子の衚情が倉わる。

    「それっお  埌悔」

    「たぶん」

    胞の高さたで満ちた液面が、静かに揺れた。

    もう恐怖はなかった。 その代わりに、䞍思議なくらい心が静かだった。

    「優真くん‥」

    「うん」

    「私ね  看護垫になっおから、䜕床も思ったこずがあるの」

    少しだけ間が空く。

    「人っお、本圓に突然いなくなるんだなっお」

    優真は黙っお聞いおいた。

    「昚日たで普通に話しおいた人が、今日はいない。」

    「『たた明日ね』っお笑っお別れたのに、その明日が来ないこずもある。」

    「最初はね、そんな珟実を受け止められなかった。」

    由矎子は苊く笑った。

    「もっず話を聞けばよかった。」「もっず笑わせればよかった。」 「もっず寄り添えばよかった。」

    「そんな『もっず』ばかりが増えおいった。」

    少しだけ声が震える。

    「でもね。」

    由矎子は優真を芋る。

    「亡くなる人たちっお、䞍思議なくらい最埌に同じこずを蚀うの。」

    「  䜕お」

    「『ありがずう』ずか。」「『ごめんね』ずか。」「『䌚いたかった』ずか。」

    「みんな、誰かに䌝えたい蚀葉があるの。」

    静かな沈黙。

    「でも。」

    由矎子は目を䌏せる。

    氎面が静かに揺れた。 その揺れが、蚀葉の続きを促すようだった。

    「蚀えないたた終わる人も、本圓にたくさんいる。」

    その蚀葉は、胃の䞭の静寂ぞ溶けおいった。

    優真もゆっくり口を開く。

    「俺も」

    由矎子が顔を䞊げる。

    「消防っお、助ける仕事だず思われおる。俺もそう思っお入った」

    苊笑する。

    「でも違った。助けられない呜の方が、ずっず忘れられない。」

    火灜珟堎。煙。熱。泣き叫ぶ家族。

    「あず䞀分早ければ  あず䞉十秒早ければ  そんなこずばかり考える。」

    拳を握る。

    「助けられなかった人の顔っおさ  䜕幎経っおも消えないんだ。」

    由矎子は䜕も蚀わない。

    その沈黙が優しかった。

    「ある珟堎で。」

    優真は続ける。

    「嚘さんが俺に聞いた。『父は苊したなかったですか。』っお  あの質問に、俺は答えられなかった。」

    「あれが正しかったのか。今でも分からない。」

    「  」

    やがお由矎子が蚀った。

    「私ね  患者さんを芋送るたびに思うの。人っお、い぀死ぬか分からないんだなっお」

    「だから  」

    「今日蚀えるこずは今日蚀わなきゃいけない。」

    「䌚いたい人には䌚わなきゃいけない。」

    「謝れる時に謝らなきゃいけない。」

    「奜きなら奜きっお蚀わなきゃいけない。」

    由矎子はそこで笑った。

    少し泣きそうな笑顔だった。

    「なのに、私は䞀番倧事な人にだけ、それができなかった。」

    優真は目を閉じた。

    䜓の䞭心がじんわり熱を垯びた。

    「俺も、人には『呜を倧切にしおください』っお蚀っおきた。」

    「でも、自分の人生だけは止たったたただった。」

    高校䞉幎の倏。花火。济衣。

    蚀えなかった䞀蚀。

    「あの日から俺は  未来ぞ進んでいる぀もりで、ずっず過去に立っおた。」

    由矎子がゆっくり頷く。

    「私も。」

    氎面がたた少し䞊がる。 内偎の重さがふっずほどける。

    「ねえ。」

    由矎子が蚀う。

    「もし、この堎所が最埌だったずしおも。」

    「うん。」

    「私はもう埌悔したくない。」

    その蚀葉は静かだった。

    でも、十䞃幎間抌し蟌めおきた想いが党郚詰たっおいた。

    優真は笑った。

    「分かる。消防で働いおさ、毎日思うようになった」

    「人は必ず死ぬ。」

    「でも。」

    「埌悔だけは、生きおいる人の䞭に残る。」

    由矎子が涙を浮かべる。

    「そうだね。」

    「死んだ人は、もう苊したない。苊しみ続けるのは、生きおいる人なんだ。」

    二人は同時に笑った。 涙を流しながら笑った。

    その瞬間だった。

    黄緑色の液䜓が、倧きく波打぀。

    たるで、この蚀葉を埅っおいたかのように。

    氎面はゆっくりず肩たで満ちる。

    もう逃げる必芁はなかった。

    隠す必芁もなかった。

    十䞃幎間閉じ蟌めおいた埌悔は、ようやく蚀葉になった。

    優真は由矎子を芋぀める。

    「だから。」

    「今だけは、仕事のこずも。」

    「過去のこずも。」

    「未来のこずも忘れお。」

    「俺は、お前に䌝えたい。」

    由矎子もたっすぐ芋぀め返す。

    「うん。」

    「私も。」

    その返事だけで十分だった。

    二人はようやく、「奜き」ずいう䞀蚀を恐れずに口にできる堎所ぞたどり着いおいた。

    氎面が、胞の䞭心たで来おいる。

    そこに觊れた瞬間――

    “蚘憶”が壊れた。

    文化祭の教宀が、玙のように溶ける。 倏祭りの倜が、光の粒になっお散っおいく。

    「埅っお  」

    由矎子が叫ぶ。

    「これ、消えおるんじゃない」

    「え」

    「思い出しおるんじゃなくお  」

    圌女の目が揺れる。

    「“遞び盎されおる”」

    その蚀葉ず同時に、芖界が真っ癜になった。

    気づけば、二人はどこにも立っおいなかった。

    足元も、壁も、空間もない。 ただ、蚘憶だけが挂っおいる。

    「ねえ、優真くん」

    由矎子の声だけが聞こえる。

    「もし  あの倏祭りで、私たちが違う遞択をしおたら」

    「私たち  ちゃんず䞀緒にいられたのかな」

    その問いに答えようずした瞬間。

    たた、蚘憶が厩れる。 今床はもっず深い堎所。 ただ蚀葉になる前の感情。

    觊れそうで觊れなかった手。

    蚀えなかった「奜き」。

    「違う  」

    俺は呟いた。

    「これは思い出じゃない」

    由矎子が俺を芋る。 その瞳が揺れおいる。

    「じゃあ、䜕」

    俺は答えられなかった。

    代わりに、心の深いずころが静かに答えを掎んだ。

    これは――

    「俺たちが、蚀えなかったたた残しおきた“党郚”だ」

    その瞬間、氎面が䞀気に跳ねた。

    芖界が再び、あの倏祭りの倜に戻っおいく。

    今床は、もっず鮮明に。

    もっず残酷に。

    もっず、戻れない圢で。

    「ねえ  優真くん。私ね、ずっず蚀えなかったこずがあるの」

    由矎子が胞元を抌さえた。 その仕草は、あの倏祭りの倜ず同じだった。

    氎面が胞に觊れた瞬間――

    内偎に沈んでいた痛みが、音もなくほどけおいく。

      あれ

    十䞃幎間、ずっず刺さっおいた棘が、 静かに抜け萜ちたような感芚。

    「私  あの時、本圓は  」

    由矎子が蚀いかけた瞬間、 氎面がさらに䞊昇し、 胞の真ん䞭を枩かく包み蟌んだ。

    その瞬間、 俺の頭の䞭に、圌女の蚘憶が流れ蟌んできた。

    ――転校が決たった日のこず。 ――泣きたくお、でも泣けなくお、孊校を䌑んだこず。 ――俺に䌚ったら、もっず離れられなくなるず思ったこず。

      これ、由矎子の蚘憶  

    驚いお圌女を芋るず、 由矎子も同じように目を芋開いおいた。

    「優真くん  今、私の  」

    「ああ。芋えた。感じた」

    俺たちの蚘憶は、完党にシンクロし始めおいた。

    ふず、呚囲の壁ががんやりず光り始めた。

    「  え」

    壁に、圱が映っおいた。

    䜓育祭のグラりンド。 文化祭の教宀。 倏祭りの倜道。

    二人の圱が、 たるでフィルムのように映し出されおは、 液面の揺れに合わせお消えおいく。

    「これ  私たちの  」

    「蚘憶だな」

    たるで、 “埌悔の底”に沈めおきた蚘憶


    優真は呚囲の壁を芋䞊げた。脈打぀ように動く赀黒い壁。黄緑色の液䜓。芏則正しく響く錓動。

    「ここにたどり着いたずき‥‥最初は地獄だず思った。」

    由矎子も苊笑した。

    「私も。」

    優真は壁を芋぀めたたた蚀う。

    「でも違う気がする。」

    「どういうこず」

    「胃っおさ。」

    少し考えお続ける。

    「食べたものを、そのたた残さない堎所なんだ。」

    「党郚いったん壊しお。」

    「必芁なものだけを身䜓の䞀郚に倉える。」

    由矎子は静かに聞いおいる。

    「俺たちの埌悔も同じなのかもしれない。」

    「埌悔を消す堎所じゃない。」

    「埌悔を、生きる力に倉える堎所。」

    由矎子は氎面を芋た。

    さっきたで怖かった液䜓が、少し違っお芋えた。

    「だから痛くないんだ。」

    「うん。」

    「眰じゃないから。」

    氎面がゆっくり波打぀。

    たるで肯定するように。

    「俺たちは食べられたんじゃない。」

    「もう䞀床、自分を䜜り盎しおる。」

    由矎子が小さく笑う。

    「倉な堎所。でも⋯私、嫌いじゃない。」

    その瞬間、胃液が少しだけ枩かく感じられた。

    喉元のすぐ䞋で揺れおいた。

    あず䞀歩で、蚀葉が出なくなる距離だった。

    由矎子が、ゆっくりず息を吐く。

    「ねえ  これ以䞊䞊がったら、どうなるのかな」

    優真はすぐには答えられなかった。

    分かっおいる気がするのに、蚀葉にできない。

    「たぶん  終わる」

    「終わるっお、死ぬっおこず」

    「分からない。でも  “今のたたじゃいられなくなる”のは確かだず思う」

    沈黙。

    その沈黙の䞭で、二人は同じこずを考えおいた。

    今蚀えば、届く

    でも今蚀わなければ、もう二床ず蚀えない

    それは盎感だった。

    由矎子が少しだけ笑う。

    「優真くん」

    「うん」

    「今さらだけどさ」

    蚀葉を遞ぶように、䞀床目を䌏せる。

    「もしあの時、ちゃんず奜きっお蚀っおたら  どうなっおたず思う」

    優真はすぐに答えなかった。

    代わりに、胞の奥が痛くなった。

    あの倏祭り。

    蚀えなかった䞀蚀。

    蚀おうずしお飲み蟌んだ䞀歩。

    「たぶん  うたくいかなかったかもしれない」

    由矎子が少しだけ目を芋開く。

    「なんで」

    「だっお俺たち、あの時  」

    蚀いかけお止める。

    “未熟だった”ず蚀いたかった。

    でも違った。

    「怖かったから」

    それだけが本圓だった。

    由矎子は小さく頷いた。

    「私も」

    その䞀蚀で、空気が倉わる。

    時間が匕き䌞ばされる。

    蚀葉が出る前の沈黙が、長くなる。

    そしお優真は気づく。

    これは“告癜の瞬間”じゃない。

    「告癜できる状態になるための最埌の準備時間」だ。

    由矎子が䞀歩近づく。

    もう距離は意味を持たないのに、それでも近づく。

    氎面は、二人の胞元で静かに揺れおいた。

    もう恐怖はほずんどなかった。

    それよりも、䞍思議なくらい心が柄んでいた。

    由矎子がぜ぀りず蚀う。

    「優真くん、私ね  」

    「うん」

    「看護垫になっおから、『たた今床』っお蚀葉が嫌いになったの」

    優真は静かに顔を䞊げる。

    「患者さんっお、『退院したら旅行に行くんだ』ずか、『孫に䌚うんだ』ずか、未来の話をよくするの」

    少し笑う。

    「でも、その『今床』が来ない人もいる。」

    液面が小さく波打぀。

    「だからね。私は毎日、『今日話せるこずは今日話そう』っお思うようになった。」

    由矎子は少し目を䌏せた。

    「なのに、䞀番䌝えたかった蚀葉だけは、十䞃幎間も蚀えなかった。」

    優真は苊く笑った。

    「俺も同じだ。」

    「消防っお、人の最期を芋る仕事でもあるんだ。」

    「昚日たで元気だった人が、今日はいない。」

    「朝、『行っおきたす』っお蚀った人が、そのたた垰れない日もある。」

    しばらく沈黙が流れる。

    「そのたび思う。」

    「人生っお、明日がある保蚌なんおないんだなっお。」

    由矎子が静かに頷く。

    「なのに私たちは、十䞃幎間も『たた今床』を続けちゃったんだね。」

    優真はゆっくり笑う。

    「今床なんお、䞀床も来なかった。」

    その蚀葉は、自分自身に向けた答えでもあった。

    「ねえ。」

    由矎子が笑う。

    「十䞃幎間っお長かったね。」

    「長かった。」

    優真も笑う。

    「高校生の頃は、䞀幎でも長く感じたのに。」

    「ね。」

    「十䞃幎なんお、䞀瞬だった。」

    由矎子は少し考えおから蚀った。

    「私はね。」

    「患者さんを芋送るたびに。」

    「自分も少しず぀歳を取っおる気がした。」

    「でも。」

    「心だけは、高校䞉幎生のたただった。」

    優真も頷く。

    「俺も。筋肉は増えた。癜髪も少し増えた。」

    由矎子が笑う。

    「ほんず」

    「でも。」

    優真は由矎子を芋る。

    「心だけは⋯あの倏祭りで止たっおた。」

    沈黙。

    「だから。」

    由矎子が笑う。

    「十䞃幎経っお、ようやく高校を卒業できるね。」

    優真はその蚀葉に少し驚く。

    そしお静かに頷いた。

    「そうか。俺たち、ただ卒業しおなかったんだ。」

    その蚀葉で、十䞃幎間ずいう時間が、ようやく䞀぀の区切りを迎えた気がした。

    「ねえ」

    「うん」

    「今なら蚀える気がする」

    その蚀葉を聞いた瞬間、

    優真の䞭で䜕かが静かに決壊した。

    今しかない

    そう思ったのに、ただ蚀えなかった。

    あず䞀秒。

    その䞀秒だけが、やけに長かった。氎面は、胞を越え、 ゆっくりず銖元ぞ迫っおいた。

    その枩かさが喉に觊れた瞬間――

    蚀葉が、勝手にこがれた。

    「由矎子  俺、本圓は  あの時   お前のこずが  ずっず奜きだった」

    自分の意思ではなかった。 でも、嘘ではなかった。

    十䞃幎間、 胞の奥に抌し蟌めおきた蚀葉が、 自然に、溶けるように出おきた。

    由矎子も、涙を浮かべながら蚀った。

    「私も  奜きだったの。本圓は  ずっず  優真くんのこずが  」

    その瞬間、 氎面がふわりず揺れ、 二人の胞の奥に残っおいた“最埌の痛み”が、 静かに消えおいった。

    そしお、 二人の身䜓を同じ枩床で包み蟌んでいた。

    その枩かさは、 十䞃幎間の空癜を埋めるように、 二人の心をゆっくりず近づけおいく。

    「私たち  ずっず同じ堎所で止たっおたんだね」

    「  ああ。だから、ここに来たんだろうな」

    由矎子が埮笑んだ。 その笑顔は、あの倏祭りの倜ず同じだった。

    胃液の氎面は、もうすぐ肩を越えようずしおいた。

      あず少しで、消える

    でも、䞍思議ず怖くなかった。

    むしろ、 十䞃幎間蚀えなかった蚀葉を亀わせた今、 心は静かに満たされおいた。

    氎面が肩を越えた瞬間、 二人の蚘憶が完党に重なった。

    あの日の笑顔も、 あの日の涙も、 あの日の埌悔も。

    すべおが、 ひず぀の“物語”ずしお繋がった。

    「優真くん  」

    「由矎子  」

    氎面が、ゆっくりず二人の頬に觊れた。

    十䞃幎間止たっおいた心が、 ようやく動き始めた。

    その枩かさは、 たるで“さよなら”ではなく、 “はじめたしお”のようだった。


    【第5章 告癜ず消滅 ― 最埌の数分、最埌の蚀葉】


    黄緑色の光がゆっくりず揺れ、 たるで呌吞するように空間党䜓が脈打っおいた。

    その脈動に合わせお、優真は確信しおいく。

    このサメは、海に挂う「行き堎のない想い」を回収しお回る、 巚倧な掃陀屋なのだ。

    十䞃幎間、二人が海に投げ続けおきた「もしも」ずいう蚀葉。 それが積もり積もっお、この堎所を圢䜜った。

    飲み蟌たれたのは偶然じゃない。 二人の埌悔が、この巚倧な胃袋を呌び寄せたのだ。

    そのたびに、内偎の深い堎所から“䜕か”がほどけおいく。

    痛みではない。 でも、ただの安心でもない。

    長い間、蚀葉にできなかったものが、 静かに浮かび䞊がっおくる感芚だった。

    「 ねえ  」

    由矎子の声は少し震えおいた。 でもそれは恐怖ではなく、“思い出に觊れたずきの揺れ”だった。

    「私ね  ずっず䞍思議だったの」

    「䜕が」

    「十䞃幎も経っおるのに  どうしお今でも、あなたのこずを思い出すのか」

    氎面がふわりず䞊がる。 その瞬間、優真の芖界に“高校の教宀”が䞀瞬だけ重なった。

    文化祭前日の、あの距離れロの空気。

    脚立の䞋で支えた、あの䞀瞬。

    觊れたはずなのに、觊れきれなかった枩床。

    「理由、分かった気がする」

    由矎子が小さく笑った。

    「ちゃんず終わっおなかったんだね」

    その蚀葉ず同時に、氎面が胞に觊れた。

    ──瞬間。

    芖界が割れるように揺れた。

    文化祭の倕方の教宀。 攟課埌の駅前の圱。 倏祭りの倜空。

    党郚が䞀気に流れ蟌んでくる。

    “自分の蚘憶”じゃない。 “盞手の蚘憶”が混ざっおいる。

      これ、共有されおる

    優真は理解する。 この堎所は“忘れた蚘憶の亀換堎所”だ。

    そしお同時に気づく。

    今たで自分たちが「思い出だ」ず思っおいたものは、半分しかなかった。

    もう半分は、ずっず盞手の䞭にあった。

    「優真くん  」

    由矎子の目から涙が萜ちる。 でもそれは地面に萜ちる前に、光に倉わっお消えた。

    「私  転校する日、ちゃんず分かっおたの」

    「  え」

    「このたた䌚っおたら、絶察に奜きっお蚀っちゃうっお」

    液面がゆっくり䞊がる。

    胞の䞭心に觊れた瞬間、優真の䞭で“ある蚘憶”が厩れた。

    ――倏祭りの垰り道。

    「たた孊校で」

    そう蚀っお別れた自分。

    そのずき、本圓はもう䞀歩螏み出せたはずだった。

    でも螏み出さなかった。

    “盞手も同じ気持ちかもしれない”ずいう垌望に、甘えおしたった。

    「俺も  同じだった」

    優真の声は少しだけかすれおいた。

    「奜きだっお蚀えば壊れる気がしおた」

    「でも蚀わなかったこずで  ずっず壊れおたんだな」

    その蚀葉ず同時に、氎面がさらに䞊がる。

    喉元を越えた瞬間、呌吞の意味が倉わった。

    息を吞うたびに、蚘憶が入っおくる。 息を吐くたびに、埌悔が抜けおいく。

    由矎子が䞀歩近づく。

    距離はもう意味を持たない。

    「もしあの時、私たち  ちゃんず気持ちを蚀えおたら」

    「うん」

    「今みたいに、ちゃんず向き合えたず思う」

    少しの沈黙。 でもその沈黙は迷いじゃなかった。

    優真は、はっきりず蚀う。

    「無理だったず思う」

    由矎子が少しだけ目を芋開く。

    「たぶんあの時は、今よりずっず怖かった」

    「だから蚀えなかった」

    「でも今は違う」

    氎面が顎たで䞊がる。 芖界の端が光に溶け始める。

    「今なら分かる⋯俺たちはさ  」

    蚀いかけお、やめた。

    由矎子も同じように、途䞭で息を止めおいる。

    氎面が喉元に觊れお、 それ以䞊“蚀葉”が必芁じゃなくなった。

    由矎子の衚情が、ふっず緩む。

    䜕かを蚀いかけた。 でも、その蚀葉は最埌たで圢にならなかった。

    優真も同じだった。

    喉の奥たで来おいたはずの蚀葉が、そこで止たっおいる。

    黄緑色の光が、ゆっくりず二人のあいだを満たしおいく。

    音が少しず぀遠くなる。 どこかで、䜕かがほどける気配だけがあった。

    由矎子が䞀床だけ目を䌏せた。 それだけだった。

    優真も、䜕も蚀わなかった。

    ただ、そこに“同じ時間”が流れおいるのが分かった。

    氎面が、静かに二人を包んだ。


    【゚ピロヌグ 確信のない確信】


    「前田さん  倧䞈倫ですか 前田さん」

    目を開けるず、山田が俺の身䜓を揺さぶっおいた。

    「良かった  救出しおから半日、意識がなかったんですよ」

    どうやら俺は海で溺れ、救助され、この病院に運ばれおきたらしい。

    山田の隣には、女性看護垫が立っおいた。

    「良かったですね。本圓に   あら、点滎がもうすぐ終わりたすね。亀換したすね」

    看護垫は慣れた手぀きで点滎を倖し、新しいパックを取り付けた。

    そのずき――胞元のネヌムプレヌトをそっず抌さえた。

    その仕草を芋た瞬間、胞の奥がざわりず震えた。

    ――あの倏祭りの倜。 济衣の襟を盎すずき、由矎子はい぀も同じように胞元を抌さえおいた。

    看護垫は柔らかく埮笑んだ。

    「痛みはありたせんか」

    その声の響きが、胞の奥の深いずころを静かに揺らした。 語尟が少しだけ䞊がる癖。十䞃幎前ず同じ。

      䌌おいる。けれど、たさか

    「あの  名前  聞いおもいいですか」

    看護垫は䞀瞬だけ驚いたように目を䞞くし、すぐに穏やかな衚情に戻った。

    胞元のネヌムプレヌトを軜く抌さえながら蚀う。

    「花柀です。花柀由矎子」

    心臓が跳ねた。

    ――その瞬間、病宀の空気がわずかに揺れた気がした。

    蛍光灯の癜い光が、どこか黄緑色を垯びお芋える。 さっきたでいた“あの堎所”の残光が、ただ芖界の端に残っおいるようだった。

    花柀はカルテに䜕かを曞き蟌みながら、ふず手を止めた。

    「  倉なこず蚀っおもいいですか」

    「え」

    「前田さんの声を聎いおいるず  なんだか懐かしい気がするんです。初察面なのに、前にも䌚ったこずがあるような  そんな感じがしお」

    胞の奥が匷く脈打぀。

    「  そうですか」

    「すみたせん、疲れおるのかもしれたせんね」

    そう蚀っお軜く笑う。 その笑顔の圢が、十䞃幎前の倏ず重なった。

    花柀が郚屋を出ようずしたずき、 ふず足を止め、振り返った。

    「もし䜕かあれば、すぐ呌んでくださいね」

    その声は、どこかためらいが混ざっおいた。 たるで、自分でも説明できない“違和感”を抱えおいるように。

    扉が閉たる盎前、 ふわりず金朚犀の銙りが挂った。

    十䞃幎前の倏ず同じ銙り。

      倢じゃなかった

    胞の奥で、䜕かが静かにほどけおいく。

    点滎スタンドが揺れ、 ネヌムプレヌトの文字が光を反射した。

    《花柀》

    ただの名字。 でも、胞の奥で静かに灯り続ける名前。

    窓の倖では、倕陜が街を金色に染めおいた。 その光が病宀の癜い壁に反射し、ゆらゆらず揺れる。

    たるで、あの黄緑色の光がただ続いおいるようだった。

    優真はゆっくりず目を閉じた。

    十䞃幎前の倏祭り。 蚀えなかった「奜き」。 サメの胃袋で亀わした蚀葉。 そしお、病宀で再び出䌚った“花柀”。

    すべおが䞀本の線で繋がっおいく。

      あの倏が  続いおいる

    胞の奥で、確信にも䌌た感情が静かに灯った。

    確信ではない。 でも、確信に近い䜕か。

    それで十分だった。

    病宀の窓を開けるず、倕颚がそっず頬を撫でた。 

    遠くで誰かの笑い声がしお、街のざわめきがゆっくりず流れ蟌んでくる。

    十䞃幎前の倏も、こんな颚だった。 

    胞の奥に残った痛みも、蚀えなかった蚀葉も、 党郚が颚に溶けおいくような気がした。

      もう䞀床だけでいい。今床こそ、ちゃんず䌝えたい

    そう思った瞬間、 胞の奥で、静かに䜕かが動き出した。

    窓の倖を流れる颚が、どこか懐かしい匂いを運んでくる。 胞の奥に残った枩床が、ゆっくりず未来ぞ向かっお広がっおいく。 


    退院の日、病院の玄関を出るず、颚がゆっくりず頬を撫でた。
    空は高く柄んでいお、雲がゆっくりず流れおいく。

    胞の奥に残っおいた“枩床”は、ただ消えおいなかった。 あの黄緑色の光に包たれた堎所で感じた、 埌悔がほどけおいくような感芚。 

    蚀えなかった蚀葉が、ようやく圢になった瞬間。

    党郚が倢のようで、 でも倢にしおはあたりにも鮮明だった。

    病院の敷地を出ようずしたずき、 背埌から小さな声がした。

    「前田さん‥」

    振り返るず、花柀が立っおいた。 癜衣の袖を颚が揺らし、髪が少しだけ乱れおいる。

    「ああ、どうも  色々ずお䞖話になりたした」

    「いえ 」

    花柀は少しだけ芖線を萜ずした。 その仕草が、十䞃幎前の倏祭りの倜ず重なる。

    「  この前から、おかしい人だず思われるかもしれないですけど 聞いおもらえたすか」

    「どうぞ」

    「あなたず話しおいるず、なんだか  胞の奥が枩かくなるんです。理由は分からないんですけど」

    「 そうですか」

    「はい。初察面なのに、懐かしいような   そんな気がしお」

    花柀は小さく笑った。 その笑顔は、十䞃幎前ず同じ圢をしおいた。

    颚が吹き抜け、金朚犀の銙りがふわりず挂う。

      やっぱり、倢じゃなかった

    胞の奥で、確信にも䌌た感情が静かに灯る。

    「たた  どこかで」

    花柀がそう蚀った。 その蚀葉は、玄束ではない。 でも、玄束に近い䜕かだった。

    「ええ。きっず」

    そう答えるず、 胞の奥に残っおいた“枩床”が、ゆっくりず未来ぞ向かっお広がっおいった。


    垰り道、ふず颚が吹き抜けた。 どこからか金朚犀の銙りが挂っおくる。 十䞃幎前の倏ず同じ銙りだった。

    䜕かが静かにほどけおいく。 あの堎所で感じた枩床が、ただ消えずに残っおいる。

      たた䌚える

    そう思った瞬間、 颚が少しだけ匷く吹いた。 たるで背䞭を抌すように。
    未来ぞ向かうための、小さな䞀歩だった。

    あの倏の続きは、ただ始たったばかりだ。

    終

    #創䜜倧賞2026 #恋愛小説郚門

     
     
    心ず䜓をそっず敎える習慣づくりをテヌマに、筋トレや早起き、マむンドフルネス、人間関係のこずを綎っおいたす。 カりンセリングに支えられた経隓から心理支揎の孊びを続け、安心しお自分を倧切にできる時間を届けられたら嬉しいです。日々の小さな倉化を䞀緒に育おおいきたしょう。

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